日々の営み

栃木市文化芸術館・文学館基本構想から思うこと

002_2_2  巴波川に架かる常盤橋から運河沿いに旧栃木市役所別館、栃木中央小学校に続く道がある。私の最も好きな栃木の町並みの景観だ。県庁掘りとそこから巴波川に流れる漕渠(そうきょ)・運河は栃木市民として誇れる史跡でもあるからだ。

  栃木市では、平成28年度の予算として鈴木俊美市長の公約である文化芸術館(仮称)と文学資料館(仮称)の整備費用として5800万円、旧栃木第一小学校を活用する地域交流センター(仮称)の整備費2400万円、嘉右衛門町伝建地区の拠点整備費2700万円を計上して本格的な文化芸術のまちづくりが開始されることになってきた。

  平成28年2月に栃木市は「栃木市文化芸術館・文学館基本構想」を発表し、パブリックコメントの募集を行なった。この基本構想では、文化芸術館を旧栃木市役所建物跡地に新たに建設する。隣接する別館は大正時代の建物景観を活かした文学資料館にする。県庁堀り南の向い側の旧第一小学校は地域交流センターとして活用し、敷地の東側に保育所を建設する。明治5年から明治17年まであった栃木県庁舎。その県庁舎を城郭堀のように囲む県庁堀りは今も史跡として残っている。この史跡県庁堀の景観を活かした建設構想になっているのがうれしく思う。

004  今回の基本構想の文化施設は「文化芸術を親しむ機会の増加と充実、および資料等の調査研究の拠点」として位置づけされている。とちぎの歴史・文化・芸術を、みんなで楽しみ・広め・創る拠点と合言葉として、「わたしが光り みんなで輝く文化の息づくまちづくり」を理念にしている。

  私は、「光り輝く文化の息づくまち栃木」と思うようにしている。

  そして基本構想には5つの役割と6つの機能が明記されている。5つの役割としては、A.市ゆかりの文化歴史資料や芸術作品を収集・保存・活用し受け継ぐ。B.魅力あふれる芸術作品や貴重な文化歴史資料を鑑賞できる多彩な展覧会の実施。C.ふるさとへの愛着と誇りを育む機会の充実。D.市民自らが参加・参画し、活動・交流できる機会の提供。E.歴史や文化芸術により賑わいの創出や交流人口の増加を図る蔵の街の観光拠点を担うことが記されている。これらの役割の担うための6つの機能が追記されている。6つの機能とは、博物館法の定める基本機能である①収集・保存、②調査・研究、③展示、④教育普及機能に、⑤交流、⑥情報の受発信機能の2点を加えている。博物館登録を行ない、調査研究機関を設置していくことなど、これまでにない文化芸術に対する思いを伺うことができる。

009 課題は出来上がった施設の運営面にあると思う。現在の文化施設である文化会館と図書館は指定管理会社によって維持運営されている。維持管理、経費削減が先行され、肝心の企画運営にどれだけ力点が置かれているか疑問がある。

 栃木県下の宇都宮・足利・鹿沼・佐野市においては文化会館・美術館運営については公益法人文化芸術振興団体を設置し、市民等が加わり運営されていると聞く。また文化芸術団体の年間事業報告・計画と決算・予算がネットで一般公開され、誰もが閲覧できるようになっている。

014  指定管理下の文化会館では報告も計画も一部の市民にしか明らかにされていないのが現状である。また、26年公益財団法人うつのみや文化創造財団が行なった宇都宮市文化館での企画事業が38事業、入場者が延べ72,378人に対して、指定管理会社が行なった栃木市文化会館での自主事業が14事業、延べ2,412人の入場者になっており、宇都宮市と大きな開きがある。簡単に比較はできないながらも企画運営への温度差が違うのではないかと思える。

  文化施設は行政の財産ではなく、市民共有の文化施設であることを今一度思い直していく必要があると思える。

  基本構想では施設の運営についてはこれから検討していくこととしているが、市民主体の運営であることを明記する必要がある。そうでなければ、従来から言われる「ハコモノ行政」として市民から「もったいない」「将来に借金を残すな」「介護、社会保障に予算を使え」と言われ、計画がとん挫する危険をも内包している。市当局においては、文化芸術が活き活きした町をつくることや文化活動のもつ意義、役割などを市民に理解を求めていく働きかけがもっと必要でないかと思えてくる。

