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2013年10月

選抜に向けて佐野日大―秋季関東大会高校野球

Pa290877_2  「まさか、横浜が負けるとはな…」。帰りの水戸駅行き臨時バスの後ろの席から聞こえた。だれものが横浜高校有利と思えたからだ。

 平成25年10月29日に行われた秋季関東地区高校野球大会大会の準々決勝、水戸市民球場。5対3で栃木の佐野日大が神奈川の横浜高校を破り、来春の甲子園選抜高校野球進出を確実にした試合だった。

 甲子園で投げさせたい一人。佐野日大の田嶋大樹投手。

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  初回に点をあげる時にあげないと負けるという通説がある。

 横浜は1回の表、1死満塁で5番打者のゲッツーでチャンスを逸した。その裏の佐野日大。同じ1死満塁で5番打者がヒットを放ち、2点の先制。さらに6番打者が2人の走者を置いて、フルカウントとレフトスダンドの飛び込むスリーランホームラン。思っきり叩きつけたバッテングだった。

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 佐野日大の左腕投手の田嶋大樹。決して良くない投球だった。1回から4回まで走者を出し、苦しいピッチングだった。しかし、横浜打線を2点に押さえた。

 6回からはスライダーに切れがでてきて、9回表を1点に押さえ、5対3で佐野日大が関東大会準決勝へ駒を進めた。あわせて選抜大会進出を確実なものとした。

 「佐野日大のピッチャー良かったな」と帰りの道での話声が聞こえた。

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 前から横浜高校の試合を生で観たいと思っていた。何よりも渡辺元智監督の姿と采配だ。試合前の守備ノックは内野のノックをする。しかし、外野へのノックはコーチが交代しておこなった。やはり、年齢かなと感じた。

 この試合を観て、「引退が近いのかな」と胸をよぎった。しかし、3、4番打者はさすが全国区の横浜高校だなと感心した。

 平日の曇空の水戸市民球場。それでもネット裏席は満員。横浜、群馬、栃木県から多く詰めかけてくる熱心な高校野球ファン。

Pa290867  「去年は前橋の敷島球場、春は宇都宮の清原球場。清原球場は交通不便でしたね」と帰りの臨時バス。「桐光の松井、横浜に入りたかったらしいですけど、渡辺監督がいらないと言って断ったらしいですね」と高校野球ファンは情報が詳しい。どこまで本当なのか分からないけど…。

 「これで茨城勢はどこも負けた」と話し相手の人がつぶやいた。

 第2試合の龍ケ崎と桐生第一の試合は9回裏サヨナラで桐生第一が2対1で勝ったからだ。

Pa290881_3 「霞高は小柄な選手が多かったな。去年の夏の決勝も常総の内田にホームラン打たれ、あと一歩で甲子園逃したんだ」とその人は嘆いいていた。確かに桐生第一の選手の身体は一回り龍ケ崎の選手を上回っていた。

 甲子園に行って欲しい。行かせて欲しいと地元の人は願う。「お金がないと、親は大変だものな」とも言っていた。

 水戸駅前にある水戸黄門御一行の像。水戸市に初めて足を入れた。おみやげに「納豆」を買った。今度はじっくり水戸の歴史館等、歴史散策に来る。

 それにしても栃木駅から水戸駅まで両毛線と水戸線で2時間30分かかった。幹線鉄路でないことを改めて感じた。

                                 《夢野銀次》

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サツマイモ・落花生の収穫―さしも草の解釈

Pa210818 大島に甚大な被害を与えた台風26号が過ぎ去った。次に27号が接近して来ている。

そのわずかの晴れた日。

サツマイモはできているのか?

