家庭菜園

秋…次郎柿・落花生、サツマイモの収穫

015 朝の日差しを受ける我が家の柿の木。赤みをおびてきた柿の実…。――秋だなあ。

 ~春には 柿の花が咲き

  秋には 柿の実が熟れる

  柿の木坂は 駅まで三里 

  思い出すなァ ふる里のョ 

  乗合バスの 悲しい別れ~

(「柿の木坂の家)昭和32年、歌:青木光一、作詞:石本美由紀、作曲:船村徹)

013_2  我が家の近くの旧道。道幅5mに満たない街道をかつて乗合バスが走っていたという。曲がりくねった旧道を最近は「歩く会」の人々が行き交うようになってきた。「古河街道」「日光裏街道」「部屋河岸通り」とかいうが、栃木市から県道で野木町まで一直線の新道ができている。

 6年前に植えた「次郎柿」。

「大きいですね」と朝のジョギングをしている主婦の方が塀越しから声をかけた。「おかげさまで」何もしなくても柿の木は育った。「まだ早いわよ」という妻の声を無視して、一つ採って食べてみた。

「甘い」――これでよし。

028 去年は「天日干し」に挑戦して、カラスの襲撃にあった「落花生」。

 「去年より甘いわ」とゆで上げた落花生を食べながら妻がつぶやいた。

 収穫した量は去年より少ないと思えたが、実が太い。苗との幅を広くとったのが良かったのかもしれない。

 ゆったりとした、余裕をもっていくことが成長につながる。「あせってはことを仕損じる」といことなのかと分かってきたような気がする。

033  「なると金時」と「ベニアズマ」のサツマイモ苗15本づつを植えた。

 菜園の北側、駐車場に近い場所に畝を三列にして植えた。土壌はまだよくない。掘ってみた。

 …できている。まずまずのサツマイモ。

 今年はあまり苗おこしをしなかったが、よかった。

025_2   昨年は三列畝の真ん中がツルボケして実が成らなかった。今年はどうかな…?

 今日は掘らない。もう少し時間をおいて収穫してみることにする。

 カボチャの跡地の菜園にモグラの出入り口、盛土小山が4カ所出来ている。

 ミミズを餌としているモグラ。問題はモグラの通った跡をネズミが来るということだ。以前作った「ペットボトルモグラよけ」をまた作っていくことにする。

023_2 「ギンタァー」と呼ぶと、私のそばにやってくる9歳6か月の雄ネコ「銀太」。

 モグラの出入り口の盛土に近づける。爪でかっぱいた銀太はいきない反転して、我が家の門先の方に走り出した。モグラの反撃のあったのかもしれない。

 ネズミもとるが、どこか気の弱いネコなのだ。

038  「落花生」と「サツマイモ」。収穫したのは3分の1程度。これから10月末日までゆったりと収穫をしていく。

  これから「ニンニク」と「ラッキョ」の植え付けの段取りを考える。「モロヘイヤ、植えてよ」と妻がせかす。忘れていた葉っぱもの。堆肥は所沢時代から「セキチュウ」で購入して使用している。小山店が亡くなり、鹿沼店まで買い出しにいく。何時いくかなあ?

  でも忙しいのだ。週一回の早稲田の公開講座、栃木文化講座、栃木市民大学、古文書研究会、歴史と文化を歩く会等など。

037_2
 「会津に行きたい」と思っている。雪が降る前の11月に。

 先日の歴史小説家、中村彰彦の「下野戊辰戦争に関わった人たち」の講演を聴いて、なおさら「会津に行ってみよう」と思えてきた。

 「気」が熟した時に実行しなければ、素通りしてしまう。ゆったりしていては駄目だと自分を諌める。

 昨日の夕刻、道路を隔てた隣の奥さんのお義母さんから引っ越しの挨拶があった。初めての挨拶でびっくりした。4月に建て直し新築の家に引っ越してきたばかりの奥さんとお義母さん。お付き合いのない人たちだった。いろいろ事情があると思える。日頃から、「こんにちは、こんばんわ』など挨拶をしながら、ご近所の人には心配りをしておくことが肝要だと思える。事情が分からないと疑心暗鬼となり、不信感が募る。「お互いさま」と言える間柄は生活の知恵の言葉だと噛みしめる。 

