日々の営み

春を感じる―杏・ユキヤナギ・レンギョウと作新学院の江川投手

053   杏の花言葉は「乙女のはにかみ」と言う。サクラより一足早く、はにかむように咲くことに由来するからだという。

 サクラのつぼみが大きくなっている。その前に桃色したアンズの花が咲いた。近くの農家の婆さまが「何の花だい?桃の木かい?」と声をかけてきた。「これがアンズの花かい。綺麗だやな」とつぶやいて行った。

 春3月。三寒四温。季節の変わり目。それでも日ごとに陽射しが暖かくなってきている。杏の花もしっかり咲いてきている。

058  小さい白い花を咲かせる「ユキヤナギ」。年々枝は大きく成長していく。

 雪色の白い花が枝全体に咲き誇る。その枝振りには誇りを表わし、力強さを感じてくる。

 黄色の花が咲き始めたレンギョウ。

 枝を埋め尽くすように咲く庭木だ。これからもっと咲いてくる。

045  「大阪の春は大相撲と選抜高校野から始まる」と言われている春3月。

   昭和48年(1973)、3月の甲子園球場。

 怪物と言われた作新学院高校の江川卓投手が初めて登場した選抜高校野球大会。私はテレビで対大阪の北陽高校との一戦を見ていた。

Yjimage2_6 ゆったりしたフォームから投げ下ろす投球。早い。奪った三振が19。バットに当たらない。ファールでもどよめくスタンド。凄い。評判通りのピッチャーだとその時実感した。そして郷里の栃木県を思い浮かべた。

  その年の9月に25歳を迎える私は何もしない日々を送っていた。前の年の10月に芝居公演がとん挫した。そのしがらみを引きずっての怠惰な生活であった。

 何人かの学友がアルバイトを紹介してくれて、日々食いつないでいた。

 甲子園で投げる江川の投球を見ながら、「このままじゃいけない。けじめをつけて働かないといけない」と思った。幸い5月に友人が紹介してくれた団体に職員として採用され、社会人としての生活を始めることができた。以後定年退職まで団体職員として36年間勤め上げた。「まず、めしを食べる」ということから生活が始まり、現在の「生涯学習」としての日々を迎えることができている。

Yjimage5 「父ちゃんが西川田へ江川を観に行ったヨ」と電話口で母が私に話してくれた。東武宇都宮線西川田駅から栃木県営球場まで年寄には長い距離でもある。「休み休み行ったんだと」と暑い炎天下、父は栃木県高校野球の県大会の試合で投げる江川を観に行った。老いて、何もしなくなった親父を駆り立ててくれた江川。何故かうれしくなり、作新学院の江川投手に感謝したことを憶えている。

  職場が大泉学園の時、私は池袋駅経由で後楽園球場に江川が投げる試合をよく観に行った。「江川が投げる日には残業をしない」と周りからも揶揄されもした。
  あの3月の選抜高校野球で投げる作新学院の江川。43年前の甲子園で投げる江川投手の姿が、私の人生の分岐点の一つであったと思っている。

037_3   青い空に桃色した杏の花が咲きほこる。

 昨年はたくさんの枝をきったため、花はあまり咲かなかった。今年は咲いた。

 ――風が吹けば花は散る。

 6月には杏の実が成る。

 しかし、鳥が止まり、口ばしで花びらをつついている。虫を捕っているのか、花びらが散っていってしまうのだ。

 それでも杏の実はなっていくと確信している。

 

                                          《夢野銀次》

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栃木市文化芸術館・文学館基本構想から思うこと

002_2_2  巴波川に架かる常盤橋から運河沿いに旧栃木市役所別館、栃木中央小学校に続く道がある。私の最も好きな栃木の町並みの景観だ。県庁掘りとそこから巴波川に流れる漕渠(そうきょ)・運河は栃木市民として誇れる史跡でもあるからだ。

  栃木市では、平成28年度の予算として鈴木俊美市長の公約である文化芸術館(仮称)と文学資料館(仮称)の整備費用として5800万円、旧栃木第一小学校を活用する地域交流センター(仮称)の整備費2400万円、嘉右衛門町伝建地区の拠点整備費2700万円を計上して本格的な文化芸術のまちづくりが開始されることになってきた。

  平成28年2月に栃木市は「栃木市文化芸術館・文学館基本構想」を発表し、パブリックコメントの募集を行なった。この基本構想では、文化芸術館を旧栃木市役所建物跡地に新たに建設する。隣接する別館は大正時代の建物景観を活かした文学資料館にする。県庁堀り南の向い側の旧第一小学校は地域交流センターとして活用し、敷地の東側に保育所を建設する。明治5年から明治17年まであった栃木県庁舎。その県庁舎を城郭堀のように囲む県庁堀りは今も史跡として残っている。この史跡県庁堀の景観を活かした建設構想になっているのがうれしく思う。

004  今回の基本構想の文化施設は「文化芸術を親しむ機会の増加と充実、および資料等の調査研究の拠点」として位置づけされている。とちぎの歴史・文化・芸術を、みんなで楽しみ・広め・創る拠点と合言葉として、「わたしが光り みんなで輝く文化の息づくまちづくり」を理念にしている。

