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女の海峡-「男はつらいよ」から渥美清と都はるみをみる

4120000213357_1l1  「はるみちゃんは他の歌い手さんと違って、なんだかいやいや歌を歌っているように見えるんだよね。怠け者のおれに似ていて、歌を聞いていると親近感が湧いてきて安心するんだ」と都はるみを語った渥美清。(「昭和の自由と象徴『寅さん』を生きた男―渥美清」より)。

   スクリーンの中で、渥美清が都はるみをじーと見つめる小さな眼。真剣な眼差しは怖さを感じるシーンだ。「とらや」の庭先に集まった柴又界隈の人たちに縁側から「アンコ椿は恋の花」を歌う京はるみ(都はるみ)。縁側の脇から歌う京はるみの横顔を台所に立って見つめる寅(渥美清)。厳しく真剣な眼差しをした寅さん。いや役者渥美清が歌手都はるみに注ぐ視線となって映ってくる。山田洋次監督と渥美清は都はるみの何を描こうとしていたのだろうか?この映画は車寅次郎とか京はるみという役柄名より、渥美清と都はるみでみた方がおもしろいと思えた。

  映画「男はつらいよ」シリーズ31作目「旅と女と寅次郎」は今から31年前の昭和58年(1983)8月に公開された作品。マドンナ役は当時人気絶頂だった歌手の都はるみ。

3fd4266681dc63b40989ce715ab562e91 都はるみの役柄は人気歌手「京はるみ」。歌手都はるみがそのままの役柄に設定されての出演。映画の中で歌う曲「涙の連絡船、惚れちゃたんだよ、アンコ椿は恋の花、女の海峡」はいずれも都はるみの歌。シリーズの中でも異色の作品と位置づけされている。

 都はるみのファンであった渥美清の要望で企画されたとも言われている。「寅さんシリーズ」の企画に渥美清も加わっていたと云われている。

 「おれは歌手は、美空ひばり、都はるみ、大好きだよ。それに、中村美津子っていうの、一回見てみたいねぇ。まあ、この三人だな」と渥美清の付け人をしていた篠原靖治氏は「生きてんの精いっぱい 人間渥美清」の中で記述し、「おれは怠けもんだからねぇ」と渥美清はよく口にしていたことも書かれてある。

Img_11_2 佐渡島の民宿で「矢切の渡し」を浴衣姿のはるみが口ずさむ。「うまいな歌が、銭とれるよ」と思わず唸る寅さん。失踪してきたことを寅さんに話すはるみ。寅は黙って優しく聞く。酔ったはるみは「寅さん、明日は何時?」と聞く。「何時って、好きな時に起きればいいんだ」と答える寅。「そうなんだ。わたしは自由なんだ」と喜ぶはるみ。束縛された世界から自由に生きている寅さんを見るはるみ。浴衣姿の35歳の都はるみが若い娘のように映し出され艶を感じさせる。一年後に都はるみの引退宣言する心情がここに隠されているように見えてくる。

Hqdefault1 ~別れることは死ぬよりも もっと淋しいものなのね 東京をすてた女がひとり 汽車から船に乗りかえて 北へ流れる… 夜の海峡 雪が舞う~

~砕けた恋に泣けるのか 雪がふるからなけるのか ふたたび生きて逢う日はないと こころに決めた旅なのに みれん深まる… 夜の海峡 わかれ波~

~いのちと想う愛もなく 海の暗さが眼にしみる 汽笛よ波よおしえておくれ 私の明日はどこにある こころ冷たい… 夜の海峡 ひとり旅~  「女の海峡」(作詞:石本美由紀、作曲:猪俣公章)。

  平成2年(1990)5月10日、都はるみはNHKホールでの「都はるみ復帰コンサート」をネットで開き「女の海峡」をYouTubeで見ることができた。昭和47年(1972)発売の曲だが、NHKホールのステージで歌う都はるみの詞がズシーンと響いて来た。「別れることは死ぬよりももっと淋しいものなのね」…男(女)からの別離を受けグサッときている女(男)の心情だ。「砕けた恋に泣けるのか雪がふるから泣けるのか」…雪のように心が冷たく泣ける。そして、「私の明日はどこにある」…明日を模索しながら暗い波間の闇を見つめる姿が浮かびあがってくる。詞と曲と歌が一体となった深さを感じるステージでの歌だ。そこには復帰を決意し、真剣に緊張感を持って歌う都はるみが観客を魅了する姿が映っていた。この歌は「男はつらい」の中の最後に都はるみが歌っていたことを思い出した。DVDを借りてきて31年ぶりに「男はつらいよ 旅と女と寅次郎」を見た。