                                       《夢野銀次》  

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ジャガイモの収穫と鍋山石灰工場の見学

021 雨と曇りの日が続く梅雨。「残りのジャガイモ収穫しないとな…」と気持ちが焦ってきている。

 「7月6日は雨が降らない」。明け方からジャガイモの収穫を行なう。男爵はすでに収穫しているため、ほとんどがメークインとなっている。

 今年は男爵の成長が早く、その後にキタアカリ、メークインと続いた。一緒に成長しないのは、なにか理由でもあるのかな…。

  札幌に住む学生時代からの友人からお礼の電話があった。北海道の住民にジャガイモを送るのは失礼だったかもしれないが、「女房はいいジャガイモだと言って、娘の家に持って行った」と嬉しそうに電話で話してくれた。

025_3 もうすぐ梅雨が明ける。

 今年の夏は昨年以上に猛暑になると言われている。

 5月に植えたカボチャ、すくすくと育ってきている。めしべの花におしべでじふんさせる。

 ――めしべの花びらはおしべを待っているように黄色く咲いている。カボチャのじふん。これが面白いのだ。ひそかに猥褻な想像もするのだ。

 それにしても勢いのあるカボチャ。頑丈な実がなるのも頷ける。
027_8 小玉のスイカの苗、3本植えた。めしべにじふんさせようとしても、雨露のため花びらが湿っていてなかなかうまくいかなった。

 曇りの日に自ふんさせていくと実がなってきている。一昨日、一番最初にできていた黒玉の小玉スイカを収穫してみた。

 「まだ早かったわね。あと3日待てば良かったかもしれない」と妻のつぶやきが聞こえた。スーパーでは900円で売っている黒の小玉スイカ。ありがたく賞味した。少し甘味が足りないな…。

 スイカを毎日食べて、猛暑を乗り切っていくつもりだ。

013  畝作りは土起しから始める。その後、堆肥と消石灰を撒き、クワとスキでよく耕す。石灰は酸性土壌をアルカリに代え、水を良く吸収させる貴重な肥料になっている。

 その消石灰や苦土石灰を生産している石灰工場を6月17日に見学することができた。

  栃木市街から西方に鍋山町がある。江戸時代からの石灰の産地として有名である。明治から昭和の中頃まで鍋山からの人車鉄道で石灰を栃木駅まで運んでいた。

  栃木市市民大学の現地学習の一貫としての石灰工場見学。石灰工場を始めて見学する33名の受講生は栃木市鍋山町「田源石灰工業」の工場内に入った。栃木市の企画だからこそ工場内に入ることができたのだと感心する。

010_2  事務所の2階にて工場長から石灰の歴史と現在の状況の説明を受け、敷地内を見学した。「こうした工場見学はあるのですか?」と事務員の方に質問したら、「まったくありません」と答えが返ってきた。一般の見学はほとんどないということか…。「さもありなん」となぜか納得してしまった。

  工場長の説明の中で、「現在の市町村で稼働しているごみ焼却炉にはすべて消石灰が使用されているのです」ということを聴き、驚いた。

  石灰は肥料や埋め立て土壌だけではなく、環境に対して大きな役割を担っていることを始めて知った。石灰工場を見学することにより、石灰が環境と向き合って操業、生産していることが分かり、見直すことができた。これからも貴重な資源になっていくことに確信を持つことができた。しかし、この地では水がでないという。飲料水などの確保が大変であるとも聞いた。

035  暑い夏から秋に向けてサツマイモとサトイモが育ち始めている。紅あずま15本、金時15本の計30本の苗を5月6日に植えた。一本の苗が駄目になったが、他は順調に茎を伸ばし始めている。

  昨年は3列の真中の畝に植えたサツマイモ、実が成らなかった。肥料のやり過ぎなのか?水はけが悪かったのか?

 3列の畝の幅を広くして作ってみた。どうだろうか?

036_2  知人から戴いた22個のヤツガシラの種イモ。残念ながら芽がでた種イモは6個だけだった。それでも、初めて挑戦してみるヤツガシラ。

 先日、虫がついて葉が枯れてしまっていた。虫を除去するとすぐに新しい葉が出てきた。毎朝、虫がいるかどうか点検をしていく。

  里芋の種イモ15個は順調に芽をだし、育ってきている。カインズホームにあるJAの野菜売り場にて購入した里芋の種イモ。ふっくらとした種イモだった。「いい種イモだ」と思わず手にとった。

  ここ2,3日、モグラの跡がサツマイモとサトイモの畝の近くに見える。ペットボトルでモグラよけを作らなければと思ってきている。我が家の猫どもよ、モグラとネズミ退治を頼むぞ。

                                    《夢野銀次》

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玉ねぎとニンニクの収穫

018 2月にホームセンターで玉ねぎの苗を購入して植えた。3月には玉ねぎの隣の畝に玉ねぎの種を蒔いた。

 玉ねぎ栽培は初めての挑戦だ。

 苗からの玉ねぎが早く成長した。

 収穫をした。保存は?

