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丘陵台地の先端―志村城

Photo  志村城跡は都営地下鉄三田線志村三丁目駅から南へ徒歩5分の坂を登る所にある。

 城址の北、西、南の三方は垂直に近い急な傾斜の断崖になっている。城址公園入り口から傾斜の断崖を登り、その北側には荒川が見える筈が、ビルの陰で荒川は見えない。

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  江戸の地は広大な丘陵台地によってできている。その台地の最先端に志村城がある。

 二の丸には熊野神社がある。秩父氏系列の武蔵野武士団の多くは熊野神社を勧進している。熊野神社本殿は本丸より位置が高い。

 本殿前の敷地から弥生時代の遺物が発堀され、すでにこの地は環濠があることから本殿は前方後円墳とされている。

Photo_7 また、本殿の右横に三基の板碑が並ぶ。右から明応(1492)、大永(1521)、永正(1504)年間と刻まれている。因みにこの志村城址から徒歩10分の所にある延命寺には関東で2番目に古い板碑がある。

 

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 熊野神社本殿の左側に空堀と土塁跡がある。二の丸と本丸の間に立ち、本丸側を見た。そこには高層マンションが建っていた。

 板橋区はどうして保存をしなかったのか。

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  断崖の下は整備された城址公園となっており、断崖より湧き水が流れている。

 丘陵の先端にある坂の上の城址 だが、太田道灌に滅ぼされた豊島氏一族の志村氏。最後は北条と共に廃城となった。

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城址公園が完成した時、門に鯱を置いた。しかし過去3回盗難のあい今は無いが隣りのトイレの上に一対の鯱がある。

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