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2021年10月

 令和3年10月―柿・我が家の猫・堂場舜一著「チェンジ」

100_0269  今年の10月も暑い日続いている。昨日(7日)は幾分涼しかったが、今日も30度近く暑い。地球温暖化というよりシナリオ作家の倉本聰が言うように「地球熱帯化」が進んでいるような気がする。

 ……今年も我が家の次郎柿に実がなった。去年より少しだけ多めに実が成っている。しかし、一昨年のように食べきれないほど柿の実はなっていないし、元気が感じられない。

 どうしてなのか?前々から気に病んでいた。

100_0287  夏樹静子の「検事霞夕子」を読んでいると、北海道釧路地検・帯広支部の庁舎から検事霞夕子が、「自宅(東京)の寺の庫裡の裏に一本ある柿の木がたわわに実をつけて、西陽に輝いているありさまが、キーボードを叩いている夕子の目に浮かぶ。小ぶりな実だがなかなか甘く、でも土の養分のせいでか一年おきにしか実らない。今年は収穫の年に当たっていたのだ」と、婿養子の住職の夫吉達から届いた柿と手紙に思いをよせる描写がでてきた。

 柿は一年おきに実をなすのか?この文章を読んで、一年置きに柿の木がたくさん実るのは我が家だけではないことを知り、少し安心した。

 元々、我が家の土地の土壌は良くないと思っている。菜園を耕すたびに小石を拾って10年過ごしてきた。それでも今年は柿の木や杏の木に肥料養分を与えて果実の収穫をしていきたいと思っている。

100_0277  5月の連休の時に植えた茄子。7月、8月とあまり実が成らず,お仕舞いにしようと思っていたら9月半ばを過ぎてから茄子に花が咲き始め実が成って来た。20cm下に元肥を施していたが、茄子の根が肥料成分を吸収しだして、それで実が成り始めたのか?

 去年も同じく9月半ば過ぎからたくさんの実が成りだしている。解らない。以前は7月、8月と毎日茄子を食べたような気がするのだが……?

100_0283  14歳半と高齢の猫になっている「銀太」。

 最近、夜中に唸るような泣き方をするようになった。動物病院の先生は「昼間寝ていて夜中にそういう泣き方をするならば認知症かもしれない」と仰ってくださった。

 ネットで検索すると「10歳以上の高齢猫は、聴力や視力が急激に老化したことによる不安感から、夜泣きをしてしまいがちです。特に認知症や痴呆症にかかっている猫は夜泣きをしやすく、その声は大きく唸るように響き渡るので、近所迷惑になることも。もし愛猫が深夜に一点を見つめながら泣き続けるときには、認知症や痴呆症の疑いがあります。早めに動物病院を受診するようにしましょう」と記載されていた。

 高齢の猫は認知症になること。それも目や耳の衰えから不安になり唸るような泣きをすることを初めて知った。今まで飼っていた猫のほとんどは9歳以下で亡くなっていたから高齢の猫については無知だった。幸い我が家と隣近所とは家屋が離れており夜中に泣いても近所迷惑にはならないということで気持ちは楽でもある。

 夜中に泣いている時は優しく抱き寄せて添い寝をする。薬で治療するか、獣医と相談していくことにする。加齢は私たち夫婦だけではないということなのだ。

100_0286  9歳半の雄猫の「ポンタ」は体重7.85キロと大きい猫だ。

 2か月前におでこから膿が出ていたので動物病院で診てもらった。切り傷だろうという診たてで化膿止め注射を打った。しかし、その後も膿が出る。昨日、動物病院で診てもらったが、切り傷ではなく、おでこの下が空洞になっていることが解った。口内炎からくるがん細胞が炎症をおこして鼻を伝わりおでこに感染している可能性がでてきたのかもしれない。しかし、はっきりとはまだ分からないと動物病院の先生は言った。とりあえず2週間効く化膿止め注射を打ち、2週間後再度化膿止め注射を打ち、がん検査依頼を行い治療を施していくということにした。