 ネットで検索すると「収穫した玉ねぎは、3~4日干して、乾かしてから風通しの良い所で、吊るすか、籠にいれて保存する」と記されていた。

 籠をスーパーの「とりせん」で324円で購入して、猫が眠る物置に於いて置く。 

023 玉ねぎの生産は北海道が日本全体の5割を占めているという。やはり北海道なのかと感心する。

 玉ねぎを使った食べ物では、カレーライス、肉じゃが、かつ丼等思い浮かべるほど、なくてはならない野菜だ。

 包丁で玉ねぎを切ると涙が出てくる時がある。揮発性のガスなのだが、涙のでない玉ねぎも開発が進められていると云われている。

 かつて現役時代、遅くなっての帰宅は寒い時期はつらいものがあった。西武新宿線、高田馬場駅改札口付近にあった売店で「オニオンスープ」を呑んで体を温めた。温かったな。

001_2  昨年の11月にスーパーでニンニク2個を購入して、皮をむいて植えた。

 今年のニンニクは茎が細く大きくならなかった。「失敗したのかな」と思いつつ、掘ってみた。

 「――出来ている」と実感する。全部で27個のニンニクだ。ざるに干して、すぐに皮をむいた。白いニンニクが現れた。「やれやれだな」と一人つぶやく。

ニンニクは薬として8世紀ころに日本に入ってきた。しかし、禅寺ではニンニクは精力旺盛となることから持ち込み禁止となっている。古い禅宗山門には「不許葷酒入山門」(くんしゅ さんもんに いるを ゆるさず)という石柱が建っている。

007 くさいにおいのするニンニクやニラなどの野菜と酒は修行の妨げになるから、寺には持ち込むなという意味。ニンニクは精力がついて心を乱すからだと言う。

 しかし、実際はお寺でニンニクは食べていたと云われている。

 ニンニクは仏教の修行方法の六種の波羅蜜、布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ふせ)・智慧(ちえ)の中の忍辱が語源になっているという。

忍辱とはもろもろの迫害を忍受しうらまないこと、忍耐ということだと辞典には記されている。

003_3  「ホーホケキョ」とウグイスが鳴く。5月の初めの早朝に栃木市大平町にある「大中寺」に参拝してきた。

 杉木立の参道の奥に山門がある。

 その右横には「不許葷酒入山門」と記されてある石柱が建っていた。 

 誰もいない大中寺の境内に「ホーホケキョ」と鳴り響くウグイスの鳴き声は静寂感を募らせてきた。
011_2 9歳になった銀太。最近食欲がないのでマタタビをあげた。少し元気が出てきた。

 明け方、私の枕元にきて、指をかむ。「早く起きろ」と言うのだ。餌はあるのだが、2階の部屋から一緒に一階におりたいのだ。

 寝るときも枕元にやってくる。撫でてやる。おかげて本が読みづらくなってきている。

                              《夢野銀次》

 

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夏野菜の植え付けが終わりました

053   「ジャガイモ、よくできてんなあ」と近くの婆さまからお褒めの言葉をいただいた。「深堀から作っているんかい。うちのジャガイモ、青いのが多いのは、そのせいかな」と畑を見ながらつぶやいて行った。

   この辺りの人達のジャガイモ作りは、畝に最初から種イモを植えている。私の場合は深堀からジャガイモの成長に合わせて、土寄せを行ない畝を作ってく。地域によって作り方が違うのだ。

  3月13日に植えたジャガイモ、男爵・キタアカリ、メークインの4キロ。昨年は5キロ植えたが、今年は少ない。しかし、植え付けの時、どんぴしゃり余りなく植え付けすることができた。今年はいいぞと確信する。

 ジャガイモに花が咲き始めた。

054_2  野菜の定番はやっぱり「ナス」だ。それに、ピーマン、シシトウ、オクラ、インゲンと家庭菜園を始めてから20年間、ずーとつくり続けてきた。

 土おこし、畝作りと畑を耕作する。土おこしをした畑の土壌はふっくらとして温かみを帯びてくる。収穫する喜びより、土を蘇えらせる時が、やったという感じで一番うれしいひと時でもある。