実っていた。27号が去ってから収穫する。

さつまいもの葉をとる。それを煮て食べる妻。

「通じがとっても良くなったわ。義姉さんにも持って行ってよ」と笑顔で話していた。

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 今年は少し多めに落花生の種をまいた。

半分収穫した。煮て食べる。うまいのだ。

7月後半に植えたので遅れとの収穫となる。

「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしもしらじな もゆる思ひを」(藤原実方)。

田辺聖子解釈―こんなにきみを愛していると言えればいいんだけれど。とても口に出しては言えないよ。黙って胸を焦がすぼく。まるで伊吹山の草のようにくすぶって燃えるぼくの思い。君はちっとも知らないだろうね。

 

 Photo_3天才歌人藤原実方によって読まれている。苦しい恋慕の情をも草の産地として有名な伊吹山を歌枕として使われている。

 栃木市吹上地区まちづくり協議会歴史文化委員会の委員長、小平豊氏はこの伊吹山についての解釈を次のように記述している。「伊吹山を鋳吹(いぶき)山と表記したらどうだろうか。この鋳吹きとは、古代の鉄づくり蹈鞴(たたら)のことを言っているんであり、鋳物を吹く釜があった山にちなんでいる。従って、歌枕となった伊吹山は古代に製鉄所があったと私は推測している」と伊吹山所在説に言及している。

Photo_4 さらに「さしも草の『さし』は『刺し』であり剣(つるぎ)のことを意味する。鋳吹山のあのぐらぐら燃える釜から作られた、鋳吹きの刀剣(さし)を意味した。この場合の『さし』は男根をさしているのだ。炎熱する蹈鞴の存在。お灸のも草のようにくすぶる心は表の解釈で、全く対照的に、タタラの火の如く炎熱する心を裏に忍ばせ、強烈にセックスアピールしたのだ」とし、「いぶき」を「鋳吹」と読むことによって、猛々しい男の心情をよむことができると新たな解釈を提示している。

 我が家の庭の畑の土塁のところに「さしも草」がはえている。

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 さしも草には七つの葉がある。一番先端の葉は尖っている。吹上まちづくり協議会ではこのさしも草でうどんを完成させている。さしも草を天ぷらにしてのうどんを食べた。美味しかった。

 確かに、小平氏が言うようにさしも草は「剣」の形に見えてくるな。風を吹き上げる地こそ「吹上」だ。古代にこの吹上に製鉄所があったのだろうか?東山道の終着としての下野国府のあった栃木市田村。蝦夷への拠点であり、剣が多く作られたと推測できる。その釜の跡地が発見されるとより具体的な解釈となっていく。栃木市吹上にある伊吹山こそが歌枕の地であると力説する。

 歌枕を訪ねての奥州に旅した松尾芭蕉は栃木市国府にある「室の八島」を訪れた。しかし、近くにあった吹上の「伊吹山」には寄って行かなかった。「伊吹山」は近江の国との説が強かったからかもしれない。

 伊吹山の所在地についてはさらに自分で検証していくつもりだ。

                                    《夢野銀次》




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栃木刑務所ー矯正展と旧刑務所の跡地

Photo_7 「午前中の所内見学は終わりです。午後は1時から受付します」とすでに満杯。所内見学はあきらめた。10月6日開催の「栃木刑務所矯正展」へ行っての話。「朝8時ころから並んで待っています。午後1時からの見学、予約はできません。見学できるかどうか分かりませんね」と話す女性看守。栃木市と壬生町の境にある栃木市総社町の栃木女子刑務所。「いつ頃、市内から移転したのかな?」と前から気にかけていた。近くを思川が流れている。何を思って塀の中で過ごしているのか、女子受刑者達…。罪を犯した人を拘留し、その更生と社会復帰を行う女性だけの矯正施設としての栃木刑務所がそこにある。

Photo_8 毎年開いている「栃木刑務所矯正展」は『関東地区唯一の女子刑務所である当所を知ってもらうため実施。刑務所作業製品の展示即売、所内見学』と栃木市広報に記載されていた。全国に8ヶ所ある女子刑務所で栃木刑務所は最大の施設になっている。

 定員648名で平成25年10月1日現在収容人員は727名。「定員の100名オーバーは許容範囲です」と係員が説明してくれた。紹介パネルの展示や模擬居室を見る。今は牢獄とか独房とは言わないで共同室とか単独室と表示してあった。

Photo_9 10月1日現在の受刑者727人のうち年齢別では20代が75人、30代が181人、40代が209人、50代が98人、そして60代以上が252人と1番多い、高齢化が進んでいるということだ。罪名別では覚せい剤が264人、窃盗が199人、殺人が107人、詐欺・横領が17人、放火27人、強盗・同死傷19人、交通14人で覚せい剤が最も多いが殺人も多い。刑期別では1年以下17人、2年以下155人、3年以下178人、5年以下136人、10年以下106人、10年超96人、無期39人となっており、10年以上と無期懲役で18.7%とを占めている。多い。

