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都賀三十三箇所観音霊場めぐり―第1回/9月10日

 栃木市域の庶民信仰に係る文化財を探訪する、とちぎ市民学舎・発見の森ゼミナー(栃木市教育委員会生涯学習課)の「都賀三十三箇所観音霊場めぐり~巡礼・ウォーキング~」、延べ5回のとりくみに参加・挑戦することにした。

 第1回は9月10日(土)に栃木市役所別館にてオリエンテーションと文星芸大講師の北口英雄氏より「三十三観音について」の講演があった。その後栃木市役所を栃木教育委員会事務局の先導で出発。参加者20名で1番札所「近龍寺」(栃木市万町)、2番札所「定願寺」(栃木市室町)、3番札所「東泉寺」(栃木市沼和田町)を訪ね、栃木市役所に戻る約5Kmを暑い中、歩き巡った。

  観音信仰とは何なのか? 今まで分かってるようで分からない。子供の頃から「浅草観音」や「観音様を拝む」など絶えず頭の隅にあった。観音菩薩は般若心経の冒頭に登場する「観自在菩薩」のこと。そして観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」など、33の姿に変身すると説かれている。そのため「三十三観音」とは近世のにおいて信仰されるようになったものと言う。今回の巡礼めぐりで少しでも分かっていきたい。Photo_3

 文献資料では観音像には基本となる聖観音(しょうかんのん)の他、変化(へんげ)観音と呼ばれる様々な形の像(「千手観音」「十一面観音」「如意観音」「馬頭観音」)などがあり、人間の多種多様、多面体をあらわしている。観音菩薩は、現世利益的な信仰が強い。そのため、あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえるという観点から、またインドのヒンズー教の影響を受け、多面的な超人間的な姿に表されることが多いとされていると言う。まだまだ分からない。

Photo_4  1番札所の近龍寺には観音堂・呑龍堂・秋葉堂を新しく建て替えを行い三仏堂として本堂の脇にある。住職の案内で三仏堂の中に入り、観音菩薩を観ることができた。毎月8日が呑龍さんの縁日でこの三仏道が開けられ、拝観できるといこと。今度ゆっくり拝観しよう。そう言えば子供の頃、この近龍寺の呑龍さんの縁日に遊びにきていたことを思い出した。(写真は近龍寺山門と三仏堂)

Photo_5  2番札所の定願寺にあった幼稚園が無くなっていた。おかげで本堂をバックに鐘楼を写すことができた。あいにく本堂内にある観音さまは拝観できなかった。定願寺は水戸天狗党の本陣になったり、栃木県庁の仮庁舎になったりもしている。また、伝説の二代目横綱「綾川五郎次(享保年間、1717年)」の墓もあり、子孫が続いていると言う。定願寺に現存する古文書などの史料を一同に集約・整理して資料館などで公開してくれるとありがたいと願う。(写真は定願寺境内)

Photo_6  3番札所の東泉寺でも観音さまを拝観できなかった。古くなった本堂は囲いに覆われていた。

途中、日光道中裏道にあった道標を見る事ができた。一般家庭の敷地内にあるため栃木市としても引き取り保管したい意向との説明があった。『左こが』と書かれてある。江戸時代の道標は前から見るのではなく、道標を背中にして見るためだとの説明がある。初めて知った。それにしても栃木から高島・小林に向けての道が「日光道中裏道」と呼ばれていたとは。栃木駅に行く場合はこの道を自転車で走る。(写真は道標・日光道中裏道)

 帰路は沼和田から日光例幣使道を横切り、うずま川の「片柳河岸」所在の説明を受けて市役所に着いた。「片柳河岸」と説明を受けたが、ここに親戚の家があり、子供の頃から「下河岸(したがし)」と呼んでいた。また遊郭もあったと言う。講師に質問したら『らしいですね』との回答だった。

                               《夢野銀次》

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