025  昨年の11月に栃木第三小学校4年生による「子どもたちによる例幣使行列」が栃木市嘉右衛門町の例幣使街道で行なわれた。

 嘉右衛門町は平成24年(2012)7月に国の重要伝統的建造物保存地区に選定され、建造物の修繕保存作業が進められている。今回の市の予算で拠点施設整備費用として2700万円計上されている。歴史資産としての活かす工夫が始まるものと伺える。

  嘉右衛門町に訪れる観光客や一般市民がどのくらいいるのか分からない。しかし、賑わいのない町並みの印象を受けてしまっているのだ。

 歴史資産として嘉右衛門町一帯を活かすには、この一帯をミュージアムにして、保存・調査と展示活動を進めていく施策が必要だと思える。運営主体は前記の文化芸術団体が地域の人を加えて行う。そして中心となるイベント会場を設置し、伝統芸能等の発表を行うなど、多くの来訪者を迎える企画運営が必要であるのではないかと思う。

  少子高齢化・人口減少の時代だからこそ、自ら学び、知識情報を得、人との交流、感動を共有する空間・文化施設が求められている。今回の基本構想に生涯学習センターとしての要素を含めて、魅力あるまちづくりを目指して計画を推し進めていって欲しいと願う。

≪参考資料≫

 「(仮称)栃木市文化芸術館・文学館基本構想素案」(栃木市・栃木市教育委員会/平成28年2月発表)     

                        《夢野銀次》

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新たな地域完結型医療体制の構築―とちぎメディカルセンター

108  「小さいなあ…。もっと大きな病院が建つと思っていたのに」と、栃木駅南口スーパー「とりせん」への買い物の際、工事中の建物の見ながら思った。5月の開設に向けて駐車場や道路等インフラは整備されてきている。

  戦前の昭和13年にできた「下都賀病院」。栃木市富士見町にある下都賀総合病院は父や兄が世話になってきた病院でもある。最近ではこの私も人間ドックにおける早期発見で、「膀胱がん除去」「呼吸器疾患治療」「大腸ポリープ除去」と入院、治療を受けている病院でもある。

  下都賀病院は築60年を超える建物の老朽化と病院経営再建をきっかけに、新たに栃木市内にある3病院の統合によって、「とちぎメディカルセンターしもつが」という名称で生まれ変わることになった。ベットの数が307床。屋上にはヘリポートが供えられている。5月になったら4か月1回の膀こうガンの定期検査をこの建物で受けることになる。

003  栃木市内にある下都賀総合病院、とちの木総合病院、下都賀郡医師会病院の3病院が統合再編し、平成25年(2013)4月に発足した「とちぎメディカルセンター(略してTMC)」として今年(平成28年)4月から本格的に稼働を開始する。メディカルセンターへの理解を深めるため、2月27日(日)に栃木文化会館において公開シンポジウムが開かれた。会場はほぼ満杯の聴衆で埋まった。

 メディカルとは医療のこと。横文字ではなく、とちぎ医療総合センターしもつがと呼んでもよいのではないかと思う。病院という名称がないのはどうしてなのか?

 当日のチラシに「とちぎ(地区)の新しい医療体制を目指して」を副題として、舞台には「とちぎメディカルセンターの役割と挑戦」という横幕が張られてあった。

  来賓の鈴木俊美栃木市長からは、下都賀病院の病院経営と建物老朽化による建て替えを検討している時、厚労省における地域包括ケアシステム構築における臨時特別交付金制度を活用して事業をすすめたことの報告があった。財政的に市当局は「地域包括ケアシステム構築」を活用をした。そのことは地域医療システムの構築こそが今回の3病院の統合再編の命題であることが分かった。

053_2  厚生労働省医療安全推進室長の平子哲夫氏が基調講演「地域で支える医療・介護」があった。講演時間が50分と恐ろしく短い講演。講師はまず冒頭で、「2020年の東京オリンピックより、私どもは団塊の世代が75歳を迎える2025年を最大の医療体制整備の課題としている」ことの強調から講演が始まった。

  講演では高齢者時代を迎え、「平成37年(2025)に団塊の世代約800万人が75歳を迎えることは国民の医療や介護の需要が増大する。そのため高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援のもとで可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援の構築をできる体制にもっていく」という国としての施策方向性の紹介があった。そして、「今回のとちぎメディカルセンターのとりくみは全国的に注目を集めている。是非地域の人々と共に事業が推進されることを期待します」との結びがあった。

055  「地域包括ケアシステムの構築」のあらましが講演の中でスライド紹介された。

〇団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、重要な要介護状態になっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けるよう医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に確保される体制(地域包括ケアシステム)の構築の実現

