書籍・雑誌

葬列から告別式へ―勝田至編『日本葬制史』

51scfb0mbnl_ss500_1   「亡くなった〇〇さんの出棺が午後3時。門送りをしますので〇〇さん宅の前に午後2時45分に集まってください」。先日、町内の役員が私の家に伝えに来た。「門送り(かどおくり)」って何なのだろうか?今まで経験したことがなかった事だ。通夜・告別式を行なう斎場に向かう棺を自宅から送る際に近隣住民が見送る行事のことだった。喪主は出棺の際、集まった近隣住民にお見送りのお礼の挨拶をする。また葬儀が終了した後も近隣住民宅一軒々お礼の挨拶をして回る。この地域では葬列から斎場で行う告別式に変わってからもずっと行っている葬儀の一環だそうだ。ある地域では門送りをやめ、告別式だけ参加を決めている所もあるという。

 平成24年(2012)5月に吉川弘文館発刊のテーマ別通史シリーズ、勝田至編の「日本葬制史」を読んだ。裏表紙には『古来、人々は死者をどのように弔ってきたのか。死体が放置された平安京、棺桶が山積みされた江戸の寺院墓地など、各時代の様相は現代の常識と異なっていた。日本人の他界観と、「死」と向き合ってきた葬制の歴史を探る』との視点が書かれてある。執筆者は6人で「葬送から墓制の歴史をどうとらえるか」から始まり、1原始社会・2古代・3中世・4近世・5近現代の葬送と墓制について記述されている。

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  著書には古代から平安時代にかけて、一般民衆は風葬、つまり地上に死者を置いてそのまま帰るのが普通であったとし、平安京では京を流れる河川の河原が風葬地だった。朝廷は無秩序な葬送を禁止し、代わりの葬地を貞観13年(871)に指定したり、平安京の郊外の山野(蓮台野・あだし野)も葬地として使われるようになったことの記述が出てくる。また、京内の道路や空閑地にも遺体が遺棄されたとされていた。遺棄された遺体は犬に食われる。それを民間の「聖」が霊魂供養を行っており、現代人から異様にみえる遺棄葬である。しかし、平安時代においてはかなりの庶民がこうした葬制を採っていたとしている。風葬という葬送、初めて知った。墓地は近世になって増加していったのだ。

 近世、江戸期の葬制の中でゾクッとした箇所がある。西木浩一氏の「墓標なき墓地の光景」と形容する江戸下層民の埋葬実態を紹介している箇所だ。『新宿区の旧円応寺の様相の異なる2つの墓地の遺構。1つは墓道に沿って墓が一定のままで整然と並んでいる。もう一方はそうした整然さがまったくみられず、逆に埋葬遺構が幾重にも折り重なるように密集していた。そこは土葬とは言っても、さして深くない墓穴に棺桶を入れ、その上にちょいと土をかけた程度の埋葬していたところで、しかも新しい棺桶が以前埋められた古い棺桶を上から押し潰し、棺桶が小山のように積み重なっている区域。誰がどこに葬られているかわからない。我々の想像を絶する「墓標なき墓地の光景」の登場だ』と執筆者の木下光生奈良大教授が紹介しての記述がある箇所だ。

 4988003258788_1l1この「墓標なき墓地」に埋められたのは都市の下層民であることを西木氏が突き止めたとしている。一つは単身の日用者(日雇い単純労働者)ともう一つが裏店(うらだな)層とよばれる小規模町人たちだったとし、亡くなった場合には人宿が遺体を引き取り、人宿らの檀那寺に日用層は葬られた。この墓地を「投げ込み」の光景と紹介している。

 古今亭志ん生の落語「黄金餅」の世界と瓜二つだと思えた。江戸の貧乏裏長屋、一分金・二分銀を饅頭に包んで飲み込み亡くなる西念坊主。それを隣の壁から見ていた金兵衛が葬式を仕切って、金子を手に入れ饅頭屋として成功する話。樽の棺桶、長屋からの葬列、金兵衛の檀那寺、火葬場での噺。実にグロテスクな噺だが、志ん生の噺は茶目っ気を含んでおかしく明るい。そして、死者を乗り越えていく生命へのエネルギーをみなぎらしている語りとなっている。「黄金餅」は江戸のリアルな庶民の葬送をあらわした噺だと改めて思った。江戸期の下層庶民階層の生活実態、まだまだ学んでいく必要を感じた。