  出所後の職業につく際に「美容師を選ぶ受刑者は服役の長い人だ」と丸谷才一著の「たった一人の反乱」にでてくる。「確かに美容師になるには2年以上必要ですから、服役刑の長い人が選んでいますね」と係官が答えてくれた。

Photo_10   見学者が収容所の門から中に入っていったのが見えた。閉じられている門扉の左下の方に顔だけ見える窓口がある。「この塀の高さはどのくらいですか、意外と低いですね」と門扉の前に立っている女性看守官に尋ねた。「さあ、測ったことがないので」と返ってきた。目測で2.5メートルかなと思えた。この中に受刑者700人がいるのか。しかし、刑務所全体が見えてこない。ここは刑務所なのか?ピンク色した建物や塀。「平成18年の刑務所法改正で変わりましたから」と言われた。それまでの「監獄法」からの改正だ。丸谷才一の小説にある「出所後に元受刑者が訪問して宿泊していく」ことや「お雛祭り」等、「今はありませんねと」いう答えが返ってきた。

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  栃木刑務所は明治元年(1868)に栃木囚獄として後の栃木県庁敷地となる栃木町薗部に設立。明治5年、県庁建設のため七軒町(万町四丁目にあったというが、場所は不明)に移転。明治10年(1877)に旭町へ移転し栃木県監獄署と改称する。明治17年(1884)県庁宇都宮移転により栃木監獄署栃木支署と改称。明治39年(1906)には全国で初めて女子受刑者収容を開始。翌年、明治40年3月の本町大火で類焼し、定願寺を仮支署とし、明治42年に復興建設される。昭和23年(1948)に栃木刑務所と改称。昭和54年(1979)に現在地の栃木市総社町に移転(収容定員298名)。その後増築が行われ、現在の定員は648名となっている(『栃木刑務所の沿革としおり』、日向野徳久著『栃木市の歴史』より)。移転前の旧栃木刑務所には300人近い受刑者が服役をしていたのだ。

  「栃木の刑務所」と言えば「ああ、女性の刑務所ネ」と返ってくる。大正15年に「大逆事件・朴烈事件」で収監され刑務所で自死し、栃木刑務所共同墓地に仮埋葬された金子文子やあの阿部定などが服役していた女囚刑務所として全国的に有名な刑務所となっていた。その旧刑務所のジオラマが刑務所庁舎の玄関に展示されてあった。このジオラマを誰が作成したのか?

Photo_5 旭町にあった旧栃木刑務所の跡地には昭和58年(1983)に栃木文化会館、昭和61年(1986)に栃木図書館が建設、開館されている。敷地内には栃木刑務所跡地という表示がない。そのため、栃木刑務所がここにあったことを知らない人が多くなってきているのではないか。行政側を含め栃木市全体で触れたがらない事項なのかもしれない。

  昭和12年(1987)に林芙美子が旧栃木刑務所に来所して「新生の門―栃木の女囚刑務所を訪ねて」という随筆を執筆している。「白く反射した明るい栃木の町は、たいへん素朴な町におもえました。宿屋だの、バスの発着所だの、小さな飲食店だの、わたしは自動車の窓から、これらの町の景色を眺めていましたが、案外なことには、駅から刑務所まで五分とかからないところにあって」と刑務所が栃木駅から遠くない所にあったと書いている。

Photo_6  林芙美子の随筆の引用を続ける。「灰色の鉄門を入ると古い木造建ての建物がある」とし、さらに「房の建物の入口は厚い板戸になっていて、大きな南京錠がかかっています。なかに這入ると、広い廊下を真中にして、左右二列に太い格子のはまった小さな独房の部屋々々があって、わたしは何だかそれらの部屋々々をカナリヤの巣をみているようだとおもいました」と独房を部屋々々をカナリヤの巣と綴っているのが興味深い。刑務所の印象として「中庭の柵のなかには、赤ちゃんのおしめが沢山干してあります」「たいへん明るい庭を持っている」「空地の向こうには女囚のつくる野菜畑もつくってありました。野菜畑へ出ると、寺の屋根や、よその庭の櫻の花もこのひとたちの眼を慰めてくれることでしょう」と結んでいる。