 私が膀胱がん,食道がん、下咽頭がんで経過観察中であるが、我が家の猫は歴代9歳の壁にぶち当たってきた。これを乗り越えてほしいと願う私だが、ポン太については成り行きにまかせて動物病院通いをしていくつもりでいる。

Photo_20211008162201  警察小説を数多く書いている堂場舜一の作品の中で、犯罪被害者の支援にあたる「警視庁犯罪被害者支援」のシリーズとして8作目が講談社文庫書下ろし文庫本として2021年8月に「チェンジ」という題名で発刊されている文庫本を読んだ。

 この小説の中で私が住んでいる栃木市がでてくるので一味違っておもしろく読んだ。自分が住んでいる栃木市の街並みをプロの作家がどういう風に描写しているのか、興味をもって読んだ。

 主人公の警視庁被害者支援課の村野秋生が病欠してる捜査二課の八島勝が実家にいる栃木市を尋ね,訊き

Pa2100511  「栃木県栃木市。JRと東武線が乗り入れるこの駅に、村野は昼過ぎに降り立った。栃木市は、市街地に古い蔵が多くあり、それが観光資源にもなっているようだ。駅の北口を出ると、高い建物はあまりなく、広々と空が開けている」。

 駅前の風景は確かにこの通りだ。つづいて八島を話し合う場所の巴波川沿いが次のように記されている。

Pc2500911  「古めかしいデザインの橋を渡ると、その先は遊歩道のようになっている。石畳の道路で、川沿いには柳の木と小さな灯籠。細い川を、遊覧船がゆっくり行くのが見える。こういう川が流れる街は風情があるものだ、と村野は感心した。一方で、急にリアリティのない世界に入りこんでしまった戸惑いを感じる。観光地というのはこういうものだろうが……川の反対側には普通に商店が立ち並んでいて、観光客らしき人たちがゆっくりと歩いている。しかし,『賑わっている』ほどの人出ではないので、川の方を向いて話していれば目立たなく、誰にも話しを聞かれないはずだ」。

 「幸来橋」から巴波川沿いの描写になっているが、風情ある街だとしながら賑わっていないと記すなど、堂場舜一は今の栃木の街を見つめて感覚的に描写をしている。さすがの眼力だと感心をした。

100_0281  10月中頃から11月にかけて「サツマイモ」と「サトイモ」の収穫を行う。

 あわせて、下咽頭がんのスコープでの検査と内視鏡による食道がんの検査が控えている。

 先月の9月17日に膀胱がんの3回目の再発で内視鏡による手術を受け、一週間入院した。その時、病室で「美空ひばりの第15回広島平和音楽祭」をYouTubeで観て感激した。退院後に「銀次のブログ」に「第15回広島平和音楽祭の美空ひばりのステージ」を描いた。一度ブログに描きたかった人だったのだ。

 9月1日に73歳を迎えた。歴史散策と現地学習、家庭菜園、栃木での日々のくらしを「銀次のブログ」に描きながらがんとむきあって生きていくつもりでいる。

                   《夢野銀次》

≪引用書籍本≫

夏樹静子著「検事霞夕子 風極の岬」(2004年4月新潮社発行)/堂場瞬一著「警視庁犯罪被害者支援課8 チェンジ」(2021年8月講談社文庫発行)

 

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美空ひばりの笑顔-広島平和音楽祭のステージ

Photo_20211001133301  「♪バカだな バカだな だまされちゃって 夜が冷たい 新宿の女~」(「新宿の女」石坂まさを作詞作曲)。

 YouTubeで美空ひばりが新宿コマ劇場で歌う「新宿の女」を観聴きすることができた。藤圭子の怨念のこもった突き放す歌ではなく、「だまされちゃって」と笑顔で歌うひばりの歌声の中から、「また騙されちゃったの。でも生きていくわよ」と歌う夜の新宿で生きる「強さを内包した優しく可愛いく包み込む大人の女」の姿が浮かびあがってきた。……優しい眼差しが印象的な画像になっている。

   この「ひばりの大人の優しさ」はどこから生まれてくるのだろうか?舞台から見える新宿コマ劇場に来てくれている観客に向けている笑顔だけだったのか…?

