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都賀三十三観音霊場めぐり―第3回10月1日

 第3回目の都賀三十三箇所観音霊場めぐり(栃木市教育委員会生涯学習課)は10月1日、JR岩舟駅に集合してスタートした。14札所・高勝寺(岩船山」)…15番札所・大蔵院(岩舟町鷲巣公民館)…16番札所・専光寺(岩舟町鶴巻)…17番札所・宝泉寺(岩舟町和泉)…19番札所・清水寺(大平町山田)…20番札所・観音寺(大平町下皆川)の6箇所(行程約17㎞)めぐりをした。尚、五箇所の祀られてある観音菩薩像をデジカメで撮ったが、このブログには載せていかないこととした。

Photo  14番札所となっている岩船山高勝寺には観音菩薩はなかった。過去にあったらしいが、現在の住職も観音菩薩のことは知らないということだ。

 600の長い石段を登ることから祖霊や死霊が集まる岩船山に入る。山頂にある高勝寺本尊の地蔵尊は、青森県の恐山、鳥取県の大山とともに日本三大地蔵のひとつに数えられている。(岩船山石段)

 本堂にて住職のあいさつと岩船山の言い伝えの説明を受けた。先の3月11日の大震災で奥ノ院に続く峰が崩Photo_2落し大平山からのハイキングコースが遮断されていること。さらにある一説として、この岩船山は昔は姥捨山ではなかったのではないかとの言及もあった。住職としてそこまで述べてよいのか疑問に思えた。しかし、露出した岩肌の地は確かに死霊が漂う雰囲気があり、姥捨山とし信憑性が感じられた。 本堂に座して、本尊の地蔵尊を仰げば、そこは西方浄土につながる方角となっている。(岩船山高勝寺本堂)

Photo_3 岩船山からの下山道で急な道を降りていく途中で崩落した岩肌を見る。前回、岩船山に来たのは大震災の2日前の3月9日だった。その日の参拝者の中に3月10日の東京大空襲で両親を亡くした人が来ていた。全国の霊が集まってくる岩船山。しかし、かつて子供の頃の賑わいを感じない。あの世とこの世を結びつける手紙である本堂脇の多くの『塔婆』だけではなく、恐山大祭に現れる『イタコ』のような、現世に現れる見えるようなモノがあれば良いなと思えた。

Photo_4  

 下山してすぐに15番札所の大蔵院に着く。今は廃寺となっており、お堂の作りのまま鷲巣公民館として地域で活用されている。公民館管理している地域の人のご厚意で、公民館の奥座敷に祀られてある『十一面観音菩薩』を拝観した。暗いためストロボの明かりで観ることができた。稲妻のような形相した怒りを表す観音菩薩だった。しかし、この公民館に観音菩薩が祀られていることをよく調べた。さすが市役所の文化財担当と感心させられた。(大蔵院・鷲巣公民館)

Photo_9 16番札所は鶴巻神社境内の中ある専光寺観音堂。聖観音を祀っていたが昭和50年代に盗難にあい、現在は木彫りの聖観音を祀っている。

 ここも地域の人が観音堂を開けていただき拝観することができた。(専光寺観音堂)

 

Photo_15

 例幣使街道が富田から佐野と古河に分かれる旧50号の和泉交差点の角に17番札所の宝泉寺がある。この観音堂は和泉自治会が管理している。自治会役員の方々が私たち一行を迎え、観音堂を開けていただいた。毎年8月10日に観音堂祀りを開催し、開帳しているとのこと。聖観音菩薩で勇ましさが感じられる観音様だ。観音堂の脇に地蔵尊が安置されている。交差点の拡張工事のため、この観音堂の脇に移動したもの。この地蔵尊の顔かたちが奇妙で、自然にできた岩なのか、ノミで削って作ったのか、地元の自治会の人も分からないということだった。(宝泉寺観音堂とお地蔵様)

Photo_12 大平町山田にある『清水寺(せいすいじ)』に向かう途中の山麓にはいたる所に彼岸花が咲いていた。

 19番札所の清水寺は下野二十六番札所としても有名であり、晃石山登山口にもなっている。本堂の奥にある観音堂の作りは見事だ。昭和32年に飛び火により本堂を焼失(現在の本堂は平成7年建立)したが、この観音堂は火災を免れた。今も火災が発生した場合、地元消防団はいの一番にこの清水寺を守ると云う。住職の説明では県の補助金にてお堂の防火を含めて大修築を行っている。本尊の十一面千手観音菩薩は県指定以上の尊い文化財の観音菩薩だと言う。昭和63年の改体修理の際、胎内の墨書により、鎌倉時代(文永2年(1265年)仏師・観阿陀により彫られたことが判明したという。

Photo_17十一面千手観音菩薩の手の中の一つに『ぶどう』を持っている手がある。おそらく中東からこの時代(鎌倉時代以前)にブドウは入ってきていたという。指定文化財を受けているため多くの方にこの観音菩薩を拝観していただきたい。そのため、観音扉を開け、観音堂前に立つとセンサーが感知し、照明が点灯され観音像を拝観できる設備としている。住職の考えに感心させられた。(清水寺観音堂)

 それにしても十一面千手観音菩薩。スケールの大きい穏やかな表情をした観音菩薩だ。具体的な大きさを聞いておくべきだった。

Photo_13 この日最後の下皆川にある20番札所の観音寺。この観音寺を管理し、一族の墓所としているのが椎名家である。そのため観音堂を開けたのが元大平町町長の椎名甲子一さんだ。観音堂脇にある墓所の一つ一つの広さがすべて同じにしており、末代までの墓所としているという。(観音寺お堂)

 前の観音菩薩は古くなったため焼却し、新しい聖観音菩薩が祀られている。脇にはお堂創建300年とかかれた木札が飾ってある。大変古いお堂だ。

 この3回の観音霊場めぐりでは、どの観音場でも住職、地元方々が私たち一行を歓迎し説明をして戴いた。栃木市の教育委員会文化財、生涯学習課の今回の『都賀地域の三十三箇所観音霊場めぐり』という初めての企画が関係者に驚きと珍しさとして伝わったのかもしれない。『下野・坂東・西国・秩父三十三箇所めぐり』ではない、地元の都賀・栃木地域の地域発見の旅になっているからだと思う。

                               《夢野銀次》

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