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2016年3月

春を感じる―杏・ユキヤナギ・レンギョウと作新学院の江川投手

053   杏の花言葉は「乙女のはにかみ」と言う。サクラより一足早く、はにかむように咲くことに由来するからだという。

 サクラのつぼみが大きくなっている。その前に桃色したアンズの花が咲いた。近くの農家の婆さまが「何の花だい?桃の木かい?」と声をかけてきた。「これがアンズの花かい。綺麗だやな」とつぶやいて行った。

 春3月。三寒四温。季節の変わり目。それでも日ごとに陽射しが暖かくなってきている。杏の花もしっかり咲いてきている。

058  小さい白い花を咲かせる「ユキヤナギ」。年々枝は大きく成長していく。

 雪色の白い花が枝全体に咲き誇る。その枝振りには誇りを表わし、力強さを感じてくる。

 黄色の花が咲き始めたレンギョウ。

 枝を埋め尽くすように咲く庭木だ。これからもっと咲いてくる。

045  「大阪の春は大相撲と選抜高校野から始まる」と言われている春3月。

   昭和48年(1973)、3月の甲子園球場。

 怪物と言われた作新学院高校の江川卓投手が初めて登場した選抜高校野球大会。私はテレビで対大阪の北陽高校との一戦を見ていた。

Yjimage2_6 ゆったりしたフォームから投げ下ろす投球。早い。奪った三振が19。バットに当たらない。ファールでもどよめくスタンド。凄い。評判通りのピッチャーだとその時実感した。そして郷里の栃木県を思い浮かべた。

  その年の9月に25歳を迎える私は何もしない日々を送っていた。前の年の10月に芝居公演がとん挫した。そのしがらみを引きずっての怠惰な生活であった。

 何人かの学友がアルバイトを紹介してくれて、日々食いつないでいた。

 甲子園で投げる江川の投球を見ながら、「このままじゃいけない。けじめをつけて働かないといけない」と思った。幸い5月に友人が紹介してくれた団体に職員として採用され、社会人としての生活を始めることができた。以後定年退職まで団体職員として36年間勤め上げた。「まず、めしを食べる」ということから生活が始まり、現在の「生涯学習」としての日々を迎えることができている。

Yjimage5 「父ちゃんが西川田へ江川を観に行ったヨ」と電話口で母が私に話してくれた。東武宇都宮線西川田駅から栃木県営球場まで年寄には長い距離でもある。「休み休み行ったんだと」と暑い炎天下、父は栃木県高校野球の県大会の試合で投げる江川を観に行った。老いて、何もしなくなった親父を駆り立ててくれた江川。何故かうれしくなり、作新学院の江川投手に感謝したことを憶えている。

  職場が大泉学園の時、私は池袋駅経由で後楽園球場に江川が投げる試合をよく観に行った。「江川が投げる日には残業をしない」と周りからも揶揄されもした。
  あの3月の選抜高校野球で投げる作新学院の江川。43年前の甲子園で投げる江川投手の姿が、私の人生の分岐点の一つであったと思っている。

037_3   青い空に桃色した杏の花が咲きほこる。

 昨年はたくさんの枝をきったため、花はあまり咲かなかった。今年は咲いた。

 ――風が吹けば花は散る。

 6月には杏の実が成る。

 しかし、鳥が止まり、口ばしで花びらをつついている。虫を捕っているのか、花びらが散っていってしまうのだ。

 それでも杏の実はなっていくと確信している。

 

                                          《夢野銀次》

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栃木市文化芸術館・文学館基本構想から思うこと

002_2_2  巴波川に架かる常盤橋から運河沿いに旧栃木市役所別館、栃木中央小学校に続く道がある。私の最も好きな栃木の町並みの景観だ。県庁掘りとそこから巴波川に流れる漕渠(そうきょ)・運河は栃木市民として誇れる史跡でもあるからだ。

  栃木市では、平成28年度の予算として鈴木俊美市長の公約である文化芸術館(仮称)と文学資料館(仮称)の整備費用として5800万円、旧栃木第一小学校を活用する地域交流センター(仮称)の整備費2400万円、嘉右衛門町伝建地区の拠点整備費2700万円を計上して本格的な文化芸術のまちづくりが開始されることになってきた。

  平成28年2月に栃木市は「栃木市文化芸術館・文学館基本構想」を発表し、パブリックコメントの募集を行なった。この基本構想では、文化芸術館を旧栃木市役所建物跡地に新たに建設する。隣接する別館は大正時代の建物景観を活かした文学資料館にする。県庁堀り南の向い側の旧第一小学校は地域交流センターとして活用し、敷地の東側に保育所を建設する。明治5年から明治17年まであった栃木県庁舎。その県庁舎を城郭堀のように囲む県庁堀りは今も史跡として残っている。この史跡県庁堀の景観を活かした建設構想になっているのがうれしく思う。