 

第1回広島平和音楽祭『一本の鉛筆』 

Photo_20211001133302   『戦争中、幼かった私はあの戦争の怖ろしさを忘れることはできません。これから二度とあの怖ろしい戦争が起らないよう、皆様と一緒に祈りたいと思います。いばらの道が続こうと平和のためにわれ歌う』と舞台から語りかけ、美空ひばりは『一本の鉛筆』の詞を朗読し、歌いだす。

  昭49年(1974)8月9日に「音楽で平和の心を呼び戻そう」という広島テレビ局企画で開催された第1回広島平和音楽祭(実行委員長古賀政男)。作詞松山善三、作曲佐藤勝による広島の原爆をモチーフにした歌『一本の鉛筆』。松山善三は、この「一本の鉛筆」を美空ひばりさんに歌ってほしいと要望した。

 このことを聞いたひばりは、「この曲を歌うことこそ今の私を生かす道なのだ」と考え、広島平和音楽祭への参加を自らの意志で決めた(新井恵美子著「美空ひばりふたたび」より)。

Photo_20211003053401    平成28年(2016)8月13日配信の朝日新聞ネットコラムに、一本の鉛筆についてこう記されている。「美空ひばりの数多い持ち歌の中でも一見異質な存在の歌だが、ひばりは自選の10曲の6番目に入れているなど大事な歌としていた」。

 この中で自選10曲と記されているが、…ひばり自選10曲とは何か?ネットで検索したが、そのことを表した資料は見当たらなかった。……気になる「ひばり自選10曲」でもある。しかし、何よりもひばりにとり特別な思いのある大事な歌であることには間違いがない。

 この「一本の鉛筆」をひばりの反戦歌であると指摘する人がいる。しかし、私にはひばりが語っているように「戦争が起らないよう平和への祈りの歌」「戦争は嫌だ」と素直に訴えている歌だと思えている。

1  第1回の広島平和音楽祭が開かれた昭和49年(1974)はひばりの歌手人生の転換期だったと言われている。昭和39年(1964)の「柔」、昭和41年(1966)の「悲しい酒」と続いたヒット曲が昭和42年(1967)の「真赤な太陽」を最後に途絶えていた。その一方で前座で歌っていた弟が恐喝などで繰り返し逮捕され、暴力団追放の動きが高まった。昭和48年(1973)ひばりのショーは公共施設の使用を拒否され、紅白歌合戦にも落選,マスコミによるバッシングが続いていた。

 さらには「広島平和音楽祭」に美空ひばりが参加することに、被爆者団体は「暴力団に関係あるひばりに平和の歌なぞ歌ってほしくない」と言いだした。しかし、古賀政男と松山善三は怒った。「この催しは世界に平和を訴える音楽祭である。出場する歌手はどこへ出しても恥ずかしくない実力の持ち主でなければならず、美空ひばりはその点、どうしても欠かせない歌手である」と古賀政男は主張した。歌の実力は暴力団云々とは無関係だと言った。松山善三は「一本の鉛筆だからこそ、平和の心を伝えることが出来るのだ。一本の鉛筆は鉄砲玉より強いのだ」と主張した。しかしそれでも収まらない被爆者団体に「ひばりを推薦したのは私だ。ひばりの平和への思いの強さを聞いてくれ。ひばりはノーギャラで歌うと言っているのだ」と言い放す古賀政男の説明でようやく団体は折れた(新井恵美子著「美空ひばりふたたび」より)。