   秋まで実り続けさせるナス。どこまでも高く伸びさせるオクラ。8月にむけての作業が始まった。

060   スーパーで購入したカボチャ。その種から苗を妻は毎年さかせている。その前に私はホームセンターで2本のカボチャの苗を購入して植え付けをした。

  妻が作るカボチャの苗は後から3本植える予定にしている。

  昨年はホームセンターで購入した苗はしぼんでしまい、妻が咲かせた苗でカボチャの実を成らせた。

 今年は、どっちの苗が育つか?畝の後ろに風よけのビニールをはる。いくらか違うと思えるからだ。

058 5月5日頃から花が咲き出した絹さや。

種を植えたのが2月中旬。…やはり遅かった。1月初めに種を植えないと4月中に花は咲かない。花が咲く前に絹さやの枝はしおれていっていまう。

   「なんだかさらし首みたいだな」と見えてくる小玉スイカの畝。苗を保護するポリは5年以上前に購入し、毎年使っている。この保護ポリがないと苗は根付かない。そろそろ買い替えしないといけないと思いつつ、今年もこのポリ保護を使っている。

   小玉スイカ3本の苗は左から赤玉、黒玉、黄玉と並べた。猛暑の8月は、昨年と同じ様に小玉スイカを毎日食べて過ごしていきたい。

066   この場所でゴーヤを作るのは初めてとなる。昨年は駐車場を背にして南向きに、1本の苗で作った。今年は、我が家を背に西向きの畝に2本のゴーヤの苗を植えた。

  ゴーヤの蔓は広く伸び続ける。横に伸びるとして、左右に網を張った。ゴーヤの左は玉ねぎ、右側がニンニク。

  網は邪魔しないように張った。右側のニンニクが元気がないのが気にかかる。どうしてなのか?

  妻のプランターから芽がでた玉ねぎ。畝に移し替えた。ようやく育ち始めた。

069  さつまいも——紅あずまと金時の20本の苗。20本と少ないかなと思えるが、昨年蔓ボケして真中の畝からは実が成らなかった。肥料のやり過ぎなのか、水はけが悪かったのか?今だに分からない。

  今年は、草木灰と堆肥だけとして化成肥料は施していない。荒地でも育つサツマイモ。その生命力を見て行きたい。

  知人から八つ頭の種イモを戴いた。里芋と一緒に4月15日に植え付けをした。里芋はマルチを膨らませ、芽が出始めている。しかし、八つ頭の方は今だ反応はない。八つ頭の方が、芽が出るのが遅いのだと勝手に思い込んでいる。

085  4歳になったポン太。体重が7.5キロ。「大きいネコを好む人がいますよ」と動物病院の先生が笑いながらワクチンをうってくれた。

  母猫は野良猫。ポン太と弟のポン吉をつれて我が家に餌を求めてきていた。ポン太兄弟を我が家に入れて飼い始めた。母猫はいつの間にか姿を消してしまった。

  大きい猫のせいなのかポン太は鷹揚としている。大物を発揮し、喧嘩は強いのかと思っていたら、3月に左腹に噛み傷があった。喧嘩でやられたなと思い、動物病院で化膿止め注射をうってもらった。昨年の秋には弟のポン吉もやられている。近くの農家の人は「何匹がいるんか分かんねえ」と言うほど、猫を飼っている家は周辺に多い。

   実りを迎えた麦畑。荒らしてはいけませんよポン太と言うが、どこふく風かという顔で私を眺めている。

                                     《夢野銀次》

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春を感じる―杏・ユキヤナギ・レンギョウと作新学院の江川投手

053   杏の花言葉は「乙女のはにかみ」と言う。サクラより一足早く、はにかむように咲くことに由来するからだという。

 サクラのつぼみが大きくなっている。その前に桃色したアンズの花が咲いた。近くの農家の婆さまが「何の花だい?桃の木かい?」と声をかけてきた。「これがアンズの花かい。綺麗だやな」とつぶやいて行った。

 春3月。三寒四温。季節の変わり目。それでも日ごとに陽射しが暖かくなってきている。杏の花もしっかり咲いてきている。

058  小さい白い花を咲かせる「ユキヤナギ」。年々枝は大きく成長していく。

 雪色の白い花が枝全体に咲き誇る。その枝振りには誇りを表わし、力強さを感じてくる。

 黄色の花が咲き始めたレンギョウ。

 枝を埋め尽くすように咲く庭木だ。これからもっと咲いてくる。

045  「大阪の春は大相撲と選抜高校野から始まる」と言われている春3月。

   昭和48年(1973)、3月の甲子園球場。

 怪物と言われた作新学院高校の江川卓投手が初めて登場した選抜高校野球大会。私はテレビで対大阪の北陽高校との一戦を見ていた。

Yjimage2_6 ゆったりしたフォームから投げ下ろす投球。早い。奪った三振が19。バットに当たらない。ファールでもどよめくスタンド。凄い。評判通りのピッチャーだとその時実感した。そして郷里の栃木県を思い浮かべた。

