映画・テレビ

遠ざかる列車への想い―「北の国から」・「北国の街」から

656c0b7es1  富良野駅前、蛍(中島朋子)がショッピングハウスの窓から見つめていることに気が付く勇次(緒方直人)。蛍、ソッと店を出て駅舎の壁際にあるベンチに小さな包みを置く。蛍の置いた包をとった勇次は代わりに手紙を置いて、見送りの親族に押されるように駅舎に入る。置かれた手紙をとる蛍。長淵剛の「乾杯」の歌が流れ始まる。

  ~かたい絆に思いをよせ 語りつくせぬ青春の日々 時には傷つき時には喜び 肩をたたき合ったあの日 あれからどれだけたったのだろう 沈む夕陽をいくつ数えたろう 故郷の友は今でも君の心の中にいますか~(「乾杯」長淵剛歌・作詞・作曲)

Cap4361  ホームから待合室の蛍を見つける勇次。蛍、口の動きで「ガ、ン、バ、ッ、テ」。応えるように勇次も「ワ、カ、ッ、タ」。列車に乗る勇次。走りだす列車。蛍、駅舎から出て、線路際を全力で走りだす。列車の窓から手を振る勇次。けん命に列車を追いかけ走る。走る蛍の躰から熱い熱情が噴き出し、伝わってくる。

 ~乾杯!今君は人生の 大きな大きな舞台に立ち 遥か長い道のりを歩き始めた 君に幸あれ!~

 遠ざかる列車の尾灯。蛍の赤いマフラーが白い雪の中におちている(「北の国から‘89帰郷」シーンより)。

Pdvd_0561  旭川の看護学校へ通学する蛍は富良野発始発列車の車内で、予備校生和久井勇次と出会い、愛を育む。しかし、勇次は東京の予備校へ行くために富良野を離れることになる。富良野駅の蛍と勇次の別れのシーンは走る列車と蛍の走る速さが交差し、去っていく列車の跡に残る赤いマフラーと白い雪とが鮮やかなコントラスをなしている。

  北海道の厳しい大自然の中で培ってきた蛍の走る姿は力強く画面に映し出されてくるシーンでもある。人の出会いと別れ。通学列車での出会いは、やがて訪れる別れることの苦しさや悲しさを知ることになる。それでも、若い二人には出会いの喜びを共有、かみしめることができる。二人で過ごした時間への想いなのか、遠ざかる列車を見つめる蛍の表情は行くことのできない娘の表情になっている。青春の香りのする別れのシーンとして印象深い。

 倉本總脚本によるテレビドラマ「北の国から」は、昭和57年(1981)10月から翌年の昭和58年(1982)3月までの24回に渡る連続ドラマを経て、「‘83冬」、「‘84夏」、「‘87初恋」、「‘89帰郷」、「‘92巣立ち」、「‘95秘密」、「‘98時代」、「2002遺言」と、平成14年(2002)までドラマスペシャルとして放映された。21年間続いたテレビ放映のためか、純(吉岡秀隆)と蛍(中島朋子)の幼いころの子ども時代から成人した姿までを見ることのできる作品になっている。さだまさし作曲のテーマ曲をバックに北海道の大自然が浮かび上がってくる。史上まれにみる超大作のテレビドラマに成長した作品だといえる。

Sdsc080511_2 通学列車での出会いと別れを描いた映画に舟木一夫主演の「北国の街」がある。「北の国から」の勇次と蛍の世界と類似している。昭和40年(1965)3月公開の日活映画で監督は柳瀬観。脚本が意外にも倉本總であることが最近になって知った。

  ~名残りが燃える心が残る ふたりで帰るアカシアの道 今夜だけでもそばにいて 眺めていたいひとつ星 僕たちだけの喜びが住む 北国の街~(「北国の街」歌舟木一夫、作詞丘灯至夫、作曲山路進一) 

  主題歌はよく聴いてきたが、映画を観たのかどうか曖昧だったため、DVDを借りて観てみた。舟木一夫の甘い歌声と雪の中を走る蒸気機関車を数多く撮っている作品という印象だった。あわせて原作の冨島健夫著「雪の記憶」(昭和36年発行)をも読んでみた。

  通学列車の中でお互いに意識し合う高校に通学する二人。小島海彦(舟木一夫)と志野雪子(和泉雅子)。意識していた二人は遅延した混み合う列車のデッキでの飛ばされた帽子をきっかけに交際が始まる。映画では雪子は東京の大学に進むことになるが、海彦は父親の病気のため進学をあきらめ、機織り職人を目指すことになる。

014_3  映画のラストシーンは、海彦が東京に行く雪子を乗せて走る蒸気機関列車を追走し、線路上で見送る所で終わっている。雪原の中に取り残されたように立ちつくす海彦。「北の国から‘89帰郷」の勇次と蛍の別れのシーンが被さってくる。しかし、映画「北国の街」では「余命6年であることを知っている雪子が東京の大学に入学、上京していくのだろうか?」と疑問が湧き、映画の結末の別れが不自然に映ってきた。

 東京行きを雪子に促す海彦は「僕たちは若すぎる。これから多くのことを知るために君は東京の大学にいくべきだ」と言う台詞は解せない。雪子の病気のことを海彦は知らなかったにしても、東京の大学に行く必要性は感じられなかった。

  原作「雪の記憶」では、雪子をめぐることが原因で不良学生同士の争いが死者までだす大掛かりな喧嘩になる。雪子の躰を求める海彦との諍いがありながらも二人は通学していくことで終わっている。

  「撮影中に最初と最後のシーン以外は脚本を変更しました。脚本は不良学生との喧嘩を軸に書かれてあったのでね」と監督の柳瀬観が「舟木一夫青春歌謡映画」としてネット上で発言している。監督と脚本との落差が大きかったことが推察できる。倉本總はこの映画について何か発言をしていないか、探していきたいと思っている。舟木一夫主演映画ということで、雪景色と蒸気機関車の映像をバックに若い男女の交際を描けばよいとした映画だったのだろうか。

E69585e983b7e381afe7b791e381aae38_3 同じ原作「雪の記憶」で、「北国の街」から4年前に公開された昭和36年(1961)のニュー東映作品「故郷は緑なりき」(監督村山新治、脚本楠田芳子)がある。この映画でも通学する列車で二人は出会い交際するが、東京の大学に進んだ海彦は帰郷した際に雪子が病死したことを知る筋立になっている。

  私が中学一年の時に見たモノクロ作品だが、佐久間良子のセーラー服姿に強い印象を受けた映画だったと記憶している。もう一度観たい映画だが、DVDになっていないのが残念。

  映画の中で鮮明に残っているのは、海彦(水木襄)とのラブシーンだ。セーラー服の雪子(佐久間良子)を押し倒し口づけをしながらスカートのフックをはずそうとする。それをいやいやして、海彦の家から雪の中に駆け去っていく。拒否する時の佐久間良子の苦しい表情が印象に残っている。この映画の影響なのか、以後セーラー服には性としての強いあこがれを抱くようになった。

C880de321_2  西武池袋線で通学していた佐久間良子は、沿線では綺麗な女子高校生と有名になっていたことから東映にスカウトされたと「文藝春秋2月号」に本人が記述している。セーラー服の似合う女子高生の佐久間良子。もう一度観たい映画だ。

 後年、官能小説家として名をなした著者冨島健夫の初期の作品「雪の記憶」。「性の問題を回避して青春文学は成立しない」と主張していただけの描写が、映画同様に二人のラブシーンを緻密に書いてあり、新鮮な驚きを感じた。同氏の原作で映画化された作品として「明日への握手」(映画名「高校三年生」)、「おさな妻」等がある。十代の性への問題を正面から扱った作家として見落としてはならない作家だと思えてくる。

K141_2_2   「北の国から」の中には列車との別れのシーンが盛り込まれている。最後の別れにきた母親、令子(いしだあゆみ)が東京に帰る列車を空知川から見送る少女の蛍の走るシーンがいい。

 シナリオでこう記されている。

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  「川のむこうをけん命に走っている少女の姿。――蛍。令子、狂ったように窓あけ外へ手をふる。(口の中で)蛍――。蛍、走っている。もうぜんと列車を追い、けん命に走る。列車の窓から見える遠ざかる蛍の姿。とうとうと流れる空知川。去っていく列車をあきらめ、つっ立っている蛍に後ろから肩を叩く草太。目に涙をためている」(「北の国から第17回」より)。

   母親との別れとして空知川に蛍をつれてきた草太(岩城滉一)。純と蛍に慕われる草太兄ちゃんの優しさが表れてくるシーンでもある。去っていく列車を空知川をはさんで追いかけてけん命に走る少女、蛍の姿は富良野駅での勇次への別れのシーンにダブっていく。

Yjimagee0rzjgoy  「北の国から」の最終回になっている「2002遺言」の中で富良野駅の別れのシーンが出てくる。音信不通であった正吉のもとに快をつれて蛍が栃木へ旅立つ。見送る五郎(田中邦衛)、純(吉岡秀隆)、結(内田有紀)、雪子(竹下順子)一行。蛍と孫の快との別れを悲しむ父、五郎の姿とその姿を受けとめる息子、純の心境が描かれている。

   このシーンをシナリオでは、「蛍、快を抱きデッキに乗る。(列車の)扉閉まる。ベルが止まり――発車。窓の中から手をふる蛍と快。見送って手をふる純、結、雪子。五郎、ペタリと(列車の)ガラスに手をつけたまま、オイオイ泣いて、(走りだした列車と一緒に)走りだす。駅員、笛を吹き、危ない危ないと静止する。その手をふりほどいて列車を追う五郎。駅員をはねのけ、帽子をとばして列車を猛然と追う。二人の駅員が五郎を追う。ホームから線路に下りる五郎、そのまま線路上を必死に追いかける。追いかけてきた駅員に掴まれて雪の中に倒れ込む」

   純の語りが流れる。「恥ずかしいぐらい父さんは泣き、恥ずかしいぐらい父さんは走った。(父さーん)。でも僕はその父さんに感動していた。父さん、あなたはすてきです。あなたのそういうみっともないところを昔の僕なら軽蔑したでしょう。でも、今僕はすてきだと思います。人の目も何も一切気にせず、ただひたむきに家族を愛すること。思えば父さんのそういう生き方が、ぼくや蛍をここまで育ててくれたンだと思います。そのことにぼくは今ごろようやく、少しだけ気づきはじめたンです。父さんあなたは――すてきです」(「北の国から2002遺言」から)。

 遠ざかる列車を見送る父親の号泣する姿は家族への想いとして純は受け止めていく場面になっている。五木寛之は著書「情の力」の中で、涙と笑いは一体であると記し、「日本の文化の中で泣くべき時にきちんと泣く、泣くべきでないときは歯を食いしばって泣かないというモラルがつくらてきた。泣くこともできないような乾いたこころで、本当に腹の底から笑えるのか。大地に身を投げ出して地面を拳で叩きながら号泣するという泣き方を一度でもしたことがあるのか。深く泣くことのできる人だけが、本当に笑うことも知っている」と記している。

  遠ざかる列車に号泣する五郎の姿は五木寛之の言う、情(こころ)の世界が描かれてあると思えてくる。それは「北の国から」ドラマ全編にも言える。「泣くこと」「笑うこと」等、忘れていた人の情(こころ)の世界が随所に盛り込まれたドラマになっていることに気が付く。

10_101_6  「2002遺言」のラストはこれまでの出演した俳優名をアイウエオ順に流しているのがドラマの特色を表していると思えた。富良野市麓郷で黒板家の五郎や純、蛍、叔母の順子(竹下順子)と接する地域の人々との交流を描いているのがドラマの幅をもたらしている。

  中ちゃんこと中森和夫(地井武男)と妻のみずえ(清水まゆみ)。北村清吉(大滝秀治)と妻の正子(今井和子)、息子の草太(岩城滉一)。蛍の夫になる正吉(中澤佳仁)と母親のみどり(林美智子)、祖父の杵次(大友柳太郎)。つらら(熊谷美由紀)と兄の辰巳(塔崎健二)、涼子先生(原田美枝子)、クマさん(南雲佑介)など地域住民として数多くの出演者が登場している。

  開拓者としての村の過酷な歴史や東京と地方との対比を織り交ぜながら、出演者は大自然の厳しさとそこに暮らす生活する喜びを滲ませている。五郎の「捨てた家」の建設は喪われた物を蘇えらせていく姿として現している。遠ざかる列車から出会いが始まる生活を求めて生きていく人々がいることを作者、倉本總は描いてきていると思える。「北の国から」は人々の温かさが底辺に流れているドラマとして成っている。大事にしていきたい作品だ。

                                          《夢野銀次》

≪参考引用資料本≫
倉本總著「北の国から後編」(1987年5月、理論社発行)/「北の国から‘89帰郷」(1989年3月、理論社発行)/「北の国から2002遺言」(2002年8月、理論社発行)/冨島健夫著「雪の記憶」(昭和36年6月、角川書店発行)/五木寛之著「情の力」(2002年11月、講談社発行) 

 

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昭和からの電話が鳴る―NHK土曜ドラマ「64(ロクヨン)」

Jkt_rokuyon_011  「しっかりしてくれ!」「悔しいですよ、東京の奴ら(記者)にやられっぱなしで」「うちの県警がバカ呼ばわれるのが耐えられない」とD県警広報官、三上義信(ピエール瀧)に泣きながら攻め寄るD県警本部詰めの地元記者たち。

  誘拐事件の発生で東京から記者たちがどっと押し寄せての記者会見場。会見説明するのは若いキャリアの捜査2課長。記者からの質問にはほとんど答えられず、質問のたびごとに捜査本部に行き帰しての報告会見となってしまっている。刑事部長を記者会見に引き出すため、2課長を「伝書鳩」として往復を繰り返えさせる記者会見場。地元記者たちはたまりかねて、三上広報官へ詰め寄るシーン(第4話「顔」)。

 直前まで、広報室と記者クラブは「匿名問題」でギクシャクした関係だった。原作「64(ロクヨン)」の著者の横山秀夫は、著書の中で、こうした地元記者たちの言動を、「三上にも覚えがある。初めての勤務地は特別だ。親の庇護を離れて自活する。仕事を覚え、道を覚え、店を覚え、住み、食べ、眠り、悩み、己の両足で大地を踏みしめる。本当の自分が生まれた場所なのだ。故郷以上の故郷なのだ。その地が蹂躙された。それが悔しくて悲しくてならないのだ」と書いている。東京が地方を見下しているかのようなシーンでもある。

1280x720x64b8299d1597b8a5c7b9cb91_2  NHK土曜ドラマ「64(ロクヨン)」は昨年の平成27年(2015)4月18日から5回に渡って放送された。主役はNHKドラマ初主役になる県警広報官役としてのピエール瀧。「昭和な顔」が残っていることが決めてとなったという。原作-横山秀夫、脚本-大森寿美男、音楽-大友良英、演出—井上剛、増田静雄のスタッフ。DVDを借りて観ることができた。なかなか重厚な作品になっているというのが第1印象だ。