  私は、「光り輝く文化の息づくまち栃木」と思うようにしている。

  そして基本構想には5つの役割と6つの機能が明記されている。5つの役割としては、A.市ゆかりの文化歴史資料や芸術作品を収集・保存・活用し受け継ぐ。B.魅力あふれる芸術作品や貴重な文化歴史資料を鑑賞できる多彩な展覧会の実施。C.ふるさとへの愛着と誇りを育む機会の充実。D.市民自らが参加・参画し、活動・交流できる機会の提供。E.歴史や文化芸術により賑わいの創出や交流人口の増加を図る蔵の街の観光拠点を担うことが記されている。これらの役割の担うための6つの機能が追記されている。6つの機能とは、博物館法の定める基本機能である①収集・保存、②調査・研究、③展示、④教育普及機能に、⑤交流、⑥情報の受発信機能の2点を加えている。博物館登録を行ない、調査研究機関を設置していくことなど、これまでにない文化芸術に対する思いを伺うことができる。

009 課題は出来上がった施設の運営面にあると思う。現在の文化施設である文化会館と図書館は指定管理会社によって維持運営されている。維持管理、経費削減が先行され、肝心の企画運営にどれだけ力点が置かれているか疑問がある。

 栃木県下の宇都宮・足利・鹿沼・佐野市においては文化会館・美術館運営については公益法人文化芸術振興団体を設置し、市民等が加わり運営されていると聞く。また文化芸術団体の年間事業報告・計画と決算・予算がネットで一般公開され、誰もが閲覧できるようになっている。

014  指定管理下の文化会館では報告も計画も一部の市民にしか明らかにされていないのが現状である。また、26年公益財団法人うつのみや文化創造財団が行なった宇都宮市文化館での企画事業が38事業、入場者が延べ72,378人に対して、指定管理会社が行なった栃木市文化会館での自主事業が14事業、延べ2,412人の入場者になっており、宇都宮市と大きな開きがある。簡単に比較はできないながらも企画運営への温度差が違うのではないかと思える。

  文化施設は行政の財産ではなく、市民共有の文化施設であることを今一度思い直していく必要があると思える。

  基本構想では施設の運営についてはこれから検討していくこととしているが、市民主体の運営であることを明記する必要がある。そうでなければ、従来から言われる「ハコモノ行政」として市民から「もったいない」「将来に借金を残すな」「介護、社会保障に予算を使え」と言われ、計画がとん挫する危険をも内包している。市当局においては、文化芸術が活き活きした町をつくることや文化活動のもつ意義、役割などを市民に理解を求めていく働きかけがもっと必要でないかと思えてくる。

025  昨年の11月に栃木第三小学校4年生による「子どもたちによる例幣使行列」が栃木市嘉右衛門町の例幣使街道で行なわれた。

 嘉右衛門町は平成24年(2012)7月に国の重要伝統的建造物保存地区に選定され、建造物の修繕保存作業が進められている。今回の市の予算で拠点施設整備費用として2700万円計上されている。歴史資産としての活かす工夫が始まるものと伺える。

  嘉右衛門町に訪れる観光客や一般市民がどのくらいいるのか分からない。しかし、賑わいのない町並みの印象を受けてしまっているのだ。

 歴史資産として嘉右衛門町一帯を活かすには、この一帯をミュージアムにして、保存・調査と展示活動を進めていく施策が必要だと思える。運営主体は前記の文化芸術団体が地域の人を加えて行う。そして中心となるイベント会場を設置し、伝統芸能等の発表を行うなど、多くの来訪者を迎える企画運営が必要であるのではないかと思う。

  少子高齢化・人口減少の時代だからこそ、自ら学び、知識情報を得、人との交流、感動を共有する空間・文化施設が求められている。今回の基本構想に生涯学習センターとしての要素を含めて、魅力あるまちづくりを目指して計画を推し進めていって欲しいと願う。

≪参考資料≫

 「(仮称)栃木市文化芸術館・文学館基本構想素案」(栃木市・栃木市教育委員会/平成28年2月発表)     

                                    《夢野銀次》

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新たな地域完結型医療体制の構築―とちぎメディカルセンター

108  「小さいなあ…。もっと大きな病院が建つと思っていたのに」と、栃木駅南口スーパー「とりせん」への買い物の際、工事中の建物の見ながら思った。5月の開設に向けて駐車場や道路等インフラは整備されてきている。

  戦前の昭和13年にできた「下都賀病院」。栃木市富士見町にある下都賀総合病院は父や兄が世話になってきた病院でもある。最近ではこの私も人間ドックにおける早期発見で、「膀胱がん除去」「呼吸器疾患治療」「大腸ポリープ除去」と入院、治療を受けている病院でもある。

  下都賀病院は築60年を超える建物の老朽化と病院経営再建をきっかけに、新たに栃木市内にある3病院の統合によって、「とちぎメディカルセンターしもつが」という名称で生まれ変わることになった。ベットの数が307床。屋上にはヘリポートが供えられている。5月になったら4か月1回の膀こうガンの定期検査をこの建物で受けることになる。

003  栃木市内にある下都賀総合病院、とちの木総合病院、下都賀郡医師会病院の3病院が統合再編し、平成25年(2013)4月に発足した「とちぎメディカルセンター(略してTMC)」として今年(平成28年)4月から本格的に稼働を開始する。メディカルセンターへの理解を深めるため、2月27日(日)に栃木文化会館において公開シンポジウムが開かれた。会場はほぼ満杯の聴衆で埋まった。

 メディカルとは医療のこと。横文字ではなく、とちぎ医療総合センターしもつがと呼んでもよいのではないかと思う。病院という名称がないのはどうしてなのか?

