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明治前期の時代を描く―NHK大河ドラマ「獅子の時代」その1

Newbloodymary2013img283x26513854616   平沼銑次(菅原文太)はともに戦った秩父困民党農民に「先に帰った者を責めるようなことをするなよ」と言う。さらに「皆は当然なことを請願した。それを忘れるな。お前(秩父困民党)らを賊と呼ぶ者もおるかもしれん。そんなことでくじけちゃならねえ。お前らは正しいことをした。侍の明治維新は終わった。これから百姓町人の明治維新だ」と鎮台兵に包囲され、村に帰れと指示して秩父農民を諭す。そして銑次は「自由自治元年」と書かれたのぼりをかざして鎮台兵に斬りこみ活路を見出していく所で一年間の大河ドラマが終わる。

 昭和55年(1980年)作品、山田太一作のNHK大河ドラマ「獅子の時代」全51回をDVDで観た。今から34年前の作品だが、なかなか分からない明治前期の時代を観ることができた。懐かしい俳優もたくさん観ることのできた。志村喬、大滝秀治、千秋実、沢村貞子、児玉清、細川俊之、日下武史、丹波哲郎、鶴田浩二。艶やかな芸者姿で登場する大原麗子。年代がたっていても作品は現在に通じる内容になっている。

  作者の山田太一は「NHKから大河ドラマを受けた時、特定の人物や特定の事件をテーマするのではなく、明治前期を多面的、総合的に書きたい。パリ万国博覧会、会津戦争、箱館五稜郭、北海道開拓、自由民権運動など大きな事件を入れたい。そのため架空の人物とした」と『街で話した言葉』で記述する。さらに「明治維新の敗者の会津藩士・平沼銑次と勝者である薩摩藩士・苅谷嘉顕と主人公を2人立てることによって、明治前期を勝った側、負けた側、光と影、陰と陽の両面から書くことができる」とした。

800pxkenpohapuchikanobu1   確かにこれまでは明治前期の作品では会津戦争、西南戦争、秩父困民党事件など個別のテーマ、事件として描いた映画・テレビドラマはあったが、明治前期全体の流れを通して描いた作品はなかったように思える。さらに今まで知らなかった高松凌雲や雲井龍雄、北海道樺戸(かばと)集治監のことなどを描いている。おかげでこのドラマで知ることができた。戊辰戦争から明治維新にかけてのそこで生きた人物の想いが出ている作品となっている。

 Photo 49回で伊藤博文(根津甚八)が 明治 憲法草案起草にかかわってきた苅谷嘉顕(加藤剛)に言う。「最後の決定権は議会(国民)にやらん。最後の決定権は天皇にある。実質は政府と官僚に決定権がある。憲法は天皇が国民に下される」と昭和憲法における最後の決定権を国会(国民)にあることと対極をなしている台詞がでてくる。今の安倍内閣の憲法への解釈姿勢は伊藤博文の言う台詞と同じように思えてくる。

 50回で惨殺される嘉顕が残した憲法への想いが印象に残る。「国民は愚か者にあらず。もし国民の声を聴かず、政府官僚が独裁独善に陥れば必ず国は破局に向かう。願わくば日本国憲法は国民の自由自治を根本とした…」と昭和20年8月15日を予言している想いとして描いている。嘉顕が自由民権派の憲法草案を調査していく時のナレーションに「植木枝盛や五日市憲法」という言葉が出てくる。さすが山田太一だなと感じた。美智子皇后様も評価していた「五日市憲法」における人権などさらに問われてきている時代を感じる。

 Ee5fac04a0b2e5001b3012e07505e0a81_3 22 回 では明治4年の雲井龍雄(風間杜夫)の斬首刑を描いている。雲井は「帰順部曲点検所」を設置し、窮乏する士族の救済を政府に求めた。しかし、それが政府転覆とみなされての処刑だった。雲井は政府官吏の苅谷嘉顕に語る「批判勢力のない政府は駄目だ。薩長政府から日本の政府にしなければいけない。政府を批判する存在が必要なんだ」と民主国家像を語る。

  しかし、大久保利通(鶴田浩二)は十分な裁判をせず処刑し、批判の目を向ける嘉顕に語る。「正当な裁きの場より、今は荒療治が必要なんだ。食うか食われるかを闘っておるのじゃ」と強引に政治を進めなければならない時代であることを言う。苦悩する大久保利通を出している。雲井龍雄を書いた小説に藤沢周平の「雲奔る」がある。米沢藩で幕末に遅れて時代に登場してくる人物だが、熱血漢の詩人として描いているように思えた。自分には印象の薄い作品だったが、もう一度読んでみる。

Img_1042197_30382361_101   ドラマの冒頭(1回~5回)は慶応3年(1867)のパリ万国博覧会における幕府使節団一行と薩摩との争いから始まる。水戸昭武に随行した会津藩士平沼銑次(菅原文太)と幕府奥詰医師の高松凌雲(尾上菊五郎)、水戸藩士伊河泉太郎(村井国夫)。英国留学中にパリ万国博覧に参加する薩摩藩士に苅谷嘉顕(加藤剛)。幕府展示商人に瑞穂屋卯三郎(児玉清)、日本茶屋芸者にもん(大原麗子)など主要人物が登場してくる。日本茶屋でたばこを吸う芸者の姿は当時大きな評判であったとされている。