Photo_2   旧刑務所のジオラマを見ながら現在と比較してみる。正面に建つ栃木文化会館の大ホールの建物。その建物の右側あたりが当時の正門扉と庁舎があったと思われる。左側が面会所。文化会館入口・ホールあたりは独房や共同房等3棟の獄舎が建っていたと思われる。その獄舎から裏の作業所、食堂に講堂でつながっていた。会館裏の南側駐車場が作業所跡地とだったいうことになる。その右端が林芙美子が記述した野菜畑となる。杢冷川(もくれいがわ)の東側にある駐車場は塀に挟まれた運動場となっていた。西側には医療棟があり、現在の栃木図書館が建っている。医療棟と庁舎との間には通路はあるが、塀で遮断されていた。医療棟の西側には待機所という建物があった。何の待機所なのか分からない。現在の文化会館の建物は一段高い所に建っている。以前は平地だったのではないかと思える。わざわざ高く盛土したのは建物の構造なのか。林芙美子が記述している受刑者が見たお寺の屋根とは西側にある定願寺の屋根瓦だったと思える。

 明治41年(1908)には社会福祉活動の父と言われた平岩幸吉らの働きかけで寺院住職らが出獄者に自活の道を与えて再犯者をなくそうと、免囚保護の目的の下、托鉢修業の浄財をもって更生保護事業が開始された。現在の更生保護法人栃木明徳会につながっている。(石崎功一発行「ボランティア活動の父 平岩幸吉翁のあしあと」より)

Photo_3  日ノ出町を水源とする杢冷川が刑務所前から塀の東脇を流れ、うずま川にそそいでいる。川幅がさほど広くない杢冷川には旭橋が架かっている。小山へとつづいている道だ。江戸期にはここに栃木町の東木戸があったと云う。斜め向かいの栃木陣屋跡地には裁判所が建っている。子供の頃、この通りを自転車で通る度毎に、恐る恐る刑務所を横目で見た。刑務所正面の閉ざされた門扉と高くそびえる白い塀が私の脳裏にある。塀の周りは堀だと思っていたが、杢冷川だったのだ。日ノ出町にある水源の沼で夏は水浴びをしてよく遊んだ。湧き水のため非常に冷たい水だったと肌が記憶している。

51az3tpq5rl_sl500_aa300_1_41_2_3   船村徹著「私の履歴書 歌は心でうたうもの」の中に船村徹が行なっている「演歌巡礼」にこの旧栃木刑務所と岐阜県にある笠松刑務所についての記述がある。北海道を旅している時に峠のドライブンでの昼食。その時の係の中年のウェイトスが船村徹に「栃木でお世話になりました」と語った。その一言ですべてがわかった。「二度と栃木はだめだよ」と答える船村徹。演歌巡礼を昭和33年から始め、最初の刑務所慰問が旧栃木刑務所だった。さらに笠松刑務所で受刑者と歌う「希望(のぞみ)」(作詞作曲・船村徹)の記述が感動的だ。

 ~ここから出たら 母に会いたい おんなじ部屋で ねむってみたい そして そして 泣くだけ泣いて ごめんねと おもいきりすがってみたい~ 

  船村徹は記述する。「受刑者が刑期を終えても世間は以前と同じように彼女を扱ってくれない。白い目に囲まれて過去を隠しながら生きていかねばならない。だからこそ、母親にだけは許してほしい。受けとめてほしいのだ」と…。 

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  ~ここからでたら 旅に行きたい 坊やをつれて 汽車にのりたい そしてそして 静かな宿で ごめんねと おもいきり抱いてやりたい~

 「笠松刑務所の受刑者の平均年齢は41歳。多くが結婚して子供がいる。母親である彼女たちにとって最も胸痛むのは塀の外に残してきた子供のこと。私はギターを弾きながら歌い始めた。歌詞が『坊やをつれて』に差し掛かったところですすり泣きが耳に届いた。一人また一人と涙を拭う。『さあ、こんどはみんなで歌おう』、私のギターに合わせて300人の斉唱になった。最初は小さくやがて大きく、歌声が講堂に響く、多くの受刑者が泣いた。泣きながら歌った」と記述されている箇所。私も読みながら涙が出てきた。 