 「♪あなたに 聞いてもらいたい あなたに読んでもらいたい あなたに歌ってもらいたい あなたに信じてもらいたい 一本の鉛筆があれば 私は あなたへの愛を書く 一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く~」とひばりにとって公共施設から締め出されて以来、一年半ぶりに公共施設の会場である広島県立体育館にて「一本の鉛筆」を熱唱をした。

  すでにこの時、美空ひばりは東映の専属契約の打ち切りにともない165本の映画出演から芝居と歌の舞台公演「舞台人」として活動していくという方向転換をしていた。そして、歌への思いから、この第一回広島音楽祭を機会に、NHKやマスコミなどとの対決姿勢を改めていくことになる。

Photo_20211001133406   昭和39年(1964)川口松太郎作「女の花道」を皮切りに新宿コマ、梅田コマ、名古屋御園座、明治座を中心に一か月歌と芝居の舞台公演としての活動を主軸に展開を始めていた。

  「(舞台女優として)水谷八重子、山田五十鈴、杉村春子らの大女優のあとを継げるのは、歌が終わって転身したときの美空ひばりしかいないと川口松太郎は語っていた」と西川招平は自著「美空ひばり最後の真実」で川口松太郎が舞台女優としての美空ひばりを高く評価をしていたことを記している。

  映画で培われた演技を舞台女優として直に観客に接していく。そこには観客大衆に対する謙虚な姿勢が求められていた。新井恵美子は「美空ひばりふたたび」の中で、「ひばりの歌が変わるのはこの時(第1回広島平和音楽祭)からだった。歌のうまさは変わらないが、ギラギラした光沢から渋い深みを見せる魅力が増した。バッシングによる人の世の裏を知った大人の心がひばりを変えたのかもししれない」と美空ひばりの歌唱が変わってきていたことを記している。

 広島平和音楽祭への参加は、「一本の鉛筆」を歌うことから「大人の心をもった歌唱」として、大衆と歩むという謙虚な美空ひばりを指し示した意義深いステージになったのではないかと思えてくる。

 

第15回広島平和音楽祭『一本の鉛筆』…愛する人たちに贈る歌

Photo_20211001133401   「♪あなたに  聞いてもらいたい あなたに  読んでもらいたい~」とステージに登場した白いドレス姿の美空ひばりが、第一回広島平和音楽祭の時よりさらに声高らかに会場一杯に響くように歌いだす「一本の鉛筆」。

  第1回の広島平和音楽祭に続き昭和63年(1988)7月29日の第15回広島平和音楽祭に出演し、歌い上げる美空ひばり。YouTubeでこのステージを観聴きすることができた。

  この年、昭和63年の4月21日に「東京ドーム」にて病からの復活コンサートを終え、全国にお礼の公演を行っていた。しかし、ひばりの体調は悪くなっていた。「もう一度『一本の鉛筆』が歌いたい。あの広島で歌いたい」という思いで飛行機に乗った。たまたま同乗していた王貞治氏は体調が相当悪いとお見受けしたと後日語っている。この時すでに歩くのがやっとで段差をひとりで上ることさえ困難な状況だっと云われている。

 翌年の平成元年(1989)の6月24日美空ひばりは亡くなる。享年52歳。

  「♪一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く~」

Photo_20211003063701    音楽祭の楽屋に運び込んだベッドで点滴を打っていた。しかし、観客の前では笑顔を絶やさず、ステージを降りた時には「来てよかった」と語ったという(ウキペディアより)。

 新村恵美子は「美空ひばりふたたび」の中で次のように記している。

「15年目の『一本の鉛筆』は以前のものとは全く別のものになっていた。相次ぐ肉親との死別、母、弟二人との別れ、大きな病気、それらはひばりを別人のような深みある人にさせていた。そのせいだろうか。この時の彼女の歌う『一本の鉛筆』は心に沁みて大きな感動を与えるのだった」

