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2010年10月

星亮一著「会津籠城戦の三十日」

 戊辰戦争での会津籠城戦は多くの語り草がある。星亮一著「会津籠城戦の三十日」では籠城戦に加わった会津藩士・その妻子や官軍としての諸藩士が書き記したもので構成しているため、より現実味を著してしている。とりわけ首を持参しての籠城参加の妻女や空き家となった武家屋敷での強奪を行う官軍兵士、強奪品を荷車に積み、市場が立ったという箇所は戦のもつすさまじさを現している。

 会津の恨みは永く続く訳でもあり、東北諸藩は西国に比べ、この戊辰戦争により100年も明治政府により開発が遅らされ、やがて昭和初期の時代に流れる下地になったなど思えた書です。

会津籠城戦の三十日 Book 会津籠城戦の三十日

著者:星 亮一
販売元:河出書房新社
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  《追記》補章・解説として鶴ヶ城を執筆している戊辰戦争研究会会員の村井雅子氏の鶴ヶ城についての解説は非常に参考になります。会津若松城を見に行くときの必読本と思える。とりわけ北の出丸について興味をそそる。この北の出丸を作ったのは築城者の蒲生氏郷なのか、調べてみたい。

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秀吉の陰謀かー名胡桃城・沼田城

 天正十七年(1589)春、秀吉による沼田城裁定により真田方が沼田領3分の2を北条に割譲され、名胡桃城は真田領分とした。沼田城は北条氏邦の重臣の猪俣邦憲が城代として配置されたが、天正十七年(1589)10月末に猪俣邦憲により名胡桃城は攻め落とされた。

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 ( 下は名胡桃城本丸跡)(上は名胡桃城から見た沼田城)

利根川を挟み近距離だ。北条にとり目障りだったのか。

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真田信幸は松代に移籍され、沼田城は天和元年(1615)に徹底的に破却された。徳川秀忠による真田への恨みを込めての沼田城の破却であり、一部の石垣がわずかに残されている。現在は沼田公園と称して、城址公園として名乗れないわけだ。

Photo_7  沼田城から名胡桃城はすぐ目の前だ。北条は本当に秀吉裁定を破っても名胡桃城を欲しかったのか?

 池波正太郎の「真田太平記」では秀吉により北条征伐の大儀名文のため、秀吉側が仕掛けてとしている。

 しかし、沼田城から見る名胡桃城は目障りな城とも思える。

 沼田城、名胡桃城とも利根川にそった断崖絶壁を活用しての城作りだ。

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