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生きていく姿が光り輝くー映画「キューポラのある街」から

自分の進路ー「学ぶこと」とは

201607241539501~苦しい時には見つめてみよう 仕事に疲れた手のひらを

~一人だけが苦しいんじゃない みんなみんな苦しんでる

~話してみようよ語り合おうよ 積もり積もった胸のうちを

(「手のひらの唄」昭和31年作、詞:伊黒昭文・曲:寺原伸夫・昭和39年に坂本九がレコード化)

 トランジスター工場内を案内説明した女工(吉行和子)は食堂でジュン(吉永小百合)に、「働いて勉強するってね、(定時制高校)面白いわよ。学校にいろんな人が集まるでしょう。だからみんなで助け合うのね」と、昼休み「手のひらの唄」を合唱する職場のコーラスの歌声が聴こえてくる。合唱する女工たちを見つめるジュン。 

 「♪悲しい時には見つめよう 汗にまみれた手のひらを」と歌いながら商店街を自転車で帰宅するジュン。そこには自分の進路(就職して定時制高校に通うこと)を決めたジュンの15歳の少女の明るい笑顔がある。

1387372523545223002261  昭和37年(1962)4月公開の吉永小百合主演の日活映画「キューポラのある街」をDVDで観る。

 監督はこの作品がデビユー作品となる浦山桐郎。原作は早船ちよ、脚本は浦山桐郎と師の今村昌平との共同執筆。ブルーリボン賞作品賞受賞作品。キネマ旬報ベストテン2位。主演の吉永小百合もブルーリボン賞主演女優賞などを受賞し、大きく飛躍するきっかけになった作品。浦山監督も、この作品で第3回日本映画監督協会新人賞を受賞した。

 中学3年の石黒ジュン(吉永小百合)は、鋳物工場の直立炉(キューポラ)が立ち並ぶ埼玉県川口市の鋳物職人の長女。高校進学を目指すジュンだが、職人気質の父・辰五郎(東野英次郎)が工場を解雇されたため、家計は火の車で、修学旅行に行くことも諦めていた。

Imgp31811  自力で高校の入学費用を貯めようと、パチンコ屋でアルバイトを始めるジュン。担任の原田先生(加藤武)の助力で修学旅行に行けることになった。

 しかし、ようやく 再就職した父親は、待遇不満で仕事をやめてしまった。絶望したジュンは女友達と遊び歩き、危うく不良少年たちに乱暴されかかる。

 ジュンや弟のタカユキ(市川好郎)が親しくいている級友の一家が北朝鮮に帰還することになり、そこでの一家の苦悩する姿や、貧しくとも力強く生きる人々との交流を通じて、ジュンは、就職、自立して働きながら定時制高校で学んでいくことに意義を見出していく(ウキベディア参照)。

03311   映画の冒頭、荒川の鉄橋を電車が大宮に向けて走るシーンにナレーションが重なる。

 「今や世界第1になったマンモス東京の北の端から荒川の鉄橋をわたるとすぐ埼玉県川口市につながる。河ひとつのことながら、我々はこの街の生活が東京と大きな違いを感じる。500を数える鋳物工場。キューポラという特色ある煙突。江戸の昔からここは鉄と火と汗によごれた鋳物職人の街なのである」と川口市内を見下ろしながらキューポラの見える荒川土手道を中学に通う生徒たちをバックにメインタイトル『キューポラの街』が映し出される。

 今村昌平とともに「幕末太陽伝」の助監督を務め、日活を退社していた川島雄三監督に浦山桐郎はどうしても試写を見せたく、探し当て見せることができた。見終わった川島雄三は、「俯瞰(ふかん)のカットが4つばかりありましたが、あれはいけない。みだりに人を俯瞰してはなりません」と語り、細かく演出について批評した(田山力哉著「夏草の道」より)。

P61300381  「俯瞰」とは上から人を見下ろすという意味がある。そのシーンが4つあると川島雄三は批評している。川口市街地を見下ろすシーンなのか?登場人物を見下ろしているシーンがどこなのか?…私にはわからない。

 この作品を観ながら、一つ一つの画面に真剣に向き合って撮っている監督以下スタッフ、出演者たちの厳しい姿勢、真剣さがひしひしと伝わってくるのを感じた。とりわけ、吉永小百合の目の鋭さと走る姿の足の太さが印象に残った。回りの環境やそこに生きる人々を見つめ、自分に負けないで生きようとする少女の表情が良い。

