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大田道灌が築城した武州「謎の城-岡城」

Photo  埼玉県朝霞市「朝霞台駅」から徒歩30分の小高い丘の上に『岡城』がある。日本城郭史学会の岡城見学会に参加した。

 城の西側には黒目川が流れている。 この城は応永23年(1416年)禅秀の乱から始まる永享の乱、結城合戦、享徳の乱(1454年~1482年)とつづいた関東争乱の中、長禄元年(1457年)頃に大田道灌によって築城されたと云われている(岡の城史より)。

 Photo_2

  足利幕府をまき込んだ古河公方と山内・扇谷上杉との関東争乱は西の応仁の乱以上に関東武士団が死闘を続けた。しかし、学校の歴史では応仁の乱は教えてくれたが、同時期の関東の争乱は教えてくれていない。(7月放送のNHK高校通信教育日本史ではこれをとりあげていた)。城の構造は三の郭、二の郭、本郭と郭式となっており、本郭の先の一番高い場所に物見櫓跡がある。Photo_3

 各郭を結ぶ通路には空堀が今も残り、二の郭から本郭にかけて跳ね橋があったとされている。また堀切は上幅20m位、深さ2.5mに掘られ、堀底は3mの幅と測定されている。

 古河公方と対峙する山内上杉は五十五城、深谷、高崎、鉢形城と攻防ラインを築いた。扇谷上杉の大田道灌もPhoto_5 父、道真と共に江戸城、川越城、岩槻城を築き陣容を整えた。

 道灌が築いた江戸城、川越城にはほとんど遺跡が残っていないなか、岡城は江戸城と同じ三の郭から順次高くなっていき、一番高い先端部に物見櫓(富士見櫓)あることから、江戸城と同じ構造となっている。道灌の築いた城としては現存する遺跡として貴重な城跡と言えると日本城郭史学会の見学会での見解があった。

 岡城は名前の由来から不明な点があり、別名「謎の城」とも言われている。

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