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遠ざかる列車への想い―「北の国から」・「北国の街」から

656c0b7es1  富良野駅前、蛍(中島朋子)がショッピングハウスの窓から見つめていることに気が付く勇次(緒方直人)。蛍、ソッと店を出て駅舎の壁際にあるベンチに小さな包みを置く。蛍の置いた包をとった勇次は代わりに手紙を置いて、見送りの親族に押されるように駅舎に入る。置かれた手紙をとる蛍。長淵剛の「乾杯」の歌が流れ始まる。

  ~かたい絆に思いをよせ 語りつくせぬ青春の日々 時には傷つき時には喜び 肩をたたき合ったあの日 あれからどれだけたったのだろう 沈む夕陽をいくつ数えたろう 故郷の友は今でも君の心の中にいますか~(「乾杯」長淵剛歌・作詞・作曲)

Cap4361  ホームから待合室の蛍を見つける勇次。蛍、口の動きで「ガ、ン、バ、ッ、テ」。応えるように勇次も「ワ、カ、ッ、タ」。列車に乗る勇次。走りだす列車。蛍、駅舎から出て、線路際を全力で走りだす。列車の窓から手を振る勇次。けん命に列車を追いかけ走る。走る蛍の躰から熱い熱情が噴き出し、伝わってくる。

 ~乾杯!今君は人生の 大きな大きな舞台に立ち 遥か長い道のりを歩き始めた 君に幸あれ!~

 遠ざかる列車の尾灯。蛍の赤いマフラーが白い雪の中におちている(「北の国から‘89帰郷」シーンより)。

Pdvd_0561  旭川の看護学校へ通学する蛍は富良野発始発列車の車内で、予備校生和久井勇次と出会い、愛を育む。しかし、勇次は東京の予備校へ行くために富良野を離れることになる。富良野駅の蛍と勇次の別れのシーンは走る列車と蛍の走る速さが交差し、去っていく列車の跡に残る赤いマフラーと白い雪とが鮮やかなコントラスをなしている。

  北海道の厳しい大自然の中で培ってきた蛍の走る姿は力強く画面に映し出されてくるシーンでもある。人の出会いと別れ。通学列車での出会いは、やがて訪れる別れることの苦しさや悲しさを知ることになる。それでも、若い二人には出会いの喜びを共有、かみしめることができる。二人で過ごした時間への想いなのか、遠ざかる列車を見つめる蛍の表情は行くことのできない娘の表情になっている。青春の香りのする別れのシーンとして印象深い。

 倉本總脚本によるテレビドラマ「北の国から」は、昭和57年(1981)10月から翌年の昭和58年(1982)3月までの24回に渡る連続ドラマを経て、「‘83冬」、「‘84夏」、「‘87初恋」、「‘89帰郷」、「‘92巣立ち」、「‘95秘密」、「‘98時代」、「2002遺言」と、平成14年(2002)までドラマスペシャルとして放映された。21年間続いたテレビ放映のためか、純(吉岡秀隆)と蛍(中島朋子)の幼いころの子ども時代から成人した姿までを見ることのできる作品になっている。さだまさし作曲のテーマ曲をバックに北海道の大自然が浮かび上がってくる。史上まれにみる超大作のテレビドラマに成長した作品だといえる。

Sdsc080511_2 通学列車での出会いと別れを描いた映画に舟木一夫主演の「北国の街」がある。「北の国から」の勇次と蛍の世界と類似している。昭和40年(1965)3月公開の日活映画で監督は柳瀬観。脚本が意外にも倉本總であることが最近になって知った。

  ~名残りが燃える心が残る ふたりで帰るアカシアの道 今夜だけでもそばにいて 眺めていたいひとつ星 僕たちだけの喜びが住む 北国の街~(「北国の街」歌舟木一夫、作詞丘灯至夫、作曲山路進一) 

  主題歌はよく聴いてきたが、映画を観たのかどうか曖昧だったため、DVDを借りて観てみた。舟木一夫の甘い歌声と雪の中を走る蒸気機関車を数多く撮っている作品という印象だった。あわせて原作の冨島健夫著「雪の記憶」(昭和36年発行)をも読んでみた。

  通学列車の中でお互いに意識し合う高校に通学する二人。小島海彦(舟木一夫)と志野雪子(和泉雅子)。意識していた二人は遅延した混み合う列車のデッキでの飛ばされた帽子をきっかけに交際が始まる。映画では雪子は東京の大学に進むことになるが、海彦は父親の病気のため進学をあきらめ、機織り職人を目指すことになる。