 当日のチラシに「とちぎ(地区)の新しい医療体制を目指して」を副題として、舞台には「とちぎメディカルセンターの役割と挑戦」という横幕が張られてあった。

  来賓の鈴木俊美栃木市長からは、下都賀病院の病院経営と建物老朽化による建て替えを検討している時、厚労省における地域包括ケアシステム構築における臨時特別交付金制度を活用して事業をすすめたことの報告があった。財政的に市当局は「地域包括ケアシステム構築」を活用をした。そのことは地域医療システムの構築こそが今回の3病院の統合再編の命題であることが分かった。

053_2  厚生労働省医療安全推進室長の平子哲夫氏が基調講演「地域で支える医療・介護」があった。講演時間が50分と恐ろしく短い講演。講師はまず冒頭で、「2020年の東京オリンピックより、私どもは団塊の世代が75歳を迎える2025年を最大の医療体制整備の課題としている」ことの強調から講演が始まった。

  講演では高齢者時代を迎え、「平成37年(2025)に団塊の世代約800万人が75歳を迎えることは国民の医療や介護の需要が増大する。そのため高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援のもとで可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援の構築をできる体制にもっていく」という国としての施策方向性の紹介があった。そして、「今回のとちぎメディカルセンターのとりくみは全国的に注目を集めている。是非地域の人々と共に事業が推進されることを期待します」との結びがあった。

055  「地域包括ケアシステムの構築」のあらましが講演の中でスライド紹介された。

〇団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、重要な要介護状態になっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けるよう医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に確保される体制(地域包括ケアシステム)の構築の実現

〇今後、認知症高齢者の増加が見込まれることから、認知症高齢者の地域での生活を支えるためにも、地域包括ケアシステムの構築が重要。

〇人口が横ばい75歳以上人口が急増する大都市部、75歳以上人口の増加は緩やかだが人口は減少する町村部等、高齢化の進展状況には大きな地域差

〇地域包括ケアシステムは、保険者である市町村や都道府県が地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要。

050_3  とちぎメディカルセンターとして開始するにあたり、麻生利正理事長より「急性期から回復期、在宅・介護に至るまで、(病院完結型から)地域完結型の医療体制の構築を目指して栃木地区の3病院が統合し、とちぎメディカルセンターが発足しました。3病院の持っている機能を強化し、地域に医療・保健に貢献していきたい」との基調報告があった。

  このことから、病院名を使用しないのは地域完結型医療体制を推進していくためなのだと理解した。ただ当分はなじみがでないだろうなと思える。「病院へ行く」から「メディカルセンターへ行く」…言いづらい。

  機能の分担では、医療における急性期病院として「TMCしもつが」が行なう。回復期・慢性期については「TMCとちのき」。高度医療を必要とする患者は大学病院に。センターとして訪問看護、在宅医療の提供を行なう。郡医師会病院が総合保健医療支援センターとなり保健・福祉事業を行なう。そしてメディカルセンターとして介護及び高齢者福祉として居宅介護支援事業所によるケアプラン作成、介護老人保健施設による入所・通所サービスの提供、訪問リハビリ等を行なっていくとしている。

081  最後の公開シンポジュウムにおいては、栃木市保健部長、郡医師会、独協医科大学、自治医科大学、栃木地域女性会が参加して、それぞれの立場からメディカルセンターへの期待と要望が出された。とりわけ開業医の立場から郡医師会の意見が印象に残った。

 それは「地域医療として、開業医にはかかりつけ、看取り在宅治療などが求められている。しかし、一人の開業医、診療所では24時間、365日、対応できない。メディカルセンターにおいて在宅医療拠点としての連携の強化、在宅医療支援診療所などの場を提供して欲しい」との意見であった。

  従来の病院完結型から、とちぎメディカルセンターは地域完結型医療体制の確立を目指す。それは社会保障制度改革の一貫として位置づけられる重要な課題であると思う。

  地域では認知症を含め治療・介護は相当な辛苦が伴う。それを進めていくには地域包括支援センターとの連携が不可欠だと思えてくる。この公開シンポジュウムに地域包括支援センターが登壇していなかったのが残念なことだった。しかし、とちぎメディカルセンターは国の補助金を得てスタートする。そのことを踏まえて地域完結型医療体制の構築を整えていって欲しいと願う。