  この作品は平成27年度(第70回)文化庁芸術祭大賞(テレビドラマ部門)を受賞している。テレビ部門大賞は平成8年から設けられているが、私はよく知らない賞である。平成9年度フジテレビ「町」、13年度TBS「僕はあした十八になる」、15年度TBS「さとうきび畑の唄」、25年度度関西テレビ「みんなの学校」と大賞作品になっているが、私自身観ていない。映画では「文部省芸術祭参加作品」で映し出され、なじみのあった頃を思い出す。このタイトルがでると「いい映画なのだ」と子供心に思ったりしていた。文化庁芸術祭大賞は凄い賞なのかどうもピンとこない。

64efbc88e383ade382afe383a8e383b3efb  ウエブで過去のテレビ部門の芸術祭受賞作品を検索してみる。すると、昭和33年TBS「私は貝になりたい」、昭和53年NHK「天城越え」、昭和54年朝日「戦後最大の誘拐、吉展ちゃん誘拐事件」、昭和62年フジ「北の国から、87初恋」、平成3年NHK「西郷札」、平成4年フジ「北の国から、92巣立ち」、平成5年NHK「清左衛門残日記、第10回夢」、平成7年NHK「大地の子、第2部・5部」となっている。凄い作品が受賞していることにびっくりした。これらの作品はもう一度、何度でも観たいテレビドラマ作品なのだ。やっぱり評価の高い賞なのだと思えてきた。

  「64(ロクヨン)」のテレビ大賞受賞理由は、「警察内部を舞台に、『組織と個人』という永遠のテーマを、極めてダイナミックに描いて突出した面白さがあった。大森寿美男の脚本の図太い構成力、井上剛の硬質でエネルギッシな演出。そしてピエール瀧の大胆な主役起用など合わせ技が非常な濃密なドラマを成立させた。第1回、第4回、第5回の各話を通して多重な人物関係がサスペンスを増幅させてゆき、その語りの手際が群を抜いていた」との評価になっている。語りの手際というところに、物語が一本に結びついていく筋立になっているということが評価を受けての受賞なのだ。ちなみ受賞は第1回の「窓」、第4回の「顔」と第5回の「指」ということになっている。

1280x720x8df7b73a7820f4aef47864f1  「昭和からの電話なのか」と思えてくる黒電話からの呼び鈴。そのアップが印象深い作品になっている。

 ドラマは地方県警を舞台に、昭和64年と平成14年にまたがる2つの誘拐事件を、主人公の三上広報官を通して描いている。

 小渕官房長官による年号が「平成」と発表されるテレビの映像がバックに映し出される。その昭和64年の1月7日の少女誘拐殺人事件は「ロクヨン事件」と言われ未解決のまま、時効の15年目を迎える平成14年の12月。「ロクヨン事件」とまったく同じように「サトウ」と名乗る者から娘を人質に2千万円の誘拐事件が起こる。

Mig5   昭和64年の「ロクヨン事件」では、警察の電話録音の失敗で犯人の声を保存できなかった。そのミスを書いた「幸田メモ」をキーワードとして、被害者父親の雨宮芳夫(段田安則)との警察との関係不信、警察刑事部の隠ぺい、刑事部と警務部との対立、刑事部長を本庁キャリアに据えようとする人事面等を尖ったセリフ回しで描き出している。

  さらには交通事故の加害者の「匿名問題」から地元記者クラブとギクシャクな関係となる広報室。また、三上の高校1年のひとり娘失踪(家出)と夫婦の苦悩、親子の繋がりを描くなど、そのギクシャクな関係が幾筋かに絡み合って進行し、ドラマは昭和64年と同じように平成14年の誘拐事件を迎える。

B0296300_201707501  誘拐事件による報道協定の記者会見場。情報を出し渋る県警の姿勢に白兵戦さながらの記者会見場になってしまっていた。捜査本部に入室拒否されている三上広報官は独自に1課長の松岡参事官(柴田恭平)に接触する。松岡参事官とは「クロヨン事件」を共に捜査2課の刑事として捜査した間柄であった。松岡は被害者の父親だけの実名を明かすが、妻と娘の名前は「言えることと言えないことがある」として拒絶する。

  さらに三上は松岡から広報官として誘拐事件指揮車に乗ることが許される。指揮車から情報を記者会見場の部下の諏訪(新井浩文)に流す。指揮車内からの犯人と現金を運ぶ被害者父、眼崎正人(尾美としのり)とのやりとりは緊迫したシーンは臨場感があふれてくる。

M_64857761  指揮車に誘拐されていた娘が万引き犯として補導されたことの一報が入る。三上は人質の無事を早くパニック状態で現金を運んでいる父親に知らせるべきだと進言する。松岡は三上に、「この車は今、クロヨンの捜査指揮を執っている。14年前に言った筈だ。昭和64年は終わっていない。必ずホシを引きずりもどすと」。

  ――松岡の凛とした言動は14年間の捜査への執念を現しており、迫力ある柴田恭平の演技だ。

  空地に着いた眼崎は犯人の指示で身代金2千万円の紙幣を燃やす。その時、自宅の妻から娘が無事であったことの連絡が入る。犯人からメモ書きには「ロクヨンの犯人はお前だ」と書かれてあった。

Castpic_021_3  事件が終わり、帰宅した三上は妻の美那子(木村佳乃)に話す。元婦警だった美那子も「ロクヨン事件」に関与していた。そのため、ある人物がいるかどうか現認して欲しいと松岡参事官から特命を帯びて、紙幣を燃やしてしまう現場となった空地に行っていたのだ。そこで、燃え上がる紙幣の煙を見上げる雨宮を発見している。

 三上は、「参事官は確信していたのだ。無言電話から…。14年前まで警察官宅の電話番号が載っていた電話番号帳。警察関連者宅への無言電話を結んでいく。マツオカ、ミカミ、ミユキ、ムラクシ。マミムメ、…あいうえおの順番になっている。それだけではない。10日前にも眼崎の家に無言電話があった。14年前、雨宮さんはもう一度、犯人の声を聴けば、絶対に判ると言っていた」。警察官宅が載っていた14年前、昭和63年版の電話帳がヒントになっていた。美那子「雨宮さんが無言電話かけていたの?」。昭和からの電話であったことが語られてくるシーンだ。

1280x720x8df7b73a7820f4aef47864f2  夕暮れ時の公園の中にある公衆電話ボックス。電話ボックスに入る雨宮。手にはしわくちゃになっている古い電話帳を持っている。電話帳を見ながら電話をかけ続ける雨宮。「昭和63年当時の電話帳をめくって、アから順番に番号を押し続ける。気の遠くなる話だ。雨宮さんにとって犯人の声を探すことが生きる希望だったんだ」と語る三上。

  美那子は、「わたしも雨宮さんの無言電話を聴いたのね」と失踪した娘、ゆかりからの電話ではなかったことを知る。

538x310x8136d6502e9d22dc2ee42ca21  「…雨宮さん、ついにその声、聴いたのね」と美那子。

  ――その声、「はい、眼崎です。もしも-し。カスミだろう」。…犯人の声を聴いた雨宮。電話ボックスからはいずりながら出る。「眼崎、眼崎」とつぶやきながら電話帳のページを切りとり、よろけるように暗闇となった公園を歩きはじめる。見つけることができた。やり遂げた。雨宮の歩く姿は昭和からの電話をかけ続けた父親の執念が映し出されてくる。

 現場空地が見える橋の上。野次馬の中を歩く雨宮。「雨宮さん、ジーと空、見上げてた。誰かに、何かを報告するみたいに、ジーと空、見上げてた」と美那子のセリフがダブル。段田安則の演技が凄くいい。

160327_saitama_41_2   平成28年3月27日に監禁されていた女子中学生が東中野駅の公衆電話の前で警察に保護された。2年間にわたり監禁されていたのだ。失踪なのか、両親はビラを配るなど、娘の行方を探しつづけ、電話をずーと待っていたのだ。そして、娘からの電話があったのだ。

  警察には平成25年には「行方不明者届」が83,948人あり、年間8万人の行方不明者が発生するという。そのうち10代の失踪者は23.7%で全体の4分の1を占めている(日刊ゲンダイ「2014年7月20日」より)。

  ドラマ「64(ロクヨン)」の三上にも失踪した娘あゆみがいる。その電話を待っている。母親の美那子は三上に話す。「あゆみはネ、生きるために出ていったと思うの。きっとどこかで生きているんだと思うの」と前を向いて生きる娘を信じる。それが、ラストのあゆみからの電話なのかもしれないというシーンにつながっている。

012_021  誘拐事件の犯人がロクヨン事件の被害者であったこと。そのロクヨン事件で犯人の声を録音できなかったミス。そのミスを14年間刑事部が隠ぺいしてきたことなどを広報室3人の部下たちに話す三上。「眼崎逮捕でマスコミとの関係は死ぬ。どうやって再構築をするか各々で考えてもらいたい」と。

  部下の美雪(山本美月)は三上に言う。「わたしは、マスコミとの関係が死んでも、たとえ背中を向けられても、あきらめずに背中でもいいからノックし続けることが大切だと思います。絶えまずにです」。三上は「…絶えまずに」と自分に言い聞かせるように応える。

  記者会見場における情報の出し渋りなど、何故そうするのか分からない場面など、多々ある。しかし、同期の人事権を持つ二渡警務部調査官(吉田栄作)に三上は脅すように言う。「俺を広報室から(捜査課に)異動させるな。参事官が会見に臨む時、広報官としてお供をしたいのだ」という台詞から熱いものを感じ、気持ちよく観ることができた。美那子や美雪からのセリフからも人との関係の道筋が見えてきそうな気がしてくる。さすがテレビドラマ大賞受賞作品だと改めて感嘆した作品だ。

Yjimage7 三上広報官は捜査課の元刑事。三上刑事という刑事の名前で石原裕次郎と高倉健が演じている。昭和39年日活正月映画の「赤いハンカチ」。石原裕次郎が演った元刑事の名前が「三上次郎」。哀愁の漂う主題歌を歌う中で、男の無念と切なさを描いた裕次郎の姿が浮かんでくる。

 さらに高倉健が演じた昭和55年の倉本聡脚本「駅STATION」の刑事役名も「三上英次」だった。「舟唄」をバックに人への悲しい拒絶を描いた人間模様の名作だ。同じ「三上」という名前の刑事が3名いたことになる。偶然なのかな…。何だかうれしくなってきた。                              

                            《夢野銀次》

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皇居一般参観と映画「日本のいちばん長い日」

010_2  かつては「江戸城」「宮城」と言われていた「皇居」。正月2日の日に行なわれる一般参賀と12月23日の天皇誕生日に皇居に入ることができる。それ以外は「一般参観」として皇居内に入り、見学することができる。宮内庁に予約申し込みを行ない、係員によるガイド説明を受けての皇居内見学である。

  「インターネットを操作する関係で外国人の参観者が多い。日本人は旅行会社にまかせてしまうから少ないんだ。旅行会社のあっせんでは一般参観の申し込みはできないんだョ」と幹事が語ってくれた。

 平成28年の新年1月14日に「一般参観」として皇居内を見物することができた。風のない穏やかな快晴の中、栃木県シルバー大学南校33期生で作る「健康ウォーククラブ」で企画した「皇居一般参観ツアー」に参加した。

014  午後1時に桔梗門(内桜田門)前で受付を行ない、係員の先導で桔梗門から皇居内に入る。一般参観の予約申し込みは1か月前の1日から行われる。申請には参観者全員の氏名、住所、年齢を記入し、代表者の身分証明を添えて宮内庁に行なう。

  「参観当日、身分証明を求められる場合があるから、用意しておくこと」と幹事から説明があったが、桔梗門受付ではそれはなかった。

 桔梗門の先の「窓明館(そうめいかん)」に案内され、参観者全員にビデオ説明がある。「帰路には隣にある売店が閉まっていますので、お土産は出発前に購入しておいてください」との係員の説明。菊の御紋入りのチョコレートを買った。味はともかく「菊の御紋入り」にこだわっての購入でもある。

016  午後の部の見学者80名の一行はガイドの係員によって窓明館前から歩き始める。参加者の中での高齢者は日本人。若い人たちは話す言葉で東南アジア系の外国人とすぐに分かる。

  桔梗門脇の石垣。石垣には、石を提供した大名の刻印が彫られてある。多くは伊豆半島の安岩石。船で運ばれてきている。ハンドマイクを片手に、係員が石垣の右上を指差し、「〇に十の入った薩摩島津家の御紋です」との説明がある。

  前から見たいと思っていた紋の刻まれた石垣。本当に残っていたのだ。個人で来たらどこにあるのか、見つけるのに苦労する。慶長年間に家康、秀忠による天下普請としての江戸城拡張工事。武力を背景としながら太平の世を築き始めた史跡がここに残っていると実感できる。

024_2  「石垣の高さ14.5メートル、櫓の高さが15.5メートル。石垣は加藤清正が造ったと云われています。関東大震災でも崩れませんでした」との係員からの説明がある。

  「富士見櫓」を仰ぎ見る。こんな近くでみることができた。その迫力に圧倒される。予想外のうれしさに涙がこみ上げてきた。 ――雄大な姿だ。江戸時代そのままの姿を残している。

   江戸城本丸の東南隅に現存する「富士見櫓」は万治2年(1659)に再建されたもの。江戸城の天守閣が明暦3年(1657)の大火(振袖火事)で焼失した後は復興されなかった。そのため富士見櫓が天守閣に代用されたとの係員の説明がある。これ以後、幕府に遠慮した諸大名は3層の櫓までしたか構築しなかったと云われている。

072  どっしりとした石垣。「野づら積み」の石垣は自然石をそのまま積んでいて粗い。その粗さが水はけを良くし、強固な石垣を築いていることになっている。

  石垣の右先端の方に目をやると、本丸に行ける階段通路が見える。柵が設置されているが、石段通路で上れるようになっている。曲がりくねっている石の階段の通路。ここにも昔のまま城址として残っている。

  江戸時代、西の丸と言われた「宮殿」に進む。天皇陛下はこの宮殿にお住まいにはなっていない。皇居奥の吹上御所に住んでいる。一般参観では入れない宮殿を外観から見ることができた。国賓等の接伴や文化勲章授与などの国の公式行事に使われている。

 ――ここが「宮殿」なのかと思わず感嘆した。

034_4  昭和43年に完成した宮殿には正殿、豊明殿など7棟ある。その中で一番長い建物が「長和殿」。長和殿前の東庭を歩きながら係員の説明がつづく。

 「長さ160メートルあります長和殿。中の廊下の長さが100メートルあります。この場所で新年1月2日と天皇誕生日の12月23日の年2回、天皇皇后両陛下と皇族方が長和殿中央のバルコニーにお出ましになり、国民からのお祝を直接お受けになります」との説明がある。

  私たちの歩いている「東庭」の広さは4500坪。一般参賀などでは2万人が一度に参賀できると言う。一度来てみたいと思う。

056_3 バルコニーの高さは3メートルだが、目線の高さで見ることができる。思ったより低い。「バルコニーの前には紅い花の咲く寒椿と白く咲く山茶花の植え込み垣根がございます」と紅白を彩っていることの説明がつづく。

  東庭に入る所に「豊明殿松の塔」が建っている。「松の塔と言われています。葉と葉の間から光が灯すように造られています。先端にある輪は、ふしろという古代婦人の腕輪を形とった照明塔です。夜に明かりがともり、とても綺麗です。皆さまにはご覧いただけないのが残念です」と言われた。