  その年の9月に25歳を迎える私は何もしない日々を送っていた。前の年の10月に芝居公演がとん挫した。そのしがらみを引きずっての怠惰な生活であった。

 何人かの学友がアルバイトを紹介してくれて、日々食いつないでいた。

 甲子園で投げる江川の投球を見ながら、「このままじゃいけない。けじめをつけて働かないといけない」と思った。幸い5月に友人が紹介してくれた団体に職員として採用され、社会人としての生活を始めることができた。以後定年退職まで団体職員として36年間勤め上げた。「まず、めしを食べる」ということから生活が始まり、現在の「生涯学習」としての日々を迎えることができている。

Yjimage5 「父ちゃんが西川田へ江川を観に行ったヨ」と電話口で母が私に話してくれた。東武宇都宮線西川田駅から栃木県営球場まで年寄には長い距離でもある。「休み休み行ったんだと」と暑い炎天下、父は栃木県高校野球の県大会の試合で投げる江川を観に行った。老いて、何もしなくなった親父を駆り立ててくれた江川。何故かうれしくなり、作新学院の江川投手に感謝したことを憶えている。

  職場が大泉学園の時、私は池袋駅経由で後楽園球場に江川が投げる試合をよく観に行った。「江川が投げる日には残業をしない」と周りからも揶揄されもした。
  あの3月の選抜高校野球で投げる作新学院の江川。43年前の甲子園で投げる江川投手の姿が、私の人生の分岐点の一つであったと思っている。

037_3   青い空に桃色した杏の花が咲きほこる。

 昨年はたくさんの枝をきったため、花はあまり咲かなかった。今年は咲いた。

 ――風が吹けば花は散る。

 6月には杏の実が成る。

 しかし、鳥が止まり、口ばしで花びらをつついている。虫を捕っているのか、花びらが散っていってしまうのだ。

 それでも杏の実はなっていくと確信している。

 

                                          《夢野銀次》

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正月―我が家の日の出と三日月神社への参拝

013_2 平成28年(2016年)の元旦。――明方。

我が家の軒先から初日の出を見る。

ゆっくりと昇ってくる日差しは我が家の庭、菜園を照らし出してくる。

引っ越してきて6年目の新年を迎える。敷地にある家庭菜園。

昨年暮れにスコップで土起しを行なった。

土起しを行なった畑の土壌はふんわりと黒く盛り上がる。

――畑らしい土になってきたことを実感する。

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 「玉ネギ」「ニンニク」を植えた畝の西側に、ビニールで風よけを設置した。

北西の風が強い土地柄なのだ。

 6年前に栃木市に戻ってきて、翌年の冬には耳たぶにしもやけができた。高校まで住んでいたが、できたことはなかった。風が強いのだ。

以来、耳当てをして、しもやけを防いでいる。

053  正月三日目、昨年からの懸案であった「三日月神社」へ参拝に行く。元旦には神明さんに初詣をしている。

 栃木市川原田町535番地にある「三日月神社」。栃木市総合運動公園の裏側にある神社だ。「月讀命」(つきよみのみこと)を現す「朏尊」(ひそん)を祭神として祀っている。

 1月3日は例大祭日。御神楽が奉納されるなど一番の賑わいをみせる日になっている。イボ・アザ・シミ・ソバカスを治癒させる神として根強い信仰がある。

 肌を綺麗にして欲しいと願うことから「豆腐」をお供えして参拝する風習がある。

052 境内は、早い時間のためなのか、参拝者は20~30人と思ったより少ない。

 新築された神楽殿が建っている。昨年、来た時には神楽殿は取り壊され、工事が始まる時だった。

午前10時過ぎ頃から御神楽が演じられるのかもしれない。

 ――まずは参拝をする。

拝殿の脇のテントで豆腐が売られていた。

040 …やはり売っていたのだ。一丁100円のお供え用の豆腐。

スーパーで売られている普通の豆腐だ。

 この豆腐、どこに置いたらいいのか?

社務所の人は指を指して教えてくれた。

拝殿にある御賽銭箱の前に豆腐が並べられてある。

 拝殿に進み、お供えの豆腐を置く。弐例・弐拝・壱例をしての参拝を行ない、参拝を終了する。

045 拝殿前にはたき火が焚かれ、数人の人が輪になって談笑している。

 地域の神社特有の囲みの雰囲気を感じた。甘酒を呑みながら、私と距離があると感じた。その距離を縮めるには少し億劫な気もした。よそ者として、私は見られている。御神楽の準備が進められていたが、帰ることにした。