                                             《夢野銀次》

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正月―我が家の日の出と三日月神社への参拝

013_2 平成28年(2016年)の元旦。――明方。

我が家の軒先から初日の出を見る。

ゆっくりと昇ってくる日差しは我が家の庭、菜園を照らし出してくる。

引っ越してきて6年目の新年を迎える。敷地にある家庭菜園。

昨年暮れにスコップで土起しを行なった。

土起しを行なった畑の土壌はふんわりと黒く盛り上がる。

――畑らしい土になってきたことを実感する。

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 「玉ネギ」「ニンニク」を植えた畝の西側に、ビニールで風よけを設置した。

北西の風が強い土地柄なのだ。

 6年前に栃木市に戻ってきて、翌年の冬には耳たぶにしもやけができた。高校まで住んでいたが、できたことはなかった。風が強いのだ。

以来、耳当てをして、しもやけを防いでいる。

053  正月三日目、昨年からの懸案であった「三日月神社」へ参拝に行く。元旦には神明さんに初詣をしている。

 栃木市川原田町535番地にある「三日月神社」。栃木市総合運動公園の裏側にある神社だ。「月讀命」(つきよみのみこと)を現す「朏尊」(ひそん)を祭神として祀っている。

 1月3日は例大祭日。御神楽が奉納されるなど一番の賑わいをみせる日になっている。イボ・アザ・シミ・ソバカスを治癒させる神として根強い信仰がある。

 肌を綺麗にして欲しいと願うことから「豆腐」をお供えして参拝する風習がある。

052 境内は、早い時間のためなのか、参拝者は20~30人と思ったより少ない。

 新築された神楽殿が建っている。昨年、来た時には神楽殿は取り壊され、工事が始まる時だった。

午前10時過ぎ頃から御神楽が演じられるのかもしれない。

 ――まずは参拝をする。

拝殿の脇のテントで豆腐が売られていた。

040 …やはり売っていたのだ。一丁100円のお供え用の豆腐。

スーパーで売られている普通の豆腐だ。

 この豆腐、どこに置いたらいいのか?

社務所の人は指を指して教えてくれた。

拝殿にある御賽銭箱の前に豆腐が並べられてある。

 拝殿に進み、お供えの豆腐を置く。弐例・弐拝・壱例をしての参拝を行ない、参拝を終了する。

045 拝殿前にはたき火が焚かれ、数人の人が輪になって談笑している。

 地域の神社特有の囲みの雰囲気を感じた。甘酒を呑みながら、私と距離があると感じた。その距離を縮めるには少し億劫な気もした。よそ者として、私は見られている。御神楽の準備が進められていたが、帰ることにした。

 年老いた御婆さんが、豆腐のお供えをして参拝する姿も見ることもできた。

 豆腐をお供えして参拝する風習慣例は脈々と江戸時代から受け継がれている。実際にあることを知った。

三日月神社を訪れて、地域の神社寺院には長い歴史が流れていることを改めて感じた。

                                         《夢野銀次》

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収穫の秋を迎え、今を生きる―映画「おかんの嫁入り」

Photo  我が家の周りの水田は黄金色に染まっている。収穫の始まった稲穂の田圃。耕運機で代かきが始まり、田植え機によって田植えを行ない、最後はコンバインという機械で稲狩りを行なう。稲穂の生育は一人の機械の操作で終わっていく。広い稲穂の田圃の光景を見ながらどこかに寂しさを感じる。 

Photo_2  ――秋を迎えた。

  菜園から落花生を収穫した。

妻が落花生をゆでてくれた。口に含んだ落花生は柔らかくて甘い。うまい落花生になっている。

   平成22年(2010)作品の「おかんの嫁入り」を図書館からDVDを借りて観る。娘月子(宮崎あおい)と母親陽子(大竹しのぶ)の優しく心温まる世界を描いた作品だ。「おかん」は関西弁で母親のこと。関東では「かあちゃん」と呼ぶ。私は母親のことを「かあちゃん」と呼んでいた。

Img_01_2    監督はこの作品が二作目となる呉美保(お みほ)。因みに三作目「そこのみ光輝く」は今年(2014年)のモントリオール世界映画祭において最優秀監督賞を受賞し、今一番注目されている監督の一人になっている。

  ある雨の降る深夜に金髪のリーゼットの若い男研二(桐谷健太)を家に入れ、娘に結婚することを宣言する母親。母娘のいさかいの中、末期癌である母親陽子は白無垢姿で娘月子に向き合い語る。白無垢姿で語る大竹しのぶの台詞と聞き入る宮崎あおいの表情が感動的だ。

 「残りの時間の中で何をすべきなのかを考えました。私が今すべきことは私の人生を私らしく幸せに生きることであり、それを月ちゃんに見せることによって、月ちゃんも自分の生き方を見つけてもらいたい。そう思いました。月ちゃん、こんな身勝手でわがままで、どうしょうもないお母さんですが、どうか最後の日まで、どうか一緒にいてください。よろしくお願いします。…こういうのいっぺんやってみたかってん」。涙を浮かべて母を見つめる月子。柳田國男が説いている「ハレとケ」の世界だなと思えた。ハレという非日常的な世界での衣装―白無垢の花嫁姿は普段の自分をも変身させ、言えない言葉を自然に喋れる世界を描いていると思えた。