 
0041 5の近現代の葬送と墓制では明治維新による廃仏毀釈についての記述がある。明治維新で神道国教化を推進するため徳川の寺請制度により幕藩体制の一躍を担った寺院を無力化するために行なわれたこと。江戸期では神職といえども仏式の葬儀が行われ、神葬祭は認められなかったこと。明治6年(1873)に「火葬」は仏教的とみなされ禁止された。しかし2年たらずの明治8年(1875)に火葬禁止は解除された。葬儀は人民の情を抑制するものではなく、特に取り締まらくても行政上問題なしという理由だが、実際は禁止されても火葬は行われていたと記述されている。

10gou1_2  自宅から出棺した棺を囲み、幟、花飾りを歩いて寺院、火葬場に行く「葬列」は大正時代から廃止されていった。交通の便、火葬場までの歩く距離の長さ、霊柩車の出現があげられるが、何よりも参列者への引き出物の財政負担が大きかったとしている。仏式を排除すのを目的として告別式が生まれた。しかし、現在の告別式はいつの間にか洗練された宗教形式の葬儀に変わっていると指摘している。

 死者を地域の共同体から他界に送り出す葬列から死者に別れを告げる儀礼として告別式に変わった。かつての葬列での飾りは告別式の祭壇になっているとしている。

 4の近世の葬送と墓制で、抽象的な「先祖」を供養するのではなく、「親、夫や妻といった特定人物に対する追憶主義的供養」が江戸期の下層民はあったとする指摘。現在でも通用する供養の考えと思えた。

 冒頭の「門送り」。地域の集落(共同体)から送り出す「葬列」の流れとして今も続いている行事であることが分かった。それだけでもこの書物、読んだかいがあった。

                              《夢野銀次》

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船村徹『私の履歴書 歌は心でうたうもの』、高野公男・美空ひばり

G2008100723funamura_b1  ~思い 出したんだとさ 逢いたくなったんだとさ いくらすれても 女はおんな 男心にゃ 分るもんかと 沖の煙りを 見ながら ああ あの娘が泣いてる波止場~ 

『あの娘が泣いてる波止場』は作詞高野公男、作曲船村徹、歌は三橋美智也で昭和30年12月にキングレコードから発売された。時に船村徹23歳、高野公男25歳。二人にとり初めてのレコードだった。

51az3tpq5rl_sl500_aa300_1_4    「歌は心でうたうものである。テクニックがどんなに優れていても、心のつぶやきや叫びからでたものでなければ、けっして聴く者を感動させることはできない。日本の音楽教育は明治以来、西洋音楽至上主義の歴史を歩んできた。中でも町の片隅で黙々と生き人々の哀感をうたう歌謡曲や演歌を蔑(さげす)む傾向さえある。私の作曲家人生はこうした風潮に対する反逆でもあった」と著者の船村徹は『私の履歴書 歌は心でうたうもの』(日本経済新聞社、平成14年発刊)のまえがきでこう書き出している。日本経済新聞の連載『私の履歴書』を一冊の本にまとめた書であり、日本の戦後歌謡曲史を解く本とも言える。

  船村徹が作曲家として世に出るまで26歳で亡くなる高野公男の辛苦の話。『別れの一本杉』の大ヒットによりキングレコードから日本コロムビアに移ってからの作曲活動、作詞家星野哲郎との出会い。そして不世出の歌手「美空ひばり」との戦い。村田英雄、北島三郎との関わりが綴られ、「演歌巡礼」「歌供養」への思いが記述されている。そして最終章では「歌は聴く者の心に響いてこそ歌であり、心に残ってこそ歌である」と結んでいる。

Takano1_3  ~泣けた 泣けた こらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた哀しさに 山のかけすも鳴いていていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ~ 『別れの一本杉』(作詞高野公男、歌春日八郎、昭和30年11月発売)

 「いまのような曲が爆発的に売れ、しかし信じられないような早さで忘れられるような時代ではなかった。一曲一曲が大事に切実に人々の心に届いた時代だった」。「最近の若い人たちの間で、はやる歌とういうのは、聴かせるものものではなく見せるものではないかということだ。聴こうとしても歌詞が意味不明。早すぎて耳に入ってこない。これはテレビという媒体を通して流される宿命なのだろうか」と船村徹は問いかけてくる。その通りだと私も思っている。