 残念。…しょうがないですネ。夜間には一般人は入ることができないからな。

040_2  「これから正門鉄橋を渡ります。くれぐれも橋の欄干に近づかないでください。カメラ等落としてしまう危険があります」との注意がある。

  「左の下に見えるのが、正門めがね橋と呼ばれていますが、正式名称は正門石橋と申します。橋の右にあるのが皇居正門です」と丁寧な案内で「正門石橋」を見下ろす。崖下は深く、お濠の水が静かに漂っている。…確かに高い所に橋が架かっている。思わず橋の欄干に近づきたくなる二重橋だ。

  「皆さまがお立ちになっている橋が、正門鉄橋と申します。江戸時代には二重橋と呼んでいた橋でございます。高い位置に架かる橋のため、橋の下にもう一本の橋を架けて、橋を上下に組んでいたため二重橋と呼んでいたのです」との説明がある。しかし、どうもテレビ等で皇居が映し出されるのが、「めがね橋」を通して奥の二重橋と伏見櫓。二重橋は下の「めがね橋」と上の「正門鉄橋」の二つの橋を称して二重橋と言う場合もあるという。その方がしっくりと分かりやすいと思える。

043   正門鉄橋の反対側には「伏見櫓・多門」が優雅な姿を現していた。寛永5年(1628)に京都伏見城から移築したものだと云う。

 櫓の高さ13.4メートル。別名「月見櫓」と呼ばれ、皇居で最も美しい櫓といわれている。関東大震災でも崩れなかった石垣。関ヶ原の戦いの前哨戦として伏見城は落城した。伏見櫓をここに移築したのは、関ヶ原を忘れまいとする徳川家の強い意志の表れではなかったかと思えた。

 「正門鉄橋」から先の吹上御所には行くことはできない。ユータウンして戻ることになる。

060   帰路は宮殿長和殿を左に見ながら左折し、豊明殿と宮内庁建物の間を通り、右折して山下通りの坂を下る。宮内庁の裏側の庭には古いリアカーが置かれてあった。

 山下通りの坂道を下りながら、10名位の奉仕団の人たちが庭の掃除をしていた。若い男女のグループだ。仕事なのかの思ったら、同行者が「青森県と書かれた名札をしていたわ、皇居の奉仕団の方達よ」と教えてくれた。皇居の奉仕団は3日間の行程で全国から来る。終了後には皇族の方からねぎらいの御言葉を受けるそうだ。

  坂の下には、坂下門から乾門に通じる道が見えた。その向うにあるのが江戸城旧本丸跡地の「東御苑」だ。高い石垣が印象深い。

068  正面に坂下門が見える位置に宮内庁の建物が建っている。宮内庁の建物を右に見ながら進むと、3台のサイドカーがゆっくりと走ってきた。

  ――迫力ある走りだ。

   サイドカーと馬に乗って、「ポツダム宣言受託反対、国体護持」を掲げたビラをまきながら皇居前を走る映画のシーンが思い浮かんできた。

Psychopsycho1960img600x425139712312   黒沢年男が青年将校葉畑中少佐を演じていた。ギラギラした思いつめた眼光と汗が印象に残っている。岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」が昭和42年(1967)にモノクロ作品として公開された映画だ。

   そして昨年8月に、戦後70年の節目として松竹映画原田眞人監督による「日本のいちばん長い日」が公開されている.

062_2  2本の映画はいずれも半藤一利著のノンフイクション「日本のいちばん長い日」を原作としている。

 昭和20年(1945)8月14 日の深夜。昭和天皇による終戦詔書の玉音を録音した宮内庁(旧宮内省)の建物を見る。そこには映画「日本いちばん長い日」を思い浮かべてしまう昭和の歴史がある。

  ポツダム宣言受託による日本軍の無条件降伏。映画は8月15日の玉音放送に至るまでの御前会議と昭和天皇の御聖断。そして敗戦を今だ経験していない陸軍軍務局青年将校によるクーデター。本土決戦の中から有利な和平を導こうとして、御聖断の再考を要求し、宮城を占拠する宮城事件。「玉音録音盤」の奪還、放送局侵入による「玉音放送」の阻止を図っていった事件など皇居内を舞台に描いている。

2015052016471889e1  岡本喜八監督作品では宮内省に保管された「玉音録音盤」を探す近衛兵の姿など活劇的な作品だったと印象に残っている。昨年公開の原田眞人監督作品では、ポツダム宣言受託に至るまでの陸軍内の軋轢、終戦内閣の閣議と昭和天皇の御聖断を中心に描いている。

  昭和20年7月26日の米英中が発したポツダム宣言では日本政府は国体(天皇を中心とした政体)を守ることはできないと判断し、ポツダム宣言を無視する。しかし、東京から地方都市に広がる空爆の激化。広島、長崎への原爆の投下。そしてソ連軍の参戦。8月13日の御前会議から14日の御聖断にてポツダム宣言受託を決め、15日の玉音放送になる。

  映画は戦争終結を決意していた鈴木貫太郎首相(山崎努)、天皇の気持ちを分かっていた阿南惟幾陸軍大臣(役所広司)、戦争終結を決断し、国体は護持されると確信していた昭和天皇(本木雅弘)の3人の思いを描きながら、ポツダム宣言受託から玉音放送まで陸軍内の動きと連動して描いている。

Main_b_large1  「阿南さんは辞めませんよ」と鈴木首相のセリフがある。この時代、陸軍大臣が辞職した時点で内閣総辞職となり、戦争終結は遠くなることになる。戦争を止めようとする天皇の想い受け止める阿南陸相。しかし、終戦詔書への字句「戦局好転せず」への修正を迫り、陸軍への想いと部下たちの戦争継続を願う気持ちをも理解する。そして苦悩しながらも切腹していく阿南陸軍大臣を役所広司がよく演じている。

  御聖断の再考を促す東条英樹元首相に対して昭和天皇は、「ナポレオンの前半生は本当によくフランスに尽くしたが、後半生は自己の名誉のためにのみ動き。その結果はフランスのためにも世界のためにもならなかった。わたしは歴史をそのように見ている。日本はその轍を踏みたくない。違うか?」。東条は黙礼して下がる。なによりも苦しむ国民のことを考えて判断した姿を描いている。

  この映画を観て、憲法第9条の戦争と武力の放棄は昭和天皇の発意であったのかもしれないと思えてきた。

066_3  御前会議における御聖断がなかったら、ソ連軍が北海道に上陸し、ドイツのように日本は東西に分断されていたことになっていた。日本の共産主義化を恐れたのは時の政府や財界であり、終戦、和平への道は急務を要していたこともある。しかし、何よりも指導者は戦争で苦しむ国民がいたことを忘れてはいけないことを描いた映画だと思う。

 御前会議の開かれた吹上御所にある地下防空壕。その映像が昨年の7月に宮内庁から公開されている。内部のコンクリートはひび割れ、雨水や土砂が流れ込んでいる。戦争を終結し平和への道を歩み出した史跡として残してほしいと願う。

 宮内庁から左にある「蓮池濠」を見ながら富士見櫓の脇を通り桔梗門まで歩き、皇居参観は終了した。案内をした係員は優しい言葉での説明だったのが良かった。何よりも現在につながっている史跡を観たと実感できたのがうれしかった。

009  今回の皇居見学で、ここは徳川時代から明治、昭和、現代に至るまで、国会と異なる日本の政治の大きな舞台であったことだとしみじみ思えた。 

   テレビドラマ「天皇の料理番」の中で、進駐軍将校に主人公秋山篤蔵の師匠である宇佐美(小林薫)は、「天皇は味噌のように、なじみ深いものだ。もし、毎日口にしている味噌が無くなったら、とても寂しく、暴動さえお起きる。この私もそれに参加するでしょう」と答えるシーンがあった。天皇の存在を言いあてているセリフだと思えた。

  ずっと以前に熊本からの帰路の飛行機で皇太子殿下一行と乗り合わせることになった。「このまま飛行機が墜落したら、皇太子殿下と共に亡くなるのかな…」と不思議な何とも言えない感無量の気持ちになった経験がある。天皇とは文化なのか…。いつまでも平和を願う天皇陛下であって欲しいと願う。   

                                         《夢野銀次》

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演劇の持つ楽しさと怖さ―映画「幕が上がる」

812ptn4vnrl_sl1500_1  「地区大会なら勝てる。地区大会、県大会、ブロック大会までいったとする。ただ、そうなると君たちは1月まで拘束される。この先、本気で勝ちにいくなら、楽しいだけじゃ済まされない。君たちにそれ相応の覚悟を求めることになります。結果…、人生を狂わせることになるかもしれない。――私は行きたいです、君たちと全国に、行こうよ全国に」と吉岡美佐子教師は演劇部3年生3人に迫る。

  富士ケ丘高校、新任の美術教師の吉岡美佐子(黒木華)の指導を受けて、地区大会止まりだった弱小演劇部が県大会、全国大会(全国高等学校演劇大会)出場を目指し、全力で高校演劇を打ち込んでいく姿を描いた作品、2015年2月公開の「幕が上がる」をDVDを借りて観る。

  監督は「踊る大捜査線」シリーズを手がけた本広克行。脚本は「桐島、部活やめるってよ」の喜安浩平。原作の「幕が上がる」は劇作家である平田オリザが、自らもワークショップなどで関わりを持ち続けてきた高校演劇をテーマに2012年に書き下ろした青春小説作品。

Image5_2 主演はももいろクローバーZの百田夏菜子・玉井詩織・佐々木彩夏・有安杏果・高城れいの5人にベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した黒木華。出演者や演劇に興味がない人であっても楽しめる作品に仕上がっていると、映画関係者・評論家は評価している(ウィキペディアより)。確かにその通りだ。観終って、この映画はすごくおもしろい。

 主演のももいろクローバーのことはまったく知らなかった。ネットで検索すると、略してももクロと言い、数人の客しか集まらなかった路上ライブから始まり、女性グループ初となる国立競技場ライブ公演まで行なうになっている人気アイドルグループと紹介されている。紅白にも出場していることを知る。最近は紅白を見ていないので歌の世界と縁遠くなっている。本広監督は「今、もっとも輝いている少女たちを演じてもらいたいとの想いがあった」とバックストップ100でコメンとを載せている。彼女らが舞台で演じる前へ進む姿は躍動感となって伝わってくる。決してこの映画はアイドル映画ではない。

Yjimage2  「公演、肖像画を演ってみたら」と吉岡先生は提案する。「何でもいいのよ、自分のことだったら。一人づつ創って、つなげる。一番気になってること、興味があること、今思ってること。テーマを家族等どう」。部長の高橋さおり(百田夏菜子)は「やって見せてよ」と吉岡先生に反発する。新入生向けのオリエンテーションでの「ロミオとジュリエット」を簡単に否定されたからでもある。

  短い沈黙の後、頷いた吉岡先生はいきなり窓を開け、自分の母のことを語り始める。その演技の迫力にさおりと他の2人、橋爪裕子(玉井詩織)と西条美紀(高橋れに)たちは「神様が降りてきた」と衝撃を受ける。吉岡先生が学生演劇の女王だったことを知り、指導をお願いする。素直な演技が光る百田夏菜子だ。

96958a9f889deae1e0e0e2e2e4e2e3e4e2e 加藤明美(佐々木彩夏)が演じる「お父さんの手」から始まる肖像画「われわれのモロモロ」のシーンはいい。ももクロの演技は教室という狭い空間を使って、何でもない日常生活の中にある家族のつながりを表現している。実際に山形の高校で演じているという「肖像画」。自分のこと、家族のことを楽しく表現し、観客席で観ている母親が感動するこのシーンはまさに演劇入門と言える。家族を誘って公演をする発想がおもしろい。

 原作者の演劇人、平田オリザのこともこの映画で初めて知った。ウィキぺデイアでは次のように紹介されている。

130pxoriza_hirata_speaking_at_tokyo  「平田オリザ(1962年11月8日生)は日本の劇作家、演出家。劇団青年団主宰、こまば劇場支配人。代表作に『東京ノート』など。現代口語演劇理論の提唱者であり、自然な会話とやりとりで進行していく『静かな演劇』の作術を定着させた戯曲集のほか『現代口語演劇のために』などの理論的な著書も多い」。

  そして現代口語演劇理論については、「日本における近代演劇は西洋演劇の輸入と翻訳にウェイトを置いて始まったものであり、戯曲の創作までもが西洋的な理論に即って行われてきた。このため、その後の日本の演劇は、日本語を離れた無理のある文体、口調と論理構成によって行われ、またそれにリアリティを持たせるため俳優の演技も歪んだ形になっていったと考えた。これを改善するために提唱したのが、現代口語演劇理論である。日本人の生活を基点に演劇を見直し、1980年代に見られた絶叫型の劇に対して、『静かな演劇』と称された1990年代の小劇場演劇の流れをつくった」としている。

  生活を基点とした演劇は「肖像画」のシーンで描かれている。また、「静かな演劇」の世界にも関心がでてきた。60年~70年代初頭の唐十郎、鈴木忠志、清水邦夫など「劇的なものを求めた」芝居と大きく様変わりしていることなのだと、改めて知った。今度、平田オリザが主宰する「こまばアゴラ劇場」に行ってみようと思う。映画の中の舞台演劇については、平田オリザがワークショップなどを通してももクロを指導したという。

201505242323311 演劇の強かった高校から中西悦子(有安杏果)が転校してくる。演劇部への加入を勧めるさおりと共に二人は茨城全国大会へボランテイアスタッフとして参加してみる。

  開演前の仕込みから、複数の高校の公演シーンが映し出されてくる。このシーンを観た人がブログに、「もし高校野球の女子マネージャーが青森の‟イタコ”を呼んだら」という青森中央高校の演劇部が出演公演しているのを懐かしく観たと記載している。どのシーンなのか分からないが、画面から全国大会の高校演劇のレベルの高さを感じた。

Img_0_m1 この全国大会の帰り、さおりと中西は「比奈駅」のホームで語り合う。(さおり)「どうして転校してきたの?」、(中西)「皆に迷惑かけ、追いつけなくなった。逃げたの」、(さおり)「私は演劇部に入り楽しいってこと分かった。皆と話ができるようになった。演劇って一人じゃできない」、(中西)「人は一人だよ」、(さおり)「でもここにいるのは二人だよ。中西さん、演劇を私とやりませんか、一緒に」と演劇への復帰を促す。一度演劇をやめた人にとり、このシーンはインパクトを与える。

  撮影した「比奈駅」は静岡県富士市を走っている岳南電車の無人駅だという。ホームの明かりと走る電車が「銀河鉄道の夜」を連想され、大会参加台本が「銀河鉄道の夜」にきまる。

  東京代々木青少年総合センターで合宿を行う。夜、芝居を観たあとに吉岡先生は皆を新宿高層ビル街の夜景を見せる。そして、「ちょっと前まで通っていたの、この街で。私は大学に行って、バイトをして、稽古に通って…。一杯いるんだよ、そんな人がこの街には。それこそ星の数ほど…。今は君たちもその一員」と語る。美しい夜景から将来を夢見る部員たち。しかし、この台詞が後の吉岡先生の決断の伏線になっている。

1312191  地区大会に入賞し、県大会への出場が決まる。この決まる瞬間はコンクール独特の緊張感が出ている。また地区大会の舞台上での先生役の佐々木彩夏が鐘を落とす。一年生の芳根京子の舞台上でのつまづき。舞台袖で見守るさおりの表情など、本番公演のもつ緊張感と人があがると動きが硬くなる怖さをも描いている。凄いと思った。