Img_01_2  ~海は荒海、むこうは佐渡よ すずめ啼け啼けもう日はくれた みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ~(「砂山」北原白秋作詞、中山晋平作曲)。岸壁から佐渡の碧い海に向かって明るく歌う。笑顔が可愛い都はるみ。そばには渥美清が優しい眼差しで見つめる。佐渡島のロケーションがきれいだった。31年前、最初に見た時、これは『ローマの休日』だと思っ。さらにラストで歌う「女の海峡」は何と暗いのだという印象を受けたのを憶えている。シリーズの中でこの作品は余興だと言う人もいた。しかし有名人へ思慕する寅さん「あってもいいな」と感想を持ったのだ。

 渥美清は感じていたのか、知っていたのか?都はるみが歌うことに葛藤していたことを。もしそうならば、渥美清という役者、映画を通して都はるみに向かい、同じ芸の世界で生きる者としての叱咤激励している映画に見えてくるのだ。田所康男が渥美清になる。北村晴美が都はるみになる。虚像と実像の狭間で芸に生きる世界を共に共有する二人。しかし、都はるみはこの映画公開の翌年の3月に引退発表を行う。そしてその年、昭和59年(1984)の大晦日の紅白歌合戦を最後に引退をする。大トリで「夫婦坂」を歌う都はるみ。その時の瞬間視聴率は84.4%と紅白史上最多の視聴率をあげた。美空ひばりの足跡を追いながらも「女のしあわわせ」を選んでの引退だ。映画「男はつらいよ」は都はるみの引退への呼び水になったのかは誰も述べていない。たまたま偶然が重なったということなのだろうか。

  昭和57年(1976)、「岬」で芥川賞を受賞し、平成4年(1992)に46歳の若さで死去した中上健次は「天の声 小説都はるみ」で都はるみを昭和62年(1987)に書いている。歌を歌う子供の頃から紅白歌合戦で引退するまでの都はるみの内面を書きながら、「天成の徴つきの歌手が今日、歌と心中する。心中するしか、歌の魔力からのがれる方法はない」と引退を決意するまで、歌の魔力と戦う都はるみの内面を描いた本だ。 

510b5cmrdml_sl500_aa300_1_2 「20年間の歌手生活をくくるとしたらこの5曲。《うなった》「アンコ椿は恋の花」、《泣いた》「涙の連絡船」、《ささやいた》「北の宿から」、《つぶやいた》「大阪しぐれ」、そして《遺書》としての「夫婦坂」が、都はるみの代表曲だと本人は思っている。またそれが大方の世間の意見でもあった」と引退後、プロデユーサーとして芸能会に復帰してきた頃のシンポジュウムでの都はるみの発言から記述している有田芳生著「歌屋 都はるみ」(1997年10月文春文庫本)を読んだ。

  ノンフイクションの同書は都はるみの子供の頃から、京都での母親から歌を教えられ、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝、あこがれの美空ひばりと交流、市川昭介との出会いから、離婚、中村一好とのコンビと事実婚、引退、音楽プロデユーサーとして芸能界への復帰、美空ひばりの死をきっかけに歌手として復帰。復帰した都はるみの新たな「歌屋」として歌への挑戦など、詳細に丁寧に書いている都はるみそのものを著した本だ。同年輩の私にはいつも身近に存在した歌手であったため、今回、この本を読むことで多くの都はるみを知ることができた。本の最後は「歌屋」として歌手活動を続けていく都はるみを描いている。 

 中でも平成元年(1989)6月11日に放送された「サンデープロジェクト」中でコメンテーターとして出演していた都はるみの番組内でのコメント、全文が記載されている。美空ひばりの訃報を受けてのコメントだ。子供のころから美空ひばりの歌を聴きながら美空ひばりを目指してきたこと。北の宿でレコード大賞を受賞する時に週刊紙に差別中傷記事が載り、歌手を一番辞めたかったこと。その時に美空ひばりから「いろいろなこと書かれたねぇ。だけどまあ頑張って歌いなさいね」という励ましを受けたこと。引退する際には美空ひばりから、「あんた、自分のいちばん大事なものを捨てるんだから、幸せになんなきゃ怒るよ」と、ものすごい怖い顔でにらまれたこと。家族問題で同じようにマスコミから攻勢されてきた美空ひばりの励ましの言葉が大きかったことが記述されいる。読みながら改めて美空ひばりの存在が大きかったことと都はるみの歌手としての葛藤に唸ってしまった箇所だった。 