 年老いた御婆さんが、豆腐のお供えをして参拝する姿も見ることもできた。

 豆腐をお供えして参拝する風習慣例は脈々と江戸時代から受け継がれている。実際にあることを知った。

三日月神社を訪れて、地域の神社寺院には長い歴史が流れていることを改めて感じた。

                                         《夢野銀次》

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収穫の10月―里芋・落花生の天日干し

014  10月の後半も入ると朝夕の寒さが気になってくる。それでも晴天が続く。

 「よし、里芋を収穫するぞ」と10月27日の早朝、17本の里芋の畝に近づく。

   里芋の周りの土にスコップを入れ、土を柔らかくする。そして、両手で土を払いながら里芋の根を見つけ掘り返し、「ヨイショ」と里芋を掘り起し、里芋を採りだす。

 「まあまあだな。孫イモもある」

しかし、割れた里芋がある。大雨の影響なのか?それとも土壌がまだまだ整っていないせいなのか?017

  「種イモのしんがしっかりしている。うちの土は瓦土だからいいんだヨ。来年、里芋の種イモをあげる」と箱の森に住む農家の知人が言ってくれた。

  所沢での里芋作りは、畝の下は赤土が現れていた。しかし、ここの土壌は元々住宅用で畑用の土地ではない。この5年間で畑らしい土壌になってきている。もう少しやれば100年続く畑の土壌になると思えてくる。

  今年も里芋とさつまいもを姉たちに送っていくことにしている。

Photo

  5月に種を植えた落花生を収穫する。14株の実のなった株を天日干しにする。

 初めての天日干し…。去年までは採って洗って、すぐに茹でて食べていた。

 ネットで天日干しを知る。

 まず、取り外さなかったキュウリの支柱の前に脚立を置き、支柱に干し竿を結ぶ。逆さにした落花生の株を乗せる。これで1週間から10日間干す。干したあとは泥を洗い落とし、よく乾かす。そうすると1年近く保つといことだ。

 翌日に2株をとり、妻がゆでた。去年より甘くて美味しかった

Photo  10月25日に今年初めての木枯らしが吹き荒れた。翌日の朝、落花生を干していた脚立はひっくり返っていた。

   脚立はやめて、キュウリの支柱に落花生の株を載せ替えた。キュウリの支柱、取り外さないで良かった思う。

   これであと焙煎に挑戦してみる。妻は3分の1くらいにして、あとは例年通り茹でて食べていくと言っている。

 焙煎した落花生はうまくできないだろうと妻は思っているということだ。

 

002_2  3畝あったさつまいも。残り2畝のさつまいもを掘り返した。真中の畝の半分(5本)はさつまいもが実っていなかった。

 「つるぼけと言って、肥料のやりすぎだよ」と知人から言われた。しかし、両脇の畝にはさつまいもができていることから、「大雨の影響ではないか」と思えてくる。

 052 9月の大雨による大量の雨水でさつまいもや里芋の畝が冠水している。畝が乾燥しなかったのだと思える。割れたさつまいももあることから、湿った土壌の影響が強かったのだ。ただ肥料のやりすぎは注意しよう。

  真中の畝には空洞が幾つかあった。モグラがいることが分かっていた。ネズミも来ていたと推測される。しかし、我が家の猫どもはネズミを退治している。

  昨日の朝、我が家の前の畑の中で「ポン太」がネズミを捕っていた。痩せている「野ネズミ」だ。庭の片隅からも野ネズミの干からびた亡骸を見つけた。何だかんだで我が家の猫どもはネズミから我が菜園を守っていることが分かった。

 しかし、妻は野ネズミのことを「可哀想」と言い、猫どもを恨みがましく言い放す。

004_2  我が家で始めて実のなった柿。種類は?5年も前の話で、覚えていない。形が四角いので「冨有柿」か「次郎柿」なのか。ネットでは「富有柿はあごで食べ、次郎柿は歯で食べると言われている。富有柿は果肉がやわらく、次郎柿は硬めで歯ごたえがある」と記されていた。

 我が家の柿は食感がこりこりしている。種類は「次郎柿」だ。

 30個余りあった柿の実。この一週間、妻と毎日食べてきたため、あと残り6個になってしまった。来年は今年の倍以上に柿が実るようにしていきた。

 これからも長いお付き合いをお願いしますネ、次郎柿さん。

                                    《夢野銀次》

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5年目で柿が実った―さつまいもの収穫

Photo 「今年こそは実が成る」との想いが通じたのか。柿の木に柿が実った。

 柿の苗を買って植えたのは大震災のあった平成23年(2011年)の5月。

今年で5年目を迎えていた柿の木。

 「3年で実が成るよ」と言われていたが、昨年は実のなる前に落ちていってしまった。

柿を一個採ってみる。 

Photo_6
 しぶ柿かな…?