 吉岡先生の演技指導は「演劇は一発勝負じゃないの。本番のたびに同じことを繰り返さないといけないの。偶然に頼らない。最後に勝つのは計算された演技だけ」、「稽古を想いだすのよ」と地区大会での演技を想定して教えている。

  しかし、いざ本番の公演になると力をなかなか発揮できない役者の苛立ち、不安感、緊張感などをこの映画はよく表している。

1424963243004185001  県大会を1か月に迫った日、吉岡先生が突然教師をやめ、女優の道に進むことが演劇部員に告げられる。きっかけは夏の合宿の時に演劇仲間からのオーデイションへの誘いであった。復帰する吉岡先生は部員へ手紙でそのいきさつを語る。

 「そのオーデションは本当に楽しかった。一流のスタッフ、一流の出演者。その中に混ざって一緒に何かを創っていくことは私にはたまらない喜びでした」、教師から女優への道を歩む。それは母を裏切り、演劇部員を裏切る。それでも演劇の道を進むことが記してあった。そして「あなた達に出会い、あなた達を見て私は演劇の豊かさ思い出したのです」と育てる教師から自ら演じる側への選択したことの語りが画面に綴られてくる。演劇の持つ楽しさ、素晴らしさと喜び、そして演劇の持つ怖さが出てくるシーンだ。

Yjimage3  吉岡先生が去って元気を失ったさおりは滝田先生(志賀康太郎)の国語の授業で奮起を呼びこむ。

 滝田先生は地区大会での公演が素晴らしかったと誉め、「宇宙は光の速さで広がっていく。だから私たちはどうやっても宇宙の果てまでたどり着けない。たどり着けようがない。でも切符だけは持っている。どこまでもゆける切符。君たちの作品(銀河鉄道の夜)を観ながらそんなことを感じました」という言葉がさおりの胸に響く。高校の教師を教諭というのはこういう先生のことをいうのかなと思えてくるシーンだ。

  さおりは息を吹き返す。部員を前に「銀河鉄道の夜」の台本を手にして、「私たちは舞台の上ならどこにでも行ける。想像するだけなら無限だよ。でもたどり着けないんだ、宇宙の果てには…。それが不安ってことなんだ。私たちのことなんだなあって。でもみんなのことがつまっている、この台本。ここでやめるわけにはいかない。だってやめることは自分自身をやめるってことだから。――私はづづけます。行こう、全国に」とみんなの思いがつまっている台本・舞台こそが私たちなんだと言い切り、前へ進もうと語る。

  映画は県大会公演会場に来ている演劇部員の明るい家族の姿を映し出す。そして舞台の幕が上がるところで終わる。明るく気持ちの良いラストシーンになっている。

Image2_2 この映画の感想が「Togetter、映画『幕があがる』を観て~舞台という麻薬の演劇界」に記述されている。印象深い内容になっている。

  そこには、 「高校演劇というものをきちんと完璧に描いている作品です。素晴らしいです。しかし、舞台に立ったことを過去にできない人にとり、この映画は劇薬です。なぜなら、かつて味わった、あるいはその片鱗をかすかに知った、舞台に立つことの素晴らしさを綺麗に、美しく描ききっているからです」と指摘をしている。

 さらに裏切っていく吉岡先生の選択は「役者として正しい。この選択がなければ役者にはなれない」として、「一瞬の舞台が本当にきらめいて、どんな苦労にだって代えてもいいから、舞台にたちたいと思ってしまう。その美しさを知ったら、もう逃げられない」と舞台への復帰を選択した吉岡先生の気持ちを代弁している。そして「たくさんの人が、自分を表現することを楽しめる。そんな時代がきたらいい」と結んでいる。

 私もまったくこの感想と同感なのだ。記載者は高校演劇を経験してきた人だと思える。

Yjimagepyvxjs3b_2  原作の「幕が上がる」の中で、著者の平田オリザは吉岡先生を通して演出家を目指すさおりに、こう記述している。

  「最近出てきた新しい仕事で、ドラマターグという職種もあります。制作的な視点を持ちながら、劇作家や演出家にアドバイスをしたり、資料を揃えたりして、演出の補佐をしていくような仕事です。幸い、そういうことを学べる大学もいくつか出てきました。普通の大学の文学部に入って、現場でそれを学ぶ道もあります。そういうことを学んでおけば、プロの演出家になれなくても、たとえば故郷に帰って、公共ホールとかで働く可能性も開けます」と、その道への計画のアドバイスをしている。

   「好きだからやる」のでは世の中、そう、うまく生きていくわけにはいかない。感情や偶然に流されず、冷静に計算することだ。吉岡先生の計算された演技指導とダブる。ただこの本を読んで、高校演劇から上に進む道は広がってきていると思えてきた。高校演劇をしている人には是非読んで欲しい本だ。

  また平田オリザは自著「演劇のことば」(岩波書店)の中で、「東京芸大には音楽・美術があっても演劇科はない。公教育に演劇科がないことは、音楽や美術の分野でのプロを志し、志半ばでそれをあきらめても、教師になるという選択が残されている。しかし、演劇にはない」ことを指摘し、そこから「演劇を志し、それを続けることは、一種の大きな冒険であり、冒険であるからには、必ずそこにヒロイズム、自己陶酔がつきまとう。だから演劇は熱くなる」と選択の幅が少ないことを記述している。同書には明治以降、日本の近代演劇が歩んできた歴史を見つめながら演劇の持つ特異性を指摘している。吉岡先生の選択を、映画「幕が上がる」中でその一端を描いているのではないかと思えた。

Sub_b_large1_2  最近の地方自治体では、文化が地域を豊かにするとして公益法人文化芸術団体を設立して、文化芸術への力を注ぎ始めている。演劇・音楽に精通した人をアドバイザイザーにして、市民会館・美術館・博物館等を拠点として文化芸術団体が企画運営を行ない、文化の推進に務めてきている。文化会館などの運営公演には舞台プロデュサー、演出家など地方から求められてきているのだ。

  地域で活動している合唱団、朗読会、ミニ楽団、むかし語りなどの公演開催をしていくうえで、出演者の自己満足・自己充足の世界から、観客に感動を与え、ともに感動を共有する空間を創るということが求められている。そのためには広告宣伝、舞台制作から演技技能をも高めるシステム作りの構築が急務になってきていると思える。 

   映画の中で吉岡先生は問いかける。「あなたの人生を狂わせることになるかもしれない。それでも芝居をやっていきたい?」と…。その先に待っていたものは、何もかも失う世界だった。――でも後悔はしていない。その後、ちゃんと人生を歩んできた自分がいると応える。でも、…ちょっと悔しいなぁ。やり残したことがあった筈だ。何だかこの映画を観て、忘れていた頃の年代を思い出してきた。やばいかな。何が? ――また突き進むこと。

                                   《夢野銀次》

≪参考引用資料≫

平田オリザ著「幕が上がる」(講談社・2012年11月発行)/平田オリザ著「演劇のことば」(岩波書店・2004年11月発行)

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ハーモニーで綴るTBS金曜ドラマ「表参道高校合唱部」

Yjimage1  「地球にはハーモニーが必要である。こうして歌っていると、もしかしたらこのハーモニーで世界に奇跡を起こすかもしれない、なんて思ったりする。だから私は今日も歌う」と主人公、香川真琴(茅根京子)のナレーションで「表参道高校合唱部」第10話の最終回で終わる。

  TBS系金曜テレビドラマとして夜10時から平成27年7月15日から9月25日まで10回に渡り放映された作品。このドラマをネット配信で観ることができた。

  東京・原宿の表参道にある「表参道高校」が舞台の青春学園ドラマ。かつて合唱の名門校であった同校の合唱部は部員不足から廃部寸前になっていた。そんな中、香川真琴が香川県小豆島から転校してきて、部員の募集、呼び掛け、退廃的だった合唱部を立て直す。合唱の奏でるハーモニー、歌の力で仲間との出会いを描く、楽しくなるドラマになっている。そして何よりも忘れていた歌の魅力を思い起こしてくれた作品になっていることだ。

B150723_0021  《第1話》 「知っとるか?歌の語源はうったえる。ほんまの気持ち、声で伝えて歌うんや。ええか、合唱では仲間外れは許されん。全員が全員の為に歌う。それでやっとひとつの歌声になるんやから」と音楽時間に小学生の真琴に諭す鈴木有明(城田優)教育実習生。合唱に加わわり歌うことの素晴らしさ説く。東京から小豆島に転校してきて、クラスになじめなかった真琴が合唱と出会う場面になっている。

 ドラマは冒頭、10秒ジャンプしながらスポットを浴びた真琴の独白から始まる。「合唱とはいくつかのパートを複数人で同時に歌うことを意味する言葉である。地球にはハーモニーが必要である」と人との和が語られる。バックには桟橋で見送る小豆島高校の合唱部の「涙そうそう」の歌声が流れている。ドラマ全体に流れるメッセージとして受け止めるシーンでもある。

2015072200085828lisn0003view1 ~夜に堕ちたらここにおいで 教えてあげる最高のメロディ あなたはいつも泣いてい るように笑っていた (中略)  あたしだけの秘密の場所 夏のにおい追いかけて あぁ夢はいつまでも覚めない 歌う風のように…~ (「OverDrive」歌:JUDY AND MARY/作詞:YUKI/作曲:TAKYA/1995年)

  裏切ろうとした引田里奈(森川葵)は「♪ここにおいで」と舞台で歌う合唱部の歌を聴き、客席から立ち上がり口ずさみながら檀上に昇り合唱部に合流する。里奈は歌う。「♪歌う風のように~」と笑顔の里奈の歌声が講堂全体に透きとおるように響き渡る。ネットの中の世界から人前で歌うことの喜びを表している場面。とってもいい。歌詞と里奈の気持ちが合唱となって流れてくる。こうした歌は縁もゆかりもない私にとって、合唱曲として抵抗なく聴くことができた。

2015072700086501lisn0001view1  《第2話》 「私は今のままの合唱部なら歌えない。仲間を裏切ったままで、いい合唱になんてなるはずないから」と真琴は一人で歌いだす。

 濡れ衣を着せられ閉じこもる幽霊合唱部員の宮崎裕(高杉真宙)を引き戻すため家の前の路上で「♪いまわたしの願いごとがかなうならば翼がほしい」と歌いだす。合唱部員も合流し、「♪この背中に鳥のように 白い翼をつけてください この大空に翼をひろげ 飛んで行きたいよ 悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ 行きたい」(「翼をください」/歌:赤い鳥/作詞:山上路夫/作曲:村井邦彦/1971年)

  「翼」とは人への信頼、自分自身の拠り所、居場所などが浮かんでくる場面。「悲しみのない自由な空へ」…。「閉塞感」の漂う現代社会に飛び立つ「翼」とは何なのかを問われてくるシーンで胸が熱くなった。

  このシーンについて日刊スポーツコラムで森川葵氏が専門的にこう記述している。「最初に真琴が主旋律をソロで歌い、後でやって来た里奈が主旋律を引継ぎ、真琴が低音ハモリに自然に切り替える。この切り替えがあまりにスムーズで、絶妙なハーモニーを奏でている。(合唱部員)そろって合唱したところは鳥肌モノ」と絶賛している。

  70年代初頭に生まれた「翼をください」。今なお歌い続けられている意味は大きいと思えてくる。歌の持つ意味を考えていこう。

34335tbs_07312015_omote_news1  《第3話》 退部をかけて野球部の紅白試合に出場する桜庭大輔(堀井新太)。事情を知った真琴ら合唱部は、大輔の好きな岡本真夜の「TOMORROW」を応援歌として合唱する。

 ~涙の数だけ強くなれる アスファルトに咲く花のように 見るものすべてに おびえないで 明日は来るよ 君のために~

(「TOMORROW」/歌:岡本真夜/作詞:岡本真夜・真名杏樹/作曲:岡本真夜/1995年)

  球場に響き渡る「TOMORROW」のハーモニーは改めて合唱の魅力を引き出している。「明日は来る」ことの確信を受け取ることのできるシーンとして描かれている。素晴らしいシーンだ。しかし、高校野球の試合で応援曲「TOMORROW」をまだ球場で一度も聴いたことがない。どこかの高校で使用しているか、注視していこう。

2015081700089190lisn000view1  《第5話》 離婚した父はホームレスになっている。父を慕う谷優里亞(吉本実憂)はタレントになるため、その父を他人だと突き放す。しかしオーデイション会場前の路上で合唱する「トレイン トレイン」を聴き、父を慕う気持ちを思い出し、正直になろうと走り出す。故郷に帰る父を見送に行くために。走る姿は歌詞と重なり応援したくなるシーンになっている。

  ~栄光に向かって走る あの列車に乗って行こう 裸足のままで飛び出して あの列車に乗って行こう (中略) 見えない自由が欲しくて 見えない銃で撃ちまくる 本当の声を聞かせておくれ Train-Train 走ってゆく

 Train-Train 何処までも Train-Train走ってゆく Train-Train何処までも

(「Train-Train」 歌:ブルーハーツ/作詞作曲:真島昌利/1988年)

  公園でホームレスの優里亞の父と真琴の父雄司(川平慈英)の会話の中で「娘への気持ちは覚めない恋だから」という台詞にドキッとした。このドラマは「歌を忘れた中高年」に向けたドラマになっていると思えてきた。

20150822020311  《第6話》 合唱部と共に歌い終えた大曾根校長(高畑敦子)は「簡単なことだったのね。あの人が歌えないなら、その分を私が歌えばいい。あの人が歌った歌はそこにある」と合唱部員の前で語る。

 亡き夫と共に歌った「心の瞳」を再び歌うことができたことへの想いが出てくるシーンだ。

 ~心の瞳で君を見つめれば 愛すること それがどんなことだか 分かりかけてきた 言葉で言えない胸の暖かさ 遠回りをした人生だけど 君だけが 今では愛の全て 時の歩み いつもそばで分かち合える たとえ明日が少しずつ見えてきても それは生きてきた足跡が あるからさ (中略) 心の瞳で君を見つめれば (「心の瞳」/歌:坂本九/作詞:荒木とよひさ/作曲:三木たかし)

  ドラマの中で高畑敦子が「坂本九さんの遺作よ」と「心の瞳」を真琴に紹介する。九ちゃんではなく九さんと語るところに坂本九への想いがでている。私は知らなかった。「心の瞳」が合唱曲として広く歌われている坂本九の遺作であることを。最後に残していたのかと驚き、改めて坂本九への感謝の念が湧いた。

2015090600091830lisn000view1  《第7話》 廃部寸前だった合唱部がコンクールに出場することになる。選んだ曲が「ハナミズキ」。心臓手術で意識が回復しない夏目快人(志尊淳)が好きな曲であり、彼の回復を願い、入賞を目指し合唱する。

  ~手を伸ばす君 五月のこと どうか来てほしい 水際まで来てほしい づぼみをあげよう 庭のハナミズキ 薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように 君と好きな人が 百年続きますように

  (「ハナミズキ」/歌:一青窈/作詞:一青窈/作曲マシコタツタロウ/2004年)

  この曲には「君と好きな人が百年続きますように~」というように全ての人がずっと平和で暮らせるようにという願いが込められているという。ハナミズキの花言葉は「私の想いを受け取ってください」。意識の戻らない快人に合唱部員の「想い」がコンクール会場に響き渡る。「ドラマ開始当初はほとんど合唱したことのなかったいうキャスト達が日々のトレーニングを重ね、成長してきた」との評価がネットで記載されている。