〇今後、認知症高齢者の増加が見込まれることから、認知症高齢者の地域での生活を支えるためにも、地域包括ケアシステムの構築が重要。

〇人口が横ばい75歳以上人口が急増する大都市部、75歳以上人口の増加は緩やかだが人口は減少する町村部等、高齢化の進展状況には大きな地域差

〇地域包括ケアシステムは、保険者である市町村や都道府県が地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要。

050_3  とちぎメディカルセンターとして開始するにあたり、麻生利正理事長より「急性期から回復期、在宅・介護に至るまで、(病院完結型から)地域完結型の医療体制の構築を目指して栃木地区の3病院が統合し、とちぎメディカルセンターが発足しました。3病院の持っている機能を強化し、地域に医療・保健に貢献していきたい」との基調報告があった。

  このことから、病院名を使用しないのは地域完結型医療体制を推進していくためなのだと理解した。ただ当分はなじみがでないだろうなと思える。「病院へ行く」から「メディカルセンターへ行く」…言いづらい。

  機能の分担では、医療における急性期病院として「TMCしもつが」が行なう。回復期・慢性期については「TMCとちのき」。高度医療を必要とする患者は大学病院に。センターとして訪問看護、在宅医療の提供を行なう。郡医師会病院が総合保健医療支援センターとなり保健・福祉事業を行なう。そしてメディカルセンターとして介護及び高齢者福祉として居宅介護支援事業所によるケアプラン作成、介護老人保健施設による入所・通所サービスの提供、訪問リハビリ等を行なっていくとしている。

081  最後の公開シンポジュウムにおいては、栃木市保健部長、郡医師会、独協医科大学、自治医科大学、栃木地域女性会が参加して、それぞれの立場からメディカルセンターへの期待と要望が出された。とりわけ開業医の立場から郡医師会の意見が印象に残った。

 それは「地域医療として、開業医にはかかりつけ、看取り在宅治療などが求められている。しかし、一人の開業医、診療所では24時間、365日、対応できない。メディカルセンターにおいて在宅医療拠点としての連携の強化、在宅医療支援診療所などの場を提供して欲しい」との意見であった。

  従来の病院完結型から、とちぎメディカルセンターは地域完結型医療体制の確立を目指す。それは社会保障制度改革の一貫として位置づけられる重要な課題であると思う。

  地域では認知症を含め治療・介護は相当な辛苦が伴う。それを進めていくには地域包括支援センターとの連携が不可欠だと思えてくる。この公開シンポジュウムに地域包括支援センターが登壇していなかったのが残念なことだった。しかし、とちぎメディカルセンターは国の補助金を得てスタートする。そのことを踏まえて地域完結型医療体制の構築を整えていって欲しいと願う。

                         《夢野銀次》

 

 

 

 

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正月―我が家の日の出と三日月神社への参拝

013_2 平成28年(2016年)の元旦。――明方。

我が家の軒先から初日の出を見る。

ゆっくりと昇ってくる日差しは我が家の庭、菜園を照らし出してくる。

引っ越してきて6年目の新年を迎える。敷地にある家庭菜園。

昨年暮れにスコップで土起しを行なった。

土起しを行なった畑の土壌はふんわりと黒く盛り上がる。

――畑らしい土になってきたことを実感する。

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 「玉ネギ」「ニンニク」を植えた畝の西側に、ビニールで風よけを設置した。

北西の風が強い土地柄なのだ。

 6年前に栃木市に戻ってきて、翌年の冬には耳たぶにしもやけができた。高校まで住んでいたが、できたことはなかった。風が強いのだ。

以来、耳当てをして、しもやけを防いでいる。

053  正月三日目、昨年からの懸案であった「三日月神社」へ参拝に行く。元旦には神明さんに初詣をしている。

 栃木市川原田町535番地にある「三日月神社」。栃木市総合運動公園の裏側にある神社だ。「月讀命」(つきよみのみこと)を現す「朏尊」(ひそん)を祭神として祀っている。

 1月3日は例大祭日。御神楽が奉納されるなど一番の賑わいをみせる日になっている。イボ・アザ・シミ・ソバカスを治癒させる神として根強い信仰がある。

 肌を綺麗にして欲しいと願うことから「豆腐」をお供えして参拝する風習がある。

052 境内は、早い時間のためなのか、参拝者は20~30人と思ったより少ない。

 新築された神楽殿が建っている。昨年、来た時には神楽殿は取り壊され、工事が始まる時だった。

午前10時過ぎ頃から御神楽が演じられるのかもしれない。

 ――まずは参拝をする。

拝殿の脇のテントで豆腐が売られていた。

 

040 …やはり売っていたのだ。一丁100円のお供え用の豆腐。

スーパーで売られている普通の豆腐だ。

 この豆腐、どこに置いたらいいのか?

