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津軽の海を越えて来た―53年ぶりの「こまどり姉妹」

107 ~なにも言うまい言問橋の 水に流した あの頃 鐘が鳴ります浅草月夜 化粧なおしてエー化粧なおして 流し唄~ 

「浅草姉妹」(昭和34年10月)作詞:石本美由紀/作曲:遠藤実。

 舞台の幕があがり、デビュー曲「浅草姉妹」を歌うこまどり姉妹。53年ぶりのステージを3月5日、栃木市大平文化会館で観た。

 「私たちは北海道炭鉱の町に生まれ、門付けをしながら上京してきました」と妹の敏子が語る。門付(かどつ)けをしていたのか…。歌手でギター片手に流しをしていたと語る歌手が多いなか、門付けをしていたとはっきり語る歌手は初めて聞いた。

 門付けは一軒一軒、家の門口で三味線を弾き、歌を唄いながら日銭を得る放浪芸の世界だ。江戸期には日和下駄に編み笠スタイルで三味線を弾きながら唄う門付けを行なう。あるいは女性の盲人芸能者の瞽女(ごぜ)が連想されてくる。デビュー当時、門付け芸人出身ということで「差別」を受けてきたのではないかと想像できる。昭和30年代はまだまだ放浪芸人は一段低い芸人と見る風習が残っていた筈だからだ。

Img_376211_3 北海道から津軽海峡を渡り上京した親子。そして東京山谷の木賃宿に父親と暮らしながら浅草を流し歩いての生活。

 五木寛之小説「海峡物語」に登場してくる「演歌の竜、高円寺竜三」のモデルとなったディレクター馬淵玄三によってコロンビアのテストを受ける。「二人そろってマイクの前に立つ」ことでかろうじて合格した。立ち会った遠藤実は「可憐でありながら、想像もつかない人生の哀感を感じさせる歌声に私は驚いた。流しの臭いがする」と遠藤実著「涙の川を渉るとき—遠藤実自伝」の中で記述している。実際、遠藤実自身も新潟での門付けや荻窪や西荻での流しの貧しい生活を経験して来ている。こまどり姉妹の歌声に相通じるところがあったのだろう。二人は遠藤実の指導を受け、昭和34年(1959)10月に「浅草姉妹」でデビューする。

Ph04b1_31  作詞石本美由紀の「何も言うまい言問橋の」の隅田川に架かる言問橋の浅草よりのコンクリートの橋台の横には黒い焦げ跡がある。3月10日の東京大空襲の爪跡が今も残っている。橋の畔の隅田公園の下には空襲で被災した多くの人たちの涙が埋まっている。昭和3年に言問橋の完成で東海林太郎、島倉千代子が唄う「すみだ川」にでてくる「竹屋の渡し」も消えた。

 デビュー1ケ月後の同年11月には遠藤実作詞作曲の「三味線姉妹」のレコードがすぐさま発売される。

 ~お姉さんのつまびく三味線に 唄ってあわせて今日もゆく 今晩は今晩は 裏町屋台はお馴染みさんが待っている つらくてもつらくても 姉妹流しは涙を見せぬ~ 

 大平文化会館でこの歌を聴いた時、涙腺が緩んできた。三味線片手に浅草の路地裏を流す姉妹。そして悩みながら、この歌を発表させるために苦渋の決断をしてコロンビアに移籍した遠藤実。「三味線姉妹」の詞と曲には遠藤実の想いが強く響いてくると感じた。蜷川幸雄演出「さいたまネクスト・シアター」2012年公演でこまどり姉妹を舞台へ登場させる際に、蜷川幸雄が歌わせた曲はこの「三味線姉妹」だと聞いている。蜷川幸雄も選んだこの曲には口に出せない心の底に潜む哀しい情感が滲み出てくる。

O03500350125026870821  ~津軽の海を越えて来た ねぐら持たないみなしごつばめ 江差恋しや鰊場恋し 三味を弾く手に想いをこめて ヤーレンソーランソーランソーラン 唄うソーラン ああ渡り鳥~

