« 栃木の街には映画館がたくさんあった | トップページ | 歴史を活かしたまちづくりー嘉右衛門町重伝建地区 »

何を忘れてきたのか-映画「北のカナリアたち」

Poster1   「俺は何を忘れてきたのかな」と島の分教場から鈴木信人(森山未來)護送する時、定年間近かの刑事(石橋蓮司)がつぶやく。

~ 歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか  いえいえそれはかわいそう  歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか  いえいえ それはなりませぬ  歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか いえいえ それはかわいそう  歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい  月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す~ 

 童謡「かなりあ」(詩、西条八十)

 大正期、国が主導した唱歌ではなく「子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むような歌と曲」を作っていくとして童謡が生まれたという。

 湊かなえの連作ミステリー「往復書簡」(幻冬舎刊)に収められている「二十年後の宿題」を原案に、吉永小百合主演、阪本順治監督。脚本「北の零年」の那須真知子。撮影「劔岳」の木村大作で平成24年(2012)11月3日公開、東映創立60周年記念作品「北のカナリアたち」を観た。

Sub_large1  映画は東京の図書館を定年退職した元分教場の教師だった川島はる(吉永小百合)は教え子・鈴木信人(森山未來)の事件をきっかけに、教え子に会うため最北の島、礼文島・利尻島に向かう。分教場には6人の生徒がいた。「先生が来るまで学校がつまらなかった」とこぼしていた子供たちの顔にも歌を通して笑顔が溢れるようになる。大自然に響き渡る透き通る歌声は優しく劇場を包みこんでいく。川島はるは6人の生徒たち(森山未來、満島ひかり、勝地涼、宮崎あおい、小池栄子、松田龍平)と久しぶりに再会する。そして20年前の事件を彼らの口から語られる。生徒たちが20年間言えずにいた想いと抱えていた後悔。そのことが大きな傷となり、今も心に残っていたことを元教師川島はるは知る。そして自身もまた、心に閉じ込めていた想いを6人に明かしていく。

  8801cbd3_6401_2映画のラスト、分教場の教室で「歌を忘れたカナリア」を元教師と6人の生徒が歌う。歌を忘れた先生と6人の生徒たち。自分の居場所を見つけることができれば再び美しい声で歌うことができるところで終わる。吉永小百合の笑顔を素直に見ることができた。何故か涙がこぼれてきてしまった自分がいた。

 「自分は何を忘れてきたのかな」と映画終了後、誰もいない映画館の座席で思った。

 心に閉じ込めていたこと。勉強するために入学した大学を満足に卒業できなかったことを亡くなった両親に今でも済まないと想っていること。今は何を勉強したかったからではない。その時にもっていた気持。学んでいく姿勢を大事にしていくことが自分の居場所なのだと、この映画から受け止めた。 

  画面に映し出させる吉永小百合は確かに存在感のある女優だと改めて感じた。40歳代と60歳代でも年齢の変わらない表情や動作。何故か違和感を感じさせなかった。吉永小百合は吉永小百合なのだということを描いている。煙突に昇るシーン、キスシーン、少し猫背で歩く姿。最後に自分の居場所を見出そうとする時の表情は穏やかな表情は美しいと思った。その表情は50年間、吉永小百合を支えてきてくれた全国の吉永小百合ファンに暖かな眼差しとして画面に映しだしていた。そう感じたのは自分だけなのかな…。

                           《夢野銀次》

|

« 栃木の街には映画館がたくさんあった | トップページ | 歴史を活かしたまちづくりー嘉右衛門町重伝建地区 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1233525/48878246

この記事へのトラックバック一覧です: 何を忘れてきたのか-映画「北のカナリアたち」:

« 栃木の街には映画館がたくさんあった | トップページ | 歴史を活かしたまちづくりー嘉右衛門町重伝建地区 »