  この第15広島平和音楽祭における美空ひばりのステージはYouTubeで「一本の鉛筆」から「愛燦燦」まで全7曲を聴き観ることができる。完璧に歌いきっている大人の優しを内包した美空ひばりがいる。「人にやさしくする心、平和を大切に思う心」として『一本の鉛筆』をはじめとした全7曲を広島平和音楽祭のステージから愛を込めたメッセージとして歌いあげている。他のどのステージよりも美空ひばりという一大歌手の凝縮した素晴らしいステージになっている。

 『一本の鉛筆』は一大ブームにならないが、いつまでも歌い継がれていく名曲になっていくと思える。

《第15回広島平和音楽祭で美空ひばりが歌った歌曲名》

〇『一本の鉛筆』……昭和49年(1974)10月1日リリース。

          作詞:松山善三 作曲:佐藤勝)

〇『みだれ髪』……昭和52年(1987)12月10日リリース。

         作詞:星野哲郎 作曲:船村徹

〇『ひばりの佐渡情話』……昭和37年(1962)10月5日リリース。

         作詞:西沢爽 作曲:船村徹

〇『ひとり旅〜りんご追分〜入り』……昭和52年(1977)11月1日リリ

         ース。作詞:吉田旺、作曲:浜圭介

         (リンゴ追分)作詞:小沢不二夫  作曲:米山正夫

〇『人生一路』……昭和45年(1970)1月10日リリース。

         作詞:石本美由起 作曲:かとう哲也

〇『芸道一代』……昭和42年(1967)9月25日リリース。

         作詞:西條八十  作曲:山本丈晴

〇『愛燦燦』……昭和61年(1986)5月29日リリース。

          作詞、作曲:小椋佳

『みだれ髪』・『ひばりの佐渡情話』

Photo_20211001135701   「♪暗(くら)や涯なや  塩屋の岬 見えぬ心を照らしておくれ ひとりぼっちに しないでおくれ~」。長期入院、病からの復帰第一作としてレコーディングした記念の歌として紹介して歌う「みだれ髪」。

 「ひばりは高音(裏声)にいいものを持っていると」と作曲船村徹は『哀愁波止場』より半音高い曲で、サビで裏声になるようキーの設定をしている曲とした。作詞の星野哲郎は美空ひばりを塩屋岬の立つ灯台をイメージして作詞したと云われている。ひばりの歌声が私たち心を照らす明かりを「愛の光」として作詞したのではないかと思える。

   同じ作曲の船村徹の「哀愁波止場」がある。しかし、「ひばりの佐渡情話」を東京ドーム公演同様に広島平和音楽祭で歌い、何故か「哀愁波止場」を東京ドーム公演でもひばりは歌ってはいない。何故選曲しなかったのだろうか?

  出だしの「♪佐渡の~」の高音での長い節回しで歌う「ひばり佐渡情話」は浪花節調に聞こえてくる。「♪ 島の娘は なじょして泣いた 恋はつらいと いうて泣いた~」余韻を残しての歌声に哀切を感じてくる。

  昭和37年(1962)10月公開の東映映画『ひばりの佐渡情話』(監督渡辺邦男)の主題歌としてリリースされている。中学生だった私はこの映画を観ているが、主題歌の「ひばりの佐渡情話」が印象に残り、映画のストーリーはまったく忘れている作品である。只、YouTubeではひばりが嵐の中を小舟で柏崎に向かうシーンの一部を観ることができる。 

Sim   むしろ「〽佐渡へ 佐渡へと草木のなびく 佐渡はすみよいか 惚れちゃならない他国の人~』と佐渡の荒涼とした情景から始まる浪花節「佐渡情話」が思い浮かんでくる。

  昭和初期に浪曲「佐渡情話」をレコード化して一大ブームをおこした浪曲師寿々木米若。私が子供のころ「佐渡へ佐渡へと草木もなびく 佐渡はすみよいか」など自然に口ずさんでいた浪曲詞である。