2015082000089578lisn000view1_2  ドラマは第10話の真琴の両親が「愛の歌」の合唱で離婚することなく、表参道高校で合唱を続けて行くところで終わる。

  梅田恵子は日刊スポーツ「梅ちゃんねる」(8月18日配信ネット)で「(表参道高校合唱部は)実際、歌声は視聴者の心をつかんでいる。視聴率は5%前後で推移しているものの、視聴者満足の高さは夏のドラマの中でも群を抜く」と高い評価をしている。さらに高成麻衣子プロデューサーの言葉引用し「声を和するとか、仲間を信じるとか、今の時代に足りないものが合唱にある。メールとSNS、アプリを通したコミュニケーションがちょっと息苦しくなってきた時代に、生の声のやりとりというアナログコミュニケーションの力を再認識したいタイミング」と合唱を通してのドラマ作りに高い評価をしている。

 合唱には、「自分の気持ちを伝える」「仲間と声を合わせる喜び」「ハーモニーは新鮮な音楽空間を創る」「共に喜びを味わう機会を得る」「相手の声を注意深く聴く」「合唱する仲間は聴き手である」「とても参加しやすい」「上手く歌えなくても優しく包み込む懐の深さがある」「人の声での協和音は気持ちがよいもの」という要素がある(清水敬一著・監修「必ず役立つ合唱の本」より)。テレビドラマ「表参道高校合唱部」は合唱の持つハーモニーによって生きることへの喜びを如実に表現したドラマであると思えた。

  「表参道合唱部」を観ながら、流れてくる合唱曲はずーと以前から続いている歌に感じられた。ジャンル別に区分けされている音楽の世界ではない、底辺に流れる音楽の道標を示していると思えてきた。現在の音楽を「意味不明、分からない」「うるさい」など拒否をしないで、向き合っていくつもりだ。ただし、いいなあと感じた曲だけにする。

1280x720uph1_3  香川真琴役の茅根京子は吉永小百合の日活青春時代の映画を思い出してくれた。土臭さをもった女子高校生の役を演じている。顧問の鈴木有明先生に曲のアレンジを頼むシーン等、自然体の演技が微笑ましく清々しさを感じ、観ていて気持ちがいい。

  また引田里奈役の森川葵は1話の暗い女子高生から「♪風のように~」を歌いだすシーンは印象深い。そして4話における「原宿まつり」ステージでの「学園天国」の冒頭の“アー・ユー・レディ”という掛け声はグッとくるタイミングを披露している。茅根京子とあわせて森川葵も注目していきたい。

 夜の10時代の放映。青春学園ドラマとしているが、やっぱり中高年が涙流して、歌を聴きながらドラマを観るような気もする。それでも良い。温かくなるドラマは貴重だ。素晴らしいドラマありがとう。

≪参考引用資料本≫

清水敬一監修「必ず役立つ合唱の本」(株式会社ヤマハミュージックメディア、2013年2月発行)

                                   《夢野銀次》

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所詮、剣は武器なのか…。中村錦之助「宮本武蔵」

Img_31  小次郎を倒した武蔵は厳流島を後にする。舟に乗る武蔵は右手で強く握っていた櫂を放す。その手のひらには赤い血が広がっていた。

 「―あれから10年。己を高めるため剣に励んできた。しかし、この空虚…。所詮、剣は武器なのか…」と武蔵の独白で映画「宮本武蔵」全5作品が終わる。

  東映映画作品、内田吐夢監督、中村(萬屋)錦之助主演による「宮本武蔵」は昭和36年(1961)5月公開の第1作から昭和40年(1965)9月公開「巌流島の決闘」の5作まで、5年間を費やして宮本武蔵を描いた大型時代劇映画だ。

  私が中学から高校にかけて公開された映画だったが、今回DVDを借りて全5作品を観た。

581_3  改めて観たこの作品。宮本武蔵17歳、慶長5年(1600)9月の関ヶ原合戦から慶長19年(1614)4月の厳流島決斗までの14年間。相手を倒すことが死に至らしめるという武芸者としての苦悩、迷いながら生死をかけた勝負に挑む剣豪武蔵の内面を鋭く描いている作品だ。

  主演の中村錦之介も29歳から34歳とあふれる精神力で宮本武蔵に挑み、円熟味を増した武蔵を演じている。 

Sim1_3  宗彭沢庵(三国連太郎)に諭され、白鷺城天守閣内の開かずの間での3年間、学問を究め己の自己変革を経ていく。幽閉の間から沢庵に導かれ、武蔵は新たな世に旅立つ。

 「魂としての剣を通して己を高める」と武蔵は武芸者への道を歩み出す。21歳青年武蔵のすがすがしさを錦之助は演じている。しかし、花田橋にて待っていたお通(入江若葉)への気持ちを断ち切る。情愛の世界を拒否する武蔵の苦悩をも描く。

041_2_5  宝蔵院長槍の道場。阿厳(山本麟一)の槍を一打で倒す武蔵。

  長槍を振り回し、槍を構える山本麟一の引き締めた表情は迫力ある。強さと優しを表す俳優で東映の好きな役者の一人だった。

  2作目「般若坂の決斗」のラストの殺陣シーンは4作目の「一乗寺の決斗」と並び迫力がある。1人で大勢と闘う際に走る剣。足を止めた時には負けが来るからだ。武蔵は浪人たちを斬っていく。そこには逃げられない生きるという執念さを表している。般若坂の決斗には意外な策があった。奉行と宝蔵院による浪人狩りだった。武蔵を利用しての浪人狩りだった。浪人たちの亡骸に念仏をとなえる日観(月形龍之介)。武蔵は「殺しておいて何が念仏だ。嘘だ。違う違う。剣は命だ」と絶叫する。策に踊らされた己への怒りなのか…。

101_2 73人対1人の一乗寺下り松の殺陣のシーンは圧巻。

  吉岡一門弟、多数を相手に田圃に足を取られながら二刀で戦う殺陣は獣の争いを彷彿させる。

  モノクロ画面から浮かびあがる下がり松。水墨画を連想させるシーンだ。派手な衣装の吉岡一門名代12歳の源次郎を武蔵は戦の道理として突き殺す。このことが、以後の武蔵の歩みに暗い影となっていく。

 「やらなければ己が死ぬ」、「12歳の少年を名代にした吉岡一門こそが間違っている」。その通りだが、画面を見ながら、他の方法もあったのではないかと思えてくる。どこかしっくりいかない、後味の良くないラストだなと感じた。それとも戦の非情さを汲みとるべきなのか…。考えていこう。

061_3   全編を覆うセットが素晴らしい。

   京都清水寺参拝道、奈良の武蔵が泊まる家のセットの重厚さや光悦宅の門から屋敷内の陶器釜から刀鍛冶場へのセットなど時代絵巻をリアルに映し出している。東映太秦京都撮影所の凄さに感心させられる映像だ。

  さらにこの一連の5作品の映画は当時の町の風景や牛車、川船、舟橋などの街道沿いの様子を画面に見せてくれている。――おもしろいのだ。

T02200165_06400480102926438141_3  大和路に向かう街道で城太郎(竹内満)が米12俵を積んだ牛車に乗るシーン(第2作「般若坂の決斗」)。

  荷馬車など車での陸路輸送は江戸期にはなかった。徳川幕府が陸路での荷馬車での輸送を禁じていたからだ。わずかに牛車による輸送が限られた区間(京都大津間や駿府や江戸)だった。荷を運ぶ牛車シーンを見ることができた。

  どうして、荷馬車など車での輸送を幕府は禁じていたのか?寛政の改革のおり、老中松平定信に儒者中井竹山が荷車に使用をしての陸運の効率化を提言したとされている。しかし、その返答は宿場伝場制が維持されないとして、採用されなかった。駄馬では2俵しか運搬できないが、中井竹山提言ではその数倍も運搬できる。交通の効率化など当時の幕府は考えていなかった。

  荷車は「街道のわだち堀れ(路面の凹状態)や橋梁の荷重制限を理由に参勤交代が大幅に緩和される文久2年(1862)まで禁止されていた」と谷釜尋徳著「幕末期における旅人の移動手段と荷車の登場」に記述されていることをネットで知ることができた。今度読んでみようと思う。

141119a11_2  第3作目「二刀流開眼」から佐々木小次郎(高倉健)が登場してくる。

   淀川べり土手にて小次郎と吉岡門弟との斬り合うシーンで淀川を上る川船がでてくる。この川船を4人の水夫たちが竿を使って川を船で上っていく。土手から綱で引っ張って上っていく川船ではない。さらにこの船は藁屋になっている。その藁屋はみすぼらく出来ている。藁屋の中には客が乗っている川船。初めて見ることができた。

   また、板を互い違いに並べている舟橋などが出てくる。「本物の時代劇」を描こうとしている姿勢が伺えた。

  高倉健の佐々木小次郎。高慢で自信にみちた小次郎を演じている。しかし、ラストの厳流島の対決の時には武蔵の「心の剣」に」対して「剣は力と技」として強い剣客として成長している小次郎を描いている。高倉健が演じた小次郎、武蔵と異なり相手の命を奪ってはいない。しかし、朱美(丘さとみ)を通して不気味さを漂わせ、怖さを感じさせている小次郎を演じている。華麗な剣士の中に強靭さを備えた高倉健だ。

Sim1_2_2  この映画で涙腺が緩んだシーンがある。 5作目の巌流島での決斗を告示する高札場の近くで、又八とお杉婆とが再会するシーンだ。

  高札場からお通を通してカメラが移動する。四辻の角で子をあやす朱美がいる。お通が近寄る。朱美も又八の許嫁だったお通と分かる。そこにもらい乳をもってきた又八(木村功)が現れ、お通と再会し、子が又八と朱美の子であると分かるお通。

  この光景を木の陰が見ていたお杉婆(浪花千栄子)が涙を浮かべ、「わしの孫…。えーい、そのような子は知らぬ。知らぬ、知らぬ、知らぬわい。本位田の血ではない。みなしてこの婆を笑いものにするがよい、知らぬ、知らぬ」と泣き叫ぶ。お杉婆に3人は気がつき、お通がお杉婆にそばによる。「このような可愛いお子です」とお通はお杉婆に子を差し出す。又八が泣き叫ぶ母、お杉婆をなだめる。――このシーン、涙がでてきた。

  さらに巌流島に旅立つ武蔵を見送るお杉婆の表情がいいのだ。その表情は昔年の恨みが解けた表情になっている。感動的な場面だ。

  武蔵を追い求め、突き詰めていた緊張感が解き放たれ、湧いてくる「うれしさ」を整理できないで泣き叫ぶお杉婆。恨みが解けた表情。浪花千栄子の演技には動作があって台詞がでてくる。台詞と動作、表情が重なり、味わい深い演技だなあと感心した。

  最初に浪花千栄子の映画を観たのが「大坂物語」だった。貧しい一家が大阪船積場で落ちている米粒を親子で一粒一粒拾い集めていくシーンが印象に残っている。やがて両替商になっていく映画。東京の叔父さんの家の近くの東武線曳舟駅前の映画館で見た映画だ。貧しい中に貪欲に生きる映像が強く印象に残っている。

Photo_2  「そこは下総国行徳村からずっと一里程ある寒村だった。いや村というほど戸数もない。一面に篠や蘆や雑木の生えている荒野であった。里の者は、法典ケ原といっている」(吉川英治著「宮本武蔵・空の巻」より)。

    黒沢明監督「七人の侍」のヒントになったのではないかと言われている宮本武蔵が村人と共に収穫米を収奪にきた野盗と戦う「法典ケ原」の冒頭の書き出し部分。

  実際に武蔵が船橋法典に来たかどうか史実にはないと云われている。吉川英治の創作上の「法典ケ原の戦い」。原作に書かれてある市川市行徳にある徳願寺。その境内には「宮本武蔵供養地蔵」が祀られている。

  「法典ヶ原の戦い」は5作目「巌流島の決斗」の前半の山場として荒地を耕す武蔵の姿と野盗との戦いを描いている。少年、三沢伊織(金子吉延)の家にて荒地を開墾、鍬を持ち、米作りをする武蔵。吉岡一門を倒して6年後の武蔵の容姿は求道者のようになっている。

  収穫した米2俵を伊織と共に村に納める。その夜に収奪にきた野盗を武蔵は村人を指揮して撃退していく。翌朝には武蔵は伊織をつれて村を去る。伊織の家の玄関板に貼られてある『村の者心得べき事』と記された文。その文を徳願寺に来ていた長岡佐渡(片岡千恵蔵)が読む。

 「鍬も剣なり 剣も鍬なり 土にいて乱をわすれず 乱にいて土をわすれず 分に依って一に帰る 又常に 常々の道にたがわざる事」

  小倉藩細川家の家老長岡佐渡は「武蔵という者、相当な人物だな」と唸る。やがて巌流島決斗へと伏線になっていく。「鍬は大地を耕すもの。剣は心を耕すもの。されど一つなり」。原作では耕作しながら川の氾濫から、謙虚に自然と向き合うことを会得する武蔵を吉川英治は書いている。万物はみな一つなり。自分としてもこの言葉、もっともっと吟味していきたい。

Imgd8d421c0zik1zj1_3  吉川英治が朝日新聞に連載をしたのが昭和10年から15年。日本が戦争へと突入していく時代を背景にして出来上がった小説だった。生きることと死ぬことが今よりももっと切実に感じられる世相になっていた。

 「今の時代、何が必要なのか。それは自分をしっかりもって強く生きていく精神力だ。そのために少しでも役立ちたいと、この小説(宮本武蔵)を書いた」と吉川英治は「随筆・窓辺雑草」で記述しているという。

  昭和29年に中国から遅れて復員してきた内田吐夢監督。関ヶ原の戦いの敗残からの14年間の宮本武蔵の生きざまを描いた映画として完成させた。昭和20年の敗戦から高度成長へと進んできた昭和35年。映画「宮本武蔵」を撮る。戦後の15年間、監督自身を含めて生きてきた像を「宮本武蔵」に投射する姿勢でこの映画を撮ったと思える。

  生死をかけた勝負は負けたら命はない。勝っても敗者への想いを背負っていく。それでも己を高める生き方をしてくことを望む。内田吐夢の描いた武蔵像は生身の苦悩し、道筋を求める青年像を描いている。

 生死をかけての人生を歩む心構え。自分はそれを行なって歩んできたのか…? 