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  修学旅行にいかず、学校へも登校しなくなったジュンに担任の野田先生(加藤武)は、「勉強したって意味ないもの」と言ったジュンに、「生意気言うんじゃないよ。受験勉強だけが勉強だと思ったら大間違いだぜ。高校へ行けなくとも勉強はしなくちゃいかんのだ」と怒り、こう諭す。

 「いいかジュン。働いても、何やってもだな、そんな中から何かを掴んで理解して、付け焼刃でない自分の意見を持つ。そいつを積み重ねていくのが本当の勉強なんだ。定時制へ行ったっていいじゃないか。それも行けなきゃ通信教育受けたっていい。気持ちさえありゃ何処でどうやったって勉強できるんだ」と、仕事を通して学んでいくこと、生涯教育の本質を語る野田先生。早稲田大学を卒業後、文学座に入る前の一年間、大久保の中学校で英語教師をしていた加藤武ならではの語りに説得性を感じた。

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 授業の作文の中でジュンはこう綴る。

 「わたしには解らないことが多すぎる。第一に貧乏なものが高校へ行けないということ。今の日本では中学だけでは下積みのまま一生うだつが上がらないのが現実だ。下積みで貧乏でケンカしたり酒飲んだり、バクチを打ったり、気短かで気が小さく、その日暮しの考え方しかもっていない。みんな弱い人間だ。もともと弱い人間だから貧乏に落ち込んでしまうのだ。すると貧乏だから弱い人間になってしまうのか。わたしにはわからない」

 わたしが中学を卒業するときに担任の先生は、「いいか、同窓会は20年間開かないこと」と言った。どうして?そして…そうか。と頷いた。当時、50名いたクラスの中で半数が就職者であった。進学組とのギャップを埋めるには相当の年月が必要なのだと、その先生の言った言葉が今も残っている。

北朝帰還事業ー離散する家族

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 川口駅前で北朝鮮に帰る人たちへの歓送会が映し出される。ジュンとタカユキ姉弟は級友のヨシエ(鈴木光子)と弟のサンキチ(森坂秀樹)を見送りに来る。しかし、北鮮に共に行かぬ日本人母親(菅井きん)がサンキチに会いに来た時に、会うのをとめるヨシエらの姿をジュンは見つめる。そこにはつらい家族たちの姿が描かれている。

 1950年代から1984年にかけて在日朝鮮人とその家族による日本から北朝鮮への集団的は帰還事業が行われた。この時期、在日朝鮮人も生活に困窮する者も多かった。生活保護者の削減や犯罪の削減を背景として日本政府や政党などもこの帰還事業をすすめ、日本人妻2000人を含め、10万人近くが北朝鮮に帰還したといわれている。

 新潟行きの列車の中でサンキチは母親を恋しがり泣きじゃくる。在日朝鮮人の父親(浜村純)は、「母ちゃんと暫くいろ、そして来たくなったらいつでも来いよ、俺、働いて住みよくしとくから」と言って、大宮駅からサンキチを川口に帰す。しかし、母親は別の男と結婚し、すでにいなくなっていた。あれから50年の歳月がたっている。帰還した人たちはどうしているのか?

E2c578731   牛乳を盗んでいたタカユキとサンキチは牛乳配達少年に見つかる。小舟で逃げる二人に川ふちから、「馬鹿野郎、お袋が病気だからアルバイト(牛乳配達)やってんだぞ。畜生、お前らのお陰でよ、お前らのとった分だけ店からひかれて、俺ア一銭にもなんねえんだ。薬も買えねえ時だってあるんだぞ。馬鹿野郎!」と叫ぶ。タカユキが「銭払いやいいんだろう」と言い返すと、少年は「畜生!銭なんかで…恥ずかしくないのか、お前ら!」。

 ――ぐさりときてうなだれる二人。貧しくとも恥ずかしくないのかというセリフには人としての誇り、尊厳に突き刺さってくるシーンである。

 川口駅見送りの改札口でサンキチはタカユキに、「二人で飲んだ牛乳代、これで返してくれ」とお金を渡す。受け取ったタカユキも「辛いけど謝っておく」と言う。笑顔で見合わす二人に何故かホットしてくる気持ちになってくる。