004  今回の基本構想の文化施設は「文化芸術を親しむ機会の増加と充実、および資料等の調査研究の拠点」として位置づけされている。とちぎの歴史・文化・芸術を、みんなで楽しみ・広め・創る拠点と合言葉として、「わたしが光り みんなで輝く文化の息づくまちづくり」を理念にしている。

  私は、「光り輝く文化の息づくまち栃木」と思うようにしている。

  そして基本構想には5つの役割と6つの機能が明記されている。5つの役割としては、A.市ゆかりの文化歴史資料や芸術作品を収集・保存・活用し受け継ぐ。B.魅力あふれる芸術作品や貴重な文化歴史資料を鑑賞できる多彩な展覧会の実施。C.ふるさとへの愛着と誇りを育む機会の充実。D.市民自らが参加・参画し、活動・交流できる機会の提供。E.歴史や文化芸術により賑わいの創出や交流人口の増加を図る蔵の街の観光拠点を担うことが記されている。これらの役割の担うための6つの機能が追記されている。6つの機能とは、博物館法の定める基本機能である①収集・保存、②調査・研究、③展示、④教育普及機能に、⑤交流、⑥情報の受発信機能の2点を加えている。博物館登録を行ない、調査研究機関を設置していくことなど、これまでにない文化芸術に対する思いを伺うことができる。

009 課題は出来上がった施設の運営面にあると思う。現在の文化施設である文化会館と図書館は指定管理会社によって維持運営されている。維持管理、経費削減が先行され、肝心の企画運営にどれだけ力点が置かれているか疑問がある。

 栃木県下の宇都宮・足利・鹿沼・佐野市においては文化会館・美術館運営については公益法人文化芸術振興団体を設置し、市民等が加わり運営されていると聞く。また文化芸術団体の年間事業報告・計画と決算・予算がネットで一般公開され、誰もが閲覧できるようになっている。

014  指定管理下の文化会館では報告も計画も一部の市民にしか明らかにされていないのが現状である。また、26年公益財団法人うつのみや文化創造財団が行なった宇都宮市文化館での企画事業が38事業、入場者が延べ72,378人に対して、指定管理会社が行なった栃木市文化会館での自主事業が14事業、延べ2,412人の入場者になっており、宇都宮市と大きな開きがある。簡単に比較はできないながらも企画運営への温度差が違うのではないかと思える。

  文化施設は行政の財産ではなく、市民共有の文化施設であることを今一度思い直していく必要があると思える。

  基本構想では施設の運営についてはこれから検討していくこととしているが、市民主体の運営であることを明記する必要がある。そうでなければ、従来から言われる「ハコモノ行政」として市民から「もったいない」「将来に借金を残すな」「介護、社会保障に予算を使え」と言われ、計画がとん挫する危険をも内包している。市当局においては、文化芸術が活き活きした町をつくることや文化活動のもつ意義、役割などを市民に理解を求めていく働きかけがもっと必要でないかと思えてくる。

025  昨年の11月に栃木第三小学校4年生による「子どもたちによる例幣使行列」が栃木市嘉右衛門町の例幣使街道で行なわれた。

 嘉右衛門町は平成24年(2012)7月に国の重要伝統的建造物保存地区に選定され、建造物の修繕保存作業が進められている。今回の市の予算で拠点施設整備費用として2700万円計上されている。歴史資産としての活かす工夫が始まるものと伺える。

  嘉右衛門町に訪れる観光客や一般市民がどのくらいいるのか分からない。しかし、賑わいのない町並みの印象を受けてしまっているのだ。

 歴史資産として嘉右衛門町一帯を活かすには、この一帯をミュージアムにして、保存・調査と展示活動を進めていく施策が必要だと思える。運営主体は前記の文化芸術団体が地域の人を加えて行う。そして中心となるイベント会場を設置し、伝統芸能等の発表を行うなど、多くの来訪者を迎える企画運営が必要であるのではないかと思う。

  少子高齢化・人口減少の時代だからこそ、自ら学び、知識情報を得、人との交流、感動を共有する空間・文化施設が求められている。今回の基本構想に生涯学習センターとしての要素を含めて、魅力あるまちづくりを目指して計画を推し進めていって欲しいと願う。

≪参考資料≫

 「(仮称)栃木市文化芸術館・文学館基本構想素案」(栃木市・栃木市教育委員会/平成28年2月発表)     

                                    《夢野銀次》

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