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三宝寺池の畔にある石神井城

Photo  「近所の子らが自転車を乗り回していてね、滅茶苦茶に荒らしていたの。だから東京都でフェンスを作り、中に入れないようにしたのよ」と三宝寺池の畔にある茶店の女将さんが言った。「どうして、石神井城の郭の周りにフェンスがあるの。空壕と土塁の所を歩けない」と言った私の嘆きの質問の答えだった。

  石神井城は練馬区石神井公園内の三宝寺池南側の畔にひっそりと佇んでいる。築城は鎌倉後期に秩父平氏の豊島氏とされている。三宝寺池からの水の支配のために、この地に建てたとされている。 

   武蔵関公園から流れる石神井川と三宝寺池(石神井公園)を起点に延びる谷との間に挟まれた舌状(せんじょう)台地上に位置するとある。舌状台地とはちょうど舌を伸ばしたような細長く突き出た台地のことを言う。確かに三宝寺池の南側にある小高い城址は細長い台地に見える。

Photo_2  昭和42年に東京都が発掘調査を行い、折れを伴った堀・土塁によって場内が複数の郭に区画されていた事が判ったとされている。しかし、行って見ても、中心内の郭に入ることができず、土塁を歩けないことが残念だ。茶店の女将さんの話では年に一回、フェンスが開かれ、見ることができると言う。

 空壕と土塁を見ながら散策できる道を作って一般公開すれば、石神井城は広く知れ渡る筈だ。

 中心内部主郭跡の案内板には「平成10年から6年間、市民参加の発掘調査を行い、調査地点では堀は12㍍、深さ6㍍、底面は3㍍幅で平にて『箱堀』であった」と記載されていた。市民参加の発掘調査を行なっているならば、なおさら主郭内の散策コースができて良いと思える。

 Photo_6 この石神井城は文明9年(1477)の4月、扇谷上杉家宰、太田道灌によって落城し、廃城となっている。城主の豊島泰経(やすつね)が上野平井城の長尾景春に与したからだ。上杉家の家宰は長尾家だが、三家ある長尾家の中で長春が家宰になれなったことに対して、管領上杉家に反旗を翻し、鉢形城に籠った。管領上杉と争っていた古河公方と対峙するため、岩槻城、河越城、江戸城を起点として進出してきていた太田道灌。太田道灌が近くに進出してきたことにより対立を深めていたのが近くの豊島氏だった。おそらく豊島氏の権益を新参者の太田道灌は害していたのではないかと思える。豊島泰経が管領上杉に反旗した長尾景春に与したことにより、太田道灌が豊島氏討伐として江戸城から出陣した。生涯30数回の戦闘で大田道灌は負けを知らなかったと云われている。江古田・沼袋原の合戦で豊島氏は大敗を期して、石神井城も攻められ、落城した。

  杉並区には太田道灌関連の史跡として青梅街道沿いの荻窪警察署前にある荻窪八幡神社境内に太田道灌が戦勝祈願として植えた「槇の木」がある。石神井城攻めの際に本陣としたことを聞いたことがあるが、確かめていない。また杉並区今川には「道灌公園」、上井草には「道灌橋公園」がある。この二つの公園は荻窪八幡神社から石神井城(石神井公園)まで一直線に繋がっている地点にある。おそらく石神井城攻撃の際の陣地跡地だったのかもしれない。杉並区においてずーと以前に「太田道灌の足跡を訪ねる」 を行なっていたことを思い出した。参加しなかったことが悔やまれる。

Photo_4  太田道灌の戦闘では「足軽隊」が出てくる。傭兵としてではなく組織的な足軽隊を作ったとされている。足軽隊の弓、槍を使っての戦法はその後の戦国期の戦の形態となったとされている。具体的な戦闘の記述があったら読みたいと思っている。

  三宝寺池の奥に湧き水を見ることができる。野鳥の鳴き声、整備された湿原地の中の遊歩道。平日にもかかわらず、多くの方が三宝寺池を散策していた。

  平成8年(1996)に「三宝寺池の鳥と水と樹々の音」が、環境庁選定の「残したい日本の音風景100選」に選ばれていることが納得できる地だ。

038 「せっかく植えた苗木を夜持ち去る人が、以前は多かったのですよ。今は自然や風景をみんなで大切しようということが広がってきているわね」と前述の茶店の女将は嬉しそうに言っていた。「カルガモ、カワセミ、オナガガモ」など表示している「三宝寺池の野鳥たち」の案内板や「タチシオスミレ、セントウソウ」と竹で表示している小さな野草の花を見ることができた。

 武蔵野の三大池として、井の頭公園池、善福寺公園池、石神井公園三宝寺池。その中で一番ひっそりと武蔵野の面影を残しているのが、この三宝寺池だ。酔って騒ぐ花見の客は一人もいない。このことが何よりも三宝寺池を森閑とした雰囲気を漂わせている。公園内を歩く人もこの静寂な風景を吸い込み、清々しい気分にさせてくれているように思えた。野草を見る人。野鳥を双眼鏡で見る人。カメラを構える人。絵を描く人。夫婦で歩く高齢者の方々がたくさんいた。それでも静かな佇まいの公園だ。

 帰路には三宝寺山門横の移築してある「勝海舟宅の長屋門」を見てきた。

                                   《夢野銀次》

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