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2021年3月

巴波川散歩Ⅳ…片柳河岸、船積問屋仁科屋の日光御用蔵

P3010001  令和3年の3月1日を迎えた。この日、多くの栃木県立高校の卒業式が行われている。朝から4月中旬なみの暖かさに誘われて栃木市蔵の街大通り倭町交差点を歩く。

 江戸時代創業の人形専門店「三桝屋」の前の地上機器(トランス)の上にはおひな様が飾られ、蔵の街大通りを彩っている。

 「いよいよ春を迎えるということなのだ。一日も早く『コロナ禍』の収束を願い、宿場町跡など歩きたい」とおひな様にお願いする。倭町交差点、イシハラ洋品店跡地に建つスターバックスの角を曲がり、幸来橋(こうらいばし)にむけて歩く。

P3010018  「橋の向こう側があの世、こっち側がこの世。橋はあの世とこの世の境の架け橋なのか」と思いながら、巴波川に架かる幸来橋(念佛橋)を渡る。

 橋から見える巴波川の右岸が片柳河岸。現在は湊町になっているが、旗本の相給地であった片柳村に河岸ができたことから片柳河岸と云われていた。

 左岸が塚田歴史伝説館の黒板塀が続く栃木河岸跡。西の木戸内、栃木町にあることから、片柳河岸の船積問屋との仲はどうであったのか、興味が湧いてくる。運上金などは栃木河岸の船積問屋が500文で片柳河岸船積問屋の250文を上回っていることから、栃木河岸の方が規模が大きかったことと思われる。

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 日光例幣使街道と巴波川水運が交差する栃木河岸は物資の集積地として賑わいをみせていた。安政元年(1854)の栃木河岸は沼和田河岸1軒を含めて12軒の船積問屋があった(栃木市史)。 

〇平柳河岸―山崎屋忠兵衛

〇栃木河岸―中島権左衛門・大 阪屋惣左衛門・新籾与五郎・釜屋長七・八百屋利右衛門・壺屋吉左衛門

〇片柳河岸―仁科屋利右衛門・巻島角兵衛・糸屋平吉・福田次郎右衛門

〇沼和田河岸―平兵衛

 栃木河岸からの江戸への荷物には、「日光御用荷物、江戸への廻米、大麻・じょうま・莚などの荒物、板貫、薪炭、杉皮、鍋山の石灰」があり、木材は巴波川にて筏を組み江戸に運び、竹筏や麻綱などは銚子方面へ送った。江戸や銚子などからの上り荷物では、「日光御用荷物、糠、粕、干鰯、塩、あい物、酒、酢、油、黒砂糖、畳俵、小間物などがあった(栃木市史より)」。また、江戸から栃木町への送り荷は日本橋小網町二丁目の蔦屋宇八「野州問屋」が得意先としていた(川名登「河岸」)。

P3010012  幸来橋を渡り、西へ50mほど進むと、左側にかつて船積問屋仁科屋の跡地であった処に雑穀店徳田商店の店舗と倉庫がある。

 現在は住宅店舗の建て替え工事のため、仮店舗を奥の倉庫にて営業を行なっている。以前、中の倉庫・土蔵を見せて欲しいとお願いしたところ、現在も使用中ということで断られたことを思い出した。

P2210032  徳田商店の脇道左には倉庫が一棟建っている。長さ15間(27m)はあると思える大きな土蔵である。片柳河岸・船積問屋仁科屋が使用していた土蔵である。この土蔵は日光神領御用荷物を独占して扱い、一時保管していたところから日光御用蔵と云われていた。

 地域文化専門の谷沢明愛知樹徳大学教授は、「栃木・河岸と宿場と問屋商人のまち」の中で、「日光東照宮の御厩祭りや千人行列には先導供奉として猿が出ていたが、この猿引きの頭(小出金太夫)が栃木に住んでいた。その猿引き頭は家康の霊柩を久能山から日光へ改葬するときも先導したといわれ、その株を仁科屋が引き継ぐとともに、仁科屋は日光神領の物資を扱うようになった。それらの物資を一時保管したのが日光御用蔵である」と記し、船積問屋の土蔵として紹介をしている。

 猿引き頭の小出金太夫は武田信玄の家臣であったが、武田家滅亡後、猿引き頭となり各地を流寓して栃木町に住むようになった。その小出金太夫が病気等の事情で東照宮祭礼に参加できない時、その一族の仁科利右衛門が小出金太夫と称して猿引き頭を務めた。仁科利右衛門も武田の家臣で、武田家滅亡後に栃木に居住し、片柳河岸にて船積問屋をしていた(目で見る栃木市史)。

Pc070033  旧店舗建物が解体され、日光御用蔵といわれている土蔵の前に2つの庭石を見ることができるようになった。「目で見る栃木市史」に、「日光御用蔵ゆかりの猿田彦大神と彫られた庭石が土蔵前にある」と記述されている庭石なのかと思い、そばまで行って見たが、彫り物は見当たらなかった。

 栃木市文化課に問い合わせたところ、担当者が徳田商店から「あの庭石には猿田彦大神という彫物はなく、観賞用の庭石」という答えがあっことの報告があり、猿田彦大神と彫られた庭石は元々なく、栃木市史が間違って記述しているのではないかと私に言ってきた。「本当に栃木市史は間違っているのか?」という疑問が生じた。