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  25歳の月子は退職して一年、犬との散歩など周辺を出歩くことはできるが、電車に恐怖を抱き、社会に復帰できないニートになっている。同僚からストーカーに会ったからだ。自転車置き場でのその同僚の男から突き飛ばされるシーンなど怖さを感じる。母親は娘と一緒に電車に乗って白無垢衣装合わせに行くことを誘う。電車に乗ろうとしても、なかなか前へ進めないでもがく娘月子。プラス思考のおまじない「ツルカメ」をつぶやき続ける。その時、月子の耳元に「ツルカメ ツルカメ ツルカメ」と母親の陽子のつぶやきが聞こえる。二人は共に電車に飛び乗る。やったあ、できたあ――。と抱き合い喜ぶ母娘。とても温かいシーンだ。

  研二やさく(絵沢萠子)と共に食事しながら母親の結婚にふて腐れる娘に「放さない、放さない」と娘月子を抱きしめる母親の陽子。「あんたら目くそ鼻くそや」と敷地内に住む大家のさくから言われる母娘の関係。

Ph211 この映画の人物たちの関係性が陰鬱ではなくカラットと描いているのが気持ち良い。それは食事のシーンが多いということだ。10月4日ラジオ放送のNHK第一の「かんさい土曜ほっと」の中で、大学教授でもある司会者の佐藤誠司氏は「家族の定義は食事を共にすることだ」ということを引用して語っていた。共に食事をすることこそ人を結びつけるということなのだ。

 陽子の結婚に異を唱えず、怒った月子を泊める隣の大家さく。さくは陽子の家にあがり食事もする。しかし、結婚には異を言わず、母娘の微妙なやりとりには足を踏み込まず距離を置く。陽子が勤める村上医師(國村隼)も板前をしていた研二がつくる料理をうまいと言って食べる。そして陽子の結婚に異は唱えない。

 いい加減な若者と思えた母親の結婚相手の研二。おばあちゃんを亡くしたことを月子に語る。「今当たり前に思ってることが、すぐ先で、そうじゃなくなるかもしれんことを、結局死んでしもうてから気づかされて――。もう二度とばあちゃんに会うことも、謝ることもずーっと ずーっと後悔しながら…」と祖母の思いを語る。娘月子がいない家では縁側の下で寝るなどけじめを知っている青年に描いているのが印象的だ。

 母娘の周りの親しい人たちはちょっとした距離を置いて見守る姿勢を描いている。ドロドロした関係を作らない世界。それがこの映画全体を包んでいるように思えた。「おかん」という語感も暗くないのだ。

003_2  先日、五木寛之の講演「いまを生きる力を」を聞いてきた。主催が浄土宗関係だったためか会場には宗教色も感じられたが、講演内容には仏教色が無かった。生命は有限であることを改めて知った講演だった。

  昭和7年9月30日に生まれの五木寛之は82歳を迎えている。「人生をどう生きるかを書いた本はたくさんあるが、60歳以後の生き方を書いた書物は少ない。生命は無限ではない。人間の一番強い欲である生存欲。誰もが迎える逝くといこと。その生存欲を克服、断ち切るには今をどう生きるかだ」と指摘した。

  さらに慈悲という言葉の持つ意味を述べた。印象深い指摘だった。慈と悲をわけて考える。オーム真理教で服役中の息子に会う父と母。慈父―厳格だが優しさと厳しさを持ちながら息子を理解しようとオーム教関連の書物を読破する。息子の思考を理解し、支えようとする。悲母ー父と息子が理論抗争していても、じっと黙って息子の手を握りつづける母親。末期を迎えた時に慈が病院の治療ならば悲は看取る家族の優しさなのだと五木寛之は語った。

Photo 若い女性も多かった五木寛之の講演を聴きながら、いずれ自分にも別れを告げる時が確実にやってくることが胸に浮かんできた。66歳という年齢は、その時が来るのが近いことだ。その時に向けてどう生きていくのか…。限りある生命。今をどう生きるかを問われた講演だ。

 我が家の庭先では雌の夢野と雄の銀太がコンバインで稲狩りをしている様子を眺めている。

  二歳年上の兄が入院している。人工透析を30年近く続けてきたうえでの入院でもある。横浜に嫁に行き、二人の子供がいる一人娘の姪は頻繁に横浜から栃木の総合病院にきて兄を看ている。兄嫁は10年前に他界している。家族は父娘の二人だ。娘が父を看ている。子供のいない私にはうらやましいと思える光景だ。

 自らの生命は有限…。

 映画「おかんの嫁入り」は、生命の限りを知った母親が『嫁入りする』という行為を通して、娘に自分らしく今を生きることを見せる。そして、娘に最後までずっと一緒にいてほしいことを願う。さわやかな感動を私に与えてくれた映画だ。