――改めて生死をかけての心構えに向き合っていく。

 「この映画、後世に残る映画だな」と観終った時の素直な感想を抱いた。

                                          《夢野銀次》

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収穫の秋を迎え、今を生きる―映画「おかんの嫁入り」

Photo  我が家の周りの水田は黄金色に染まっている。収穫の始まった稲穂の田圃。耕運機で代かきが始まり、田植え機によって田植えを行ない、最後はコンバインという機械で稲狩りを行なう。稲穂の生育は一人の機械の操作で終わっていく。広い稲穂の田圃の光景を見ながらどこかに寂しさを感じる。 

Photo_2  ――秋を迎えた。

  菜園から落花生を収穫した。

妻が落花生をゆでてくれた。口に含んだ落花生は柔らかくて甘い。うまい落花生になっている。

   平成22年(2010)作品の「おかんの嫁入り」を図書館からDVDを借りて観る。娘月子(宮崎あおい)と母親陽子(大竹しのぶ)の優しく心温まる世界を描いた作品だ。「おかん」は関西弁で母親のこと。関東では「かあちゃん」と呼ぶ。私は母親のことを「かあちゃん」と呼んでいた。

Img_01_2    監督はこの作品が二作目となる呉美保(お みほ)。因みに三作目「そこのみ光輝く」は今年(2014年)のモントリオール世界映画祭において最優秀監督賞を受賞し、今一番注目されている監督の一人になっている。

  ある雨の降る深夜に金髪のリーゼットの若い男研二(桐谷健太)を家に入れ、娘に結婚することを宣言する母親。母娘のいさかいの中、末期癌である母親陽子は白無垢姿で娘月子に向き合い語る。白無垢姿で語る大竹しのぶの台詞と聞き入る宮崎あおいの表情が感動的だ。

 「残りの時間の中で何をすべきなのかを考えました。私が今すべきことは私の人生を私らしく幸せに生きることであり、それを月ちゃんに見せることによって、月ちゃんも自分の生き方を見つけてもらいたい。そう思いました。月ちゃん、こんな身勝手でわがままで、どうしょうもないお母さんですが、どうか最後の日まで、どうか一緒にいてください。よろしくお願いします。…こういうのいっぺんやってみたかってん」。涙を浮かべて母を見つめる月子。柳田國男が説いている「ハレとケ」の世界だなと思えた。ハレという非日常的な世界での衣装―白無垢の花嫁姿は普段の自分をも変身させ、言えない言葉を自然に喋れる世界を描いていると思えた。

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  25歳の月子は退職して一年、犬との散歩など周辺を出歩くことはできるが、電車に恐怖を抱き、社会に復帰できないニートになっている。同僚からストーカーに会ったからだ。自転車置き場でのその同僚の男から突き飛ばされるシーンなど怖さを感じる。母親は娘と一緒に電車に乗って白無垢衣装合わせに行くことを誘う。電車に乗ろうとしても、なかなか前へ進めないでもがく娘月子。プラス思考のおまじない「ツルカメ」をつぶやき続ける。その時、月子の耳元に「ツルカメ ツルカメ ツルカメ」と母親の陽子のつぶやきが聞こえる。二人は共に電車に飛び乗る。やったあ、できたあ――。と抱き合い喜ぶ母娘。とても温かいシーンだ。

  研二やさく(絵沢萠子)と共に食事しながら母親の結婚にふて腐れる娘に「放さない、放さない」と娘月子を抱きしめる母親の陽子。「あんたら目くそ鼻くそや」と敷地内に住む大家のさくから言われる母娘の関係。

Ph211 この映画の人物たちの関係性が陰鬱ではなくカラットと描いているのが気持ち良い。それは食事のシーンが多いということだ。10月4日ラジオ放送のNHK第一の「かんさい土曜ほっと」の中で、大学教授でもある司会者の佐藤誠司氏は「家族の定義は食事を共にすることだ」ということを引用して語っていた。共に食事をすることこそ人を結びつけるということなのだ。

 陽子の結婚に異を唱えず、怒った月子を泊める隣の大家さく。さくは陽子の家にあがり食事もする。しかし、結婚には異を言わず、母娘の微妙なやりとりには足を踏み込まず距離を置く。陽子が勤める村上医師(國村隼)も板前をしていた研二がつくる料理をうまいと言って食べる。そして陽子の結婚に異は唱えない。

 いい加減な若者と思えた母親の結婚相手の研二。おばあちゃんを亡くしたことを月子に語る。「今当たり前に思ってることが、すぐ先で、そうじゃなくなるかもしれんことを、結局死んでしもうてから気づかされて――。もう二度とばあちゃんに会うことも、謝ることもずーっと ずーっと後悔しながら…」と祖母の思いを語る。娘月子がいない家では縁側の下で寝るなどけじめを知っている青年に描いているのが印象的だ。

 母娘の周りの親しい人たちはちょっとした距離を置いて見守る姿勢を描いている。ドロドロした関係を作らない世界。それがこの映画全体を包んでいるように思えた。「おかん」という語感も暗くないのだ。

003_2  先日、五木寛之の講演「いまを生きる力を」を聞いてきた。主催が浄土宗関係だったためか会場には宗教色も感じられたが、講演内容には仏教色が無かった。生命は有限であることを改めて知った講演だった。

  昭和7年9月30日に生まれの五木寛之は82歳を迎えている。「人生をどう生きるかを書いた本はたくさんあるが、60歳以後の生き方を書いた書物は少ない。生命は無限ではない。人間の一番強い欲である生存欲。誰もが迎える逝くといこと。その生存欲を克服、断ち切るには今をどう生きるかだ」と指摘した。

  さらに慈悲という言葉の持つ意味を述べた。印象深い指摘だった。慈と悲をわけて考える。オーム真理教で服役中の息子に会う父と母。慈父―厳格だが優しさと厳しさを持ちながら息子を理解しようとオーム教関連の書物を読破する。息子の思考を理解し、支えようとする。悲母ー父と息子が理論抗争していても、じっと黙って息子の手を握りつづける母親。末期を迎えた時に慈が病院の治療ならば悲は看取る家族の優しさなのだと五木寛之は語った。

Photo 若い女性も多かった五木寛之の講演を聴きながら、いずれ自分にも別れを告げる時が確実にやってくることが胸に浮かんできた。66歳という年齢は、その時が来るのが近いことだ。その時に向けてどう生きていくのか…。限りある生命。今をどう生きるかを問われた講演だ。

 我が家の庭先では雌の夢野と雄の銀太がコンバインで稲狩りをしている様子を眺めている。

  二歳年上の兄が入院している。人工透析を30年近く続けてきたうえでの入院でもある。横浜に嫁に行き、二人の子供がいる一人娘の姪は頻繁に横浜から栃木の総合病院にきて兄を看ている。兄嫁は10年前に他界している。家族は父娘の二人だ。娘が父を看ている。子供のいない私にはうらやましいと思える光景だ。

 自らの生命は有限…。

 映画「おかんの嫁入り」は、生命の限りを知った母親が『嫁入りする』という行為を通して、娘に自分らしく今を生きることを見せる。そして、娘に最後までずっと一緒にいてほしいことを願う。さわやかな感動を私に与えてくれた映画だ。

                                        《夢野銀次》                         

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女の海峡-「男はつらいよ」から渥美清と都はるみをみる

4120000213357_1l1  「はるみちゃんは他の歌い手さんと違って、なんだかいやいや歌を歌っているように見えるんだよね。怠け者のおれに似ていて、歌を聞いていると親近感が湧いてきて安心するんだ」と都はるみを語った渥美清。(「昭和の自由と象徴『寅さん』を生きた男―渥美清」より)。

   スクリーンの中で、渥美清が都はるみをじーと見つめる小さな眼。真剣な眼差しは怖さを感じるシーンだ。「とらや」の庭先に集まった柴又界隈の人たちに縁側から「アンコ椿は恋の花」を歌う京はるみ(都はるみ)。縁側の脇から歌う京はるみの横顔を台所に立って見つめる寅(渥美清)。厳しく真剣な眼差しをした寅さん。いや役者渥美清が歌手都はるみに注ぐ視線となって映ってくる。山田洋次監督と渥美清は都はるみの何を描こうとしていたのだろうか?この映画は車寅次郎とか京はるみという役柄名より、渥美清と都はるみでみた方がおもしろいと思えた。

  映画「男はつらいよ」シリーズ31作目「旅と女と寅次郎」は今から31年前の昭和58年(1983)8月に公開された作品。マドンナ役は当時人気絶頂だった歌手の都はるみ。

3fd4266681dc63b40989ce715ab562e91 都はるみの役柄は人気歌手「京はるみ」。歌手都はるみがそのままの役柄に設定されての出演。映画の中で歌う曲「涙の連絡船、惚れちゃたんだよ、アンコ椿は恋の花、女の海峡」はいずれも都はるみの歌。シリーズの中でも異色の作品と位置づけされている。

 都はるみのファンであった渥美清の要望で企画されたとも言われている。「寅さんシリーズ」の企画に渥美清も加わっていたと云われている。

 「おれは歌手は、美空ひばり、都はるみ、大好きだよ。それに、中村美津子っていうの、一回見てみたいねぇ。まあ、この三人だな」と渥美清の付け人をしていた篠原靖治氏は「生きてんの精いっぱい 人間渥美清」の中で記述し、「おれは怠けもんだからねぇ」と渥美清はよく口にしていたことも書かれてある。

Img_11_2 佐渡島の民宿で「矢切の渡し」を浴衣姿のはるみが口ずさむ。「うまいな歌が、銭とれるよ」と思わず唸る寅さん。失踪してきたことを寅さんに話すはるみ。寅は黙って優しく聞く。酔ったはるみは「寅さん、明日は何時?」と聞く。「何時って、好きな時に起きればいいんだ」と答える寅。「そうなんだ。わたしは自由なんだ」と喜ぶはるみ。束縛された世界から自由に生きている寅さんを見るはるみ。浴衣姿の35歳の都はるみが若い娘のように映し出され艶を感じさせる。一年後に都はるみの引退宣言する心情がここに隠されているように見えてくる。

Hqdefault1 ~別れることは死ぬよりも もっと淋しいものなのね 東京をすてた女がひとり 汽車から船に乗りかえて 北へ流れる… 夜の海峡 雪が舞う~

~砕けた恋に泣けるのか 雪がふるからなけるのか ふたたび生きて逢う日はないと こころに決めた旅なのに みれん深まる… 夜の海峡 わかれ波~

~いのちと想う愛もなく 海の暗さが眼にしみる 汽笛よ波よおしえておくれ 私の明日はどこにある こころ冷たい… 夜の海峡 ひとり旅~  「女の海峡」(作詞:石本美由紀、作曲:猪俣公章)。

  平成2年(1990)5月10日、都はるみはNHKホールでの「都はるみ復帰コンサート」をネットで開き「女の海峡」をYouTubeで見ることができた。昭和47年(1972)発売の曲だが、NHKホールのステージで歌う都はるみの詞がズシーンと響いて来た。「別れることは死ぬよりももっと淋しいものなのね」…男(女)からの別離を受けグサッときている女(男)の心情だ。「砕けた恋に泣けるのか雪がふるから泣けるのか」…雪のように心が冷たく泣ける。そして、「私の明日はどこにある」…明日を模索しながら暗い波間の闇を見つめる姿が浮かびあがってくる。詞と曲と歌が一体となった深さを感じるステージでの歌だ。そこには復帰を決意し、真剣に緊張感を持って歌う都はるみが観客を魅了する姿が映っていた。この歌は「男はつらい」の中の最後に都はるみが歌っていたことを思い出した。DVDを借りてきて31年ぶりに「男はつらいよ 旅と女と寅次郎」を見た。

Img_01_2  ~海は荒海、むこうは佐渡よ すずめ啼け啼けもう日はくれた みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ~(「砂山」北原白秋作詞、中山晋平作曲)。岸壁から佐渡の碧い海に向かって明るく歌う。笑顔が可愛い都はるみ。そばには渥美清が優しい眼差しで見つめる。佐渡島のロケーションがきれいだった。31年前、最初に見た時、これは『ローマの休日』だと思っ。さらにラストで歌う「女の海峡」は何と暗いのだという印象を受けたのを憶えている。シリーズの中でこの作品は余興だと言う人もいた。しかし有名人へ思慕する寅さん「あってもいいな」と感想を持ったのだ。

 渥美清は感じていたのか、知っていたのか?都はるみが歌うことに葛藤していたことを。もしそうならば、渥美清という役者、映画を通して都はるみに向かい、同じ芸の世界で生きる者としての叱咤激励している映画に見えてくるのだ。田所康男が渥美清になる。北村晴美が都はるみになる。虚像と実像の狭間で芸に生きる世界を共に共有する二人。しかし、都はるみはこの映画公開の翌年の3月に引退発表を行う。そしてその年、昭和59年(1984)の大晦日の紅白歌合戦を最後に引退をする。大トリで「夫婦坂」を歌う都はるみ。その時の瞬間視聴率は84.4%と紅白史上最多の視聴率をあげた。美空ひばりの足跡を追いながらも「女のしあわわせ」を選んでの引退だ。映画「男はつらいよ」は都はるみの引退への呼び水になったのかは誰も述べていない。たまたま偶然が重なったということなのだろうか。

  昭和57年(1976)、「岬」で芥川賞を受賞し、平成4年(1992)に46歳の若さで死去した中上健次は「天の声 小説都はるみ」で都はるみを昭和62年(1987)に書いている。歌を歌う子供の頃から紅白歌合戦で引退するまでの都はるみの内面を書きながら、「天成の徴つきの歌手が今日、歌と心中する。心中するしか、歌の魔力からのがれる方法はない」と引退を決意するまで、歌の魔力と戦う都はるみの内面を描いた本だ。 

510b5cmrdml_sl500_aa300_1_2 「20年間の歌手生活をくくるとしたらこの5曲。《うなった》「アンコ椿は恋の花」、《泣いた》「涙の連絡船」、《ささやいた》「北の宿から」、《つぶやいた》「大阪しぐれ」、そして《遺書》としての「夫婦坂」が、都はるみの代表曲だと本人は思っている。またそれが大方の世間の意見でもあった」と引退後、プロデユーサーとして芸能会に復帰してきた頃のシンポジュウムでの都はるみの発言から記述している有田芳生著「歌屋 都はるみ」(1997年10月文春文庫本)を読んだ。

  ノンフイクションの同書は都はるみの子供の頃から、京都での母親から歌を教えられ、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝、あこがれの美空ひばりと交流、市川昭介との出会いから、離婚、中村一好とのコンビと事実婚、引退、音楽プロデユーサーとして芸能界への復帰、美空ひばりの死をきっかけに歌手として復帰。復帰した都はるみの新たな「歌屋」として歌への挑戦など、詳細に丁寧に書いている都はるみそのものを著した本だ。同年輩の私にはいつも身近に存在した歌手であったため、今回、この本を読むことで多くの都はるみを知ることができた。本の最後は「歌屋」として歌手活動を続けていく都はるみを描いている。 

 中でも平成元年(1989)6月11日に放送された「サンデープロジェクト」中でコメンテーターとして出演していた都はるみの番組内でのコメント、全文が記載されている。美空ひばりの訃報を受けてのコメントだ。子供のころから美空ひばりの歌を聴きながら美空ひばりを目指してきたこと。北の宿でレコード大賞を受賞する時に週刊紙に差別中傷記事が載り、歌手を一番辞めたかったこと。その時に美空ひばりから「いろいろなこと書かれたねぇ。だけどまあ頑張って歌いなさいね」という励ましを受けたこと。引退する際には美空ひばりから、「あんた、自分のいちばん大事なものを捨てるんだから、幸せになんなきゃ怒るよ」と、ものすごい怖い顔でにらまれたこと。家族問題で同じようにマスコミから攻勢されてきた美空ひばりの励ましの言葉が大きかったことが記述されいる。読みながら改めて美空ひばりの存在が大きかったことと都はるみの歌手としての葛藤に唸ってしまった箇所だった。 