  同書「歌屋 都はるみ」の中で渥美清が出てくる箇所がある。昭和49年(1974)10月11日にNHKホールで開いた「都はるみ10周年記念リサイタル」での箇所。この時の演出構成はミュージカル演出家で「若者たち」「希望」の作詞家でもある藤田敏雄が手掛けている。藤田敏雄はまず「二時間を一人で勝負しなさい」と都はるみに宣告し、すべてフルコーラスで歌うこととしたこと。そして「戦友」という「弱い歌」(弱音)を歌わせている。当時、「できるだけ弱く」を体現していた歌手は美空ひばりと越路吹雪だった。都はるみという「こぶし」「うなり」という「強い歌」の間に弱音で歌いこなすことがプロ歌手の至芸だと考えていたからの選曲だった。渋った都はるみだったが勝気な性格は演出藤田敏雄に立ち向かい、歌いきったステージになったと記述されている。 

Img_41 観客の一人に渥美清がいた。同書には「のちに藤田敏雄に会ったとき、渥美(清)は(藤田)にこう言った。『いやー、あれは面白かったぞ、あれは』。なかなかそんな言葉を吐かない渥美だと知っている藤田は、内心うれしくてたまらなかった」と記述している。都はるみのターニングポイントになったステージだったと思える。山田洋次監督は渥美清のことを「あらゆる映画、あらゆる芝居を全部見て歩いている人でした。もしかして日本で映画と芝居を最もたくさん見た人じゃないかな…。僕は渥美清が映画評、演劇評をしたら、大変なベストセラーになると思ったな」と「昭和の自由と象徴『寅さん』を生きた男ー渥美清」に渥美清の眼識を大きく評価していることが記載されている。渥美清が都はるみのステージを常に注視していたことが見て取れるコメントだ。 

Mypictr_220x31738671755725191 平成20年(2008)の3月、その年の12月に閉館する新宿コマ劇場で私は「都はるみ公演」をみた。5年以上の前なのでわずかな記憶の中で記しておく。 

  その時の芝居は都はるみ母親役を本人が演じる都はるみの自伝「好きになった人・市川昭介」。劇中で「北の宿から」の歌唱方法に悩むシーンがでてくる。歌い方の「前に出る攻める歌唱」と「引き寄せる歌唱」についてだ。10周年記念リサイタルの歌い方がこの舞台でも表れていたのかもしれない。二部の歌謡ショウ。歌う都はるみの姿を見つめ、歌を聴きながら「違うな、違うんだよな、都はるみと…」という違和感の印象があったことが今でも心に残っている。「どうしてなのかな?よかったとは言えないステージだ」という感想は抱いた。その想いは今でも続いている。 

  平成2年(1990)5月NHKホールでの復帰コンサートと平成15年(2003)の日生劇場公演での「女の海峡」をYouTubeで見比べた。音楽には疎い私だが、どっちがいい?と問われれば、NHKホールでの復帰コンサートの「女の海峡」を選ぶ。保守的だと笑われるかもしれないなが。復帰後の都はるみの歌い方は大きく変化しているのを感じる。新しいジャンルへの挑戦、野外ステージでの公演と今までにないステージ公演を展開している。それも規模を大きくしていての公演だ。身近な歌手が遠くへ行ってしまったような感じがする。歌手ではなく自分は歌屋だと本に記載されている。「歌屋」いうのは何なのだろうか?

  「歌屋 都はるみ」のなかで「はるみの新しい生き方は、引退以前のように嫌でもやらねばならない仕事として歌うことではなく、自分の好きな曲を精一杯歌うことである。(略)歌屋―それは20年間歌いつづけてきた都はるみと一人の女性である北村晴美が一体となりうる唯一の職業だった」と記述している。歌謡曲、演歌という枠から新しいジャンルに挑戦するのは良いのだが、従来の都はるみも変えるということなのか?どうもよく分からない。都はるみファンに申し訳けないが「そばに近寄れない」「笑顔が見えない」「突き進んでいる」。復帰後の都はるにそんな怖さを感じる。「歌屋」ってもっと気軽に軒先で歌う世界ではないかとイメージしてしまうのだ。 