P3010008  仮店舗と書かれた看板シートから徳田商店敷地内に入る。外からは一棟に見えた土蔵は二棟繋がっている造りになっているのが分かった。

 仮店舗土蔵の中からご主人の徳田さんが現れた。私は「栃木の河岸で船積問屋の土蔵が残っているのは、この日光御用蔵と云われている徳田さんの処の土蔵だけで、大変貴重な土蔵だと思えるのです」と話すと、徳田さんは「この土蔵は仁科屋さんが建てた150年前の土蔵なのですよ」と徳田さんは親しみある言葉でお話をしてくれた。

 「仁科屋さん、確か大久保さんと言われましたが、通りに面した店先で小間物屋をしていましたね。その店先の2階には床の間のある部屋が4つほどありまして、その部屋の一つに住んでいました。私どもがこの土蔵を譲り受ける時には、土蔵の中にあった甲冑など処分していきました」と語ってくれた。

 明治40年発行の「栃木営業便覧」の地図の中には、「小間物袋材料造、仁科屋號、大久保岩雄」と記載されている通りの話になっている。また、床の間付の部屋が4部屋あったと語っている。川名登著「河岸」の中で、「倉庫業は河岸問屋本来の業務の他に問屋場に着く荷主・宰領も宿泊させる旅籠屋をかねる場合が多い」と記してある。仁科屋も荷主などを泊める旅籠をもかねた造りになっていたことが分かる。栃木宿には旅籠7軒と他の宿場より少なかった理由として、問屋に泊まったと云われているが、河岸問屋も旅籠をかねていたということになる。

P3010011_20210303054501  徳田さんは奥から「この史料しか、今はないのですよ」と言って私に見せたのは「弘化三年片柳上河岸絵図」であった。この絵図は、栃木市の歴史的な町並景観を造る資料として作成発行された「平成17年度観光資源保護調査、栃木の町並み景観」に載っている「弘化三年片柳上河岸絵図」の原本絵図になっている。資料本に載っていた地図は市役所担当者が原本絵図を分かりやすく整書した地図になっている。

P2100009  この絵図の上部には巴波川と念仏橋の概要が書かれ、巴波川沿いにある片柳河岸から船積問屋「久兵衛」と「利右衛門」と記載されてある。(仁科屋)利右衛門の店先は皆川街道に面しており、積荷物は右側の「河岸積道」という横道をつたわって巴波川片柳河岸まで運んでいたということになる。

 猿田彦大神の彫られた庭石について尋ねると、「今から30年前までありましたよ」と返事があった。「地図で河岸積道と書かれた横道の土蔵のそばに猿田彦大神と彫られた石が置いてありました。今は家が建てられて積道や石は無くなっていますけどね」と、猿田彦大神と彫られた庭石があったことを話してくれた。栃木市史は間違ってはいなかったことに何故かホッとした。また、市役所も安易に栃木市史が間違っているとは言わないでもらいたいと思った。

Pc070028  絵図に載っている土蔵が今も現役で使用されている。この「日光御用蔵」の歴史的な評価を栃木市はどうしてしないのだろうか?いずれ、文化課とお話をしていくことにする。

 土蔵前にある庭石の種類が知りたく、北海道に移住している元石屋さんにメールで問い合わせをした。返ってきたメールには、「赤茶色の石は俗に言う赤石といわれています。群馬県藤岡市の三波石と思われます。推測ですが、三波石の赤石の可能性があります」と返答をいただいた。

 赤石についてネット検索すると「赤は古くから朱(赤)は魔を払うと言われることから、赤石は縁起の良い石といわれ、家の玄関や床の間に家の守りとして飾られてきました。近年では産出がほとんどなく貴重な石になってます」と記載されていた。商家の庭先によく見かけれ赤石は家の守りとして貴重な石であることが分かった。

Pc070025  幸来橋から巴波川右岸を歩くと「吉屋信子、生誕110年記念碑」の案内板があり、奥の左側に「秋灯 机の上の 幾山河」と刻字された石碑がある。栃木女子高同窓会によって平成18年に建立されている。丁度、この横あたりが、仁科屋から河岸に通じている積道があった処ではないかと思えた。

 「片柳河岸」とは馴染みのない河岸の地名であった。ここに住んでいた従妹もここが「片柳河岸」ということを知らなかった。私も7年前の文化講座の案内で講師から「ここが片柳河岸です」ということを教えられ、初めて知ったほどだ。

 河岸は舟運の終焉と共に消え去っていく。河岸の足跡を訪ねるってことは、…鉄道線路の廃線風景と同じく哀感を誘う。しかし、川は淀みなく流れている。今も昔も。川岸には人家もある。そして、かつての河岸には痕跡も残されていない風景になっている。それでも150年前と同じ場所に建っている片柳河岸日光御用蔵を見て、船積問屋と河岸とが川岸積道を通じて繫がっていたことを実感することができた。…なんだか救われたような気分になってきた。

                     《夢野銀次》

≪参考引用資料本等≫

「栃木市史通史編」(昭和63年12月発行)/「目で見る栃木市史」(昭和53年3月発行)/谷沢明著「栃木・河岸と宿場と問屋商人のまち」(1986年1月、近畿日本ツーリスト発行『歩くみる聞く』に収録)/川名登著「河岸」(2007年8月法政大学出版局発行)/「栃木県営業便覧」(明治40年10月、全国営業便発行)/「平成17年度観光資源保護調査、栃木の町並み景観」(2006年3月、日本ナショナルトラスト東京発行)

 

 

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