                                        《夢野銀次》                         

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さつきの花を見直しました

Photo 鉢に咲いているさつきを購入したのは今から20年以上前。狭山市にある中古住宅を購入した時だ。

 以来、あまり世話をしなで庭に置いていた。

9年後に同じ狭山市の中古住宅に転居した。その時、さつきは枯れた。

「捨てようか」と思った。しかし、妻は鉢からさつきの幹を取り出し、庭先の地べたに植え変えをした。

Photo_5翌年に3分の1の幹になっていたさつきは花を咲かせた。

「凄い頑張りだな」と私は感心した。

それから所沢、そして現在の所に転居して3年半が経った。相変わらず庭先に地下植えしていたさつきは今年も花を咲かせた。

Photo_3 「手入れをしないでよく咲いたな」と思い、さつきの花を眺めた。 

 色の違う花びらが咲いている。

  盆栽さつきをしている人の庭先にたくさんのさつきが咲いているのを思い出した。

色の違う花を咲かせるさつき。

「大事にしょう」と思った。

鹿沼土と腐葉土でさつきの周りの土にまぜる。そして石で囲いをした。菜園の入口に咲いているためよく足で踏ん付けていたからだ。

 手入れの方法など学んでいこう。鮮やかにさいているさつきを見て思った。

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 実のついたかぼちゃを発見。自ふんさせて5日が経過している。

雌しべが咲いている時には雄しべの花が咲いていない。それだけ、咲き始めて月日が短いのだ。スーパーで買って食べたカボチャ。その種から実が産まれてきている。

ことしは4本のカボチャの苗を植えた。

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 8歳になった夢野。

明け方に帰宅し、食事をしてすぐに外にでていく。そして夕方帰宅する。夜中の12時に外に行く。

じっとしていない猫だ。

「夢!」と呼ぶと「ニヤオー」とないてそばに寄ってくる。呼んですぐ来る猫は可愛い。

腰をポンポンをたたくと喜ぶ「夢野」。体重3.5キロと小柄な猫だ。

10年以上は生きていくだろうと思っている。

                        《夢野銀次》

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我が家のイチゴを食べていますー11日目大相撲国技館

055_2 我が家の前の麦畑、黄金色の穂が風に吹かれている。

 ジャガイモの苗から白い花が咲く始めている。

 毎年楽しみに私のジャガイモを待っている姉や友人。今年も7月には送ることができる。

 サトイモの芽もそろそろ出始めてきている。

ゴーヤの苗も一昨日に植えた。あとは虫をどうしていくかだ。薬品は使用しないでの対応になる。

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  赤い実のイチゴが畝に横たわっている。

「イチゴは一年一年、苗を新しくしないと大きな実がならないよ」と近くの農家の人から教えてもらった。道理で小さい実しかできない筈だった。それまではイチゴの苗を棄てるには惜しいと思い、何年も同じ苗でイチゴを育ててきたからだ。ケチっていたことだ。

050一日20個のイチゴをこの一週間収穫してきている。

 100個近くのイチゴを毎朝、妻と食べていることになる。ご近所に配るには甘さが足りないのだ。 

 ランナーが出始めている。新しいイチゴの苗を植える準備はできている。

054 御近所の前のお家の畑でも絹さやをやっていた。もう収穫は終了している。絹さやの種を植えたのが遅かったから今の収穫になっている。

 「もう絹さや終わりなの」と妻が言ってきた。少なかった…。来年は倍の畝(両側)で絹さやをやってみる。

 この4月から早稲田大学のオープンカレッジの講座「日本歴史近世」に毎週、水曜日に通い始めた。

 7月と8月の講座は幕末と薩摩と長州。今から楽しみだ。

4月21日の水曜日は朝から強い雨だった。

016 お昼の講座終了後に両国国技館に行った。大相撲五月場所を当日券で観ようと思ったからだ。チケットが購入できない場合は亀戸に寄って、餃子を食べて栃木に帰ろうと考えての行動だった。

 自由席とC席は売り切れ、一階Cのマス席にするか二階B椅子席にするか迷った。結局は予算の関係で二階席とした。後で後悔することになる。

 十両土俵入りでは若の里が見えた。長い相撲取り人生だ。十両の正式な呼び名は幕下の中で『幕下十枚目』までの力士のことを言う。当日の取組表でも『十枚目土俵入り、是より十枚目取組み』と記載され、十両という言葉はどこにも記載されていない。本筋を著している。

 国技館はこれで3回目の観戦となるが、三人の横綱土俵入りを観ることができた。

003_2 それにしても国技館の館内は外国人の姿が目立って多いのには驚いた。モンゴル衣装したお客さんが歩いている。3割以上は外国人のお客さんのような気がした。

 隣の席には若い20歳くらいの女性が一人で観戦していた。シンガポールからの留学生だ。その娘さんが持っていた場内チラシは外国人向けのローマ字で書かれた取組表だった。さらに一列前にはアメリカ人団体客。通訳女性が「グランドチャンピオン(横綱)、ジム(所属部屋) 」と中入りの時に大きな声で通訳している言葉が聞こえた。

