« 収穫の10月―里芋・落花生の天日干し | トップページ | 春画展ー永青文庫に行く »

演劇の持つ楽しさと怖さ―映画「幕が上がる」

812ptn4vnrl_sl1500_1  「地区大会なら勝てる。地区大会、県大会、ブロック大会までいったとする。ただ、そうなると君たちは1月まで拘束される。この先、本気で勝ちにいくなら、楽しいだけじゃ済まされない。君たちにそれ相応の覚悟を求めることになります。結果…、人生を狂わせることになるかもしれない。――私は行きたいです、君たちと全国に、行こうよ全国に」と吉岡美佐子教師は演劇部3年生3人に迫る。

  富士ケ丘高校、新任の美術教師の吉岡美佐子(黒木華)の指導を受けて、地区大会止まりだった弱小演劇部が県大会、全国大会(全国高等学校演劇大会)出場を目指し、全力で高校演劇を打ち込んでいく姿を描いた作品、2015年2月公開の「幕が上がる」をDVDを借りて観る。

  監督は「踊る大捜査線」シリーズを手がけた本広克行。脚本は「桐島、部活やめるってよ」の喜安浩平。原作の「幕が上がる」は劇作家である平田オリザが、自らもワークショップなどで関わりを持ち続けてきた高校演劇をテーマに2012年に書き下ろした青春小説作品。

Image5_2 主演はももいろクローバーZの百田夏菜子・玉井詩織・佐々木彩夏・有安杏果・高城れいの5人にベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した黒木華。出演者や演劇に興味がない人であっても楽しめる作品に仕上がっていると、映画関係者・評論家は評価している(ウィキペディアより)。確かにその通りだ。観終って、この映画はすごくおもしろい。

 主演のももいろクローバーのことはまったく知らなかった。ネットで検索すると、略してももクロと言い、数人の客しか集まらなかった路上ライブから始まり、女性グループ初となる国立競技場ライブ公演まで行なうになっている人気アイドルグループと紹介されている。紅白にも出場していることを知る。最近は紅白を見ていないので歌の世界と縁遠くなっている。本広監督は「今、もっとも輝いている少女たちを演じてもらいたいとの想いがあった」とバックストップ100でコメンとを載せている。彼女らが舞台で演じる前へ進む姿は躍動感となって伝わってくる。決してこの映画はアイドル映画ではない。

Yjimage2  「公演、肖像画を演ってみたら」と吉岡先生は提案する。「何でもいいのよ、自分のことだったら。一人づつ創って、つなげる。一番気になってること、興味があること、今思ってること。テーマを家族等どう」。部長の高橋さおり(百田夏菜子)は「やって見せてよ」と吉岡先生に反発する。新入生向けのオリエンテーションでの「ロミオとジュリエット」を簡単に否定されたからでもある。

  短い沈黙の後、頷いた吉岡先生はいきなり窓を開け、自分の母のことを語り始める。その演技の迫力にさおりと他の2人、橋爪裕子(玉井詩織)と西条美紀(高橋れに)たちは「神様が降りてきた」と衝撃を受ける。吉岡先生が学生演劇の女王だったことを知り、指導をお願いする。素直な演技が光る百田夏菜子だ。

96958a9f889deae1e0e0e2e2e4e2e3e4e2e 加藤明美(佐々木彩夏)が演じる「お父さんの手」から始まる肖像画「われわれのモロモロ」のシーンはいい。ももクロの演技は教室という狭い空間を使って、何でもない日常生活の中にある家族のつながりを表現している。実際に山形の高校で演じているという「肖像画」。自分のこと、家族のことを楽しく表現し、観客席で観ている母親が感動するこのシーンはまさに演劇入門と言える。家族を誘って公演をする発想がおもしろい。

 原作者の演劇人、平田オリザのこともこの映画で初めて知った。ウィキぺデイアでは次のように紹介されている。

130pxoriza_hirata_speaking_at_tokyo  「平田オリザ(1962年11月8日生)は日本の劇作家、演出家。劇団青年団主宰、こまば劇場支配人。代表作に『東京ノート』など。現代口語演劇理論の提唱者であり、自然な会話とやりとりで進行していく『静かな演劇』の作術を定着させた戯曲集のほか『現代口語演劇のために』などの理論的な著書も多い」。

  そして現代口語演劇理論については、「日本における近代演劇は西洋演劇の輸入と翻訳にウェイトを置いて始まったものであり、戯曲の創作までもが西洋的な理論に即って行われてきた。このため、その後の日本の演劇は、日本語を離れた無理のある文体、口調と論理構成によって行われ、またそれにリアリティを持たせるため俳優の演技も歪んだ形になっていったと考えた。これを改善するために提唱したのが、現代口語演劇理論である。日本人の生活を基点に演劇を見直し、1980年代に見られた絶叫型の劇に対して、『静かな演劇』と称された1990年代の小劇場演劇の流れをつくった」としている。