 船村徹の仕事場、栃木県今市市(現日光市)にある『楽想館』には高野公男が『遺書』として残した『男の友情』の歌詞が飾られ、親友高野公男と今も語り合っている。「高野はこう言った。『東京、東京と言ってるが、東京に出てきた人間はいつかきっとふるさとを思い出す。おれは茨城弁で作曲する。おまえは栃木弁でそれを曲にしろ。そうすれば古賀政男も西条八十もきっと抜ける』そしていまでも鮮明に覚えている高野の言葉がある。『きっと地方の時代が来る』。高野の詞は戦後復興の波にも乗れず、町の片隅で寂しさを抱えて生きる人々の気をとらえている」と亡き親友との絆を原点として作曲活動を行ってきたことを振り返る。

 ~遠い 遠い 思い出しても 遠い空 必ず東京へついたなら 便りおくれて言った娘 りんごのような 赤い頬っぺたのよ あの泪~

~呼んで 呼んで そっと月夜にゃ 呼んでみた 嫁にもゆかずにこの俺の 帰りひたすら待っている あの娘はいくつ とうに二十はよ 過ぎたろに~

  この歌を私が24歳、挫折感と孤独な生活の中で、夜、四畳半アパート一室の窓から故郷の方を見ながら口ずさんでいた。あの頃のことは今でも忘れていない。人生の分岐点になっていたからだ。

Hibari1_2  高野公男の死によって船村徹は荒れた生活を送った。にもかかわらず、昭和31年から昭和35年にかけてヒット曲を生み出した。美空ひばり『波止場だよお父つぁん』(昭和31年)、コロンビアローズ『どうせ拾った恋だもの』(昭和31年)、青木光一『柿の木坂の家』(昭和32年)、島倉千代子『東京だヨおっ母さん』(昭和33年)とすぐに歌詞が浮かんでくる歌でもある。とりわけ美空ひばりについては熱を帯びて記述している。

  「美空ひばり」との戦いの章で初めて「ひばり御殿」での出会い。栃木県今市市、関の沢出身の父加藤増吉の栃木訛りでのあいさつの後、美空ひばりとの「波止場だよお父つぁん」のレッスン。当時24歳の船村徹は19歳の美空ひばりのことを次のように記述している。

  「私はピアノを弾きながら『波止場だよお父つぁん』を歌った。次にひばりさんが歌った。それは驚くべき歌唱だった。彼女は読譜はそれほど達者ではなかった。だが、音符の上下動を目で追いながら、感覚的にメロディーのもたらす感情の起伏を読みとり、作詞家や作曲家が自分に何を求めているのかまで瞬時につかみ取ってしまうのだ」。

1309265593076161299111_9  「私はこの年下の小さな女を見ながら震えていた。年齢の差を超えて畏怖(いふ)の念を覚えた。素直に言えば、彼女の表現力は私の感性の先を行っていた。こんな歌手にどんな曲を書けばいいのか。少しでも手を抜けば歌唱で完膚なきまでにやりこめられるに違いない。ひばりというブラックホールに巻き込まれ、自滅するのではないかという恐怖心に似た思いが胸をかすめた。私にとって彼女との出会いは不世出の歌手『美空ひばり』との戦いの始まりだった」と畏れと作曲活動の戦いを記している。「歌手が作家の意図を超えて歌う。楽曲を作家の手から奪い取って自分のものにしてしまうことが極めて稀に存在する。美空ひばりという歌手がそうだった。私が知る唯一の例である」と記述している。

   作曲家という立場の人による「美空ひばり」について書かれたものは数少ない。「天才歌手」という言葉では片づけない船村徹らしい著しかただと思える。以後、「哀愁出船」「みだれ髪」までの逸話が本に記述されている。

800pxshinjuku_koma_studium_20091  平成20年(2008)12月に閉館した新宿コマ劇場で私が「美空ひばりショー」を観たのは何年前だったろう。仕事が早く終り、新宿歌舞伎町に立ち寄りをしたら「美空ひばりショー」がコマ劇場で演っていた。芝居は終わり歌謡ショーのみで最後尾の席だった。ショーが始まり、キンキンキラキラと派手な衣装の美空ひばりが舞台を回りながら歌いだした。「東京キッド」「悲しき口笛」「港町十三番地」などおなじみの曲が終わり、暗転。その後、一筋のスポットライトがピアノの前に座った美空ひばりを照らす。~一人酒場で飲む酒は~……。と「悲しい酒」を歌いだす。凄い。引き込まれる。劇場全体の観客をグーと手元に引き寄せ、すっと引き離す。その呼吸と間。最後尾の私の体が舞台に引き寄せられ、ある瞬間、とき放された感覚となり、スーと気持が静まり、やがて気持ちの高まりが起こり、心の広がりを感じた。歌謡ショーでここまでの心を動かし、観客の心を引き寄せる歌声。それが美空ひばりなのだと、その時思った。美空ひばりのステージ、観ていて良かったと今でも自負している。「俺は美空ひばりショーを生で観ているゾ」と自慢している。