社務所の人は指を指して教えてくれた。

拝殿にある御賽銭箱の前に豆腐が並べられてある。

 拝殿に進み、お供えの豆腐を置く。弐例・弐拝・壱例をしての参拝を行ない、参拝を終了する。

045 拝殿前にはたき火が焚かれ、数人の人が輪になって談笑している。

 地域の神社特有の囲みの雰囲気を感じた。甘酒を呑みながら、私と距離があると感じた。その距離を縮めるには少し億劫な気もした。よそ者として、私は見られている。御神楽の準備が進められていたが、帰ることにした。

 年老いた御婆さんが、豆腐のお供えをして参拝する姿も見ることもできた。

 豆腐をお供えして参拝する風習慣例は脈々と江戸時代から受け継がれている。実際にあることを知った。

三日月神社を訪れて、地域の神社寺院には長い歴史が流れていることを改めて感じた。

                         《夢野銀次》

 

 

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結婚届の多い日―11月22日・7月7日

0508kekkon1_2 結婚式を挙げて、結婚の届け、つまり婚姻届を市町村の役場に提出する。「もう別れましょう」と言って簡単に男の前から去るわけにはいかなくなる。同棲とは違い、二人の決心が必要になる。江戸時代には「離縁状」はあったが「婚姻届」は無かった。代わりに盛大で何日も続く披露宴があった。

 市町村への婚姻届の受付は365日可能なのだ。よって土曜・日曜日も市の市民課は開いている。死亡届などがあるから。窓口には他の課の職員が交代で受け付け業務をすることになっているそうだ。

 昨年(平成25年)の7月7日は日曜日。朝、市民課の窓口が開く。夜中から待っていた一組のカップルがいた。婚姻届の提出だ。当日の市民課受付担当は普段は税務課に従事している男の職員。婚姻届を受け取ったその職員は自然に「おめでとうございます」とそのカップルに言った。市民課担当の職員は忙しくで普段から言わない言葉だ。その声で女性の方から、「写真撮っていただけますか?」「よろしいですよ」「市役所玄関の前でお願いします」。女性はもじもじしている男性の手をとり玄関前に行く。市の職員も閑散とした市役所ロビーを通って玄関にいく。携帯2台にデジカメ1台、計三台のカメラでシャッターをきる。友人や父母に送るということだ。

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 「ありがとうございました」女性は嬉しそうに語り、さらに「私たちの結婚届を受け付けしてくれた貴方も一緒に撮ってください」とお願いがあった。市の職員は別の職員を呼び二人の横に並びカメラに収まったそうだ。笑顔でそのカップルは市役所を後にした。

 その日、7月7日の日曜日に婚姻届は20件の受付があった。「他から言われていたんです。結婚届が多いぞって。覚悟はしていたのです」。「婚姻届の多い日は11月22日(いい夫婦の日)、12月24日のクリスマスイブ、2月14日のバレンタイン、7月7日の七夕(恋の日)など、二人が一生忘れない日に届けをするのが多いのですよね」とその市の職員が私に語ってくれた。市役所内部では有名な話だそうだ。一般市民は関心がない。しかし、写真を撮っていく新婚さんの話を聞くとほのぼのと心が温まってくるようになる。「市報などにこぼれ話として載せてくれたらいいね」とその職員に私は言った。

 私たち夫婦の婚姻届を提出した日は2月14日。平日で区の窓口は混雑していた。二人そろって婚姻届用紙を提出したら黙って受付して、「次の方どうぞ」という顔をした。女性だったな。一言「おめでとうございます」と言ってくれたら、その区の職員に「ありがとうございます」と礼を言っただろうな…。と今、思える。

                                 《夢野銀次》

 

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満開の宮の桜堤を歩く―栃木市宮町永野川沿い

009 「太平山の桜は古いしなあ」「宮の町の桜、土手づたいできれいだぜ。第一、車が通らねえんだ」「へえー、今度行ってみっかあ」とある時乗ったバスの後ろから話し声が聞こえた。

 …宮の桜? 私も聞いたことがなかった。

 4月3日(木)小雨の中、皆川城址のある皆川公民館に車を走らせた。栃木市老人クラブ、健康ウオーキングで「満開の宮の桜と皆川城址公園の眺望」に参加するためだ。

 