 ――食べられました。種が1つしかない。

「ハイ、これから毎日柿を2個づつ食べましょう」と妻の声が聞こえた。

 柿の種類は何だった?種無し柿なのか?

 憶えていない。柿でよい。

Photo_3  さつまいもの掘り起しを行なう。去年に比べ1週間早い収穫となる。

 大きさも調度良い具合にできている。

 さつまいも、「金時」が土の中から姿を現した。 

今年のさつまいも…。出来具合が良い。

 さつまいもの収穫、これで何回目なるのか?

Photo_5  初めてさつまいもを収穫した時の新鮮な驚きは覚えている。 うれしくて姉に送った。返ってきた言葉は「味が良くない」とピシャと言われた。

  「来年こそは」とその時思った。それから毎年さつまいものを植えてきた。

 土の中から現れるさつまいも。その時の収穫の驚き、うれしさが家庭菜園を20年近くやってきた原点になっていると思えてくる。

 ねずみに食われたくやしさもあったな。

 当分はさつまいもの朝食となる。これも務めだと自分に言い聞かせて、残りのさつまいもの収穫日を考えている。

                                         《夢野銀次》

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猛暑の中、スイカと「語り」を聴きに行く

020_2_2  連日の猛暑が続く。我が家はクーラーを設置していない。ほこりを嫌うからだ。しかし、ここにきて限界がきている。来年の2月ころクーラーを購入することを妻と決めた。

  猫どもは昼間は家の涼しい土間や廊下で寝ている。陽が沈む夕暮れ時から庭や畑に出ていく。そして夜中に近所を徘徊している。

  明け方の5時頃から畑の草取りを始める。

ポン太はスイカ畑のそばにあるカゴに横たわる。

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 黒小玉と小玉スイカ2本の苗を植えた。

 黒小玉の苗は順調に育ったが、小玉の方は強い風にあおられ、本幹が枯れ、残った枝で何とか持ちこたえた。

 「無理かな…?」。それでも実がなってきた。

二本のスイカの苗から15,6個の実がなっている。

おかげで、スイカを妻と二人で食べている。肥料を「健康野菜の肥料」にしたのが良かったのかもしれない。後はカラスの襲撃を猫どもに守っておらう。

007  サトイモの土寄せを行なった。猛暑の中、水をたっぷり注ぐ。

 幸い虫は湧いていない。毎朝、サトイモに虫がついているか、割りばしをもって観察をする。

  一昨年からの収穫したサトイモ、しっかりと形づいたサトイモになってきている。土壌が良くなっている証なのだと確信してきている。

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 ホームセンターで購入したカボチャの苗3本は強風で枯れてしまった。しかし、スーパーで買ったカボチャを食べた後の「種」から苗が芽をだした。

  「毎年、種からカボチャの芽が出ているでしょ」と苗を購入した私を叱る妻。スーパーからのカボチャの苗を畝に植え変えた。

  三本のカボチャの苗はすくすくと幹を伸ばし、オシベとメシベの花を咲かした。妻に交配を教える。毎朝、妻はメシベの花を見つけ、交配を行なっていた。

  カボチャの実が成り始める。10個はできている。そろそろ収穫時期を迎えてきている。

027_2  7月4日に「むかし語り会と薩摩琵琶」を栃木市嘉右衛門町にある「妙昌寺」で聴いてきた。70人入る会場はほぼ満杯。8人の「むかし語り」を聞きながら、妙昌寺の開基など栃木の町の歴史を読み取ることができた。

 初めて琵琶を聞く。バチから流れる強い音色は弱さへと続いていき、「平家物語」に登場する人物、風景に哀切さを浮かびあげて行くような気がした。

  琵琶演奏者は若い女性の榎木百香。凛と引き締まった姿は聴衆者に琵琶の音色と共に迫力がある。中村錦之助主演映画「宮本武蔵」に出てくる岩崎加根子が演じた琵琶演奏を連想させた。

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  講談を始めて聞く機会を得た。

  8月2日に栃木文化会館小ホールで神田香織講談師による「はだしのゲン」。 

  開催しているのが栃木市西方町にある福正寺にある住職。第3回目の「原爆展」として開催している企画事業に原爆への思いを開会前に語る。その姿勢に感心にさせられた。

 3つの話芸。笑いと落ちの落語、涙の浪曲、そして一番古い軍記ものとしての講談。江戸時代までは講釈と言われてきた。情報は口コミであった時代。その現場や事件、歴史的事件を伝えたのが講釈。見て来たかのようの感慨深げに伝えていったのが始まりだという。

