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出流山天狗事件―永野村の軍師・原口文益

Photo  慶応三年(1867)12月12日、出流山満願寺において尊王倒幕で蜂起した160名の下野糾合隊(出流山天狗)はわずか10名の囮隊を残し、出流山鍋山村を脱出し、葛生方面へ脱出した。栃木陣屋に資金調達に行った6人の内、4人が栃木宿戦闘(銀次のブログ・出流天狗事件「栃木宿の戦闘・長谷川伸相楽総三とその同士たち」)で関八州取締に討ち取られ、出流山に出動してくることが明らかになったからだ。山づたいから葛生、田沼宿を経て、岩船山と太平山を両翼に佐野唐沢山城に籠り薩摩藩を頼り、持久戦に持ち込むこととしたのだ。

 日向野徳久著「岩舟町の歴史」によれば、関八州取締出役、渋谷鷲郎は栃木町から先回りして岩船西麓にある新里村に鉄砲隊と館林藩・佐野藩など幕府討伐隊が待ち受けていたと記述されている。さらに険しい山路で疲労と空腹の浪士隊(糾合隊)は小野寺村で一斉射撃を浴びせられた。岩船山の岩陰に逃げたが、銃撃が繰り返されたため山を下りたが、一斉射撃で崩れ、新里村八幡山の東での斬り会いで糾合隊は壊滅したとしている。

 糾合隊には鉄砲が少なく、武力の差が大きかった。渋谷鷲郎は前年の武州一揆を鉄砲を使用して鎮圧する戦闘での実績があったからでもある。首謀格の会沢元助は新里村で打死、竹内啓(ひらく)は捕縛され江戸護送の途中、松戸宿にて処刑された。国定忠治の子息、大谷形部国次は岩船山にて最後まで奮戦したが捕縛され、佐野天明河原にて6日後の12月18日に41人と共に斬首された。この蜂起した160名の中には永野村30人、粕尾村20名の村人が参加していた。

 岩船山新里村の戦闘においたは地元の農民も渋谷鷲郎に率いられて参加していた。翌年の慶応四年(1868)4月に「ぼっこし」と言われている下野世直し一揆がおこる。出流山糾合隊との戦闘を経験した農民が一揆に加わることにより世直し一揆は大きなうねりとなっていった。

Photo_2  岩船山新里村八幡山の戦闘にて常田与一郎こと原口文益は鉄砲に撃たれ討死にした。原口文益は栃木市から西北20キロ先の永野川上流の下永野村にて常田塾を開く漢方医でもあった。原口文益について『国定忠治と出流天狗』(松原日治著)によれば肥前

佐賀の鍋島藩の藩士であり、武蔵金沢六浦藩の米倉丹後守の知遇を得て、下永野村の名主池澤浅右衛門と合い、永野村に住み着いた。常田塾を開き佐賀藩の大隈重信経由でアームストログの講義や諸外国の実状を教材として、尊王開国、倒幕の考えを推し進めていったと紹介している。

さらに、大塚雅美著『草莽の系譜』でも原口分益こと常田与一郎について記述がある。「多くの志士を生んだ永野村における常田与一郎の存在は特出すべきものがある。永野村池澤浅衛門とめぐり合いによってここに定着し、『常田塾』を開き、表面的には医業を持って、現実には幕末政情の現状打破に子弟教育という行動を通して時局に対処した」と大塚雅美氏は絶賛している。

Photo_3  この原口文益の墓が下永野村の長谷寺(ちょうこくじ、栃木県鹿沼市下永野962)にひっそりとある。歴史から埋もれているかのように静かな佇まいの中、墓石には明治28年3月28日建立と刻まれている。長谷寺は栃木市から粟野に向かい、大越路トンネルの手前を左に曲がり、下永野に入り、右側の山裾に佇む天正二年(1574)創建された寺である。もともと茨城県ゆかりの長谷寺は当時の住職、大心無外は茨城県行方郡北浦町にあ                                

る円通寺からきており、多くの水戸藩士が出入りし水戸尊王攘夷の影響を強く受けていた寺でもあった。また、佐野と足利の間にある富田宿の如意輪寺の住職応住(おうじゅう)は田崎早雲、高野長英らと親交があり、長谷寺無外和尚と仲が良く、影響を与えたいう。(「国定忠治と出流天狗より)

Photo_4 その原口文益は元治元年(1864)5月の水戸天狗党太平山対陣の際には参加を拒否している。尊王攘夷と尊王開国の考えの違いであったのだろう。しかし、出流山天狗事件では軍師格として加わっている。時期早々との考えで同じく下永野で道場を開いていた内藤民部には参加を止めている。原口の周りには近在の若者多くいたことから、参加を促され倒幕の一点で決意したのだろうと推察する。江戸末期の幕府の触書では『農民の剣術稽古・学習』等の禁止が頻繁に出ていることから、学問・剣術が盛んであったことが伺える。こうした山間の地域には原口文益など数多く草莽の志士が存在し、農民階層を中心に天下国家への意識の高まりの広がりを見せ、やがては明治の自由民権運動につながっていった。

(参考資料)

松原日治著『国定忠治と出流天狗』、 大塚雅美著『草莽の系譜』(三一書房)、日向野徳久著『岩舟町の歴史』

                           《夢野銀次》

 

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