 幕下で栃の心が登場した。ケガで番付を下げていたのだなあ…。

040  幕内の取組みに入ると報道カメラマンからのフラッシュがまぶしくなってきた。土俵下からレンズを上に向けて撮っているからだ。二階席のつらさかな。

 結び三番前に「白鵬と豪栄道」の取り組み。豪栄道が白鵬を押し出しで勝った。座布団が飛んだ。両者の動きが速かった。一瞬の動きで勝負が決まったようだ。仕切りの時になんだか豪栄道がやってくれるような気がした。予感は当たったが、二階席からだと遠い世界のような気がした。近くで観たかった。残念だった。

 やっぱりマス席でないと重量感と迫力が伝わってこないのかもしれない。二階席は土俵から見上げれることで言わば天井席なのだなと思った。次回観に来るときはマス席を購入する。今回で分かったことは『マス席は一人分でも購入できる』ということだ。帰路の電車の中で「たとえ知らない人が座る4人席でも、相撲の臨場感を楽しむには一階のマス席なのだ」ということを己に言い聞かせた。 

※大相撲関連では銀次のブログ・石に彫りこまれた四股名―富岡八幡宮「横綱力士碑」もご覧ください。

                          《夢野銀次》

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結婚届の多い日―11月22日・7月7日

0508kekkon1_2 結婚式を挙げて、結婚の届け、つまり婚姻届を市町村の役場に提出する。「もう別れましょう」と言って簡単に男の前から去るわけにはいかなくなる。同棲とは違い、二人の決心が必要になる。江戸時代には「離縁状」はあったが「婚姻届」は無かった。代わりに盛大で何日も続く披露宴があった。

 市町村への婚姻届の受付は365日可能なのだ。よって土曜・日曜日も市の市民課は開いている。死亡届などがあるから。窓口には他の課の職員が交代で受け付け業務をすることになっているそうだ。

 昨年(平成25年)の7月7日は日曜日。朝、市民課の窓口が開く。夜中から待っていた一組のカップルがいた。婚姻届の提出だ。当日の市民課受付担当は普段は税務課に従事している男の職員。婚姻届を受け取ったその職員は自然に「おめでとうございます」とそのカップルに言った。市民課担当の職員は忙しくで普段から言わない言葉だ。その声で女性の方から、「写真撮っていただけますか?」「よろしいですよ」「市役所玄関の前でお願いします」。女性はもじもじしている男性の手をとり玄関前に行く。市の職員も閑散とした市役所ロビーを通って玄関にいく。携帯2台にデジカメ1台、計三台のカメラでシャッターをきる。友人や父母に送るということだ。

11_03_19_cats_wedding1  「ありがとうございました」女性は嬉しそうに語り、さらに「私たちの結婚届を受け付けしてくれた貴方も一緒に撮ってください」とお願いがあった。市の職員は別の職員を呼び二人の横に並びカメラに収まったそうだ。笑顔でそのカップルは市役所を後にした。

 その日、7月7日の日曜日に婚姻届は20件の受付があった。「他から言われていたんです。結婚届が多いぞって。覚悟はしていたのです」。「婚姻届の多い日は11月22日(いい夫婦の日)、12月24日のクリスマスイブ、2月14日のバレンタイン、7月7日の七夕(恋の日)など、二人が一生忘れない日に届けをするのが多いのですよね」とその市の職員が私に語ってくれた。市役所内部では有名な話だそうだ。一般市民は関心がない。しかし、写真を撮っていく新婚さんの話を聞くとほのぼのと心が温まってくるようになる。「市報などにこぼれ話として載せてくれたらいいね」とその職員に私は言った。

 私たち夫婦の婚姻届を提出した日は2月14日。平日で区の窓口は混雑していた。二人そろって婚姻届用紙を提出したら黙って受付して、「次の方どうぞ」という顔をした。女性だったな。一言「おめでとうございます」と言ってくれたら、その区の職員に「ありがとうございます」と礼を言っただろうな…。と今、思える。

                                 《夢野銀次》

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満開の宮の桜堤を歩く―栃木市宮町永野川沿い

009 「太平山の桜は古いしなあ」「宮の町の桜、土手づたいできれいだぜ。第一、車が通らねえんだ」「へえー、今度行ってみっかあ」とある時乗ったバスの後ろから話し声が聞こえた。

宮の桜? 私も聞いたことがなかった。

 4月3日(木)小雨の中、皆川城址のある皆川公民館に車を走らせた。栃木市老人クラブ、健康ウオーキングで「満開の宮の桜と皆川城址公園の眺望」に参加するためだ。

015 「明日はもっと雨が降るようですので本日、宮の桜堤を歩きます」と幹事の挨拶。

参加者3分の2の女性が占める中、ぞろぞろと若い高齢者40人は歩き始めた。

 皆川城内の東宮神社の参拝と本殿の彫り物を見る。5月には流鏑馬が行われるとのこと。永野川に架かる対嶺橋(たいりょうばし)渡る。

「冬の永野川には水がないんですね」と先生に言ったら、「永野川は伏流水で川底の下を流れているんだ」と教えてもらったことを想い出した。

006_2 対嶺橋を渡り左折すると、左側に栃木ボーイズの室内練習場が見えた。「高校野球をやるなら中学から硬球でやってないとレギラーはとれないんだな」と誰かが大きな声で話していた。高校から硬球を握る場合、肩作りから始めるため時間がかかるということだ。佐野日大の田嶋投手は鹿沼ボーイズ、竹村遊撃手は小山ボーイズだったな。