015 「明日はもっと雨が降るようですので本日、宮の桜堤を歩きます」と幹事の挨拶。

参加者3分の2の女性が占める中、ぞろぞろと若い高齢者40人は歩き始めた。

 皆川城内の東宮神社の参拝と本殿の彫り物を見る。5月には流鏑馬が行われるとのこと。永野川に架かる対嶺橋(たいりょうばし)渡る。

「冬の永野川には水がないんですね」と先生に言ったら、「永野川は伏流水で川底の下を流れているんだ」と教えてもらったことを想い出した。

006_2 対嶺橋を渡り左折すると、左側に栃木ボーイズの室内練習場が見えた。「高校野球をやるなら中学から硬球でやってないとレギラーはとれないんだな」と誰かが大きな声で話していた。高校から硬球を握る場合、肩作りから始めるため時間がかかるということだ。佐野日大の田嶋投手は鹿沼ボーイズ、竹村遊撃手は小山ボーイズだったな。

 東北道の下を歩き、すぐに左折した。永野川の土手に着いた。

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 「これが宮の桜堤か!」

栃木の観光案内では隠れた桜の名所として、約1.5キロメートルの堤に桜の木が500本植えられていると紹介されている。

 「最初は皆川新町の方で植えたんだ。市は駄目だと言ったけど、議員の力で実現したんだ。それからだよ、宮町でも桜を植え始めたのだ」と後ろからわが町こそを喋る参加者もいる。約40年位前に桜の苗木を植え始めたそうだ。

024_3  車の通らない桜並木の土手は気持ちが良い。

晴れていたらもっと鮮やかに桜がみえるだろうなあと思える。

  宮町に架かる宮の橋。

売店が一軒出ているが、本日は休みとなっている。車で来るなら、この宮の橋付近に停めることができる。

017_2 この宮の橋を渡り、少し上流に行くと、天然のスケート場があった。

「2,3年前までスケート場、やっていたよ」と教えてくれた。お袋からスケート靴を買ってもらって、自転車で通ったスケート場。昼近くにはリンクの氷の表面がグジョグジョになってしまったことを思い出す。

 宮の橋を渡り、左折して反対側から桜堤を見る。

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 荒宿の遺跡古墳と市営のお墓を眺め、皆川公民館を目指す。山の上まで続く墓石群。

 「仏さんには眺めが良いと思えるけどお墓詣りが大変だわ」と女性の声が聞こえた。階段を上る己の年齢と躰を見つめる生活の実感が出る。

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 途中に持明院の「しだれ桜」を眺める。「栃木まちを売り出すには三大名僧ですよ」と「下野の動乱」を執筆した大森隆司氏がいつか講演で述べていた。

 「円仁こと比叡山延暦寺座主慈覚大師は栃木市になる岩舟町、日光開山の勝道上人は栃木市都賀町、皆川広照の叔父で真言宗智山派総本山京都智積院開基の玄侑は栃木市皆川城内町、この3人の名僧のゆかりのまちとしての栃木市をPRしたらどうですか」と煽っていた。

≪本日のコース≫皆川地区公民館…東宮神社…対嶺橋…宮の桜・宮の橋…荒宿B古墳群…持明院…皆川地区公民館

  皆川地区公民館に到着するころには雨足が強くなってきた。よって皆川城址見学は取りやめとなった。ウオーキングとお酒のない花見は健康に良いと改めて実感した。

                        《夢野銀次》 

 

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水田に咲く―ホテイアオイの花畑

Photo_2 水田には稲の穂が黄色みを増して来ている。その一角の水田に青紫のホテイアオイの花が一面に咲き誇っている。

 東武特急スペーシアが走る抜ける。

  栃木市大平町川連の水田の一角にあるホテイアオイ畑。畑の向こうには栃木翔南高校の校舎がある。20年ほど前から自分の水田の一角にホテイアオイを植え続けていると云う。

Photo_4  3・4年前に下野新聞にこのホテイアオイ畑の写真が走るスペーシアと共に記載された。

 マニアは走る。

 今日も一眼レフやビデオを設定している人達がいた。朝からじっと待っていると言う。スペーシアが上りと下りが、この畑に前で交差するのをじっと待ち続ける。

「魚釣り」の心境なのかなと思えた。

スペーシアをデジカメで撮ることができた!幹事の時間配慮に感謝感謝。

Photo_2  ホテイアオイのことをまったく知らない自分はたまたま見たのだ。級友が幹事をしている栃木市老人クラブの9月9日のウオーキングに初参加して、このホテイアオイの花畑を見ることができたのだ。確か金魚鉢の中を漂っていることしか頭に浮かばない。