014_3  映画のラストシーンは、海彦が東京に行く雪子を乗せて走る蒸気機関列車を追走し、線路上で見送る所で終わっている。雪原の中に取り残されたように立ちつくす海彦。「北の国から‘89帰郷」の勇次と蛍の別れのシーンが被さってくる。しかし、映画「北国の街」では「余命6年であることを知っている雪子が東京の大学に入学、上京していくのだろうか?」と疑問が湧き、映画の結末の別れが不自然に映ってきた。

 東京行きを雪子に促す海彦は「僕たちは若すぎる。これから多くのことを知るために君は東京の大学にいくべきだ」と言う台詞は解せない。雪子の病気のことを海彦は知らなかったにしても、東京の大学に行く必要性は感じられなかった。

  原作「雪の記憶」では、雪子をめぐることが原因で不良学生同士の争いが死者までだす大掛かりな喧嘩になる。雪子の躰を求める海彦との諍いがありながらも二人は通学していくことで終わっている。

  「撮影中に最初と最後のシーン以外は脚本を変更しました。脚本は不良学生との喧嘩を軸に書かれてあったのでね」と監督の柳瀬観が「舟木一夫青春歌謡映画」としてネット上で発言している。監督と脚本との落差が大きかったことが推察できる。倉本總はこの映画について何か発言をしていないか、探していきたいと思っている。舟木一夫主演映画ということで、雪景色と蒸気機関車の映像をバックに若い男女の交際を描けばよいとした映画だったのだろうか。

E69585e983b7e381afe7b791e381aae38_3 同じ原作「雪の記憶」で、「北国の街」から4年前に公開された昭和36年(1961)のニュー東映作品「故郷は緑なりき」(監督村山新治、脚本楠田芳子)がある。この映画でも通学する列車で二人は出会い交際するが、東京の大学に進んだ海彦は帰郷した際に雪子が病死したことを知る筋立になっている。

  私が中学一年の時に見たモノクロ作品だが、佐久間良子のセーラー服姿に強い印象を受けた映画だったと記憶している。もう一度観たい映画だが、DVDになっていないのが残念。

  映画の中で鮮明に残っているのは、海彦(水木襄)とのラブシーンだ。セーラー服の雪子(佐久間良子)を押し倒し口づけをしながらスカートのフックをはずそうとする。それをいやいやして、海彦の家から雪の中に駆け去っていく。拒否する時の佐久間良子の苦しい表情が印象に残っている。この映画の影響なのか、以後セーラー服には性としての強いあこがれを抱くようになった。

C880de321_2  西武池袋線で通学していた佐久間良子は、沿線では綺麗な女子高校生と有名になっていたことから東映にスカウトされたと「文藝春秋2月号」に本人が記述している。セーラー服の似合う女子高生の佐久間良子。もう一度観たい映画だ。

 後年、官能小説家として名をなした著者冨島健夫の初期の作品「雪の記憶」。「性の問題を回避して青春文学は成立しない」と主張していただけの描写が、映画同様に二人のラブシーンを緻密に書いてあり、新鮮な驚きを感じた。同氏の原作で映画化された作品として「明日への握手」(映画名「高校三年生」)、「おさな妻」等がある。十代の性への問題を正面から扱った作家として見落としてはならない作家だと思えてくる。

K141_2_2   「北の国から」の中には列車との別れのシーンが盛り込まれている。最後の別れにきた母親、令子(いしだあゆみ)が東京に帰る列車を空知川から見送る少女の蛍の走るシーンがいい。

 シナリオでこう記されている。

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  「川のむこうをけん命に走っている少女の姿。――蛍。令子、狂ったように窓あけ外へ手をふる。(口の中で)蛍――。蛍、走っている。もうぜんと列車を追い、けん命に走る。列車の窓から見える遠ざかる蛍の姿。とうとうと流れる空知川。去っていく列車をあきらめ、つっ立っている蛍に後ろから肩を叩く草太。目に涙をためている」(「北の国から第17回」より)。

   母親との別れとして空知川に蛍をつれてきた草太(岩城滉一)。純と蛍に慕われる草太兄ちゃんの優しさが表れてくるシーンでもある。去っていく列車を空知川をはさんで追いかけてけん命に走る少女、蛍の姿は富良野駅での勇次への別れのシーンにダブっていく。

