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2009年7月

サトイモ・ヘチマ・スイカ―順調に育つ

Photo  サトイモの葉は人の笑い顔だと言った人がいた。風にサトイモの葉がゆらゆらと人の笑顔が畑一面にたなびいていると。 蛙が傘の代わりにして、走っている。

 でもサトイモの葉が大きいのは水滴が欲しいからからだ。夏のサトイモには水が必要不可欠。サトイモ畑の散水はこれから始まる。

Photo_4  『男のヘチマ』とは役立たずな男と言われている。風もないのにゆらゆらとぶら下がっている。

 ヘチマのたわし、今年もつくろう。肌に優しく、少年の日々に戻れるもん。

 

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 スイカが育ってきている。

三年前、スイカを食べようとし、実をひっくり返したらカラスに食べられていた。

 そろそろ網で防御しないといけませんな。

Photo_6   左が夢野(3歳3カ月・メス)、右が銀太(2歳3カ月・オス)。夢野は夜中に私を起こし、外に行き、夜に帰宅する。鼠をねっらているのだろう。銀太は我が家の庭以外にでないで、家の中で寝ている方が多い。夕方、銀太にはメス猫の恋人が庭先に現れ、2匹で庭の中を走り回っている。どこの猫だろう。

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甦る中世の城郭―逆井城(さかさいじょう)

Photo_27  小山義政の五男常宗が逆井の地を知行し、逆井氏を称した。天文5年(1536)に北条軍の大将、大道寺駿河守に攻められ、落城した。その時、智御前が先祖代々伝わる釣鐘をかぶって、城中の池に飛び込み自殺したと伝承されている。

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  逆井城は別名、飯沼城と云われた。飯沼は赤堀川(現・利根川)経由で関宿方面から江戸湾に直結していた。城の西側に入り江を作り湊を構築、左記のようにテラス(犬走)を設け、荷揚げを行った。小田原から船で直接くることの出来る城であった。Photo_36 利根川が銚子に繋がる江戸期以前のこの一帯は川の流れから水運を通して眺めていく必要があると教えてくれた人がいた。

  昭和57年(1982)から発掘調査が進め、当時の猿島町ではふるさと創生基金をきっかけに、中世の城郭として日光東照宮の宮大工を招き復元を行った。筋交橋、三層の櫓、板塀、ラーメン構造の井楼と時代考証の上の復元となり、時代劇のオープンセットと違い、まさに本物の中世の城郭だった。 また、城之内大台地(潮来市)で出土した主殿遺構の復元、天正16年(1588)2月の棟札のあった観音堂の移築展示、古河城書院の石郡などが展示されている。願わくば、地元の有志などで、戦国時代の武者姿で敷地内を警護していれば、その時代へタイムスリップすることができるのだが、坂東市で是非、検討していただきたいとお願いします。

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【復元された主殿と内部。玄関が二条城以前のものとして貴重】

 

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【古河城書院の礎石】 

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               【茨城県内で最も古い観音堂】

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【智御前が入水した伝えられ鐘堀池】    

 

      

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【虎口前の橋と二階門】 

 

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関宿城ー川の分岐点 と大利根川の始まり

Photo_6  ~旅空夜空でいまさら知った 女の胸の底 ここは関宿 大利根川へ 人に隠して流す花 だってヨー あの娘川下 潮来笠~

 利根川と江戸川の分岐点の関宿。江戸初期、江戸の治水のため渡良瀬川と権現堂川の間に赤堀川を開削して、銚子に抜ける今の利根川の改修工事を行った。      (権現堂川堤) 

 関宿城本丸跡地土手堤の上に立つと、利根川と江戸川Photo_8 の分岐点だけに関東平野の壮大さを感じる。

 関宿城は古河公方の奉行人梁田成助が長禄元年(1457)に築いたとされている北条氏により古河公方足利義氏の居城となった時代もあると云う。 現在の本丸跡地は、江戸川堤の下に何もない跡地となっている。                  (本丸跡地) 

一方の資Photo_7料館には江戸城富士見櫓を模倣して平成7年に三層の櫓を建てている。資料館には江戸時代における利根川を中心に水運の展示があったが、渡良瀬川、中川、江戸川、庄内川と大規模な治水工事の内容の解説が無いのが残念です。三層の櫓の向こうには利根川が流れ、左手の土手側には江戸川が流れている。 関東の平野は川の下にある。それだけ湿地帯、遊水地帯でもあったことが伺える。

 唄に歌われた大利根川は、ここ関宿から始まることがわかった 

 Photo_4 宝永二年(1705)久世重之(くぜしげゆき)が城主となり明治に及んだ。薬医門形式の城門は現在、実相寺・逆井城公園・民家の計三棟残っている。

 関宿にある実相寺には、終戦時の総理大臣鈴木貫太郎氏の墓地があった。 (実相寺)

(追記)関宿藩は戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟に参加したと佐々木克著「戊辰戦争」(中公新書)に記載されていた。調べていきたい。

 

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