  学生時代の友、『K』は同居の女性に灯油をかけられ、火だるまになって亡くなったのは38年も前だ。同居の女性は歳の離れたスナックのママだった。21歳の頃からその女性のつばめになっての生活だった。その女性がママをしていたスナックでは森昌子の「せんせい」の歌が流れていたのを憶えている。サラリーマン生活を始め、別れ話のもつれからだ。「おい、冗談だろ」と言って意識を失い、そのまま逝ってしまった。面倒見が良く、いずれ事業を起こしていくような奴だった。その女性は懲役7年の判決を受けたと聞いている。栃木刑務所に服役し、今はどうしているのか。女性の顔は浮かんでこない。ただ、彼の葬儀の時、お寺の本堂から出てきた彼の母親の引き留めを拒否し、即退去してきた。その時の自分が情けなく、『K』に済まないと胸の奥で後悔の念が残っている。

 栃木刑務所庁舎に展示してある旧栃木刑務所のジオラマ。栃木市に歴史資料館があれば、そこで展示すべきだと思う。しかし、栃木市にはそうした歴史文化資料館がないのだ。残念なことだ。 

                                   《夢野銀次》

≪関連ブログ≫

 銀次のブログ「栃木刑務所共同墓地―金子文子の仮埋葬地」

 銀次のブログ「社会福祉活動の父―平岩幸吉の足跡」

 

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里芋・サツマイモを守る―我が家の猫共

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 ようやく収穫の時期を迎えた落花生・サツマイモ・里芋。

 しかし。モグラの足跡が見えた。

問題はモグラではなく、モグラの足跡をたどって「ねずみ」の侵入だ。

 前の住居の時、サツマイモがねずみにやられたことがある。

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  あてにはならない雄ねこ三匹がいる。銀太と新入りの「ポン太」と「ポン吉」だ。

 ネズミ獲りが得意の「夢野」は寝ている。夜中にネズミを追いかけているのかもしれない。

 「銀太」はねずみを捕ったことがない。気の弱い猫だ。それでも6歳と6か月に育ってきた。おとなしく賢い猫なのだ。

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 昨年の5月から「ポン太」と「ポン吉」の双子の兄弟が我が家に住み着いた。母猫は野良猫だったが兄弟を我が家に案内してきたのだ。

二匹とも丈夫な猫だ。体重6キロと大きくなってきた。

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 兄のポン太はよく寝る。そして良く食べる。

いずれ体重過多になるのではないかと心配している。

 昨年はカエルを食べ、虫がでてきた。

今年は大丈夫だった。アマガエルがポン太を見ている。

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 弟のポン吉は警戒心が強い。

汚れた身体を拭こうとしても、嫌がり逃げててしまう。

 このポン太とポン吉、ネズミを獲れるかな。

夢野のようにネズミを好物とするのか、これから分かる。

Pa080724 もうすぐ収穫がやってくる。

「オクラ」が今年は実をなり続けてくれた。

おかげで毎日、オクラを食べ続けることができた。

ラッキョウとにんにく。植える準備をしている。

来週には植えようかと思っている。

なんだかこの頃、暑い日が続き、急に寒くなる。

秋が短くなったような気がする。

         《夢野銀次》




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次につなぐものある?―映画「桐島、部活やめるってよ」

Images1  「この映画、何なのだろう?」と一度目のDVDを観た時の印象。二度目は「なるほどなあ」と少し頷いた。そして三度目は「俺たち時代の学園映画と違うな」との感想を受けた。

  昨年(2012年)の映画祭を総なめした「桐島、部活をやめるってよ」。吉田大八監督、脚本喜安浩平ともいずれも知らない監督脚本家だった。日本アカデミー最優秀作品、キネマ旬報ベストワン等、賞をとるまでまったく知らなかった作品。