  恋こがれたオミツは柏崎のゴサクに会うため佐渡島から柏崎にたらい舟で渡るが、恋敵シチノスケにたらい舟が壊され会えなくなったオミツは狂う。しかし、柏崎から訪れたゴサクがオミツを治し結ばれる。佐渡島に伝わる島の娘と他国の男との悲恋の民話を寿々木米若は民謡の佐渡おけさを元に浪曲「佐渡情話」を口演し、米若の出世作とした。

  「ひばりの佐渡情話」は浪曲「佐渡情話」の「たらい舟」で荒海を柏崎に向かうオミツ、そして恋焦がれた狂うオミツの悲しさを「♪佐渡の~ 島の娘はなじょして泣いた」と思い浮かべて聴くと美空ひばりの生きてきた姿とオーバーラップし、胸に迫ってくるものがある。……ステージでの美空ひばりは自分の人生歌として歌っている。「哀愁波止場」ではなく「ひばりの佐渡情話」を選曲したのは「たらい舟」で人生の荒海を渡ってきた自分自身を投影して歌ったものと思えてきた。

『ひとり旅~りんご追分~入り』

Photo_20211001133402  「♪見知らぬ町の 古い居酒屋で 柳葉魚(ししゃも)サカナに ひとり呑んでいます~」と軽いタッチのリズムで歌う「ひとり旅」。店に流れる「追分りんご」から「♪りんごの花びらが 風に散ったような~」と「りんご追分」が挿入される。面白い、いい歌だと初めて聴いた私は、この歌を気に入った。

  『ひとり旅〜りんご追分〜入り』は佐良直美が昭和51年(1976)に発表した「ひとり旅」に、歌詞の中に出てくるひばりの代表曲「りんご追分」を曲の間にあんことして挟んだ曲。

  歌詞の中に「♪ひなびた店で いつも呑んでいた 死んだあいつがいたら」と死んだ友を思う浮かべ「りんご追分」を聞きながら「死んだあいつは どこで見てるでしょう~」と亡くなった友を思い浮かべ居酒屋で呑んでいる姿が浮かび上がってきくる歌である。

  作詞の吉田旺はちあきなおみの『喝采』でも亡くなった者への哀惜を作詞しているが、この「ひとり旅」には悲しみをこらえながらどこか明るく呑む若者の姿が描かれている詞になっている。

 「先に逝ってしまったあいつ」と呑む。ひとり旅だが、今も忘れぬあいつと歩んでいる歌だなと思えてくる。そして、ひばりと関わりあい、先に逝った多くの人々に「♪りんご花びらが 風に散ったよな~」と「りんご追分」の歌を贈っているような暖かみのある感情が湧いてくる歌唱になっている。……ひばりの歌声は優しく、じっと胸に迫ってくるものがある。

『人生一路』

Photo_20211001133501    「♪一度決めたら 二度とは変えぬ これが自分の 生きる道~」。病からの再起を賭けた昭和63年(1988)年4月の「東京ドーム公演」の締めの曲としてこの「人生一路」を歌唱した。

  「♪胸に根性の 炎を抱いて 決めた この道 まっしぐら 明日にかけよう 人生一路 花は苦労の 風に咲け~」。

 人生の生きざまを描く石本美由紀のひばりの歌にかける胸中を見事に表している作詞になっている。

『芸道一代』 

   ……「人生一路」が歌い終わる。しかし、ステージは続く。ひばりは私事ですがと断り、今日が母親の祥月命日なので「心の供養として」「芸道一代」を歌いますと話し、歌いだす。

  「♪小粒ながらもひばりの鳥は 泣いて元気に青空のぼる 麦の畑の小さな巣には わたし見ている わたし見ている 母がある 母がある~」と声をつまらせての歌唱に聴こえる。美空ひばりの芸能生活20周年の記念曲として芸の道に生きる女の心情を歌った曲である。