 下野新聞社発行の「船村徹の世界」の中で、スポーツ新聞取締役小西良太郎が「古賀政男は日本の歌謡曲の開拓者。そして、船村徹は戦後歌謡曲普者の代表だ」と評価、位置付けをしている。しかし、最近の船村徹の作品は浮かんでこない。昨年暮れから、由紀さおりが1969年(昭和44年)の歌謡曲を世界にアピールしていることが「夜明けのスキャット」を通して報道されている。今一度、船村徹として「情歌」を含んだ曲で、「誰か」と前に進む曲を作ってくれることを願って止まない。

                             《夢野銀次》

 

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横山秀夫著『半落ち』―《50歳》人生の関所越え

41paw5ycbcl2 2003年の直木賞選考で致命的欠陥があるとて指摘され落選した横山秀夫著の『半落ち』を読んだ。しかし、その年の週刊文春推理小説ベストワンとなり、多くの読者を魅了した小説だ。因みに2011年の週刊文春推理小説ベストテンの10位が私の好きな今野敏の『隠蔽捜査4 転迷』だった。

 直木賞落選での指摘された致命的欠陥とは受刑者である骨髄移植ドナーは刑務所にいる間は登録も移植もできないという理由だった。しかし、主人公梶聡一郎は刑務所に入る前にドナーの登録をしており、すでに一回骨髄移植の提供をしている設定だった。登録者であるならば現実には可能だということが後年に分かってきた。指摘した林真理子がどういう調査や検証をして発言したのか物議をかもした小説でもある。ドナー登録者であることが、この小説の最も大きなキーワードだったからだ。

 6年前に14歳の一人息子を急性白血病で亡くし、その後にアルツハイマーに侵された妻に頼まれ、妻を扼殺した警察官、梶聡一郎は自首する。しかし、妻を扼殺した後の2日間の行動については黙秘をする。自殺しようとした痕跡があり、『人間50年』という遺書もあるが、空白の2日間については黙秘続ける。本人が新宿歌舞伎町に行ったことが分かり、県警トップの本部長は『セックス産業』との関係を想像し、死のうとして彷徨したことにしろと隠ぺいを取調官の強行犯指導官の志村和正に命ずる。2日間の空白をめぐり、警察内部、検察と警官の間の調書軋轢と取引、調書ねつぞうのスクープを追う記者、東京の実家で妻が認知症の父を介護、真実の究明を阻まれる裁判官、梶聡一郎の自殺防止を監視する定年間近かの刑務官とそれぞれの立場で上司などとの軋轢や上に行こうとする人間の内面を描きながら、最後にその理由が分かるというストリーだ。

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 梶が自首した時の年齢は50歳になったばかり。自殺しなかった理由として、後1年生きる。そして51歳になった時に自殺すると、取り調べを行った志村刑事は判断した。ドナー登録は20歳から50歳まで。51歳になった時に登録ができなくなるという仕組みになっている。6年前に骨髄移植がされていれば息子の生命が助かったとされる。そのため
梶は骨髄移植のドナー登録を行い、1回骨髄移植を行っていた。最後にドナーを受けた若者が志村刑事と共に刑務所にいる梶の前に現れる。空白の2日間、新宿のラーメン店で働くこの若者に会いに行ったのだ。会話はせず、働く若者の姿を見ただけだった。ドナー登録が切れる51歳になるまで、あと1年間生きる決断をしたことが分かる。

 私が以前勤めていた団体で会員の中で急性白血病で骨髄移植を求める事態になった。ドナーとの適合者は絶対的に少ないのが現状だ。幸いにドナーの提供を受けることができたが、残念ながら3年後に亡くなってしまっている。しかし、このことがきっかけでドナー登録を団体として会員に呼ぶかけるとりくみが始まり、今も続いる。