  8月公開で口コミで観客が増加し、6か月以上にロングランとなったと言う。わくわく、どきどきする映画ではない。考える映画。だから何回か観る映画なのかなと思えた。

Kirishima5_large1 バレー部のエース「桐島」が部活をやめるという情報から「桐島」とか関わっているバレー部の久保孝介と小島風介と女子マネージャー。桐島の彼女、梨紗(山本美月)とその友、沙奈(松岡茉優)。バスケをしながら桐島が部活の終わりを待つ菊池宏樹(東出昌大)、竜太(落合モトキ)、友広(浅香航大)たちらのあわてふためく動揺の姿を描く。

  一方では「桐島」とは関わっていないバトミントン女子のかすみ(橋本愛)と実果(清水くるみ)。宏樹を慕う吹奏楽部の部長の沢島亜矢(大後寿々花)。顧問先生の勧める作品ではなく自分達の映画を撮ろうと撮影を始める映画部の前田涼也(神木隆之介)と武文(前野朋成)。ドラフトまで部活動を続ける野球部キャプテン(高橋周平)等自分を見据えている者達。

   こうした登場人物を通して金曜日から月曜日にかけて同じ時間軸をそれぞれの違った視点で何度も追うという新しいスタイルで描いた作品として評価されている。そのためなのか違う視点で同じ場面を描いているので映画が立体化しているように感じた。

Kirishima16_large1 にぎやかな高校生活。しかしそこには部活をしながら、己の限界が徐々にわかってくる生活でもある。「桐島」は全国選抜に選ばれるバレー選手。しかし大多数の選手は違う。バトミントンの実果は同じペアを組むかすみの腕の筋肉をさわりながら「亡くなった姉のようなバトミントン選手にはなれない」と悩む。

 ドラフトが終わるまで野球部活動を続けるキャプテン。たとえスカウトが来なくても続ける。トップアーティストになれるのはほんの一部の者であることが判ってきても続ける。 

  屋上で憧れの宏樹の姿を見ながらサックスを吹く沢島亜矢。映画部と撮影場所の言い争いをしながらサックスを吹くことに専念しようとする。宏樹にけじめを付け、練習でしっかりと吹奏した後の充実感を味わう亜矢の表情は美しい。 

Kirishima12_large1_2  桐島を追って屋上に上がってきた者達と屋上で撮影中の映画部員との争いが起こる。馬鹿にされた映画部員はゾンビのとなって争う姿が映し出される。争いが終わる。宏樹から8ミリカメラを受け取りながら涼太が「オレたちが好きな映画と今、自分たちが撮ってる映画がつながってるんだなって思う時があって、それが、こうなんか」と語る。たとえアカデミー監督なんかになれなくても、次へ進んでいく涼太の想いの言葉となっている。一方の宏樹は野球部をやめて、放課後バスケをしながらただ桐島を待っている生活。涼太が映すカメラ越しの宏樹の表情は泣いている。次を見つけることの出来ない己の悲しさなのかと受け止められた。

Main2_large1_2  ラストの校舎の屋上。赤い夕日がバックに映っていた。~赤い夕日が校舎を染めて 楡の木陰に弾む声 ああ高校3年生 僕ら離れ離れになろうとも クラス仲間は何時までも~。と夢に弾む青春映画とは違う。「美しい幻想は消えてこそ価値がある」(吉本隆明)。否応なしにこれからは「桐島」のいない世界が待っていることを「ゾンビ」で具象化して現している。

 映画の主題歌「陽はまた昇る」(作詞作曲唄、高橋優)の中に ~移ろい行く人の世を さんざめく時代を 憂いて受け入れて 次はどこへ行く 愛しき人よどうか君に幸あれ たとえ明日を見失っても 明けぬ夜なないさ~。とある。誰かを頼って判断する生活はやがては失うという現実。次をつなげていくものを見つける。たとえそれが一つだけでなくとも良い。将来のことは判らないが、今何をするかを見つけて、次につなげていく。「桐島」を待っていても自分の世界には来ない。「次につなぐもの君にあるかな?」と問いかけてくる。肩に力を入れないで観る映画だ。

                                《夢野銀次》

《追記》

 NHKテレビ「あまちゃん」にはこの作品登場した俳優さん達が多くでていたな。橋本愛、東出昌大、松岡茉優等。もっといたかもしれない。

 

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