 ネットで検索すると「葉柄が丸く膨らんでいることで、浮き袋の半ばまでが水の中にある。日本では、この浮き袋のような丸い形の葉柄を布袋(ほてい)の膨らんだ腹に見立てて『ホテイアオイ(布袋のような形をしているアオイ』と呼ばれるようになった」と記述されていた。「ホテイ」が最初、分からなかったが、「布袋」という文字で理解できたような気がした。

Photo_5 青紫一面の「ホテイアオイ」は少しの苗から繁殖が進むと言われている。

 さらに、水が大量に必要とする。

 水田だから出来るのかな。近辺は水田用の地下水を組み上げるポンプが多く、火曜日以外はポンプで汲み上げた地下水が用水路を伝わり、万遍なく周囲の水田に水が引かれている。

Photo    冬には枯れても翌年には咲かせている。

 東武日光線で栃木駅から上り電車(浅草方面)で栃木駅を発車して1,2分で高架線を下って直ぐ右側に青紫色をした「ホテイアオイの花畑」が見えてくる筈だ。

電車から一度見てみるかな。

 しかし、栃木の街の水田をこうして鑑賞する風景も悪くないと思った。 

                         《夢野銀次》

 

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65歳を迎えて―小津安二郎「東京物語」から

Photo   「世界に先駆けて日本は超高齢社会を迎えた。80歳を超えてからの人生設計を組むことが必要だ」と五木寛之は語る。6月8日放送の阿川佐和子のトーク番組「サワコの朝」においてだ。さらに「80歳からの人生は誰も教えてくれない。今を一つ一つ積み重ねていくことが大切だ」と80歳になった五木寛之は阿川佐和子に淡々と語っていた。

 9月1日で私は65歳を迎えた。「介護保険証」も届き、高齢者の仲間入りとなった。総人口においての65歳上の割合を示す高齢化率が、平成24年(2012)では23.3パーセントを示した。高齢化率が20パーセントを超えれば「超高齢社会」と定義されている。17年後の高齢化率は28パーセントと予測されている。世界に先駆けて日本はどの国も経験していない本格的な「超高齢社会」を迎えてきた。

Tokyo_monogatari_poster_21  介護や介護保険、社会保障費の増加等数ある高齢化社会問題の中で高齢者の「孤立」が問われてきている。核家族化がすすむ中で65歳以上の単身者高齢者がこの30年間で88万人から480万人と急増してきたからだ。

 昨年の平成24年版高齢社会白書の中で「地域社会のなかでの人間関係を含め、地域力や仲間力が弱体化、喪失する中で、社会的孤立や孤立死の問題が出てきた」と地域社会の崩壊を指摘し、「新たな超高齢社会に適合した地域社会の再構築の必要性」が強調されている。

 昭和28年(1953)公開の小津安二郎監督、笠智衆主演の「東京物語」のDVDを図書館から借りて来て観た。戦後から8年がたち、核家族化が進む中で家族の崩壊を描いた優れた作品だと思えた。 「年老いた両親の一世一代の東京旅行を通じて、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生を冷徹な視線で描いた作品である。今日の核家族化と高齢化の問題を先取りした作品だ」と批評家の評価を待つものではない。

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 この「東京物語」の中で、わたしの胸にズシーンと突き刺さったシーンがラストに出てきた。

 それは、母とみ(東山千栄子)の葬儀が終わった後、長女の志げ(杉村春子)は次女の京子(香川京子)に、母とみの形見の品をよこすよう催促する。そして志げは、とみよりも父周吉(笠智衆)が先に死ぬのが望ましかったと主張し、長男の幸一(佐分利信)もそれに同調する。そして、戦死した次男の嫁、紀子(原節子)以外の子供たちは、葬儀が終わらるとそくそくと帰って行った。父と尾道で暮らす小学校教諭の京子は帰って行った兄や姉の姿勢に憤慨する。紀子は京子に「歳を取れば誰でも自分の生活が一番大切になるものだ」と諭す。その京子も東京に帰る時、義父の周吉に再婚を考えていることを打ち明ける。

Tokyostory2ssss1_2  これらのシーンから母の葬儀の際にそくそく帰ってしまったわたしの姿が見えた。この映画の通りだった。自分の生活を優先させる「わたし」がいたからだ。

 平成23年(2012)、10年おきに行われている英国映画協会の「世界で最も優れた映画50選」で、358人の映画監督が選ぶ(監督部門)で小津安二郎監督の「東京物語」が1位となった。日常の出来事の中で誰もが向き合っていく別れを行間と言葉に思いを込めて、それぞれが持つ孤独を演出する最高傑作としての評価を得ての1位だった。