 この小説の中で裁判が始まる前の控室で裁判官が同僚の裁判官に話すセリフが胸に残った。裁判官は言う、『50歳は人生の関所。この年代の人間は自分のことは自分で決するというプライドが物凄く強いんですね。自殺も大層多いそうです。バブルが崩壊して仕事も人間関係も大変なうえに、突然リストラとか言われて、それでも家族や友人にも相談できず、一人悶々と悩み続けた挙句、事件や自殺に走ってしまう。今日の事件はアルツハイマーの介護問題が焦点でしょうが、しかしまあ、誰かに相談でも防げた事件だったかもしれないですね。そう思うと、まったく不憫です』。ドナーを受けた若者と会うことにより梶は50歳の人生の関所を越えることでこの小説は終わる。

 かつて職場の上司に言われた『50歳病-このまま自分はここで終わるのかと自問自答を行ない、転職等を考える最後の時期なんだよな』と。

 私が50歳を迎える49歳の時、職場の人間関係が悪化し、退職しようと動きだした。その時、妻が『お願い、我慢して』と頭を下げた。辞めなかった。50歳になった時、私のことを気が付いた上司が配置転勤を行い、幸いに仕事を続けることができた。48歳の時の年賀はがきには菜園をしていた関係で『大地に帰る準備をしています』と書いた。高校時代の先生から返事が来た。『大地に帰る準備ではないでしょう。大地と共に生きるんでしょう!』と叱責と励ましの年賀はがきだった。その時期、どこかで死も考えていたのを見抜かれた気がした。教師の言葉は凄いと、その時実感した。ありがたかった。私に生きる勇気を与えてくれた年賀はがきだったと、今でも大事に保管している。そして50歳の人生の関所を越えることができた。

Image4_2 映画『半落ち』は生命の絆をモチーフに描いている。ラスト、裁判所からの護送車の窓越しを通してドナーを受けた若者から『生きてください』とういう無言の会話は感動のシーンとして残った。じっくり観る映画の一つだと思う。ただ、この映画では、あと1年生きるという意味が、何故なのかがあいまいとなっている。血が繋がっていく生命の尊さを重視して描いている作品なのだ。

 骨髄移植適合者は何万人に一人と言われている。ドナー登録とりくみは理解と協力を広めていく必要がある。

                     《夢野銀次》

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佐々木譲著書の『警官の条件』は『警官の血』の続き

Photo 佐々木譲の最新作品の『警官の条件』を読んだ。冒頭の部分が『警官の血』の加賀谷仁警部が警務官に覚せい剤取締で連行されるところから始まる。この部分は『警官の血』、加賀谷の部下の安城和也がうたう(告発)ところと同じとなっている。『警官の血』から続いている著書となっている。

 2007年に出された『警官の血』は読み応えのある作品だった。戦後の上野界隈の描写から始まり、昭和32年(1957年)に起きた心中による谷中天王寺五重塔の焼失。その時に安城和也の祖父、天王寺駐在所の安城清二は跨線橋から落下し、死亡した。五重塔の焼失の責任をとり自殺扱いとされたのだ。五重塔の隣にあった駐在所から残された親子3人はアパートへと引っ越した。息子の安城民雄(安城和也の父)は警官へと進むが、公安の指示で北大に警官のまま進学し、赤軍派の動向をさぐる潜入者となる。だが、潜入のストレスから精神的破壊者となる。

 精神療養から立ち直った安城民雄は父、清二と同じ天王寺駐在所勤務となる。そして、父の死の謎を追う。そこには2つの時効となった殺人事件があり、ほぼ犯人が分かりかけた時、人質事件において籠城犯から狙撃され、安城民雄が殉職する。実際は恐怖心がなくなるPTSDの再発で自殺なのだが、その原因は小説の最後に分かる。三代目の安城和也は母に暴力をふるい、人格破綻者となった父を憎みながら警官となる。勤務は警務課の支持で暴力団との癒着が強い加賀谷仁警部の部下となり、彼をうたうすることだった。

Photo_2  加賀谷をうたうことの任務を受けた時、和也は上司にどうして私なのかと理由を問う。『血だ。きみにはいい警察官の血が流れている。こんなイレギュラ―な任務に耐えられるだけのね』と課長は答える。