  生活を基点とした演劇は「肖像画」のシーンで描かれている。また、「静かな演劇」の世界にも関心がでてきた。60年~70年代初頭の唐十郎、鈴木忠志、清水邦夫など「劇的なものを求めた」芝居と大きく様変わりしていることなのだと、改めて知った。今度、平田オリザが主宰する「こまばアゴラ劇場」に行ってみようと思う。映画の中の舞台演劇については、平田オリザがワークショップなどを通してももクロを指導したという。

201505242323311 演劇の強かった高校から中西悦子(有安杏果)が転校してくる。演劇部への加入を勧めるさおりと共に二人は茨城全国大会へボランテイアスタッフとして参加してみる。

  開演前の仕込みから、複数の高校の公演シーンが映し出されてくる。このシーンを観た人がブログに、「もし高校野球の女子マネージャーが青森の‟イタコ”を呼んだら」という青森中央高校の演劇部が出演公演しているのを懐かしく観たと記載している。どのシーンなのか分からないが、画面から全国大会の高校演劇のレベルの高さを感じた。

Img_0_m1 この全国大会の帰り、さおりと中西は「比奈駅」のホームで語り合う。(さおり)「どうして転校してきたの?」、(中西)「皆に迷惑かけ、追いつけなくなった。逃げたの」、(さおり)「私は演劇部に入り楽しいってこと分かった。皆と話ができるようになった。演劇って一人じゃできない」、(中西)「人は一人だよ」、(さおり)「でもここにいるのは二人だよ。中西さん、演劇を私とやりませんか、一緒に」と演劇への復帰を促す。一度演劇をやめた人にとり、このシーンはインパクトを与える。

  撮影した「比奈駅」は静岡県富士市を走っている岳南電車の無人駅だという。ホームの明かりと走る電車が「銀河鉄道の夜」を連想され、大会参加台本が「銀河鉄道の夜」にきまる。

  東京代々木青少年総合センターで合宿を行う。夜、芝居を観たあとに吉岡先生は皆を新宿高層ビル街の夜景を見せる。そして、「ちょっと前まで通っていたの、この街で。私は大学に行って、バイトをして、稽古に通って…。一杯いるんだよ、そんな人がこの街には。それこそ星の数ほど…。今は君たちもその一員」と語る。美しい夜景から将来を夢見る部員たち。しかし、この台詞が後の吉岡先生の決断の伏線になっている。

1312191  地区大会に入賞し、県大会への出場が決まる。この決まる瞬間はコンクール独特の緊張感が出ている。また地区大会の舞台上での先生役の佐々木彩夏が鐘を落とす。一年生の芳根京子の舞台上でのつまづき。舞台袖で見守るさおりの表情など、本番公演のもつ緊張感と人があがると動きが硬くなる怖さをも描いている。凄いと思った。

 吉岡先生の演技指導は「演劇は一発勝負じゃないの。本番のたびに同じことを繰り返さないといけないの。偶然に頼らない。最後に勝つのは計算された演技だけ」、「稽古を想いだすのよ」と地区大会での演技を想定して教えている。

  しかし、いざ本番の公演になると力をなかなか発揮できない役者の苛立ち、不安感、緊張感などをこの映画はよく表している。

1424963243004185001  県大会を1か月に迫った日、吉岡先生が突然教師をやめ、女優の道に進むことが演劇部員に告げられる。きっかけは夏の合宿の時に演劇仲間からのオーデイションへの誘いであった。復帰する吉岡先生は部員へ手紙でそのいきさつを語る。

 「そのオーデションは本当に楽しかった。一流のスタッフ、一流の出演者。その中に混ざって一緒に何かを創っていくことは私にはたまらない喜びでした」、教師から女優への道を歩む。それは母を裏切り、演劇部員を裏切る。それでも演劇の道を進むことが記してあった。そして「あなた達に出会い、あなた達を見て私は演劇の豊かさ思い出したのです」と育てる教師から自ら演じる側への選択したことの語りが画面に綴られてくる。演劇の持つ楽しさ、素晴らしさと喜び、そして演劇の持つ怖さが出てくるシーンだ。

Yjimage3  吉岡先生が去って元気を失ったさおりは滝田先生(志賀康太郎)の国語の授業で奮起を呼びこむ。

 滝田先生は地区大会での公演が素晴らしかったと誉め、「宇宙は光の速さで広がっていく。だから私たちはどうやっても宇宙の果てまでたどり着けない。たどり着けようがない。でも切符だけは持っている。どこまでもゆける切符。君たちの作品(銀河鉄道の夜)を観ながらそんなことを感じました」という言葉がさおりの胸に響く。高校の教師を教諭というのはこういう先生のことをいうのかなと思えてくるシーンだ。

  さおりは息を吹き返す。部員を前に「銀河鉄道の夜」の台本を手にして、「私たちは舞台の上ならどこにでも行ける。想像するだけなら無限だよ。でもたどり着けないんだ、宇宙の果てには…。それが不安ってことなんだ。私たちのことなんだなあって。でもみんなのことがつまっている、この台本。ここでやめるわけにはいかない。だってやめることは自分自身をやめるってことだから。――私はづづけます。行こう、全国に」とみんなの思いがつまっている台本・舞台こそが私たちなんだと言い切り、前へ進もうと語る。

