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関宿城ー川の分岐点 と大利根川の始まり

Photo_6  ~旅空夜空でいまさら知った 女の胸の底 ここは関宿 大利根川へ 人に隠して流す花 だってヨー あの娘川下 潮来笠~

 利根川と江戸川の分岐点の関宿。江戸初期、江戸の治水のため渡良瀬川と権現堂川の間に赤堀川を開削して、銚子に抜ける今の利根川の改修工事を行った。      (権現堂川堤) 

 関宿城本丸跡地土手堤の上に立つと、利根川と江戸川Photo_8 の分岐点だけに関東平野の壮大さを感じる。

 関宿城は古河公方の奉行人梁田成助が長禄元年(1457)に築いたとされている北条氏により古河公方足利義氏の居城となった時代もあると云う。 現在の本丸跡地は、江戸川堤の下に何もない跡地となっている。                  (本丸跡地) 

一方の資Photo_7料館には江戸城富士見櫓を模倣して平成7年に三層の櫓を建てている。資料館には江戸時代における利根川を中心に水運の展示があったが、渡良瀬川、中川、江戸川、庄内川と大規模な治水工事の内容の解説が無いのが残念です。三層の櫓の向こうには利根川が流れ、左手の土手側には江戸川が流れている。 関東の平野は川の下にある。それだけ湿地帯、遊水地帯でもあったことが伺える。

 唄に歌われた大利根川は、ここ関宿から始まることがわかった 

 Photo_4 宝永二年(1705)久世重之(くぜしげゆき)が城主となり明治に及んだ。薬医門形式の城門は現在、実相寺・逆井城公園・民家の計三棟残っている。

 関宿にある実相寺には、終戦時の総理大臣鈴木貫太郎氏の墓地があった。 (実相寺)

(追記)関宿藩は戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟に参加したと佐々木克著「戊辰戦争」(中公新書)に記載されていた。調べていきたい。

 

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コメント

竹村、飯塚、対馬などの消息をご存知でしょうか。
オハヨウ氏が竹村さんと連絡取れないかと申しておりました。

投稿: お気楽亭 | 2009年7月18日 (土) 23時07分

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