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サツマイモ・落花生の収穫―さしも草の解釈

Pa210818 大島に甚大な被害を与えた台風26号が過ぎ去った。次に27号が接近して来ている。

そのわずかの晴れた日。

サツマイモはできているのか?

実っていた。27号が去ってから収穫する。

さつまいもの葉をとる。それを煮て食べる妻。

「通じがとっても良くなったわ。義姉さんにも持って行ってよ」と笑顔で話していた。

Photo

 今年は少し多めに落花生の種をまいた。

半分収穫した。煮て食べる。うまいのだ。

7月後半に植えたので遅れとの収穫となる。

「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしもしらじな もゆる思ひを」(藤原実方)。

田辺聖子解釈―こんなにきみを愛していると言えればいいんだけれど。とても口に出しては言えないよ。黙って胸を焦がすぼく。まるで伊吹山の草のようにくすぶって燃えるぼくの思い。君はちっとも知らないだろうね。

 

 Photo_3天才歌人藤原実方によって読まれている。苦しい恋慕の情をも草の産地として有名な伊吹山を歌枕として使われている。

 栃木市吹上地区まちづくり協議会歴史文化委員会の委員長、小平豊氏はこの伊吹山についての解釈を次のように記述している。「伊吹山を鋳吹(いぶき)山と表記したらどうだろうか。この鋳吹きとは、古代の鉄づくり蹈鞴(たたら)のことを言っているんであり、鋳物を吹く釜があった山にちなんでいる。従って、歌枕となった伊吹山は古代に製鉄所があったと私は推測している」と伊吹山所在説に言及している。

Photo_4 さらに「さしも草の『さし』は『刺し』であり剣(つるぎ)のことを意味する。鋳吹山のあのぐらぐら燃える釜から作られた、鋳吹きの刀剣(さし)を意味した。この場合の『さし』は男根をさしているのだ。炎熱する蹈鞴の存在。お灸のも草のようにくすぶる心は表の解釈で、全く対照的に、タタラの火の如く炎熱する心を裏に忍ばせ、強烈にセックスアピールしたのだ」とし、「いぶき」を「鋳吹」と読むことによって、猛々しい男の心情をよむことができると新たな解釈を提示している。

 我が家の庭の畑の土塁のところに「さしも草」がはえている。

Pa210813_2 

 さしも草には七つの葉がある。一番先端の葉は尖っている。吹上まちづくり協議会ではこのさしも草でうどんを完成させている。さしも草を天ぷらにしてのうどんを食べた。美味しかった。

 確かに、小平氏が言うようにさしも草は「剣」の形に見えてくるな。風を吹き上げる地こそ「吹上」だ。古代にこの吹上に製鉄所があったのだろうか?東山道の終着としての下野国府のあった栃木市田村。蝦夷への拠点であり、剣が多く作られたと推測できる。その釜の跡地が発見されるとより具体的な解釈となっていく。栃木市吹上にある伊吹山こそが歌枕の地であると力説する。

 歌枕を訪ねての奥州に旅した松尾芭蕉は栃木市国府にある「室の八島」を訪れた。しかし、近くにあった吹上の「伊吹山」には寄って行かなかった。「伊吹山」は近江の国との説が強かったからかもしれない。

 伊吹山の所在地についてはさらに自分で検証していくつもりだ。

                                    《夢野銀次》




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コメント

『栃木市吹上地区まちづくり協議会 歴史文化委員会の委員長、小平豊氏』
って
先生こんなこと引き受けたんですか?

先生に私どものホームページを案内した時(2006年)には、ホームペーシに書いてなかったですが、今のホームページに書いてある栃木市民(吹上町民)が言う「さしも草」についてです。

まだ誰も気づいてませんが、今とんでもない状況におかれてるんです。
栃木市教育委員会の責任問題に発展するかもしれません。

投稿: 室の八島保存会 | 2014年5月30日 (金) 19時54分

思い出しました。ここにある小平先生のこの文ね、「伊吹山なんたら」いう小平先生の小論文で、なんたらいう文学賞をもらった論文の内容です。先生がんばれ!

投稿: 八島 守 | 2014年5月30日 (金) 20時06分

『さしも草には七つの葉がある。一番先端の葉は尖っている。吹上まちづくり協議会ではこのさしも草でうどんを完成させている。さしも草を天ぷらにしてのうどんを食べた。美味しかった。』

これが二つ前のコメントで言った「さしも草」の事です。

この草を漢字で書くと「七ツ葉差蓬草」、つまり「七ツ葉のさしも草」となります。

投稿: 八島 守 | 2014年5月30日 (金) 20時37分

『歌枕を訪ねての奥州に旅した松尾芭蕉は栃木市国府にある「室の八島」を訪れた。しかし、近くにあった吹上の「伊吹山」には寄って行かなかった。』

当時、伊吹山が現栃木市にあるなどとは、下野国内だけの噂で、江戸の町には伝わってなかったんです。

もし芭蕉がその噂を聞いていれば、伊吹山を訪れない訳はないんです。

だって、室の八島より伊吹山のほうがずっと有名なんですから。

近江の伊吹山か?下野の伊吹山か?なんて問題ではありません。

投稿: 八島 守 | 2014年5月30日 (金) 20時52分

『近くにあった吹上の「伊吹山」には寄って行かなかった。「伊吹山」は近江の国との説が強かったからかもしれない。』につきまして

「近江の伊吹山か?下野の伊吹山か?」が問題になるのは、[下野国誌](1850年)以降、つまり明治以降の話です。

投稿: 八島 守 | 2014年5月30日 (金) 21時22分

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