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都賀三十三観音霊場めぐり―第2回9月24日

 9月10日から始まった栃木市域周辺の三十三観音霊場めぐり。第2回は9月24日、快晴の中、栃木市皆川から岩舟町小野寺にかけて約20kmを徒歩での観音めぐりに参加した。前回の3番札所の続きの4番札所「正龍院悪五郎堂」栃木市箱森から歩き始める。5番札所「泉光院」栃木市泉川。6番札所「千手院」皆川城内。7番札所「吉祥院」岩舟町小野寺田代。8番札所「大慈寺」岩舟町小野寺。9番札所「常光寺(廃寺)」岩舟町小野寺。10番札所「宝積院中田寺」岩舟町小野寺。11番札所「実相寺(廃寺)」岩舟町上岡。12番札所「成就院」岩舟町三谷。13番札所「自性院(廃寺」岩舟町新里。以上10箇所の三十三観音めぐり。

Photo 4番札所の悪五郎堂は錦着山に出る手前の五差路を右に曲がった所に鎮座してあった。お堂だけで観音菩薩は個人の人が預かっているとのこと。意外な場所にお堂があった。

 5番札所の泉光院は皆川街道の赤津川を渡り、湧き水の豊富な泉川にあった。住職のはからいで観音堂の中に入れてもらい、「十一面観音菩薩」を拝観させていただいた。また、お堂の天井にあったという「龍の絵」が観音菩薩の左側に飾られていた。見事な絵であPhoto_14 る。湧き水の多い地域のため、寺の東側 にあった沼(精心場)で身心を清め念仏を唱えたと伝えられ、今も月2回念仏・ご詠歌を唱える行事をしているとの説明が住職よりあった。観音菩薩を心おきなく拝観させていただいたことに感謝します。(写真は泉光院山門と観音堂)

 次の6番札所の千手院は皆川城の麓にあり、お堂の前は市民参加「稲作つくり」をしており、黄色く実った稲穂で『皆川』という文字を見せていた。

Photo_3 

皆川から岩舟町の小野寺に向けて、途中 車で2キロ移動したが、約10キロの道を踏破した。昔、東山道はこの道ではなかったかなと思えているが、先導の講師は『違うのではないか』との意見。ようやく7番札所の吉祥院につき本堂を観て、次の8番札所の大慈寺に向った。(写真は大慈寺山門)

 大慈寺は天平9年(737年)、行基が創建したという古刹で、比叡山3代座主慈覚大師円仁が9~15歳まで修行Photo_11 した寺で有名だ。また、弘仁6年(815年)最澄が国家鎮護のため全国6ヶ所に相輪橖(そうりんとう)を建てた。現在の大慈寺の相輪橖は天正年間に焼失したため享保10年(1725年)回国修行の名僧常心が天明鋳物師によって復元されたいわれている。薬師堂・仮本堂を参拝する。(写真は相輪橖)

 慈覚大師円仁を大きく評価をしたのは元アメリカ駐日大使ライシャワー氏である。唐の仏教弾圧の中で中国五台山に密入国してまで修業した円仁が書き記した『入唐旧求法巡礼行記』をライシャワー氏は感激し、マルコポールの「東方見聞録」より優れてるとし、翻訳をし広く世界に紹介を行なっている。 このライシャワーの行いに感服した栃木市大塚町在住の須藤豊氏が「都賀三十三観音めぐり」一行のため、わざわざ説明に来ていただいた。

Photo_8 須藤氏は私財を投げ打って、埋もれている大慈寺の史跡の改修や整備と紹介をしている。大慈寺紹介のパンフレットをはじめ、小野寺で亡くなったとされている「小野小町の墓所」や「円仁ご母堂の霊地」「七水」など個人として続けていることを拝聴した。信仰心の強さを感じた。(写真は小野小町の墓)

 昼食の時、大慈寺の北隣にある村檜(むらひ)神社に参拝した。創建は大化2年(646年)で現在の本殿(国重要文化財)は三間社春日造。屋根は栃木県内に唯一現存する檜皮葺(ひわぶきPhoto_12

で天文22年(1553年)の建立とされてる。参道の石段の両脇には大きな杉の木が立ち並び、棟門から入り参拝する。おごそかな社殿で歴史の重さを感じた

(写真は村檜神社本殿)

 小野小町の墓所を観てから上岡を目指した。

Photo_9  ここの地名である小野寺氏は源頼朝

の奥州征伐に従事し軍功をあげ奥州雄勝郡に封じられた。日本三大うどん(讃岐うどん、水沢うどん)の一つ「稲庭うどん」で有名な秋田県湯沢市に稲庭城を築き、承久年間(1190年代)に一族こぞってこの小野寺地から移った。そのため、ここの小野寺地域には地名は残ったが子孫はいないとされている。東北道佐野サービスエリア付近に「小野寺」城跡」の標識があった。(写真は小野寺城址)

 お墓の墓標名がすべて「中田」となっている宝積中田寺の「千手観音」を拝観し、廃寺となっているが「慈覚大師円仁の母の墓」を観て岩舟を目指した。

Photo_10  12番札所の成就院は「ボケ防止のお寺」「親子桜」としても名が知られている。住職のはからいで本尊左脇に祀られてある「十一面観音」を拝観した。穏やかな表情とぬくもりを感じた。本尊は60年に1回開帳とのこと。また本堂内の『欄間』が見事。おそらく日光東照宮の修理・修築を行なっていた熊谷宿の宮大工の作品ではないかとの説明が住職よりあった。この欄間、好きな方に拝観するよう薦めていきたい。(写真は成就院の山門)

 

Photo_13   本堂の前には「ボケの花」があった。初めて見る。いずれは『ぼけ』が来るのかな? (写真はボケの花)

 岩舟町新里にある自性院は廃寺となっており、この地であるとの説明があった。

 ようやく解散地の岩舟駅に到着。とにもかく20キロ、よく歩いた。一人ではとても歩行は不可能だ。20名の参加者と共に歩くからできたと感謝する。翌日は両足の太ももが痛くなった。        

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コメント

楽しく拝読させて頂きました。都賀三十三観音霊場の寺院
の詳しい住所をお知らせ頂ければ幸いです。Google等で
検索しているのですが、中々みつかりません。栃木市に過日
観光に行き、再度山車祭りの時に行ってみようと思っていましたところ、都賀霊場があるのに気付き巡拝しようと思い立ちました。そのような次第なので宜しくお願い致します。
下野三十三観音霊場は数カ所伺って居ます。

投稿: 遠藤敬 | 2014年4月10日 (木) 16時58分

遠藤さんコメントありがとう。
栃木市生涯学習課主催の都賀観音霊場めぐりのパンフでは所在地が記載している地図が配布されましたが、詳しい住所の記載がありません。また中には無人廃寺になって、地元の人が観音堂を開けてくれた箇所が数多くありました。後日、観音様を拝観できる寺院の住所と問い合わせ先(栃木市生涯学習課文化財、吹上公民館や都賀町庁舎)をメールで送ります。

投稿: 銀次 | 2014年4月11日 (金) 05時13分

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