Yjimagee0rzjgoy  「北の国から」の最終回になっている「2002遺言」の中で富良野駅の別れのシーンが出てくる。音信不通であった正吉のもとに快をつれて蛍が栃木へ旅立つ。見送る五郎(田中邦衛)、純(吉岡秀隆)、結(内田有紀)、雪子(竹下順子)一行。蛍と孫の快との別れを悲しむ父、五郎の姿とその姿を受けとめる息子、純の心境が描かれている。

   このシーンをシナリオでは、「蛍、快を抱きデッキに乗る。(列車の)扉閉まる。ベルが止まり――発車。窓の中から手をふる蛍と快。見送って手をふる純、結、雪子。五郎、ペタリと(列車の)ガラスに手をつけたまま、オイオイ泣いて、(走りだした列車と一緒に)走りだす。駅員、笛を吹き、危ない危ないと静止する。その手をふりほどいて列車を追う五郎。駅員をはねのけ、帽子をとばして列車を猛然と追う。二人の駅員が五郎を追う。ホームから線路に下りる五郎、そのまま線路上を必死に追いかける。追いかけてきた駅員に掴まれて雪の中に倒れ込む」

   純の語りが流れる。「恥ずかしいぐらい父さんは泣き、恥ずかしいぐらい父さんは走った。(父さーん)。でも僕はその父さんに感動していた。父さん、あなたはすてきです。あなたのそういうみっともないところを昔の僕なら軽蔑したでしょう。でも、今僕はすてきだと思います。人の目も何も一切気にせず、ただひたむきに家族を愛すること。思えば父さんのそういう生き方が、ぼくや蛍をここまで育ててくれたンだと思います。そのことにぼくは今ごろようやく、少しだけ気づきはじめたンです。父さんあなたは――すてきです」(「北の国から2002遺言」から)。

 遠ざかる列車を見送る父親の号泣する姿は家族への想いとして純は受け止めていく場面になっている。五木寛之は著書「情の力」の中で、涙と笑いは一体であると記し、「日本の文化の中で泣くべき時にきちんと泣く、泣くべきでないときは歯を食いしばって泣かないというモラルがつくらてきた。泣くこともできないような乾いたこころで、本当に腹の底から笑えるのか。大地に身を投げ出して地面を拳で叩きながら号泣するという泣き方を一度でもしたことがあるのか。深く泣くことのできる人だけが、本当に笑うことも知っている」と記している。

  遠ざかる列車に号泣する五郎の姿は五木寛之の言う、情(こころ)の世界が描かれてあると思えてくる。それは「北の国から」ドラマ全編にも言える。「泣くこと」「笑うこと」等、忘れていた人の情(こころ)の世界が随所に盛り込まれたドラマになっていることに気が付く。

10_101_6  「2002遺言」のラストはこれまでの出演した俳優名をアイウエオ順に流しているのがドラマの特色を表していると思えた。富良野市麓郷で黒板家の五郎や純、蛍、叔母の順子(竹下順子)と接する地域の人々との交流を描いているのがドラマの幅をもたらしている。

  中ちゃんこと中森和夫(地井武男)と妻のみずえ(清水まゆみ)。北村清吉(大滝秀治)と妻の正子(今井和子)、息子の草太(岩城滉一)。蛍の夫になる正吉(中澤佳仁)と母親のみどり(林美智子)、祖父の杵次(大友柳太郎)。つらら(熊谷美由紀)と兄の辰巳(塔崎健二)、涼子先生(原田美枝子)、クマさん(南雲佑介)など地域住民として数多くの出演者が登場している。

  開拓者としての村の過酷な歴史や東京と地方との対比を織り交ぜながら、出演者は大自然の厳しさとそこに暮らす生活する喜びを滲ませている。五郎の「捨てた家」の建設は喪われた物を蘇えらせていく姿として現している。遠ざかる列車から出会いが始まる生活を求めて生きていく人々がいることを作者、倉本總は描いてきていると思える。「北の国から」は人々の温かさが底辺に流れているドラマとして成っている。大事にしていきたい作品だ。

                                          《夢野銀次》

≪参考引用資料本≫
倉本總著「北の国から後編」(1987年5月、理論社発行)/「北の国から‘89帰郷」(1989年3月、理論社発行)/「北の国から2002遺言」(2002年8月、理論社発行)/冨島健夫著「雪の記憶」(昭和36年6月、角川書店発行)/五木寛之著「情の力」(2002年11月、講談社発行) 

 

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