2b041614c7b119083658141cce28f4451_2 「はだしのゲン」を始める前に神田香織は講談についての説明があった。場面転換や強調場面で張扇(はりせん)を叩く手法にも説明があった

 いわき市生まれ、秋吉久美子と同級生だと語っていた。

 「はだしのゲン」を講談話芸として聞くと原爆投下直後の人々の歩く姿が波のように浮かびあがってきた。

  「むかし語りの会」「講談、はだしのゲン」いずれも会場は満杯。客層は中高齢者、とりわけご婦人層が多かった。生で会場で感動受ける。その機会を望んでいることが肌で分かった。

020  昨年、近くの農家の婆っちゃんから畑の土をもらった。その土を駐車場から畑にした所に撒いた。

 一本のゴーヤの苗を植えた。実のなったゴーヤを御礼に婆っちゃんにあげる。

 ゴーヤを毎日、ジュースにして飲んでいる。しかし、台風がくればゴーヤをしまう。不安定な支柱だからだ。

 猛暑日はあと2,3日で終わるかもしれない。スイカを毎日食べていく。

 秋野菜の準備を始める。その前に草むしりを暑くなる前の時間帯でやっていくとする。

                  《夢野銀次》

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ジャガイモの収穫と太平山のあじさい

Photo  栃木市にある太平山は桜の木で有名だが、近年は「あじさい坂」として名を広めている。

  あじさい坂は入口の連祥院般若寺・六角堂から太平隋神門に至る太平山神社表参道表参道両脇に昭和43年、ライオンズクラブによって植えられたあじざいによって名づけれらている。あじさい坂には「平岩幸吉の石碑」をはじめ「田村律之助の胸像」や「水戸天狗党本陣跡」の史跡や神仏習合としての「隋神門」など歴史を語る史跡が多く、じっくりと石段を登りながら散策するところだ。

 7月1日に栃木県シルバー大学の同窓生仲間であじさい見物を行なった。あいにくの雨が降っていての散策だったが、約1000段の石段を登り、太平山神社参拝を行なった。

Photo_17 あじさい坂のあじさいの花は時期が終わっていた。しかし、山頂付近の謙信平のあじさいは見頃だった。薄靄の中であじさいが咲きほころびていて、しっとりとした気分に浸ることができた。

  「太平山神社の社にはハート型」が施されている」とテレビで放映されていたと同行の学友の女性から話を聞いた。

 巫女さんにどこにあるか尋ねたら、あちらこちらにあるとの答えだった。

…ある。小さい「ハート型」が拝殿の梁や水桶(?)にもある。小さいのでじっくり探さないと見落とす。渡良瀬遊水地も「ハート型」。何故「ハート型」が話題になるのか、テレビを見ていない自分にどうにも分からないが縁結びということらしい。しかし、地元の言い伝えでは「太平山公園でデートした二人はやがて別れる」ことになっている。吉祥寺にある「井の頭公園」も同じように云われている。デートをかさねても若いカップルは結ばれる確率は少ない。逆に言えば、それだけ若いカップルが多く訪れているということになる。

Photo_18  家に帰り、「ハート型」をネットで検索したら古代からある「猪目文様」のことを指していることが分かった。猪などから型どり、魔除けとして建造物に施されるとしているということなのだ。初めて知った。太平山神社もそれだけ古い格式のある神社であることの証でもあるのかな。

 茶店にてやきとり・卵焼き・団子の太平山名物三点セットも初めて食べた。 夜鳴きした鶏は不吉なものとして太平山神社に奉納。奉納された鶏はお供えの「おさご」(洗ったお米)で繁殖したため焼き鳥に、鶏の卵は卵焼きに、「おさご」はだんごにして功徳とした。

 厚い卵焼きとボリュームある焼き鳥とお店のサービスとしてのだんごでそれなりの量で満腹となる。うまい。また食べに来ようと思った。

Photo_19 梅雨の時期。雨が降り続く。

ジャガイモ掘りは雨が止んだ時に行う。

  今年のジャガイモ、まずまずの出来具合だ。あと三回に渡ってジャガイモ堀を行なっていく。

  黒小玉スイカも順調に育っている。すでに交配したスイカには7個の実が成っている。

 収穫の時期を見定めていく。

Photo_21   我が家の畑の畝は「虫」に弱く、かぶなど全滅している。しかし、サニーレタスは虫に負けないで育っている。新たな発見でもある。

  さっそくサニーレタスの種を追加購入した。朝の食卓には「ミニトマト」が加わったサニーレタス。それにキュウリが添えられる。

 これから迎える暑い夏。体力とにらめっこして畑仕事をしていこう。

 

                  《夢野銀次》

 

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