 東北道の下を歩き、すぐに左折した。永野川の土手に着いた。

 008_3  「これが宮の桜堤か!」

栃木の観光案内では隠れた桜の名所として、約1.5キロメートルの堤に桜の木が500本植えられていると紹介されている。

 「最初は皆川新町の方で植えたんだ。市は駄目だと言ったけど、議員の力で実現したんだ。それからだよ、宮町でも桜を植え始めたのだ」と後ろからわが町こそを喋る参加者もいる。約40年位前に桜の苗木を植え始めたそうだ。

024_3  車の通らない桜並木の土手は気持ちが良い。

晴れていたらもっと鮮やかに桜がみえるだろうなあと思える。

  宮町に架かる宮の橋。

売店が一軒出ているが、本日は休みとなっている。車で来るなら、この宮の橋付近に停めることができる。

017_2 この宮の橋を渡り、少し上流に行くと、天然のスケート場があった。

「2,3年前までスケート場、やっていたよ」と教えてくれた。お袋からスケート靴を買ってもらって、自転車で通ったスケート場。昼近くにはリンクの氷の表面がグジョグジョになってしまったことを思い出す。

 宮の橋を渡り、左折して反対側から桜堤を見る。

023  荒宿の遺跡古墳と市営のお墓を眺め、皆川公民館を目指す。山の上まで続く墓石群。

 「仏さんには眺めが良いと思えるけどお墓詣りが大変だわ」と女性の声が聞こえた。階段を上る己の年齢と躰を見つめる生活の実感が出る。

037

  途中に持明院の「しだれ桜」を眺める。「栃木まちを売り出すには三大名僧ですよ」と「下野の動乱」を執筆した大森隆司氏がいつか講演で述べていた。

 「円仁こと比叡山延暦寺座主慈覚大師は栃木市になる岩舟町、日光開山の勝道上人は栃木市都賀町、皆川広照の叔父で真言宗智山派総本山京都智積院開基の玄侑は栃木市皆川城内町、この3人の名僧のゆかりのまちとしての栃木市をPRしたらどうですか」と煽っていた。

≪本日のコース≫

皆川地区公民館…東宮神社…対嶺橋…宮の桜・宮の橋…荒宿B古墳群…持明院…皆川地区公民館

  皆川地区公民館に到着するころには雨足が強くなってきた。よって皆川城址見学は取りやめとなった。ウオーキングとお酒のない花見は健康に良いと改めて実感した。

                   《夢野銀次》 

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水田に咲く―ホテイアオイの花畑

Photo_2 水田には稲の穂が黄色みを増して来ている。その一角の水田に青紫のホテイアオイの花が一面に咲き誇っている。

 東武特急スペーシアが走る抜ける。

栃木市大平町川連の水田の一角にあるホテイアオイ畑。畑の向こうには栃木翔南高校の校舎がある。20年ほど前から自分の水田の一角にホテイアオイを植え続けていると云う。

Photo_4  3・4年前に下野新聞にこのホテイアオイ畑の写真が走るスペーシアと共に記載された。

 マニアは走る。

今日も一眼レフやビデオを設定している人達がいた。朝からじっと待っていると言う。スペーシアが上りと下りが、この畑に前で交差するのをじっと待ち続ける。

「魚釣り」の心境なのかなと思えた。

スペーシアをデジカメで撮ることができた!幹事の時間配慮に感謝感謝。

Photo_2  ホテイアオイのことをまったく知らない自分はたまたま見たのだ。級友が幹事をしている栃木市老人クラブの9月9日のウオーキングに初参加して、このホテイアオイの花畑を見ることができたのだ。確か金魚鉢の中を漂っていることしか頭に浮かばない。

 ネットで検索すると「葉柄が丸く膨らんでいることで、浮き袋の半ばまでが水の中にある。日本では、この浮き袋のような丸い形の葉柄を布袋(ほてい)の膨らんだ腹に見立てて『ホテイアオイ(布袋のような形をしているアオイ』と呼ばれるようになった」と記述されていた。「ホテイ」が最初、分からなかったが、「布袋」という文字で理解できたような気がした。

Photo_5 青紫一面の「ホテイアオイ」は少しの苗から繁殖が進むと言われている。

 さらに、水が大量に必要とする。

 水田だから出来るのかな。近辺は水田用の地下水を組み上げるポンプが多く、火曜日以外はポンプで汲み上げた地下水が用水路を伝わり、万遍なく周囲の水田に水が引かれている。

Photo    冬には枯れても翌年には咲かせている。

東武日光線で栃木駅から上り電車(浅草方面)で栃木駅を発車して1,2分で高架線を下って直ぐ右側に青紫色をした「ホテイアオイの花畑」が見えてくる筈だ。

電車から一度見てみるかな。

 しかし、栃木の街の水田をこうして鑑賞する風景も悪くないと思った。 

                    《夢野銀次》

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