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春を感じる―杏・ユキヤナギ・レンギョウと作新学院の江川投手

053   杏の花言葉は「乙女のはにかみ」と言う。サクラより一足早く、はにかむように咲くことに由来するからだという。

 サクラのつぼみが大きくなっている。その前に桃色したアンズの花が咲いた。近くの農家の婆さまが「何の花だい?桃の木かい?」と声をかけてきた。「これがアンズの花かい。綺麗だやな」とつぶやいて行った。

 春3月。三寒四温。季節の変わり目。それでも日ごとに陽射しが暖かくなってきている。杏の花もしっかり咲いてきている。

058  小さい白い花を咲かせる「ユキヤナギ」。年々枝は大きく成長していく。

 雪色の白い花が枝全体に咲き誇る。その枝振りには誇りを表わし、力強さを感じてくる。

 黄色の花が咲き始めたレンギョウ。

 枝を埋め尽くすように咲く庭木だ。これからもっと咲いてくる。

045  「大阪の春は大相撲と選抜高校野から始まる」と言われている春3月。

   昭和48年(1973)、3月の甲子園球場。

 怪物と言われた作新学院高校の江川卓投手が初めて登場した選抜高校野球大会。私はテレビで対大阪の北陽高校との一戦を見ていた。

Yjimage2_6 ゆったりしたフォームから投げ下ろす投球。早い。奪った三振が19。バットに当たらない。ファールでもどよめくスタンド。凄い。評判通りのピッチャーだとその時実感した。そして郷里の栃木県を思い浮かべた。

  その年の9月に25歳を迎える私は何もしない日々を送っていた。前の年の10月に芝居公演がとん挫した。そのしがらみを引きずっての怠惰な生活であった。

 何人かの学友がアルバイトを紹介してくれて、日々食いつないでいた。

 甲子園で投げる江川の投球を見ながら、「このままじゃいけない。けじめをつけて働かないといけない」と思った。幸い5月に友人が紹介してくれた団体に職員として採用され、社会人としての生活を始めることができた。以後定年退職まで団体職員として36年間勤め上げた。「まず、めしを食べる」ということから生活が始まり、現在の「生涯学習」としての日々を迎えることができている。

Yjimage5 「父ちゃんが西川田へ江川を観に行ったヨ」と電話口で母が私に話してくれた。東武宇都宮線西川田駅から栃木県営球場まで年寄には長い距離でもある。「休み休み行ったんだと」と暑い炎天下、父は栃木県高校野球の県大会の試合で投げる江川を観に行った。老いて、何もしなくなった親父を駆り立ててくれた江川。何故かうれしくなり、作新学院の江川投手に感謝したことを憶えている。

  職場が大泉学園の時、私は池袋駅経由で後楽園球場に江川が投げる試合をよく観に行った。「江川が投げる日には残業をしない」と周りからも揶揄されもした。
  あの3月の選抜高校野球で投げる作新学院の江川。43年前の甲子園で投げる江川投手の姿が、私の人生の分岐点の一つであったと思っている。

037_3   青い空に桃色した杏の花が咲きほこる。

 昨年はたくさんの枝をきったため、花はあまり咲かなかった。今年は咲いた。

 ――風が吹けば花は散る。

 6月には杏の実が成る。

 しかし、鳥が止まり、口ばしで花びらをつついている。虫を捕っているのか、花びらが散っていってしまうのだ。

 それでも杏の実はなっていくと確信している。

 

                                          《夢野銀次》

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コメント

銀次さま
合戦場に住んでいます漆原と申します。
首切り場について調査していたら銀次さまのブログにたどり着きました。
一度お話をお伺いしたいのですが
可能でしょうか?

投稿: 漆原 | 2016年4月 3日 (日) 08時03分

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