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西方・金崎の桜堤を歩く―栃木市、西方郷その①

042_3  上都賀郡西方町が栃木市に合併編入となったのが平成23年の10月。隣接する鹿沼市ではなく、どうして下都賀郡であった栃木市になったのか、よく分からない。――と思いながら、「西方の桜を観よう」と4月3日(金)、晴れ間の日を選び、桜見物散策をしてきた。

  江戸時代から「小倉堰」の取水からの用水を活用した稲作五千石の米どころ西方の郷。

  東武金崎駅から北に歩き、東北自動車道をくぐった元地区にある「實相禅寺」。山門脇にはソメイヨシノが満開。本堂裏の奥には藤田伊勢守信吉五輪塔のあるお寺だ。

  関ヶ原合戦後から元和元年(1615)の大坂夏の陣までのわずか14年間、ここ西方藩1万5千石の藩主であった藤田信吉の足跡は「西方の郷その②」で記述していきたい。

055  實相禅寺山門から右に顔を向けると「しだれ桜」が見える。

 「なるほど、広く聞こえた西方のしだれ桜。雄大で迫力があるなあ」と思わず感嘆!

樹齢550年と云われている「中新井宅」のしだれ桜。栃木県の名木百選の一つ。

カメラを掲げた人たちのシャッター音が聞こえる。多数訪れる見物の人を持ち主はどう思っているのだろうか?と気になった。

  「菜の花とまっちしているわ」「こっちからのしだれ桜、いいわよ」と夢中で交わすオバサン達の声が聞こえてくる。

122  東北自動車沿いにある「二条城」から小倉堰を回り、思川沿いを下って歩いていくと桜並木が見えてきた。「かっぱ運動広場」にある思川堤に咲く桜並木であった

  桜の数が多いに驚いた。予想外の桜並木の下を歩くことができた。

 若い桜。見事に生き生きと咲き誇っている。

 川沿いには公園と運動場が設置してある。

 300mはある桜並木の中間に「小倉川と河童」の由来の石碑が平成8年3月に建てられている。
 小倉川は、現在は思川に統一されているが、かつては粟野川と粕尾川の合流地点(鹿沼市口粟野)から黒川との合流地点(壬生町、旧壬生城下の南)までの流れを指していた川の名称だった。

130_2 由来の石碑にはこう記載されている。

 「昔、小倉川が清瀬川と呼ばれていた頃、川を渡ろうとする旅人に悪さをする河童がいた。ある日、西方城重臣の小倉主勝介が川を渡ろうすると、河童が躍り出て悪さをしようとした。主勝介は河童をつかまえ切り捨てようとした。河童は涙ながら助けを求めたので、『俺は小倉という者だ。今後、川を渡る者に小倉の名を聞いたら、決していらずらをするな』と言い含めて許してやった。128_3
 それを聞いた旅人たちが、その後、川を渡るときに『俺は小倉だ』と言いながら渡るようになり、河童に悪さされることがなくなった。それで、この川が小倉川と呼ばれるようになったと言い伝えられている」

 川を渡る困難さや障害を表している由来記だと思えた。または、浅瀬を徒歩で渡れる川がこのあたりにあった。それを見つけたのが小倉何某だったのかもしれない。と、推測してしまう。

 川を挟んで対岸の村との争いや戦などで、川は防波堤を含めた役割もしていた。渡河する障害を除くのが時の治者の役目でもあったのだろう。

 桜並木の下で、若い女の子が自者棒を使って一人でポーズをとって、撮っているのが見えた。すれ違った自分に気がつかず、夢中でデジカメで自分を撮っていた。桜が暖かく包んでいる堤。

138  カッパ運動広場の東端に金崎の鉄橋がある東武日光線の金崎鉄橋を走る特急電車に狙いを定めている人がいる。 

 『桜とスペーシア』を撮り、東武の写真展に出展入賞を目指していると語ってくれた。桜の中を走る特急電車。傍らに軽四輪が停まっている。仕事の合間にきていることから自営業者なのかなと思えた。

 「金崎のさくら」初めて観る。

  思川堤沿いに咲く桜の木は随分低く、樹齢年数の高い桜の木と見えた。

 大正14年(1925)に昭和天皇ご成婚記念として植えられたソメイヨシノ。思川の堤を1キロ続く200本の桜。栃木県の景勝100選になっている。
135_5 歩きながら桜の木の下でお酒を飲みながら一杯やりたくなった。しかし、売店は出ていない。

 色とりどりのお弁当を広げている小母さんたちグループ。ゆっくりと桜並木の下を歩く老夫婦。写生している人の後ろからカメラを構えている人。一本一本の桜の木を撮っている若い女性。花見客で騒々しさを予想していたが、静かな花見客の多い金崎の桜だった。

 帰路、東武金崎駅に着いたら、上り電車は5分前に発車してしまっていた。次の上り電車は50分後。一時間に一本の電車になっている。車社会だと実感する。しかし、歩いて見て回る楽しみには予測しないことにも出会えることがある。少々の不便であっても車ではなく、電車バスを使い、歩いて回って行くことにしていく。

                                《夢野銀次》

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