  同書「歌屋 都はるみ」の中で渥美清が出てくる箇所がある。昭和49年(1974)10月11日にNHKホールで開いた「都はるみ10周年記念リサイタル」での箇所。この時の演出構成はミュージカル演出家で「若者たち」「希望」の作詞家でもある藤田敏雄が手掛けている。藤田敏雄はまず「二時間を一人で勝負しなさい」と都はるみに宣告し、すべてフルコーラスで歌うこととしたこと。そして「戦友」という「弱い歌」(弱音)を歌わせている。当時、「できるだけ弱く」を体現していた歌手は美空ひばりと越路吹雪だった。都はるみという「こぶし」「うなり」という「強い歌」の間に弱音で歌いこなすことがプロ歌手の至芸だと考えていたからの選曲だった。渋った都はるみだったが勝気な性格は演出藤田敏雄に立ち向かい、歌いきったステージになったと記述されている。 

Img_41 観客の一人に渥美清がいた。同書には「のちに藤田敏雄に会ったとき、渥美(清)は(藤田)にこう言った。『いやー、あれは面白かったぞ、あれは』。なかなかそんな言葉を吐かない渥美だと知っている藤田は、内心うれしくてたまらなかった」と記述している。都はるみのターニングポイントになったステージだったと思える。山田洋次監督は渥美清のことを「あらゆる映画、あらゆる芝居を全部見て歩いている人でした。もしかして日本で映画と芝居を最もたくさん見た人じゃないかな…。僕は渥美清が映画評、演劇評をしたら、大変なベストセラーになると思ったな」と「昭和の自由と象徴『寅さん』を生きた男ー渥美清」に渥美清の眼識を大きく評価していることが記載されている。渥美清が都はるみのステージを常に注視していたことが見て取れるコメントだ。 

Mypictr_220x31738671755725191 平成20年(2008)の3月、その年の12月に閉館する新宿コマ劇場で私は「都はるみ公演」をみた。5年以上の前なのでわずかな記憶の中で記しておく。 

  その時の芝居は都はるみ母親役を本人が演じる都はるみの自伝「好きになった人・市川昭介」。劇中で「北の宿から」の歌唱方法に悩むシーンがでてくる。歌い方の「前に出る攻める歌唱」と「引き寄せる歌唱」についてだ。10周年記念リサイタルの歌い方がこの舞台でも表れていたのかもしれない。二部の歌謡ショウ。歌う都はるみの姿を見つめ、歌を聴きながら「違うな、違うんだよな、都はるみと…」という違和感の印象があったことが今でも心に残っている。「どうしてなのかな?よかったとは言えないステージだ」という感想は抱いた。その想いは今でも続いている。 

  平成2年(1990)5月NHKホールでの復帰コンサートと平成15年(2003)の日生劇場公演での「女の海峡」をYouTubeで見比べた。音楽には疎い私だが、どっちがいい?と問われれば、NHKホールでの復帰コンサートの「女の海峡」を選ぶ。保守的だと笑われるかもしれないなが。復帰後の都はるみの歌い方は大きく変化しているのを感じる。新しいジャンルへの挑戦、野外ステージでの公演と今までにないステージ公演を展開している。それも規模を大きくしていての公演だ。身近な歌手が遠くへ行ってしまったような感じがする。歌手ではなく自分は歌屋だと本に記載されている。「歌屋」いうのは何なのだろうか?

  「歌屋 都はるみ」のなかで「はるみの新しい生き方は、引退以前のように嫌でもやらねばならない仕事として歌うことではなく、自分の好きな曲を精一杯歌うことである。(略)歌屋―それは20年間歌いつづけてきた都はるみと一人の女性である北村晴美が一体となりうる唯一の職業だった」と記述している。歌謡曲、演歌という枠から新しいジャンルに挑戦するのは良いのだが、従来の都はるみも変えるということなのか?どうもよく分からない。都はるみファンに申し訳けないが「そばに近寄れない」「笑顔が見えない」「突き進んでいる」。復帰後の都はるにそんな怖さを感じる。「歌屋」ってもっと気軽に軒先で歌う世界ではないかとイメージしてしまうのだ。 

41rgfqnw1sl_sl500_aa300_1  復帰した都はるみが歌手活動を続けながら、平成9年(1997)~平成17年(2005)までの間に新聞や雑誌でのコメントを本にした「メッセージ」を平成18年(2006)8月に発行している。印象に残ったコメントを記載してみる。 

 「もう誰かに歌わされている都はるみはいません。私は『歌屋』です」(新潮、03年5月号)。「生意気かもしれないけど、最近は私が歌を選んだんじゃなくて、歌が私を選んでくれたのかなって、思うのです。私は『歌手』ではなく、『歌屋』なんですね」(02年9月12日朝日新聞)。「自分の言葉で、自分の視点で訴えられる歌を歌いたかった」(02年7月3日産経新聞)。「歌、うまいですねという言葉より、面白い人ですねと言われる方がうれしい」(99年10月22日読売新聞)。「年齢を重ねるにしたがって、とんがっていた部分が取れて、かわいい女になっていくのが私の理想。歌もしかりです」「歌の主人公に優しいまなざしを向ける語り部という距離感が、自分の歌を一番生かすという結論に達しました」(99年5月14日読売新聞)。「都はるみは、難しくなっちゃいけない。女王、横綱になるより、いつまでも大関でいたい」(99年4月21日毎日新聞)。 

  いずれも抜粋のコメントが抽出され、写真と組み合わされて構成されている本になっている。コメントを読みながら、私には復帰後の都はるみは、このコメントと違う道を歩いているのではないかと思えるのだ。そういえば新宿コマで都はるみのステージを見てから、私の中では都はるみへの関心が薄くなっていたことに気が付いた。復帰後の歌や曲が難しくなってきているからだ。歌う動作がオーバーになっている。自然体の歌ではなく、素直さが消え、どこか作っている歌に聞こえてくるのだ。現在の若者の歌をあまり聞かなくなっていることと同じような気がしているのだ。 

Sora3_49881050153191_3   映画「男はつらいよ」の中で「とらや」の縁側を舞台に柴又の人々の前で歌う「アンコ椿は恋の花」。うっとりと聞き惚れるタコ社長と源公。にこにこ笑いながら聞き入る柴又界隈の人たち。明るい雰囲気が描かれている。佐渡島の岸壁で地元の魚師と歌う「佐渡おけさ」のどこか切なさを感じるシーン。これらのシーンこそが「歌屋」の世界を表しているのではないかと思える。歌い手と観客で作る心が動く感動の空間…一体感。芸が目指す世界はそこにあると思えるのだ。

  映画の最後に「女の海峡」を大ステージでスポットを浴びて歌う都はるみを持ってきた。「女の海峡」を歌う前にはるみは寅さんのことを語る。歌うことと一人の女としての迷い、旅をしたこと。「その人はわたしに何も聞こうとしませんでした。でも、その人の小さな細い目はわたしを優しく見つめてくれました。面白い冗談を言って笑わせてもくれました。名前を寅さんと言いました。今ごろどこにいるのかしら寅さんは」。ステージで歌う「女の海峡」は二番目まで。画面は北海道でテキヤ仲間とじゃれ合っている笑顔の寅さんを映し、映画は終わる。歌詞の三番目にある「~私の明日はどこにある こころ冷たい… 夜の海峡 ひとり旅~」。暗いひとり旅のなかで寅さんや妹さくらたちに出会う。心が穏やかに和む世界を作っていく。映画「男はつらい」にはそれがあるとしみじみと感じることができた。

  ファンあっての歌手。中上健次が言う天成の徴を持つ歌手、都はるみ。選らばれて世に出たからには逃れられない歌の世界。今、都はるみは歌の世界で確かに挑戦しているのだと思う。10代の頃から同世代の歌手として私の中に都はるみはいた。しかし、この5年間は都はるみはいなかった。映画「男はつらい」を見直すことによって、もう一度都はるみを見つめていこうと思えてきた。

                                   《夢野銀次》

《参考引用資料本》 

 中上健次著「天の歌 小説都はるみ」(1987年発行毎日新聞社)、有田芳生著「歌屋 都はるみ」(1997年発行文春文庫)、都はるみ著「メッセージ」(2006年発行樹立社)、篠原靖治著「生きてんの精いっぱい 人間渥美清」(1997年発行主婦と生活社)、ブログ「昭和の自由と象徴『寅さん』を生きた男ー渥美清』、小西良太郎著「美空ひばり『涙の河』を越えて」、塩澤実信著「昭和のすたるじい流行歌(はやりうた)」(1991年発行第三文明社)、

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父と朋江への想いー映画「たそがれ清兵衛」

100203311101_3  夕暮れ時。清兵衛の家の前の道端で遠くを見ている下男の直太(神戸浩)。玄関前では上の娘、萱野(伊藤未希)が妹、以登(橋口絵莉奈)に豆腐の使いを頼んでいる。寺の鐘が「ゴーン」と鳴る。

   「…たまげた!旦那さんが来るぞ」と直太の叫び声が聞こえる。刀を杖に傷を負いながら粗末な門に現れる井口清兵衛(真田広之)。刀を直太に預け、怖がる以登を抱き上げる清兵衛。おどろく萱野は家の中に向かい「朋江はん!」と叫ぶ。玄関先に朋江(宮沢りえ)が現れる。そばによってきた朋江の手をさすりながら清兵衛は「あなたがいてくださるとは」。清兵衛の手を握り返しながら朋江は「いかった。わたしはもうあなたが死んだとばかり…」と言いながら泣き伏す。

  二人の姿をじっと見つめる姉妹。以登の瞳が光っている。その以登(岸恵子)が二人の眠る墓の前で父と朋江への想いを語るところで映画「たそがれ清兵衛」は終わる。見事なラストシーンだなと改めて感じた。

139315_31_2  2002年度(平成14年度)キネマ旬ベストワン、毎日映画コンクール、日本アカデミー賞、ブルーリボン賞など、その年の映画賞を総ナメした作品「たそがれ清兵衛」。監督は山田洋次。脚本は山田洋次と朝間義隆。原作は藤沢周平の海坂藩を舞台にした「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」の3つの短編小説。

   山田洋次監督は「本物の時代劇を撮る」として、藤沢周平の時代小説を選択し、一年を費やしての時代考証を行ない、撮りあげた作品だ。それも肩の力を抜いてさりげなく撮っている。12年前の作品「たそがれ清兵衛」改めて観させてもらった。山田洋次監督のこの作品にかけた並々ならぬ想いを感じた。

 妻を亡くし、二人の子供と老母を抱える主人公の井口清兵衛。貧しい生活ゆえに城内の仕事を終えると、家族の世話と内職に励むため同僚との付き合いを断り、そくそくと帰宅する。同僚からは“たそがれ清兵衛”と呼ばれていた。ある日、政争で敗れた剣の達人、余吾善右衛門(田中泯)を討つように命じられる。出立する朝、親友の妹、朋江に身支度の手伝いをしてもらう。そして朋江に清兵衛の想いを告げる。しかし、朋江はすでに嫁ぐ先が決まっているとの返事だった。

Img_61  長い死闘の末に清兵衛は討ち果たす。娘たちの待つ家には諦めた朋江が待っていたのだ。原作「祝い人助っ人」のラストでも粗末な門の前で待つ女性を書いているが、このシーンで藤沢周平著「麦屋町昼下がり」の最後を連想した。

 最初に私が藤沢周平の作品を読んだのは「麦屋町昼下がり」だった。すごく感動して読んだ。麦屋町のそば屋に立て籠もった弓削新次郎を片桐敬助が長い死闘のうえに討ち果たす。刀を杖に町の入口に来ると妹のそばに見たことのない娘がいる。「――あれが…。寺崎の満江どのだな、と思った。その娘は、身じろぎもせず敬助を見つめていた」。一度縁組を断られたが、待っている満江の姿が浮かんでくるという情景に熱いものが込みあげてきたのだった。

Mv32587l1_2   山田監督は「SmaSTASION6-トクベツキカク」の中で藤沢作品を次のように述べている。「朝な夕なの景色、微妙な変化、季節の、春夏秋冬の変わりかた、その描写がとても美しくてね。雨や霧や風をどうやって映画に表現できるかっていうことをとても考えたのは事実ですね。つまり昔の人たちは、江戸であれ庄内地方であれ、とにかく静かだったな、と。大きな音なんかしなかっただな、と。その分だけ町で物売りの声とか鳥の鳴き声とか、虫の鳴き声とかね。川のせせらぎとかがよく聞こえたんじゃないのかなと」。

 こうした音は随所に見られる。朋江の家の門の下を流れて川のせせらぎの音。上役(小林稔待)が清兵衛宅を訪問する門での蛙鳴き声。ざる売りの声。河原での若菜つみ。清兵衛宅にさくつつじの花などでてくる。雷雨と激しい夕立の雨音。

186051061_2  こだわった時代考証。妻の葬儀の葬列。男は白の裃。女は白無垢の着物。明治になってから黒の喪服となったが、江戸時代は白の喪服だった。西洋の黒い礼服の影響だったのか?葬儀費用はいくらかかったは分からない。しかし、清兵衛は長刀をこのために売り、竹光の刀になる。そのことが余吾善右衛門の怒りをかい、斬りあうきっかけになる。

 朋江に対し女子のあり方を諭す兄嫁(深浦加奈子)。「道端で男の人と話しをしてはいけない」「女子は兄嫁に口答えをするものでない」と怒る台詞。伯父(丹波哲郎)が清兵衛に後添えを世話する際に「女子は顔などどうでもよい、尻が大きく、子供をたくさん産めればよい、頭はついているだけでいいのだ」と言う台詞などは江戸期に女子教育書とされている「女大学」からきていると思えた。「容姿よりも心根の善良なことが肝要で、従順で貞節、情け深くしとやかなのがよい」「嫁いだら夫の両親を実の親以上に大切にせよ」「妻は夫を主君として仕えよ」「淫乱・嫉妬・不妊・舅に不従順・家族に移る病・多弁・盗癖のある嫁は離縁されるべき」「無駄話をするな」「万事倹約を旨とせよ」「みだりに他人の家に出入りするな」など個人より家の継続を考えて「女大学」は書かれている。江戸期、宝永7年(1710)に貝原益軒が書いたされている考え方は江戸期から明治大正、太平洋戦争時代まで続いてきた。今も残っている箇所の考えもある。 

23ed0f958d32e08a55612e5c397150c41 小さい子供であっても挨拶は座ってお辞儀を行う所作。相手への敬う気持ちが表れていて気持ちが良い。勝手口が見える土間の壁に架かっている「萬病圓」、家康が愛用したとされる漢方薬。家族には必需品なのだ。障子や襖に貼ってある文字が書かれている紙。そこから古文書として歴史ある史料が見つかっているとされている。師匠にまず挨拶を行ない、自分たちで机を並べて論語の素読をする寺子屋風景。師匠は全体で講義するのではなく、各人にそれぞれ教えていたとされている。内職の虫かご作り。先月分で550文。一文30円とした場合、17,000円前後の賃料にしかならない。