  「(芸道一代の)レコーディングの時、付き添っていたひばりの母は、感動の涙を頬に光らせていたと西条八十は語っていた」と筒井清忠著「西條八十」」で記している。二人三脚で芸能界を歩いてきた母:加藤喜美枝への思いを胸に沁みこませて熱唱する美空ひばりがいる。

『愛燦燦』

Photo_20211001141101  「♪愛 燦燦と この身に降って 心密かな嬉し涙を 流してたりして 人はかわいい かわいいものですね~」。

  「家族愛」をテーマに製作され、ハワイで撮影された『味の素』のCM映像のバックに流れる曲。ホリプロの若いプロデューサー岩上昭彦は「家族愛」のテーマに最も合致していると思われる美空ひばりに歌唱を希望した。「歌謡界の女王」とも呼ばれていた芸能界の大御所であり、無謀とも言えるオファーであったが、ひばりがこのオファーを受諾したため、完成したのが「愛燦燦」(ウキペディアより)。

   CM放映当初は画面にクレジットされずいわば覆面シンガー扱いだったが、声質などからすぐ承知され、発表とともに画面上でもクレジットされるようになった。

Cm    ひばりの「愛燦燦』の唄声が流れる中、荷馬車に乗った一家が、さとうきび畑を耕す姿が映り、荷馬車に乗って帰る一家を映している。『麦からビール、さとうきびから「味の素」。味の素はうまみ調味料です』とナレーションが流れ「♪人生ってうれしいものですね~」と歌が流れる。このCMをYouTubeで見ることができてうれしい限りだ。

 「愛燦燦」は 発売当時は振るわなかったが、その後ロングヒットとなり、令和元年(2019)時点ではひばりのシングル売上で歴代12位にランクインされている(日本コロムビア調べ)。

  ひばりの遺作になった『川の流れのように』と並んでテレビ・ラジオ等で多く取り上げられており、数多くの歌手によってカバーされていることもあって、ひばりの死後も代表曲のひとつとして全世代に親しまれている曲になっている(ウキペディア)。

Photo_20211001133405  「♪ああ 過去たちは 優しく睫毛に憩う 人生って 不思議なものですね ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む 人生って 嬉しいものですね~」。

   歌い終わった美空ひばりは蔓延の笑顔を浮かべて客席に一礼して、登場した時と同じようにゆっくり歩き、上手奥の舞台袖に退場していく。

 

人生の歌を歌唱し大衆を愛した美空ひばり

  冒頭の「新宿の女」の優しい大人の歌唱は第1回の広島平和音楽祭をキッカケに体得したものだと分かってきた。さらに、15年後の第15回広島平和音楽祭では、歌うことを愛し、大衆を愛し、家族を愛し、人と共に生きてきたことを自分の人生歌として美空ひばりは歌いきっている。美空ひばりの全精力をステージで表しているといえる。退場する時の美空ひばりの笑顔が実にいい。これが美空ひばりなのだ……。

 第15回広島平和音楽祭の美空ひばりのステージは素晴らしい感動を私に与えてくれた。

                                             《夢野銀次》

≪参考資料本等≫

新井恵美子著「美空ひばりふたたび」(2008年9月、北辰堂出版発行)/「渡辺延志著朝日新聞横浜ネットコラム」(平成28年、2016年8月13日配信)/西川昭幸著「美空ひばり最後の真実」(2018年4月、株式会社さくら舎発行)/筒井清忠著「西條八十」(2005年3月、中央公論新社発行)/ウキペディアより「第1回広島平和音楽祭」「第15回広島平和音楽祭」「一本の鉛筆」「みだれ髪」「ひばりの佐渡情話」「浪曲佐渡情話」「ひとり旅〜りんご追分〜入り」「人生一路」「芸道一代」「愛燦燦」を参考。

 

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