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江戸への入り口-新川・中川口・小名木川

P2110005  「船堀川と新川は同じなのか?」と以前から疑問があった。都営地下鉄新宿線「船堀駅」から新川まで10分でたどり着くことができた。

  新川の最終地点の西水門には「火の見やぐら」が建っていた。平成22年の1月に江戸川区が高さ15.5メートルの火の見やぐらを建てたのだ。火の見やぐらの中は階段で上ることができており、新川を見渡すことができる。さらに水門の先にある「中川」と「荒川」をも眺めることができている。

  新川はそれまであった「古川」を江戸時代初期に行徳から塩を江戸に運ぶ水路として新たに運河として作られた。

P2110013  さらに天正18年(1590)に江戸入府した家康は江戸のまちづくりとして、大きな構想としての事業を進めることになった。湿地帯の江戸を変えていくことと徳川の財政基盤である米の収集を確実に行う体制づくり。さらに新田開発を行い米の生産の増加させること等々だ。そのため江戸湾に注いでいた利根川を関宿から毛野川・常陸川の流路に鬼怒川を合流させ、銚子から太平洋へ流れる川にして舟運としての水路を作り上げた。寛文5年(1665)までかかったこの河川事業を利根川東遷事業といわれている。何と大きな構想での事業なのかと驚かされる。

  群馬県から流れる利根川に思川を含めた栃木県の渡良瀬川が茨城県の古河で合流して、千葉県の関宿で太平洋に流れる利根川と江戸川とが分流する。江戸湾に注ぐ江戸川の河口の行徳から新川に注ぐ水路の整備。新川-中川口ー小名木川ー隅田川ー蔵前・日本橋小網町河岸と江戸の町と北関東とが継る水路の完成をみた。

06301  江戸川区と江東区の境に荒川と中川が流れている。この二つの川で混乱した。新川-中川口-小名木川が結びつかないからだ。その疑問に「船番所資料館」の学芸員の方が答えてくれた。「江戸川区と江東区の境に流れている川は荒川放水路といって川ではありません。荒川はもともと隅田川に流れていたのですよ。中川は江戸期は蛇行する川であり、江戸期の水運の水路として考えることはありません。前を流れている中川は昔の中川の名残なのです。そのため旧中川と言っているのです。船堀川は新川のことを言います」と明確に述べてくれた。

P2110059_2   天保5年(1834)から天保7年に作成された「江戸名所図会」に中川口にあった中川船番所が描かれている。左に番所の建物。中には役人が通行する船を見張っている。番所の前を三艘の船が通過している。荷物以外に人をも乗せていることが分かる。下野の栃木町から水路を利用した場合に日本橋小網町河岸まで一日半で行くことができた(岡田嘉右衛門日誌より)。上の中川には帆をはった高瀬船が見える。中型の高瀬船で米俵500俵積むことができた船であり、大きな輸送力を発揮した。帆で遡航すのだが、船尾に櫓がついていない。船乗りの技量が問われた船だ。

017_7  地下鉄都営新宿線「東大島駅」から徒歩5分の所に「船番所資料館」がある。資料館には当時の船番所の一日が再現されており、街道での関所とは違う面白さを味わうことができる。この船番所は江戸に出入りする川船を取り締まるための河川流通の関所として重要な役割を果たしたとされている。

 資料館の前の中川口に「船着場」ができていた。資料館の人の話しでは、今年の3月中ごろから船の周遊を始めるという。「櫓を漕いでの周遊ですか?」と聞いたら、「エンジンモーターの船です。現在では櫓を漕ぐ人がおりません。小名木川では川が深く、竿では船を操作できないのですよ」と厳しい時代の流れの答えが返ってきた。

014_3  船番所橋から中川から小名木川に注ぐ河口が見える。小名木四郎兵衛によって運河を開削させたことから小名木川と名付けられている。

 ゆったりと隅田川に向けて流れている。

   小名木川護岸整備工事が平成17年~22年にかけて行われた。両岸には遊歩道が整備され、隅田川に向けて歩くことができる。江東区では観光案内ボランテイアを立ち上げて、小名木川の宣伝を始めてきている。

  川の水位は深い。どのくらいの深さなのか。両岸の手すりには所々に浮き輪が置いてある理由も頷けた。

024_3  小名木川に架かる「丸八橋」の畔に大島稲荷神社がある。元禄5年(1692)9月29日松尾芭蕉が深川から小名木川を船で下って、門弟の桐渓(とうけい)宅を訪ねる途中、船を停めて大島稲荷神社に参拝し詠んだ句碑「女木塚」が建立されている。 

秋に添て 行はやハ 小松川

 

満年橋沿いの芭蕉庵、芭蕉稲荷などがあり、この小名木川には芭蕉ゆかりの川でもあるのかと感じた。

022  江東区の砂町に住む叔母が2月1日に101歳で亡くなった。塩原温泉の仲居をしたこともあるが、戦後は砂町銀座商店街で「下駄屋」を営んで、不動産を含め生業の良い生涯を送ることができたと思える。

  葬儀の帰り、近くの小名木川沿いを歩いた。「この小名木川は栃木市に続いているんだ。叔母さんは小名木川を見て、故郷栃木のまちを思ったことがあったんだろうか」とふと思いが浮かんだ。栃木巴波川-部屋河岸-渡良瀬川-利根川-関宿-江戸川-新川ー中川口船番所-小名木川ー隅田川-日本橋小網町河岸と続いている川は砂町と栃木とを繋げている。そのことを叔母さんは知っていたのではないか。川面を見ながら兄である父と妹の叔母とのやり取りの思い出が浮かんできた。

  葬儀で栃木の実家に来た叔母に父は「まきで炊いた風呂に入っていけ」と言った。これから火葬場に行く叔母は少し困った顔をしたが、79歳の兄に向かって笑って小さく肯いた。その時、75歳の伯母が妙に可愛い妹の表情を浮かべたのが印象に残っている。兄に接する叔母はどんなに年をとっても妹なんだとその時感じた。

P2110068 満年橋河口から隅田川に小名木川は注ぎこむ。岸壁に立ってみると隅田川がこんなに大きく迫力のある川なのかと改めて驚いた。右に上れば蔵前、左に下れば日本橋小網町河岸に行くことができる。新川-中川口-小名木川は江戸に入る玄関口なのだ。中川口船着き場から日本橋まで船で就航する日がやがてやって来るような予感がする。

  江戸期は五街道の発着場所として日本橋は有名だ。しかし、水路をたどれば、日本橋は舟運としての発着と到着の場所なのだ。河岸跡はほとんど残されていない。しかし、舟運をめぐる川の水路を辿れば、新たな歴史的価値が出てくると思える。

                            《夢野銀次》

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