« 春はあけぼの―ジャガイモ苗の植え付け | トップページ | 今年も咲きました―杏の花 »

様変わりした栃木市の景観―蔵の街づくり

028_2  一昨年(平成22年)の12月1日に栃木市大平町に転居してきた。44年間の東京での暮らしを定年で終了した。今度は故郷に帰り、野菜作りや城址訪問、そして日本史を勉強していきたいと思い帰郷を決めた。

  栃木市の街並みの景観はこの20年間で大きく変わっていた。大通りの商店街にあったアーケードや歩道橋、電柱が無くなっており、広い歩道と空が広く見える景観となっていた。かつての栃木市の街並みはごみごみとした印象が強く、狭苦しさを感じる街並みであったと記憶している。万町交番裏にあった実家は両親とともに亡くなっていたため、この20年間は栃木市の街を素通りしていた。今度の住まいが、かつての栃木市街の中ではなく、大平町という栃木市街と離れているため、この一年間一歩引いて栃木の市街を見ていた。そして、どこか過去の栃木市と違うと感じていた。その違いは街の景観が変わっていたことだと気が付いた。

019 街の景観が変わった歴史的経過が知りたくて栃木市教育委員会伝達推進室に行き、「栃木市蔵のまち整備経過」の沿革資料を戴いた。その資料には昭和38年(1963)うずま川に鯉3万匹を放流と最初に記述されていた。よって当時うずま川で魚釣りをしていた私らはできなくなり、当時の市長金子益太郎を恨みもした。ただ、金子市長は当時の栃木市を「陸の孤島」と呼び、道路整備に着手した市長でもあった。

 栃木の町は江戸期にはうずま川の舟運で江戸・日本橋と結び、日光例幣使街道では京都ともつながりがあり、昭024和初期まで商業で栄えたが、空襲もほとんどなく戦後は経済発展から忘れられ、高校の多い町でもあった。その栃木市が昭和63年(1988)に栃木県から「誇れるまち事業」の指定を受け、栃木市ではまちづくり委員会を設置し、「巴波川・蔵の街ルネッサンス」をテーマにした計画調査報告書を策定した。

030  この「まちづくり計画」では錦鯉が生息するうずま川を生かし、蔵などの歴史的建造物など多く存在する中心街の活性化を図るものとした。具体的には①アーケードおよび歩道橋の撤去、電線地中化、歩道の整備、蔵や店を覆う看板などの面かぶりの撤去など大通りの整備を行う。②歴史的資源整備として蔵等修景補助と融資制度を創設。③山車会館の建設や観光館開設などの核施設の整備を行う。④駐車場整備、蔵の広場の整備、綱手道を歴道化するという事業の内容であった。

 そして平成2年(1990)から歴史的町並み景観整備とうずま川綱手道の整備が開031_4始され、平成6年(1994)とちぎ山車会館の完成、平成9年(1997)とちぎ蔵の街観光館が完成していく。さらに平成12年(2000)から歴史的町並み景観形成地区に嘉右衛門町周辺地区を加え拡大していった。

 こうした事業により、「うずま川と歴史的町並み」として平成16年(2004)に公共の色彩賞環境色彩10選、平成17年(2005)手づくり郷土大賞、平成18年(2006)美しい日本の歴史的風土賞を次々と受賞し、ついには平成21年には都市景観大賞「美しいまちなみ大賞」として国土交通大臣賞を受賞するところまで来た。

033  幕末、栃木の町は「水戸天狗党愿蔵火事」を含め4回の大火に見舞われ、その時点から蔵作りが本格となり、見世(店)蔵と土蔵で120棟あると言う。

  大通りに面して見世蔵の向きは東側と西側では違う。西側の蔵の店先は大通りに平行しているが、東側の蔵の店先は北東の斜め向きとなっている。東側の店は男体山からの強い西風と西日を避けるために店先が斜めとなっているのだ。また、両側の店の軒先が短い。これは「例弊使一行」に庇から雨水があたらないための配慮だという。

032  大通りの見世蔵が建っている位置が当時のままだとすると、通りの中央に用水路が流れていたといえ、大変幅広い道路だったと今さらながら感じる。よく川越市の蔵づくりと比較される。「川越の蔵の方が重厚」と言われたら「栃木の蔵の前には広い歩道がある」と言い返せる。川越の蔵作りの通りは乗合バスが頻繁に行き交い、危ない。それにしても、アーケードや面かぶりを撤去する時、商店主の人、一応に賛成はしなかったのではないかと察せられる。まだ面かぶりを撤去しないお店も見受けられるしな…。

026  栃木市市街の北、万町交番を左に曲がり、すぐ右手には斜めの通りに日光例幣使街道嘉右衛門町地区がある。平成24年の3月、栃木市は嘉右衛門町地区を重要伝統的建造物郡保存地区と決め、文科省より選定されると聞いた。栃木市街の蔵作り街並みも申請する予定だが、高さの関係で嘉右衛門町が一足先に文科省より選定されるという。「栃木市、蔵の街」は嘉右衛門町保存地区と合わせて全国的な知名度に発展し、観光客増加の期待が持てることになった。

 福島県「大内宿」、埼玉県「川越市」、茨城県「真壁町」、千葉県「佐原市(現香取市)」と並ぶことになる。栃木県では初めての伝統的建築保存地区となる。小江戸サミットメンバーの川越市、佐原市と共同してのイベントも盛んになるだろう。

039_2 
  しかし、地方都市の宿命なのか、「シャッター商店街」もあることを見据えていく必要がある。観光アピールのみに力を注ぎ、地元の市民が栃木市街に来る施設が必要だ。それも高齢者だけではなく若者や家族連れの人達だ。映画などイベントが実施されているが、恒常的にくる施設が必要だ。 以前住んでいた所沢市の近くの川越市は蔵作りなど歴史的建造物以外にショッピングが楽しめる商店街があり、多くの若者や家族連れで賑わっていた。

 今回、栃木市役所の移転が「福田屋」跡地に決まった。市役所移転を含め、ショッピングが郊外ではなく、街の中で楽しめる事業計画を作り、観光客と地元の市民が共に行きかう街づくりを目指して欲しい。及ばずながら、私自身も何ができるか、考えていきます。

                        《夢野銀次》

|

« 春はあけぼの―ジャガイモ苗の植え付け | トップページ | 今年も咲きました―杏の花 »

栃木のまち」カテゴリの記事

歴史散策」カテゴリの記事

コメント

銀次さん
当方ブログにコメント有難うござりまする。
m(_ _)m
機会があれば、岡山へお越しくだされ。
史跡も多数ござるよ。
ちなみに岡山城は鉄筋コンクリートでござるよ。
空襲で焼けましたので
(;д;)
今後ともよろしくお願いいたしまする。

投稿: サムライバカ | 2012年4月 5日 (木) 15時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1233525/44653514

この記事へのトラックバック一覧です: 様変わりした栃木市の景観―蔵の街づくり:

« 春はあけぼの―ジャガイモ苗の植え付け | トップページ | 今年も咲きました―杏の花 »