 若い頃見た時の小津作品は「こんにちわ」などの日常挨拶のセリフが多く、見る気を無くしていた。しかし、日常の挨拶の言葉から人間関係が始まることがようやく最近わかってきた。「おはよう」と言いながら心ではさらに「お元気ですか」ということを追加してく挨拶。

P6210304_2  今から2年半前にこの地に引っ越してきた。自治会は4つの坪から構成されている。江戸期の年貢米を納める集落単位のことを「坪」ということを最近になって知ることができた。葬儀では地域の人が墓の穴を掘る床取り(とことり)という役割が今なお存続してる。さらに全戸総出で用水溝の「堀ざらい」や神社の草むしり等を取り組む。都会暮らしのわたしには、当初戸惑いを感じた。しかし、最近ではこれらの役割や行事を行うことが地域の人々を結ぶ支えになっているのではないかと思うようになってきた。江戸期の農村社会の分野を身近に学ぶ機会を得たと思ってきている。

 「地域社会の崩壊」から「新たな地域社会の構築」を国や地方自治体での施策が進められると思う。超高齢社会では、より社会参加の姿勢が重要になってくる。「生涯学習」を基本に身近な地域社会と向き合い、「栃木のまち」を変えていくとりくみに参加していくつもりだ。 65歳を迎えたわたしの心づもりとしていく。

                          《夢野銀次》

 

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ガス給湯器-地下水には弱い

P_kyu_look011_2 先日、北側の壁に設置してあるガス給湯器から水がたれているのを見つけた。急いでLPガス供給会社に連絡し、来て診てもらった。

 ガス会社の人が言いました。「給湯器の中にある熱交換器に針ぐらいの穴が開いています。修理会社に連絡し、お宅と修理会社とで修理日や部品と修理代については話しあってください。当社は紹介ということになります」と言った。

 2年前、築11年中古住宅を購入する際、この給湯器を新しく購入した。その契約内容は10年契約で購入費用25万円をそのガス会社が供給するLPガスを使用して償却する無料購入方式。但し、10年未満途中解約の場合、残存価格をガス会社に支払う内容だった。

 たった2年での故障なので、補償はないのかと聞いたところ「お宅様の場合、地下水(井戸水)なので対象外なのです」と答え、さらに「この熱交換器は銅版でできているため、地下水に含まれている鉄分に銅は弱いため、すぐに故障しやすいのです」と言ってきた。「新規購入設置の際、一切そういうことは提示していなかったのではないか」と少しムカッとした。

 修理会社と連絡がとれ、3日後に来てガス給湯器の中の熱交換器を取り替え修理を済ませてくれた。修理会社の言うには「ガス給湯器が地下水に弱いことを大抵のガス会社はお客さんに言いませんね。ある会社では地下水のお宅にはガス給湯器を販売しないし、販売してもメンテナンスなど責任をもたいとはっきり言ってますネ。お宅の場合、よく水がたれていることを見つけましたネ。早く見つけたため大きな修理には至らなかったんですよ。この熱交換器を取り替えても、1年~2年で劣化します。1年過ぎたら、注意してガス給湯器を見ていた方がよいですよ」とのアドバイスを受けた。ガス交換器が地下水に弱いことをガス会社から言われていなかったためか、今回は取り替えた熱交換器代はサービス無料にして、出張修理手間代だけにしてくれた。

Gas_top01_041 現在、ほとんどの住宅に公営水道が敷かれている。引っ越しする際に地下水であることを承知していたが、あまり深く考えなかった。仲介した不動産屋は共同して水道管を引くことを勧められたことを思い出した。

  住宅界では床暖房や太陽光を活用しての省エネ住宅が推進されている。しかし、地下水の家では『難しいですね』とその修理会社の人は言った。さらには、購入する際、ガス会社の対応、なんでもガスを使用してもらう考えで、地下水に弱い、故障しやすいことを言わない契約方法は消費者の選択権を奪うことになる。地下水では故障しやすいが利便性を考え購入するとか、地下水でも可能だが音がうるさいけど石油給湯器にするとか、選択検討することを奪っているからだ。こうしたやり方は「いずれ消費者からバッシングを受けるかもしれませんネ」と言って、帰っていった。

 10年間、修理しながら現在のガス給湯器をだましだましで使っていくのか? 残存価格を支払ってガス会社との契約を解除して石油給湯器(20万~30万円)に切り替えるか? 100メートル先に通っている公営水道の本管から自費で給水管を引くか(約200万~300万円)?…。 

