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土塁にこだわる---佐倉城(千葉県佐倉市)

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天文年間に千葉親胤が一族の鹿島幹胤にこの地に築城を命じ、開始したが一族の争いで中断した。天正18(1590)年の小田原の役で関東の豪族・千葉氏は小山氏と共に滅びた。

(見事な馬出し)

Photo_2

 慶長15(1610)年土井利勝が入部し、翌16年に北方は印旛沼に続く低湿地、西・南方は鹿島川とこれに合流する高崎川に囲まれている鹿島山の台地に築城を開始し、元和3(1617)年、江戸城の搦め手として佐倉城は完成している。

(深く絶壁のような空堀)

Photo_3 延享3(1746)年堀田正亮が山形から入部し、以後幕末まで居城となり、現在13代目の堀田氏が佐倉市内に居住している(マイクを持っている人)

 08年、幕末老中の堀田正睦の銅像がハリスと共に二の門そばに建立された。安政5(1855)年の日米修好通商条約を結び、佐倉から近代への幕を開けた功績を讃えてのことだそうだ。(堀田正睦の銅像)

Photo_13 城は丘陵を活用し、二の丸から本丸への空堀の深さ20メートル以上あり、濃い茂みに覆われている。天守台と銅櫓は結ばれていた云われている。この櫓は太田道灌が建てた江戸城の清勝軒であるといわれている。櫓や門が残っていないのが残念。写真が現存するのでせめて鯱のある大手門など復元して欲しい。(天守台)

Photo_7

  佐倉城は一切、石垣を使用せず土塁で築城している。築城時の慶長年間は徳川の天下普請(江戸城・名古屋城・大坂城)の真最中であり、石材搬入は江戸湾から印旛沼経由で可能だった筈だ。

(銅櫓跡、何で壊したのか!)

Photo_9   土井利勝は土塁にこだわったのだ。

  天文年間(1532~54)築城開始は戦国時代、中世の城としての影を残しての城としての土台。それは石垣では無く、土塁としてのこだわった堅固な築城を目指したのであったのだろう。

(長く続く土塁)

 Photo_15

 国立歴史民族博物館には今回、時間の関係でトイレのみ使用して見学できませんでした。次回の楽しみとします。

(馬出しの前にある国立歴史民族博物館)

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コメント

お久し振りです。
次回は今に繋がる歴史探訪をお願いします。
歴史というものはそういうものではないでしょうか。
<かかわりのあるもの>こそ歴史ではないのか?

投稿: お気楽亭 | 2010年2月 7日 (日) 21時45分

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