  映画は県大会公演会場に来ている演劇部員の明るい家族の姿を映し出す。そして舞台の幕が上がるところで終わる。明るく気持ちの良いラストシーンになっている。

Image2_2 この映画の感想が「Togetter、映画『幕があがる』を観て~舞台という麻薬の演劇界」に記述されている。印象深い内容になっている。

  そこには、 「高校演劇というものをきちんと完璧に描いている作品です。素晴らしいです。しかし、舞台に立ったことを過去にできない人にとり、この映画は劇薬です。なぜなら、かつて味わった、あるいはその片鱗をかすかに知った、舞台に立つことの素晴らしさを綺麗に、美しく描ききっているからです」と指摘をしている。

 さらに裏切っていく吉岡先生の選択は「役者として正しい。この選択がなければ役者にはなれない」として、「一瞬の舞台が本当にきらめいて、どんな苦労にだって代えてもいいから、舞台にたちたいと思ってしまう。その美しさを知ったら、もう逃げられない」と舞台への復帰を選択した吉岡先生の気持ちを代弁している。そして「たくさんの人が、自分を表現することを楽しめる。そんな時代がきたらいい」と結んでいる。

 私もまったくこの感想と同感なのだ。記載者は高校演劇を経験してきた人だと思える。

Yjimagepyvxjs3b_2  原作の「幕が上がる」の中で、著者の平田オリザは吉岡先生を通して演出家を目指すさおりに、こう記述している。

  「最近出てきた新しい仕事で、ドラマターグという職種もあります。制作的な視点を持ちながら、劇作家や演出家にアドバイスをしたり、資料を揃えたりして、演出の補佐をしていくような仕事です。幸い、そういうことを学べる大学もいくつか出てきました。普通の大学の文学部に入って、現場でそれを学ぶ道もあります。そういうことを学んでおけば、プロの演出家になれなくても、たとえば故郷に帰って、公共ホールとかで働く可能性も開けます」と、その道への計画のアドバイスをしている。

   「好きだからやる」のでは世の中、そう、うまく生きていくわけにはいかない。感情や偶然に流されず、冷静に計算することだ。吉岡先生の計算された演技指導とダブる。ただこの本を読んで、高校演劇から上に進む道は広がってきていると思えてきた。高校演劇をしている人には是非読んで欲しい本だ。

  また平田オリザは自著「演劇のことば」(岩波書店)の中で、「東京芸大には音楽・美術があっても演劇科はない。公教育に演劇科がないことは、音楽や美術の分野でのプロを志し、志半ばでそれをあきらめても、教師になるという選択が残されている。しかし、演劇にはない」ことを指摘し、そこから「演劇を志し、それを続けることは、一種の大きな冒険であり、冒険であるからには、必ずそこにヒロイズム、自己陶酔がつきまとう。だから演劇は熱くなる」と選択の幅が少ないことを記述している。同書には明治以降、日本の近代演劇が歩んできた歴史を見つめながら演劇の持つ特異性を指摘している。吉岡先生の選択を、映画「幕が上がる」中でその一端を描いているのではないかと思えた。

Sub_b_large1_2  最近の地方自治体では、文化が地域を豊かにするとして公益法人文化芸術団体を設立して、文化芸術への力を注ぎ始めている。演劇・音楽に精通した人をアドバイザイザーにして、市民会館・美術館・博物館等を拠点として文化芸術団体が企画運営を行ない、文化の推進に務めてきている。文化会館などの運営公演には舞台プロデュサー、演出家など地方から求められてきているのだ。

  地域で活動している合唱団、朗読会、ミニ楽団、むかし語りなどの公演開催をしていくうえで、出演者の自己満足・自己充足の世界から、観客に感動を与え、ともに感動を共有する空間を創るということが求められている。そのためには広告宣伝、舞台制作から演技技能をも高めるシステム作りの構築が急務になってきていると思える。 

   映画の中で吉岡先生は問いかける。「あなたの人生を狂わせることになるかもしれない。それでも芝居をやっていきたい?」と…。その先に待っていたものは、何もかも失う世界だった。――でも後悔はしていない。その後、ちゃんと人生を歩んできた自分がいると応える。でも、…ちょっと悔しいなぁ。やり残したことがあった筈だ。何だかこの映画を観て、忘れていた頃の年代を思い出してきた。やばいかな。何が? ――また突き進むこと。

                                   《夢野銀次》

≪参考引用資料≫

平田オリザ著「幕が上がる」(講談社・2012年11月発行)/平田オリザ著「演劇のことば」(岩波書店・2004年11月発行)

|

« 収穫の10月―里芋・落花生の天日干し | トップページ | 春画展ー永青文庫に行く »

映画・テレビ」カテゴリの記事

映画・演劇・舞台」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1233525/62384970

この記事へのトラックバック一覧です: 演劇の持つ楽しさと怖さ―映画「幕が上がる」:

« 収穫の10月―里芋・落花生の天日干し | トップページ | 春画展ー永青文庫に行く »