「考える少女」から「頑張り続ける女優」

Cltqsevyaeuddw1 ジュンが職場見学から家に帰ってくると、ひさしぶりに笑いながら酒を克己(浜田光夫)と酌み交わす父親(東野英次郎)と母親(杉山徳子)がいた。父親が元の職場に復帰することが決まった祝いの酒であった。「これも組合のお陰なんだな。ジュン県立高校へ行けるぞ」と話す父親にジュンは働いて定時制高校に行くことを告げる。高校進学をすすめる父と母にジュンはこう言うのだ。

 「あたいは父ちゃんに頼らなくてもいいような生活をたてるつもりなの。これ(就職して定時制高校に行くこと)は家のためっていうんじゃなくて、自分のためなの。たとえ勉強する時間はすくなくても、働くことが別の意味の勉強になると思うの。いろんなこと、社会のことや何だとか。そしてその日暮しじゃなくて、何年でこうするという計画をたてて生活したいの」。

 これを聴いた克己は、「そうか、おばさん、偉えやジュンは、しかしお前よくそういうこと解ったもんだな、よっぽど考えたんだな」と感心する。ジュンは「いろいろな人が教えてくれたのよ、まわりの人みんながさ」と照れながら笑顔で話すジュン。

C100_33urayama1  監督浦山桐郎は吉永小百合をジュンの役に起用するという日活の方針にイメージに合わないとし、不満であった。そこで撮影に入る前に吉永小百合に会う。「貧乏というものについて考えてごらん」と突き放すように吉永小百合に言う。吉永家の生活を支えている16歳の吉永小百合にとり「貧乏」とは最も得意とするところであった。やがて撮影の中から吉永小百合の頑張る姿と演技にジュンの役柄を固めていった。

 この子(吉永小百合)の一番いい点は真面目に考えることであり、そこでジュンを考える少女という面でつくってみようと私は思ったからである。役に対する固定観念を俳優に押し付けないで、俳優の内部から出る本気の表情をもとにして役をつくって行く方法を確立していく(関川夏央著「昭和が明るかったころ」より)。

 以後、浦山桐郎は「非行少女」の和泉雅子、「青春の門」の大竹しのぶなど新人女優を掘り出していく監督として評価されるようになっていたが、54歳の若さで亡くなる。

190px1  実際の吉永小百合も石黒ジュンと同じ道筋を歩んできた。家計を支えるための女優業で高校を卒業することができなかった。そのため、20歳の時に早稲田大学の資格認定試験を受験、難関を合格して、昭和40年(1965)の3月に早稲田大学第二文学部史学科を受験し、合格する。多忙な俳優業をこなしながら大学に通い学んでいく。そして、昭和44年(1969)3月に卒業する。卒論は「アイスキュロス❝縛られたプロメテウス❞とアテナイ民主政についての一考察」であったという。

 仕事をしながら学んでいこうとする石黒ジュンの姿勢は、そのまま「吉永小百合」としての「考える少女」から「頑張る女優」になっていく姿に重なってくる。浦山監督が見通した通りの女優を今日まで持ち続けているといえる。

Hqdefault2  サンキチが北鮮に向かう朝、ジュンとタカユキは川口の陸橋からサンキチの乗る列車を見送る。就職試験に向かうジュンと新聞配達をするタカユキ。二人が川口の陸橋を走るところで映画は終わる。 

 その時代を必死に生きていく姿を描いた映画は色褪せることなく、時代を超えて私に訴えてくるものがあると教えてくれた映画だ。

 昭和30年代頃から活躍した女優が姿を消していく中で、吉永小百合だけがどうして現在も主演映画を撮り続けられるのか。「吉永小百合の映画は面白くない」「パッとしない」「人気を支えているのは団塊の世代のサユリストたちだ」など批評や意見も聞かれる。それでも主演映画を撮り続ける、その頑張りに凄さと本気で生きることを感じる。「北の桜守」の中でのトラック荷台でおむすびをほうばるシーンなど必死に生きる姿が描かれいる。いつまでも頑張って光り輝く女優であって欲しいと願う。

                         《夢野銀次》

≪参考資料本≫

田山力哉著「夏草の道 小説浦山桐郎」(1993年1月講談社発行)/関川夏央著「昭和が明るかった頃」(2002年11月文藝春秋発行)/シナリオ協会編「日本シナリオ大系4」(昭和49年5月マルヨンプロダクション発行)

 

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