 公営水道で生活してきた自分にとり、今回のことで地下水の問題点やリスク等、今改めて提示され、考えさせられてきた。

                            《夢野銀次》

 

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地域をともに創る『協働』-栃木県の基本姿勢

6397760845_a6bc7ff8c1_z1 栃木県のNPO団体は約2000団体。その内NPO法人は530団体(全国ではNPO法人数46,000団体)ある。

 一般にNPOの活動は民間の立場で社会的なサービスを提供したり、社会問題を解決するために活動する団体を言う。具体的には地域の高齢者への食事を作って届ける(保健・医療・福祉)、子どもの虐待を防ぐ(子どもの健全育成)、地域の人々の居場所づくりを行う(まちづくり)等があげられて」いる。

  昨年11月に開催された『とちぎ県民協働フェスタ』は今年も11月13日に栃木県庁舎内で開かれる。NPOや各種団体の活動紹介を通して社会貢献活動への参加を高める場としている。

6397760967_82d93b8346_z1_2 栃木県では昨年より平成27年度にかけて「新とちぎ元気プラン」という安心・成長・環境をともにつくる計画の施策を始めている。その基本姿勢として「多様な主体が協働・創造する“とちぎ”」としている。従来の「行政のみが“公(おおやけ)”を担う」という発想から脱却し、「新たな〝公(おおやけ)”を拓く」という考えで県民、NPO、企業、行政などが連携・協力し、協働で創造することを力点としているのが特徴だ。

Ikiru41_3 都道府県の窓口担当者の目線は上から見ている。行政職員との話の底流には「公平の原則」「特定団体への利益排除」などが横たわっていることを感じてきた。「ともに街づくりをしましょう」と要望しても、行政側は「前例がない」「議員からのお話ならお聞きしましょう」と答える。「この人達、地域のことを考えているのかしら」と半分あきらめて呟いた人もいた。

 しかし、地方分権から行政サービスの見直しが始まり、さらに公共的な課題にとりくむNPOの増加により、公共の担い手が行政だけではないことが明らかになってきた。

 栃木県ではNPO・企業・行政がそれぞれの立場から課題を一緒に考え、解決にむけ目的を実現するため一緒に行動する考えを打ち出している。この基本姿勢を「協働」と位置付けている。(参考・とちぎの協働スタートブック)

Ikiru31 市職員として30年以上務めた市民課長の生きざまを描いた名作、黒澤明監督作品『生きる』(昭和27年度作品)を思い浮かべる。公園で亡くなった市民課長(志村喬)の通夜の席で語る市職員達。『忙しい、しかし俺たちは何もしてはいけないのだ。新しいことをやろうとしてはいけないのだ』と。公園作りを目指し、縦割り行政機構の垣根を一つ一つ取り払っていく市民課長の姿勢。志村喬の凄まじい演技はまさに『生きる』ことを示していた。

 石原東京都知事がある時言った。『都の職員は三(さん)ずだ。一つは休まず。二つは遅刻せず。そして三つめは仕事せずだ』。決まったことしか仕事をしない地方公務員を言い当てている。職員が多忙なのか事務が煩雑なのか分らない。しかし、私が今まで会ってきた職員の中で「住民のため新しく何かをやろう」と気概を持った人は何人いたろうか?

Ikiru61_2 栃木県が打ち出している「協働」。住民と直に接している市町村の職員。その人たちは住民へのサービスを職務としている。「もっとこうすれば」「あの団体と相談して進めれば問題の解決につながる」。しかし、そこには「協働」とういう考えではなく、「行政に協力をしてもらうようお願いする」という上からの姿勢、思考がある。まずその思考を払拭していくことが必要だと思える。

 栃木県の提起する「協働」を進めるために行政職員、NPO、企業関連者を含めた中で、新たな公の担い手を育成していく場。それが「とちぎ県民協働フェスタ」だと思い、今年の11月13日(火)に栃木県庁に行ってみよう。

               《夢野銀次》

(追記)『生きる』のポスターには元市職員の小田切みきと志村喬が共にブランコに乗っているが、このシーンは映画にはない。おもちゃのウサギを見せながら『課長さんも何か作ってみたら』と若い小田切みきは言う。その時、課長は主婦達からの要望のあった公園を作る決心する。『生きる』決断をする。バックにはハッピバースデーの合唱が流れ渡る。感動のシーンだ。公園は二人によってできたことを意味しているのかナ。

 

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