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2013年6月

栃木市鳥瞰図(昭和26年版)を見る「あっ、あった」

Photo 昔の地図を見ながら当時の幼い自分の居場所を見つける。夢想の時間を提供してくれる。

 昭和26年、栃木市制15周年として「栃木市鳥瞰図」が配布されていた。古いお店には飾られていた鳥瞰図だ。今回、栃木市観光協会が両毛印刷所有の「昭和26年発行、栃木市鳥瞰図」を一部500円で販売を始めた。

 さっそく、鳥瞰図を購入して、見る。

 昭和26年。私が3歳の時の鳥瞰図。発行の両毛印刷が都賀町原宿在住、今は故人となった加藤周一画家に依頼しての作成だった。

AからDと4つに分けて鳥瞰図をみていく。

Photo_2《A欄》

 上の方の山には出流山『千手』、琴平神社、大平山が続き、皆川城址も描かれている。鍋山街道は吹上村を通って、錦町五差路を経て栃高、第二小学校、市役所と描かれている。新赤津川が描かれている。雨が続くとすぐ氾濫する巴波川を鎮めるため、赤津川を巴波川から永野川に水路を替えた。昭和26年の河川工事だから、この鳥瞰図は直近ということになる。鍋山人車鉄道の線路が描かれている。

 母校の第二小学校。校庭の左側には今の市役所の建物は描かれていない。昭和30年頃、学校は盛んに今の市役所が建っている校庭で遊びなさいと私たち生徒に呼びかけていた。しかし、今の地に栃木市役所と中央公民館が建てられた。今から56年も前の話。もうすぐその市役所庁舎は福田屋跡地に移転となる。

Photo_4《B欄》

 太平山から下り、二杉神社がある。国学院栃木高校は、この時はまだ無かった。鍋山人車鉄道線路は栃女の交差点から左の栃木駅へと思ったよりも西に迂回していたことが分かる。

 栃木駅前には関東自動車と描かれてある。「永野行」「出流山行」「粟野行」など駅前の関東バス営業所が発着場だった。バスガイドの姿が懐かし。母の生家の仲方村に行く時には万町交番前のバス停で乗車下車した。

 「駅前からミツワ通りに続いていた道が寸断された。そのため高校生はミツワ通りを通行しなくなっただよな。人が通らない商店街はシャッター通りになってしまうんだ」とあるお店の主人が話していた。この鳥瞰図には駅前からミツワ通りに道路が続いていることが描かれてある。今の広い駅前交差点はなかった。商工会議所の建物があった筈だが。鳥瞰図には描かれていないのが残念だ。兄の結婚式や小学校の時、壁画作成や珠算検定試験を行った所だ。道路開通で無くなっていたのだな。

Photo_5《C欄》

 巴波川開明橋の右に栃木警察署と消防署がある。その右に「鯉保別かん」との記載がある。実は「鯉保本館」は知らなかった。D欄の近龍寺の右に記載されていた。定願寺の下に栃木女子刑務所が描かれてある。今は栃木図書館と栃木文化館という立派な建物になっている。そのすぐ右に裁判所がある。東京電力の所まで細い通路がある。栃木陣屋跡地の名残りだと思う。今は空地となっている。栃木陣屋跡地として表示版を建てて欲しい。幕末の栃木の町(水戸天狗党愿蔵火事、出流天狗等)の歴史を語る重要な跡地として後世に残す必要があるからだ。

 右上に石原洋品店と足利銀行が記載されている。栃木の街に初めて信号が設置された交差点だ。その信号機が設置された時に小学校の引率で、信号で交差点を実際に渡ることを学んだ。火事になる前の銀座通りが描かれてある。その先には幸来橋がある。大通りを下に目を移すと私の通った栃木幼稚園、街頭テレビのあった第二公園。相撲、サーカスがやってきた。神明さんも描かれている。

Photo_6《D欄》

 万町交番は描かれていなく、郵便局がある。どうして描かれていないのか?私の生まれた家がこの交番の下の道を左に入った所にあった。近くには明治座、巴波川沿いの文化会館が描かれてある。栃木市長を歴任した鈴木乙一郎氏や金子益太郎氏の家の記載はない。描かれている栃木製粉の交差点を右に曲がったちょっと先の所は空地となっている。父が興した下駄の製材所は昭和26年にはなかったのだろうか。確か昭和25年か26年頃と思っていたのだが、その後なのか。

 「東中学校の先に火葬場があったんだよ」と聞いたことがあった。火葬場が描かれてある。今の日の出町にある栃木公民館の所が火葬場だったのが分かる。万町交番から右上には例幣使街道が描かれている。昭和7年にできた北関門道。白百合座があり、その先が合戦場。そこにあったのが「合戦場遊郭」。描かれてある。あったのだ。話には聞いていたが、本当にあったのだ。昔の雰囲気は残っている筈だ。今度行ってみようかな。

 東京浅草に行くときには新栃木駅からクーラーのない東武の快速電車に乗った。その新栃木駅が描かれている。新栃木駅、今は改修工事を行なっている。

 この昭和26年の栃木市鳥瞰図。昔も今も変わらない所や残す所など、これからも発見していきたいな。

                            《夢野銀次》

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麦畑からワラを敷く

P6070201 平成24年度は二条大麦、通称ビール麦の収穫量全国一位が栃木県(33,800トン)、二位が佐賀県(32,800トン)、三位がずっと下がって福岡県の14,400トンになっている。どうして栃木県がビール麦収穫量全国一位なのか? 

 大平山「あじさい坂」に横山律之助の石像が建っている。明治時代の農学者で、栃木県にビール麦の栽培を導入・普及されたビール麦の父と言われている。最初は銅像だったのが、戦時中没収され石像になっている。

 この人がキーマンなのだ。

 P6070241_3

 穀倉地帯が金色にきらめいていた麦。いよいよ冷たいビールの季節がを迎える。そのビールの主原料となるのがビール麦(二条大麦)。麦刈り機が我が家の前の道をゴオーと音を立てて過ぎていく。

 麦刈りは直ぐに終わっていく。その後はワラをローラーにする。そして畑を焼く。

P6070216 

 次は稲作なのだ。田植えが待っている。

すでに多くの田に水が引かれ、水田に変わっていっている。

 我が家の前の麦畑も麦刈りが終わった。

 「ワラ、今年もくださいな」と麦刈り機を操作している近所の農家の人に声を掛けた。

P6070214

 畑に置かれているワラを我が菜園に運び、ナスやキュウリの畝にワラを敷いた。

スーパで買ったカボチャ。

育ってきた苗を畝に植えてみた。

育つかな?

P6070217 昨年は小玉のスイカだった。今年も同じく小玉にしようと思っていた。しかし、間違って大玉スイカの苗一本買ってしまった。

真ん中に大玉スイカが育ってきている。

 ワラを敷くと野菜畑って感じがしてきたな…。

P6070231_3

 この間、モグラの亡骸が我が家の畑の前の通路にあった。

我が家の猫どもが退治したのかな?

 モグラが開いた穴の通路をネズミ通ってくる。肝心なのはそのネズミを退治することだ。モグラはミミズを食べるが畑の作物に害を及ばさない。問題はネズミだ。ずっと以前に所沢の畑でサツマイモがネズミにやられてしまっている。

 我が家の猫どもよ、ネズミを退治しておくれ。

 

                                    《夢野銀次》

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