41rgfqnw1sl_sl500_aa300_1  復帰した都はるみが歌手活動を続けながら、平成9年(1997)~平成17年(2005)までの間に新聞や雑誌でのコメントを本にした「メッセージ」を平成18年(2006)8月に発行している。印象に残ったコメントを記載してみる。 

 「もう誰かに歌わされている都はるみはいません。私は『歌屋』です」(新潮、03年5月号)。「生意気かもしれないけど、最近は私が歌を選んだんじゃなくて、歌が私を選んでくれたのかなって、思うのです。私は『歌手』ではなく、『歌屋』なんですね」(02年9月12日朝日新聞)。「自分の言葉で、自分の視点で訴えられる歌を歌いたかった」(02年7月3日産経新聞)。「歌、うまいですねという言葉より、面白い人ですねと言われる方がうれしい」(99年10月22日読売新聞)。「年齢を重ねるにしたがって、とんがっていた部分が取れて、かわいい女になっていくのが私の理想。歌もしかりです」「歌の主人公に優しいまなざしを向ける語り部という距離感が、自分の歌を一番生かすという結論に達しました」(99年5月14日読売新聞)。「都はるみは、難しくなっちゃいけない。女王、横綱になるより、いつまでも大関でいたい」(99年4月21日毎日新聞)。 

  いずれも抜粋のコメントが抽出され、写真と組み合わされて構成されている本になっている。コメントを読みながら、私には復帰後の都はるみは、このコメントと違う道を歩いているのではないかと思えるのだ。そういえば新宿コマで都はるみのステージを見てから、私の中では都はるみへの関心が薄くなっていたことに気が付いた。復帰後の歌や曲が難しくなってきているからだ。歌う動作がオーバーになっている。自然体の歌ではなく、素直さが消え、どこか作っている歌に聞こえてくるのだ。現在の若者の歌をあまり聞かなくなっていることと同じような気がしているのだ。 

Sora3_49881050153191_3   映画「男はつらいよ」の中で「とらや」の縁側を舞台に柴又の人々の前で歌う「アンコ椿は恋の花」。うっとりと聞き惚れるタコ社長と源公。にこにこ笑いながら聞き入る柴又界隈の人たち。明るい雰囲気が描かれている。佐渡島の岸壁で地元の魚師と歌う「佐渡おけさ」のどこか切なさを感じるシーン。これらのシーンこそが「歌屋」の世界を表しているのではないかと思える。歌い手と観客で作る心が動く感動の空間…一体感。芸が目指す世界はそこにあると思えるのだ。

  映画の最後に「女の海峡」を大ステージでスポットを浴びて歌う都はるみを持ってきた。「女の海峡」を歌う前にはるみは寅さんのことを語る。歌うことと一人の女としての迷い、旅をしたこと。「その人はわたしに何も聞こうとしませんでした。でも、その人の小さな細い目はわたしを優しく見つめてくれました。面白い冗談を言って笑わせてもくれました。名前を寅さんと言いました。今ごろどこにいるのかしら寅さんは」。ステージで歌う「女の海峡」は二番目まで。画面は北海道でテキヤ仲間とじゃれ合っている笑顔の寅さんを映し、映画は終わる。歌詞の三番目にある「~私の明日はどこにある こころ冷たい… 夜の海峡 ひとり旅~」。暗いひとり旅のなかで寅さんや妹さくらたちに出会う。心が穏やかに和む世界を作っていく。映画「男はつらい」にはそれがあるとしみじみと感じることができた。

  ファンあっての歌手。中上健次が言う天成の徴を持つ歌手、都はるみ。選らばれて世に出たからには逃れられない歌の世界。今、都はるみは歌の世界で確かに挑戦しているのだと思う。10代の頃から同世代の歌手として私の中に都はるみはいた。しかし、この5年間は都はるみはいなかった。映画「男はつらい」を見直すことによって、もう一度都はるみを見つめていこうと思えてきた。

                                   《夢野銀次》

《参考引用資料本》 

 中上健次著「天の歌 小説都はるみ」(1987年発行毎日新聞社)、有田芳生著「歌屋 都はるみ」(1997年発行文春文庫)、都はるみ著「メッセージ」(2006年発行樹立社)、篠原靖治著「生きてんの精いっぱい 人間渥美清」(1997年発行主婦と生活社)、ブログ「昭和の自由と象徴『寅さん』を生きた男ー渥美清』、小西良太郎著「美空ひばり『涙の河』を越えて」、塩澤実信著「昭和のすたるじい流行歌(はやりうた)」(1991年発行第三文明社)、

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