 ~瞼の裏に咲いている 幼馴染みのはまなすの花 辛いことには泣かないけれど 人の情けが欲しくて泣ける ヤーレンソーランソーラン 娘ソーラン ああ渡り鳥~ 「ソーラン渡り鳥」(昭和36年4月)作詞:石本美由紀/作曲遠藤実。……名曲だ。

 長い間、「津軽海峡を越えて来た」いう歌の言葉が私の心のどこかに支えとなっきた気がする。仕事で覚悟、決断するとき「津軽の海を越えて来た」というフレーズが何回浮かんできたことか。

 錦糸町駅前にあった楽天地「江東劇場」。そこでお袋と一緒に「こまどり姉妹ショー」を観たのは今から53年も前だ。当時は映画と併用しての歌謡ショー。黒沢明の「用心棒」と森重久弥の「社長シリーズ」が上映していた。昭和36年(1961)の5月ころということになる。幕が開くと舞台の船に乗ったこまどり姉妹が三味線を弾きながら登場してきて「ソーラン渡り鳥」を歌った。下から見上げる自分の目に歌うこまどり姉妹の姿が残っている。「父ちゃんには内緒だよ」とお袋が私の耳元でささやいた。北砂街銀座の叔母御の下駄屋を訪問して、栃木に帰る途中でのこと。こまどり姉妹のファンだったお袋。それから53年ぶりの今回の「こまどり姉妹」のステージ。懐かしさと頑張ってきた姿が交差する。ほかの出場歌手(佐藤勢津子・三門忠司)とは違い、歌う姿から光を放っていた。オーラを感じた。ヒット曲を持ち歌い続けてきた歌手生活の強さなのだろう。

Img_347701_61525708_01_3 「3月19日に私たちの新曲 が発売されるの。もう歳だからキャンペーンはできませんけど。聞いてください」とステージ最後の曲として紹介、歌う「ラーメン渡り鳥」(作詞作曲オオガタミヅオ)。サッポロラーメン、喜多方ラーメン、東京ラーメン、博多ラーメンとコミカルに歌と曲が流れていく。18年ぶりの新曲。ヒットすれば化けるかもしれない。

 姉の栄子はおとなしいが艶っぽさを滲ませてくる。「テレビで私たちがラーメンをおいしくいただいているのが、この曲のきっかけなんですよ」と妹敏子が明るく語る。しかし、この歌は昭和38年(1963)の「涙のラーメン」(遠藤実作詞作曲)とも連動しているのではないかと思える。~あたたかいラーメン忘れぬラーメン 貧しくもくじけず笑ってゆきなと いつもなだめた人ねラーメン ナルトに支那竹チャーシュー いやいや情けの味がした ツルツルすするショッパサは泣いている 涙かしら夢かしら~。

 こまどり姉妹の曲を手掛けた遠藤実。今度、じっくりブログに書きたいと思ってきた。また2009年公開映画「こまどり姉妹がやってきたヤアーヤアー」を観るつもりだ。Okmusic_1226_11_4 

 歌手八代亜紀は「情歌(なさけうた)」として500~600人の会場でコンサートを展開している。日刊ゲンダイで「流行歌は過去の遺物ではない。今こそ生の歌唱が求められている。若者たちもデジタルな長くついていけない今の歌より流行歌を求めている。懐メロではない流行歌に飢えている。流行歌には情けがあるから」と若い観客層からの手応えを感じていることを記述している。

 最近、昭和40年代の複数の歌手達が一緒に公演を組むことが目立ってきている。そして今回の公演を支えていたのが地元の複数のカラオケグループの団体だった。地元のカラオケグループとの結びつきが今後強まっていくと思える。歌謡曲に飢えた人々がたくさんいる。若い人より同世代に向けて歌を発信していくことを舟木一夫はいち早く見抜き、15年頃前から全国ツアーを展開し、成功している。地方にはたくさん建てられた立派な小ホールがある。そこでの生の歌謡ショーなどが公演されていく機会が増えていく。そんな予感がしてくる。

                                    《夢野銀次》

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