401pxryoun_takamatsu1_2   パリ万博の中で高松凌雲(尾上菊五郎)がパリの市民病院から影響を受けていく姿が印象深かい。

   「自由・平等・博愛」と掲げてある「パリ市民病院・神の館」を凌雲と銑次は訪れる。どうして神の館と名乗るのか?ドラマでは分からなかったが、吉村昭著「夜明けの雷鳴・医師高松凌雲」で著してる。「病院は新しい生命が生まれ、また消えてゆく。だから神の宿る館なのだ」と。さらに「神の館では、富ある者にも貧しい者にも同じ治療を施し、しかも貧しい者は無料であった。戦争にあっても、敵方の傷病者同様、治療する」という考えだ。負傷者は最早兵士にあらずという考えが以後の高松凌雲の根底になり、箱館五稜郭戦争の箱館野戦病院の設立と以後の同愛社設立の活動へつながっていく。

 800pxhakodate_goryokaku_panorama_11 箱館五稜郭戦争(14回)で 負傷した敵兵を箱館病院で治療する凌雲(尾上菊五郎)。榎本武揚(新克利)が敵兵の引き渡しを凌雲に要求する。しかし凌雲は断固拒否する。負傷した兵士は敵でも味方でもないという考えを述べる。さらに新政府軍が箱館病院に侵入してきても負傷兵を守る姿を描いている。

  ドラマの終盤(44回)、もん(大原麗子)が凌雲の治療を受ける上野の鶯渓(おうけい)医院がでてくる。病院の門には日本赤十字社の先駆となる同愛社の看板が映し出される。医師10名が集まり月に15名の貧しい病人を治療していくけば、毎月150人治療できるステムを作り上げていくことを凌雲は銑次に語る。実在の凄い人物がいたのだと感心させられた。ドラマでは五稜郭の戦いで戦死する凌雲の実兄の古屋作久左衛門については触れていない。幕臣として衝峰隊(しょうほうたい)を結成し、戊辰戦争を戦いつづけた人物だ。ドラマの拡散を防いだのかもしれない。

Photo_3   慶応4年(1868)8月23日。雨の中、新政府軍が会津若松城下に侵入してくる。その前日に銑次の祖母と母が自害する(8回)。平沼家仏間で母、もえ(佐々木すみ江)は妊婦の長男嫁玲(香野百合子)と長女千代(大竹しのぶ)に逃げることを指示し、母は祖母(浦辺粂子)と共に城には行かずここに残ることを告げる。残ることは自刃を意味することと分かった時、千代(大竹しのぶ)は衝撃を受け、大粒の涙を溢れ泣き叫ぶ。この時の大竹しのぶの演技は、衝撃のあと徐々に死と別れという結果が分かってくるという表情を身体全体で表わしている。それが自然な演技としてだ。見事だ。天性の演技力を大竹しのぶは持っている女優だと思えた。

  パリから会津に戻った銑次は家で母と祖母の遺体を見つける(9回)。そして父、兄、弟が籠る会津若松城に入る。砲撃を受ける城内で「死ね死ね」と叫ぶ父、助右衛門(加藤嘉)に銑次は弟、鉱造(永島敏行)に「死ぬことばかり考えては勝てる筈がねえ。生きる工夫がなければいけねえ。俺は絶対に死なねえ。生き抜くことが勝つことだ」と生き抜くことを語る。以後のドラマでの明治前期の事件、政府の汚職での入牢、西南戦争軍夫、樺戸集治監からの脱走、秩父困民党での戦う平沼銑次の姿を表わしている。

 籠城中に兄の亨(横内正)に「長屋作りの家が列をなして動いている。蒸気機関車っていうんだ」とヨーロッパの土産話をする(10回)。兄弟のほのぼのした会話だ。列をなして家が動いている風に見える蒸気機関車。ドラマの中には仏の蒸気機関車が再三でてきている、

Imgp066411_4  下北半島斗南に移住した会津藩士。荒涼とした土地を開墾しながら平沼家の飢えとの戦いを描いている(24回)。太政官府で商人見習い中の銑次は大久保利通(鶴田浩二)と向きあうシーン(26回)が出てくる。

  銑次は会津藩を斗南に流罪という処分を大久保に確認し、飢えで苦しんでいる斗南に米を送るよう頼む。大久保は政治的にそれはできないとし、「国の変革で犠牲はやむを得ない。日本全体を思っておる。その将来を思ってる。国 を統一するには10年、以後10年で国、国民を豊かにし、次の10年でそれを深める」と諭す。しかし、銑次は「20年後の先より、今飢えで死んでいく者を見殺しにしていくことをえいと言うことなはねえ」と攻め寄る。大久保は「おはんには政治が分からん」と突っぱねるが「負けた者を放っておく政治なんか分からん」と怒る。

  勝者の政治と敗者の苦しみが交差しているシーンだ。菅原文太の必死の形相と苦悩しながらも吐き出す鶴田浩二の演技。緊張感のみなぎる感動する演技だ。

   勝者と敗者が共に近代日本国を造るにはどうすべきかを、作者山田太一は投げかけているように思えた。

   この大久保利通が語った10年三期説は司馬遼太郎著「街道をゆく33、赤坂散歩」の中に出てくる。明治11年5月14日に清水谷で襲撃される早朝、出立の前に福島県令の山吉盛典に 「維新後、10年を経たが、この間、内外多事で、ほとんど治績らしいものはあげてあげておらず、じつに慚愧(ざんき)にたえない。なすべきはこれからである。元年から10年までを創業の第一期とすれば、11年より20年までを国力充実のための第二期とすべきである。さらに21年以後の10年を第三期として、守成の時期としたい」。司馬遼太郎はこの言葉を大久保利通の遺言のようなものだと記述している。事実上の首相として明治初期政権における史上まれの創業の才を評価している。

 しかし、会津藩の斗南への移住は流刑と言うべき処罰であったと思えるのだ。

  ※(その1)終了。引き続き「獅子の時代(その2)」をご覧ください。

                                    《夢野銀次》

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