 『警官の条件』では、警視庁を追われた加賀谷警部が復帰し、組織対策課同士の争いをからめ、ラストには警官であることの証明であるホイッスルの吹鳴で終わる。加賀谷警部は警官だったことを伝えている。安城和也との直接の会話はない。加賀谷の安城への想いが、今少し分かりずらい。和也へのやり残したことでの誘導なのか? 上司が部下を鍛える根底には、ある思いがある。組織への姿勢なのか、仕事を遂行する誇りなのか、同僚への対応なのか、それらを伝えながら教えていく。『世話かけやがって』と最後につぶやく加賀谷。「あ・う・ん」の呼吸なのかな。

 わたしが佐々木譲の作品で好きなところは『追跡』の描写だ。テレビドラマ化となった『エトロフ発緊急電』では日系アメリカのスパイ、ケニー斉藤とこれを追跡する磯田憲兵(ドラマでは秋野大作が演じてる。印象の強い演技だった)との追跡。東京―青森―函館―根室―択捉間は小説、テレビドラマとも迫力ある描写となっていた。沢口靖子の「ゆき」も一途な想いを寄せる演技は良かった。バックにはアイルランド民謡の曲が北の果ての荒涼とした異国を思わせたりもした。佐々木譲はやはり『無国籍人』をモチーフとする作家なのかなと思ったりもした。

 『警官の血』では公安として潜入した北大生、安城民雄が70年代全共闘運動から派生した『赤軍派』の集会(実は武力訓練)に加わるため、札幌―函館―青森―上野―新宿―塩山との行程での公安との連絡する描写にとてもリアルで迫力を感じた。Photo_4
 この時代、公安の潜入者は実際に存在していたのだろう。

 『警官の条件』では覚せい剤卸元者と、それを車で追跡する安城和也率いる組織対策課の面々とのやりとり。これも佐々木譲らしいスピーディな追跡描写となっている。

 3年前、『警官の血』がテレビドラマ化される時(ドラマは見なかった)、友人と共に上野西洋美術館(終戦直後は浮浪児のたまり場)から谷中墓地に向けて散策した。駐在所と五重塔の跡地を見た。その向こうは日暮里の駅。坂道を歩きながら、東京にもこうしたひっそりと佇む街並みがあることを知った。今にも路地裏から近所の子供たちの歓声とわめき声が聞こえてきそうな気がした。

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著者:佐々木 譲
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                                 《夢野銀次》

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汐灘サーガ/三作品.....堂場瞬一

 堂場瞬一の作品で以前、箱根駅伝を題材とした作品「チーム」をこのブログに載せた。この3年前から無意識に「刑事・鴨沢了」「警視庁失踪課・高城賢吾」「警視庁追跡捜査課」等のシリーズものを断続的に読んできているなと思えてきている。堂場瞬一を意識するようになったのは、10年前の連続殺人からすさまじい刑事たちの対決を描いた「逸脱」という作品だ。久しぶりに一気に読んでしまった作品でもある。ある批評家はこの「逸脱」を堂場瞬一の最高傑作だと絶賛しているのも頷ける作品と思える。

  東京から北に特急で1時間、車で2時間の城址がある県庁所在地の汐灘市を舞台とした「汐灘サーが』の三部作「長き雨の烙印」(2007年11月)、「断絶」(200812月)「夜の終焉」(2009年10月)を連続して読んだ。

 「長き雨の烙印」では幼女強姦未遂事件から冤罪を訴える容疑者、支援する貧しい弁護士。友を救えなかった伊達刑事、殺された娘の復讐にかける父親と過去と現在をからませての作品となっている。

 二部作目の「断絶」では汐灘市にささげてきた政治家剣持隆太郎とその友。そしてその息子の刑事・石神兼が女性の変死体事件をからめて政治家の後継者争いから父と息子の絆を描いている。この書は「政治家の物語だ」と解説している批評家がいるほど、政治に対する考え、姿勢を表している。

 三部作目の「夜の終焉」は交通事故事故で意識不明となった少女の身元を捜すところから始まり、殺人者と被害者の息子同士の確執を捉えた見事な作品となっている。特に最後の病室での息子同士の話は胸を撃つものがあった。加害者の息子・川上弁護士は被害者の息子・真野亮介に意識不明の少女の身元を明かしながら、その母・浅野愛(まな)の死を知らせながら語る「過去を見なくとも生きていける。あるいはみているつもりだ。乗り越えたと自分に嘘をつきながら生きていくことだってできるでしょ。愛さんは、そういうことに疲れたのかもしれない。私にもあなたにも家族はいない。だけど愛さんには娘がいる。あなたに事実を話すことで、私にも、もう一度過去を見詰め直して欲しいと」。父が犯した罪を息子達がどう生きてきたかを捕らえて、息子としての社会への対応を描いた大作だと思う。