  朝ごはんはお粥とおしんこという質素な食事。最後はおしんこと白湯で食器を洗って自分用のお膳にしまう。籠城の食糧の中に「棒鱈(ぼうだら)」があったこと。江戸時代以前から東北・北海道地方において海産物をつかった保存食の代表格。村の神社の例祭には武士は行ってはいけなかったことなどが描かれている。ただここでは庶民や百姓を武士はどう見ていたかも描いている。兵糧蔵にて殿から清兵衛は「よいか、家中の者は庶民のお手本にならねばならない。むさくるしいのはいかんぞ」と諭される。神社の祭りには「侍は百姓がいてこそ成り立っている」という考えの朋江。同列目線として山田監督は支配者としての武士を描いてはいないことが読み取れる。井口清兵衛をはじめ余吾善右衛門や同僚たちなど登場する武士たちは皆、海坂藩に仕える武家奉公人として捉えている。奉公人ゆえに悲哀や苦渋、気楽さなども描いている。

217x35wdxel_sl160_1_2 余吾善右衛門を討ちとりに行く前の深夜。清兵衛が刀を「シースー、シースー、シースー」と研ぐ。石と刃先がかみ合う異様な研ぐ音。明け方に素振りを行なう。緊張が漂う姿の清兵衛。しかし、次のシーンは朝、鰹節を「ズック、ズック、ズック」と音をたてて削る清兵衛を描く。寺子屋にかけていく娘たち。にわとりがたまごを産んでることを告げる母親。そこには日常の生活の営みが続いていくことが淡々と描かれている。

  表舞台にでるための身支度が必要になる。朋江に手伝いを依頼する。襷をかけて、清兵衛の身支度を素早く行なう朋江。このシーンの宮沢りえの演技は凛として緊張感が表れ、こんなにうまい女優だったのかと感心させられる。

200203310811 原作には二人の娘は登場していない。娘は山田洋次監督のモチーフ「家族の愛情」を表している作品になっている。姉の萱野(伊藤未希望)、妹の以登(橋口恵莉奈)がいい。父や老いた祖母を想う気持ちが伝わってくる。それが晩年の以登(岸恵子)のナレーションの語り口に繋がっている。

 伯父(丹波哲郎)から後添いの話があるシーンで清兵衛は「伯父様が思っているほど、この生活は惨めだと私は思いません。子供が大きくなるのを見ているのは農作物を見ているように幸せなことでがんす」と語る。

 夜、「論語」を暗誦する姉の萱野は父、清兵衛に問いかける。「針仕事を習えば着物や浴衣を縫えるようになる。学問をしたら何の役に立つんだろうか」、虫かごを作りながら清兵衛は「学問をすれば自分の頭で考えられるようになる。考える力を持っていれば、これからの時代に生きていける」と語る。学問をすることによって考える力を身に着け、判断する能力を養うという近代社会における個人の自立という「学問のすゝめ」を描いている。山田洋次監督の凄さを感じる。

 一方では虫かご作りをしている父を見つめながら以登のナレーションはが胸に響く「長い患いでたくさんの借金ができたうえ、祖母がもうろくしてからは、炊事洗濯、畑仕事、盆正月の支度やご近所のお付き合いで忙しく、父は自分の身の回りに気を配るゆとりがなく、次第に薄汚れた姿になりました。娘のわたしはそのことが悲しかったものです」と情愛のこもる語り口が良い。

139315_72 以前、わたしのブログで「上田城石垣はたそがれ清兵衛のロケ地にある」を書いた。上田城の西方に流れる矢出沢川沿いにある丸山邸の河原だ。清兵衛が甲田太郎(大杉蓮)を短木棒で倒すシーン。この映画での殺陣のシーンはこの河原と最後の余吾善右衛門の家の中での斬り合いだけとなっている。

 決して高望みはせず、貧しい日常生活の中に安心を見出していく。自分が戻っていける所。その場所をしっかり見定めていくこと。そう私に伝えてきている映画だ。

 朋江を迎えて暮らした3年。やがて戊辰戦争で清兵衛は戦死する。二人の娘を東京で育て嫁がせた朋江。岸恵子のナレーションの語りが続く。

  「明治の御代になり、父の同僚で偉いお役人になった人たちが、たそがれ清兵衛は不運な男だったとおっしゃるのを良く聞きしましたが、私はそんなふうには思いません。父は出世などを望むような人ではなく、自分のことを不運とは思っていなかった筈です。私たち娘を愛し、美しい朋江さんに愛され、充足した想いで短い人生を過ごしたに違いありません。そんな父のことを誇りに思っています」

   父と朋江へ想いを娘以登、岸恵子のゆとりある語りが胸に響いてくる。清兵衛と朋江のお墓は山並みがきれいに見渡せる庄内地方にある。

 一度行ってみたいな、海坂藩に。

                                   《夢野銀次》

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明治前期の時代を描く―NHK大河ドラマ「獅子の時代」その2

13689256421  五稜郭箱館病院で負傷した平沼銑次(菅原文太)は甚助(大滝秀治)の手助けで蝦夷(北海道)を脱出し、東京を目指す(17回)。途中の郡山の宿屋で仲居をしているもん(大原麗子)に再会する。喀血したもんを気遣い、東京で苅谷嘉顕(加藤剛)に助けを乞う(18回)。もんは嘉顕の下宿で療養し、やがて仲居として働くようになるが、弟のため囲い者になる。銑次との再会は病身ということからか、銑次への想いを深めていくきっかけになる。

  瑞穂屋卯三郎(児玉清)で商人見習い中、汚職関連で傷害事件を起こす銑次は牢屋に入る。牢の中で松本栄吉(丹波哲郎)と出会う。出所後、銑次は人力車ひきの車夫になる。車夫となった銑次の人力車に乗るもん。二人は結ばれる。しかし、銑次は強制的に西南戦争の軍夫にさせられ、松本栄吉とともに熊本田原坂に送りこまれることになってしまう。

 この西南戦争には内務文官の苅谷嘉顕(加藤剛)が来る。嘉顕は九州に出立つ直前に銑次の妹の千代(大竹しのぶ)と結婚式を挙げている(34回)。銑次をはじめ鹿児島の嘉顕の父(千秋実)と母(沢村貞子)は反対していている中でだった。薩摩と会津の深い溝を描いている。

Mainphoto1 田原坂の戦闘で政府軍は薩軍の斬りこみに対して抜刀隊を編成する(37回)。薩軍の中に嘉顕の父がいることが分かる。しかし嘉顕は銑次に「大局を見ている。家族のことは小さいこと。この戦負けるわけにいかん」と今の政治を進めていくため親をも斬っていくことを言う。銑次は嘉顕に「妹の亭主に親を斬らせるわけにいけねえ。親を斬る者が他の人間を大事するか」と大義では通らない人間社会の営みの原点を言う。銑次にとり家族や人間関係の繋がりこそ社会の原点だと思っている。嘉顕の父は田原坂で嘉顕の前で斬られ討死する(37回)。鹿児島の生家に来た嘉顕に母(沢村貞子)は父を殺しても貫く正義という考えに怒るシーンが出てくる。

 1_2 この西南戦争までを江藤新平(細川俊之)の改革と大久保利通(鶴田浩二)の征韓論者との争いなど明治政府内部の政争を描いている。そこで問われることは前の徳川の時代と今の太政官政治とが比較されることだ。どっちが良かったのかと。亡くなった者を無駄にするなと言う銑次。嘉顕は新政府に新たな希望を見出そうとして政府官僚として職務を忠実に務める。かたや銑次は時代が彼を放っておかず、事件に関わってていく姿を描いていく。

 それは大久保利通(鶴田浩二)の暗殺で明治前期の一つの政争の幕が閉じられる(38回)。斬りこんでくる暗殺者達に向け「暗殺で世の中は変わらん。おいを殺しておはんら何ができる。わいは日本を引き受け、これからだと言うておる。あとに続く者がおいにある。明治の正義はおいにある」と絶命していく大久保。日本を背負ってきた重みを現わす鶴田浩二の演技は印象深く心に残る。大久保のあとに登場してきた伊藤博文(根津甚八)は明治憲法発布にむけ強権政府を敷いくことになる。ドラマは大久保利通と大きく違っていく伊藤博文の明治10年代を描いていく。

Photo_4 明治14年の39回から北海道に舞台が移る。和田篤のナレーションで当時の北海道の人口が6万人と紹介される。北海道に政府開拓使が置かれ、苅谷嘉顕が千代とともに赴任している。そして小樽港に終身刑の囚人40人が護送され、その中に銑次がいる。西南戦争で軍資金強奪と大久保暗殺に関わったとして北海道に移送されたのだ。回漕問屋の番頭となった甚助(大滝秀治)が銑次がいることに気が付く。甚助の主人は失踪した嘉顕の兄嫁菊子(藤真利子)が登場し、嘉顕に再会していく(40回)。このあたりのドラマの作りの面白さを感じ、大河ドラマという長丁場の作品だなと思えた。

Photo_5 北海道月形町に明治政府は樺戸集治監(かばとしゅうじかん)を作ったことが和田篤のナレーションで紹介される(40回)。ナレーションでは「西南戦争直後、反政府の囚人を北海道に送り、無料の労働力として道や畑を開拓させた。囚人は赤い服を着せられ二人づつ鎖に繋がれていた」と語られる。樺戸集治監は石狩川の上流にあり、民家のない密林地帯となっていた。この樺戸集治監に銑次が収監される。ドラマはもんが近くの石狩に銑次を慕ってくる。そして銑次を先頭に囚人全員の樺戸集政治監からの大脱走を描いていく。Imgp69441 

 色川大吉著「自由民権」(岩波新書)の中で「明治政府は、暴虐な権力にたいして抵抗権を行使した自由民権の『重罪人』を、人煙まれな域外の地、北海道にどしどし流刑した。そして彼らに重い鎖をつけ、千古の密林に道路を開かせ多くの命をうばった」と記述している。

 11501_3 ドラマでは真冬を迎える牢獄で住田(日下武史)が看守や牢につながれている銑次らに叫ぶ(42回)。「諸君はここの真冬を知らぬ。火の気のないふとん一枚では全員が死ぬ。全員で足袋、綿入れ、もう一枚の毛布を要求しよう。黙っていては人間の恥だ。人を殺しても構わぬという仕打ちに抗議する」と牢獄内から叫ぶが看守たちに殺される。40人いた囚人は26人に減少する。寒さのため亡くなっていったのだ。「多くの自由民権者が送られ、彼らの遺骸はどこともしれずに埋められたと」色川大吉著「自由民権」には記述されている。行ったことのない私だが、樺戸集治監を忠実に描いているのではないかと思えた。そして用意周到に銑次は脱獄の作業を進め、雪解けを待ち、決行する。この42回から44回にかけて脱走から小樽における銑次単身での殴り込みシーンまでは活劇として面白く観た。

31wza4k0zfl1  脱出した銑次はもんと共に小樽から東京にくる。しかし、病身のもんは凌雲や銑次の看病にもかかわらず、亡くなっていく(47回)。

 銑次が病身のもんを看病していく姿は加藤泰監督「沓掛時次郎遊侠一匹」(昭和41年東映公開)を想い出した。中村錦之助の沓掛時次郎が 義理で斬り殺した三蔵の女房、おきぬ(池内淳子)との恋だ。おきぬと再会するが、おきぬは肺を患っていた。看病をする時次郎、そして薬代を得るために助っ人として出入れに加わる時次郎。その時の悲しくもやりきれない男の情感を中村錦之助は演じていた。加藤泰と中村錦之助が作った時代劇、股旅映画の傑作だったと思っている。

 もん(大原麗子)を看病し、最後を看取る銑次(菅原文太)は優しくも強い男として描いている。銑次にはドラマ全体でも瑞穂屋卯三郎(児玉清)をはじめ多くの人物から助けられていく。このあたり銑次が時代の波にもまれながらも強く生き抜く姿勢が人を引き付け、快く援助者が現れる要因になっているからだ。また兄貴とも慕われる。妹千代にとり怖い兄であるが頼りになる兄を描いている。兄弟の多かった時代、兄は父親変わりの役を負っていたことを改めて思った。しかし、随分多くの登場人物の亡くなっていく姿を銑次は看取ることになる。それだけ死をかけての戦いの時代だったということなのだ。

2009102122105833c1 ドラマは終盤、自由党の限界を福島事件などを通して描き出してくる。47回では秩父農民の世話役の松本英吉(丹波哲郎)と自由党幹部の若い青年(役所広司)とのシーン。高利貸しにゆすりをしていると指摘された松本英吉は「一家心中しようと追い込まれている農民を自由党は助けることができるんですかい?」と問う。自由党幹部青年は詩吟を詠い、答えることができない。まだ若い役所広司が演じている。武装蜂起の波が高まっていく。福島事件で銑次に助けられた伊河泉太郎(村井国夫)も加わり、松本英吉、平沼銑次の3人を中心に準備が進めれていく。丹波哲郎の飄々としながら存在感のある演技はさすがだ。「侍の明治維新から百姓町人の明治維新を目指す」という銑次の想いが秩父事件の特色を描き出してくる。

Photo  明治17年11月1日に田代栄助(志村喬)を総裁とした秩父困民党が蜂起する(51回・最終回)。伊藤博文は秩父困民党蜂起を反乱と位置づけ鎮台兵(軍隊)を出動させ、素早く鎮圧する。根津甚八演ずる伊藤博文は鶴田浩二が演じた大久保利通のような迷いや苦悩を表わさない。嘉顕を自由民権家への密偵として扱い、抹殺していくなど怜悧な役を演じている。ここでは大久保利通とまったく違う伊藤博文を描いている。私は山田太一が描いたこのドラマにおいて、明治前期時代の圧政者が大久保利通ではなく伊藤博文であったことを示しているように受け止めた。

40939461161_2  苅谷嘉顕(加藤剛)は国賊とされ官憲に惨殺されていく(50回)。しかし、嘉顕の残した文書が子供の頭に兜となって残る。その文書には「国民は愚か者にあらず。もし国民の声を聴かず、政府官僚が独裁独善に陥れば必ず国は破局に向かう。願わくば日本国憲法は国民の自由自治を根本とした、願わくば日本国憲法は国民の自由自治を根本とした」と2度に渡り書かれ、加藤剛の語りで国民の自由自治を根本とした憲法のあるべき姿が繰り返される。印象に残る言葉だ。

 ドラマのラストは自由自治元年と掲げたのぼりを携え、一人斬りこんでいく平沼銑次(菅原文太)のアップとナレーションで終わる。昭和の日本国憲法の中身を今更ながら素晴らしい憲法であると思えてくる。憲法は国・政府の姿勢を監視抑止するものであることを改めて考えていきたい。

 14000216261 ラスト和田篤のナレーション≪やがて日本は日清戦争に突入、日露戦争に歩んでいく。その様な歳月のなかで幾度か銑次の姿を見たという人があった。例えば栃木県足尾銅山鉱毒事件の弾圧のなかで、例えば北海道幌内炭鉱の暴動弾圧の最中で、激しく抵抗する銑次を見たという人がいた。そして噂の銑次はいつも抗(あがら)う銑次であった…。≫という語りが続く。時と時勢には勝てぬという世の習いを打ち破っていく姿を描く。そしてパリの郊外を走る蒸気機関車が映しだされる。列車には医者を目指す銑次の姪の保子(熊谷美由紀)が乗っている所で「獅子の時代」は終わる。

 幕末戊辰戦争から薩長藩閥政府へ、そして明治憲法発布にいたるまでの近代国家を歩み始めた明治前期の時代。敗者と勝者がその時代に向き合いながら生きていく姿を描いた大変貴重なドラマだ。

                                 《夢野銀次》

〈※ このページから入ったお方は「獅子の時代その1」も御覧ください。〉

 

 

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