 「汐灘サーガ」ってどういう意味なのか?「サーガ」は調べたら、北欧神話に登場するアース神族の女神で、その名前は「何かを見る」あるいは「知らせるもの」を意味するのではないかと記載されていた。三部作に共通する事件の要因となる「未遂事件被害者の幼女・変死体の女性・交通事故で意識不明となった少女」。この三人がサーガ・知らせてくれた女神なのかな。

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                      《夢野銀次》

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仕掛けらたもの―五十嵐貴久著『For You』

 叔母、吉野冬子の突然の死から始まる。姪の佐伯朝美は映画雑誌の編集記者。韓国スター,フィル.ウォンへ来日取材インタビゥの設定。叔母、冬子の1979年から80年にかけての日記を読む姪の朝美。その25年前の日記の中の冬子と同級生の藤城篤志の高校生活。その中からウォンとの取材設定に仕掛けられていたトリック。それはすがすがしいものとして描写されている。 

For You (祥伝社文庫) Book For You (祥伝社文庫)

著者:五十嵐 貴久
販売元:祥伝社
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 高校生活を描いた小説は五十嵐貴久の「1985年の奇跡」につづく書。叔母冬子の日記から性描写も暴力描写もなく、「静岡市の県立高校」「江ノ島に遊び行く高校生グル-プ」「どこかカラッとした受験前」「高校文化祭」など陰鬱な生活でない高校生活が描かれている。そして来日した韓国スター、フィル.ウォンへの取材に悪戦苦闘する朝美。

 単なる青春を描いた小説かと思いきや、最後の仕掛けられトリックには感心しました。朝美のこの台詞が妙に臭くなかった「最後にウォンはこうに言った」「今朝、早く起きた時に見たこの街の美しさを忘れることはないだろうと。一度だけでじゃない。何度も何度も繰り返してそう言った。その朝の美しさを忘れることはないだろうって。それって、つまり...。」

 今から20年前、私の青春生活そのものを歌った『神田川』を聴いたある女の子がこう言った。『おじさん達の青春時代の歌って、ものすごく暗いのよネ』。

その時の時代に受ける風は冷たいものもあれば柔らかいものもある。でもその時に、その風を受けながら出会えたもの、別れていったものは自分の宝としてしまって置きましょう。吉野冬子のように。            

                                《夢野銀次》               

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龍馬と歳三が相棒で犯人探し

相棒 (PHP文芸文庫) Book 相棒 (PHP文芸文庫)

著者:五十嵐 貴久
販売元:PHP研究所
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15代将軍徳川慶喜が大政奉還を宣言する前に薩摩の西郷と談合するために薩摩屋敷に向う途中に銃撃される。動揺した慶喜に犯人を明らかにして、大政奉還を進めるため、老中板倉勝静と若年寄永井尚志は犯人探しを坂本龍馬と土方歳三に命じる。

  薩摩、長州、会津と倒幕派と佐幕派双方に通じているための人選だ。この2人が相棒として犯人探しながらの会話が時代の背景と立場をあらわしておりおもしろい。

 狙撃犯を新撰組分派の伊東甲子太郎とし、龍馬暗殺日が11月15日、引き続き11月18日に伊東派は新撰組に切られ滅亡している。土方歳三が龍馬暗殺の仇として伊東を斬る内容になっている。さらに龍馬は生きていたという設定で最後をしめている。

 幕末小説として『あっても良いな』と思え、さわやかな印象を得た。   

                

                                            

           

                            

   

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箱根駅伝ースポーツ小説『チーム』

 堂場瞬一の『チーム』は学連選抜として箱根駅伝に出場し、走る選手を描いた小説として面白い。映画『風がふく』より出場する大学名が駒大、中大など実名で登場し、より現実味がある。走る登場人物はマスコミなどによる邁心性ではなく『走る』その意味を問いかけている。箱根駅伝の外観からではなく『駅伝』と『孤独な陸上』と心の内面の葛藤がよく描かれている小説であり、楽しめる作品だ。正月の箱根駅伝の前に再度読むつもり。

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太田道真・道灌の著作

 小泉功/太田道真と道灌   元川越高校教授による地元の著者による太田道真・道灌の著作です。 小泉功/太田道真と道灌
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